その料理、毎日毎食、作れますか?

「ジリメン」とは「生活面で自立した男」のことで、この連載の著者でコミュニケーション・ディレクターの佐藤尚之さんの造語です。日々の生活で自分の身の回りのことができない男性の存在は、「高齢単身世帯」が問題となる社会では、お荷物になってしまう可能性が高い。だから最低限の家事を身につけて妻やパートナーから自立しよう、という提案です。とはいえ、仕事して、稼いで、家族もきちんと養って、家のことは妻に任せている、それが男の役割と思ってきた、それって、自分が悪いのか? と感じた男性読者も多いはず。連載第4回で佐藤さんは、そんな戸惑う読者の皆さんに向け「男性のせい、ばかりではない」と、昭和男子がそうならざるを得なかった、教育や社会の背景から男性擁護論を展開しました。

【vol.4男性のせい、ばかりではない】
https://www.wellbeing100.jp/posts/5312

 今回初めてこの連載を読んでくださっている皆さん、できればぜひ、vol.1の「宣言編」をご一読ください。
【vol.1 もしかしてオレ、自立してなかった⁉】
https://www.wellbeing100.jp/posts/5191

そして、ジャーナリストの浜田敬子さんは妻の視点から「ジリメン」の必要性を語ってくださいました。
【vol.2,3浜田敬子さんとの対談「ジリメン」は社会問題を解決する】
前編https://www.wellbeing100.jp/posts/5312
後編https://www.wellbeing100.jp/posts/5545

さて、今回からいよいよ具体的な「ジリメン」に必要な家事の話が展開されます。「継続」できる料理とは?

佐藤尚之(さとう なおゆき)さん
コミュニケーション・ディレクター。
1961年東京生まれ。著書に「ファンベース」(ちくま新書)、「明日の広告」(アスキー新書)など。また“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(光文社文庫)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)などがある。
2018年にアニサキスアレルギーになって外食や旅に行けなくなり生活がガラリと変わる。一汁一菜を毎日作ってインスタグラムにアップもしている。

facebook:http://www.facebook.com/satonao
instagram:https://www.instagram.com/satonao310/
※一汁一菜instagram:https://www.instagram.com/enjoy_ichiju_issai
note:https://note.com/satonao310/

撮影/原 幹和(佐藤さん)

「自立のための料理」と「趣味の料理」は別物だ

さて、連載第5回目である。
いよいよ家事の中の一番大きな部分、昭和男子が生活的に自立するための「料理」について考えていきたいと思う。

いままでの連載を読んで、「まぁオレは料理をわりと作っているからほぼジリメンだな」と思った男性もわりといらっしゃるかもしれない。それは素晴らしいことだ。世の中の男性の多くが昭和な価値観を引きずったままの中、料理をちゃんと作ってきたのはさすがだと思う。

でも、それをわかった上で、あえて問いかけたい。

「その料理、毎日毎食、作れますか?」

その料理、気分転換で作っていませんか?
週末にイベント的に作っていませんか?
「男の料理」的な凝った料理を作っていませんか?

それが悪いとはぜんぜん思わない。ぜひ「趣味」としてこれからも作り続けてほしい。ただ、「生活的自立」のための料理は「趣味」の料理と別物だ。

自立の料理とは、毎日毎食作れること、つまり「続けられること」が必須条件となる。どんなに面倒臭くても、どんなに忙しくても、必ず作れる。毎日作れる。毎食作れる。それが「自立の料理」なのである。

それだけじゃない。「調理前後にある様々な家事」も毎日毎食できないといけない。
第一回目に書いたように「毎日の営みとしての料理」とは、買物→冷蔵・冷凍→献立→下拵え→調理→盛り付け→キッチンの片づけ→配膳→食事→下膳→皿洗い→食器拭き→収納→テーブル拭き→冷蔵庫チェック→次の食事の構想……これらすべての「連続的な行為」のことを呼ぶ。

これらを毎食のようにできることも前提だ。
そう、生活的自立のための料理のポイントは、「これらの家事を含めて毎日毎食ずっと継続できるかどうか」なのである。

カレーや唐揚げ、ハンバーグなどはいったん封印しよう

ボクもジリメン初期にはいろいろ作っていた。
レシピ本や料理アプリ花盛りの今、料理初心者でもやる気さえあれば何でも作れる環境が整っているからね。

特に時短料理やワンパン料理(フライパンひとつで作れる料理)にはお世話になった。時短スパイスカレーに嵌まったり、ワンパン唐揚げを試したり、手作りハンバーグにトライしたりした。おお、楽しいしおいしいやん!

でもそのうち続かなくなる。面倒臭くなる。
最初に作ったときはとにかく楽しい。そこから数回も段取りがよくなることも相まってやっぱり楽しい。でも「新鮮さを失ったころ」から急速にそれが色あせてくる。まるで恋のようだ。

食材が腐るのもうんざりだ。
カレーだ唐揚げだハンバーグだ、と、バリエーションを豊富にすればするほど、食材の「残り」が中途半端に冷蔵庫に溢れ、ふと気がついたときには奥の方で腐っていたりする。こういうときの妻は容赦ない。こっぴどく叱られて、残り少ないモチベーションがだだ下がりしていく。

そのうえなにより「食べ飽きる」。
レパートリーが少ないこともあるけど、少しずつ食べ飽きてくる。
最初は「おいしいじゃん! オレすごいじゃん!」とかうれしいし、「よし、大好きなあのカレー屋の味に近づけてみよう!」とか男子特有の研究心も出てくるのだけど、だんだんと自分が作る味に飽きてくる。

こうして「継続」への道は閉ざされ、あっという間に元の木阿弥。そんなくり返しをボクもやってきた。

その一部始終を見て見ぬ振りをする妻の目も痛かった。
「結局続かないじゃない」「それ見たことか」と心の中で言っている気がした。いや、確実に言っていた。目が言っていた。手が言っていた。背中が言っていた。

ううむ、いったいどうすればいいのだろう。

料理を「歯磨きの領域」に持っていこう

なんで続かないのだろう?
なんで習慣にならないのだろう?
そう悩んでいたある日、ふと「では、『続いているもの』とはいったい何だろう?」と発想を変えてみた。

たとえば歯磨き。
歯磨きって毎日毎回、苦もなく続いているよね。朝起きたら無意識にやるし、寝る前にも無意識にやる。完全に習慣化している。あれは何で続いているのだろう?

「継続」のためには「楽しさ」や「ワクワク」や「変化」が大切、とか言うヒトもいる。それもわかる。
でも、歯磨きに楽しさもワクワクもない。変化(バリエーション)もない。
ただただ淡々と、シンプルかつ地道に続けていくものだ。ひょっとして料理もそういう領域に持っていかないといけないのではないだろうか

歯磨きをお手本に自分なりに考えて、いくつか方策をまとめてみた。

◆「料理の習慣化」に必要ではないもの
楽しさやワクワクは特にはいらない
母や妻を見ていてもわかる。毎日毎食の料理を楽しく作っているわけではない。習慣としてわりと淡々と作っている。というか自分の経験から言っても、初めは楽しくワクワクした料理も、作り続けていくうちに結局面倒臭くなった。そう、楽しさやワクワクは「自立のための料理」にはたぶんいらない。どちらかというと邪魔。

・バリエーションも特にはいらない
歯磨きにバリエがないように、料理にもバリエはきっといらない。つまりいろんなメニューを作る必要はない。なるべくシンプルで単純なくり返しのほうが続く。現にカレーとか唐揚げとかハンバーグとかバリエを持っても続かなかったじゃん。「継続」が目的であるならば、同じ料理を淡々と作り続けるほうがたぶん良い。

◆「料理の習慣化」に必要なもの
 ・短時間かつ最低限という要素はいる
歯磨きは短時間かつ最低限の作業である。少しやる気を出して糸ようじとかを時間をかけてし出すと途端に面倒臭くなってくる。料理もたぶんいっしょ。工夫してなるべく短時間かつ最低限な作業にすることが大切だろう。そういう目でレシピとか眺めるとまだまだ複雑な手順が多すぎる。計量とか大さじ・小さじとか下茹でとか合わせ調味料とかたぶんいらない。もっとシンプルなやり方がきっとある。

・カラダにいいという要素はいる
歯や口腔のためにいい、という要素は歯磨きの「継続」にとってとても重要なモチベーション要素だ。磨かないと虫歯や歯周病になる。このことがわかりやすく「習慣化」を助けてくれる。そういう要素は料理にも必要だろう。カラダにいいこと。これを続けていくとダイエットになったり健診の数値がみるみる改善したりすること。きっとこれは「継続」に必須の要素だ。成果が見えるのは何でも大切。

こうして「料理」という作業を「継続」や「習慣化」という切り口で眺め直してみると、ずいぶんと景色が変わってくる。

短時間かつ最低限の作業で、カラダにもいいこと。
楽しさやワクワクや変化は特にはいらない。淡々と毎日毎食作り続けられること。それらが継続には重要だ。

もしかしたら、料理を作り馴れた方々(特に主婦の方々)には異論もあるかもしれない。楽しい方がいいに決まってるし、おいしい方がいいに決まっている。そして、いろんな料理を作れればそれに越したことはないじゃない? それでも私は続いているよって。

でも、想像してみてほしい。料理のド初心者がゼロから始めていきなり「習慣化」を目指すのである。歯磨きくらいシンプルにとにかく始めないと挫折してしまう。もし楽しさやおいしさを求めるのであれば、完全に習慣化したあとでも遅くないと思う。

少なくともボクはそう考えた。
そしていまや1年以上、毎日2食以上作っている。そう、そんな「料理」を見つけたのである。

そして一汁一菜へ

さて。
そんなこんな考えて、最後にボクが辿り着いたもの。それは日本人にとって超お馴染みの景色だった。

ごはんと味噌汁。
そして簡単な惣菜一品(おかずと呼ぶのもおこがましいレベルの一品)。
そう、「一汁一菜」だった
のだ。

土井善晴さんのベストセラー『一汁一菜でよいという提案』は、ずいぶん前に読んでいた。そのシンプルな構築に惹かれたし、確かになぁという納得感も強かった。

でもちょっとストイックすぎるようにも感じていた。
「いや、おかずもっと欲しいでしょ。やっぱ二菜か三菜は欲しいでしょ。というか全体になんだか禅の修行感あるしなぁ。いい本だけど、きっと毎日の献立に悩んでいる主婦の逃げ道なんじゃないかな」とか思っていた。

ただ、ここにきて「継続のための料理」という視点が自分の中で急にクローズアップされてきた。
そう、継続や習慣化を第一義と置くとき、楽しさとかおいしさとかバリエとかいらない。それよりも短時間かつ最低限で、カラダに良いこと。。。

あれ? この一汁一菜って、まさに「継続のための料理」にぴったりなのでは?

改めて本棚から取り出して読んでみた。
そうしたら、土井善晴さんも「持続可能な料理としての一汁一菜」を勧めていたことがわかった。持続可能。そうか、これだ!

ということで、まずは一食、作ってみたのである。
2023年の11月4日のことである。

ごはんは昨日炊いた玄米が冷凍庫に残ってる(玄米好きで、普段から玄米が主食である)。まずはそれをレンジでチン。

味噌はある。野菜は……冷蔵庫にいろいろあったので、適当にピックアップした。味噌汁のお椀は、一汁一菜では量が足りない感じがしたので、お椀ではなく丼を使うことにした。具沢山でたっぷり作ろうと思ったのだった。

鍋に一人分の水を入れ、野菜を無造作に切ってぶち込む。
皮も剥かない。切り方も大きさはあえて考えず、短時間・最低限を意識した。

だしは、数年前からボクはアニサキスアレルギーになってしまったので鰹だしとか受け付けない。
でも、土井善晴さんも著書『お味噌知る』の中で「味噌汁を作るのに、だし汁(鰹と昆布)は不要です。水で具材を煮て味噌を溶く、それだけで充分と心得てください」とはっきり書いている。だしを取るとそれだけハードルが上がり面倒さが増すからね。だからだしなしで野菜を煮て、最後に味噌を溶く。

一菜は冷蔵庫にあった豆腐にした。
なんか「おかず」っぽいものを作ろうかなぁと思ったけど、まずは手間を減らすために、パックから豆腐を出して器に盛っただけにした。

出来上がったのが、こんな感じ。
(実際にその日に作った一汁一菜は写真を撮っていないので、これは自分がいままで撮りためた中で似たようなものを選んで載せてみたものだ)

長くても20分、馴れてくると10分強でできる。
楽しさもワクワクも特になく、子どもの頃からの日々の質素な食事を再現しているような地味な作業だ。でも短時間かつ最低限の作業、野菜たっぷりで健康にもなかなか良い

おおお、これなのではないか??
これなら続くのではないか??

で。
実はこれを作った2023年の11月4日以来、いまでも毎日ずっと続いている。

その日以来、この原稿を書いている2025年1月28日まで、なんと452日間、1日2食ちょい作り続けて934食、継続して作り続けている。そして今後もずっと続けることができると確信している。

すごくないですか?
ついぞ料理を続けられたためしがないボクが、そろそろ1000食、たゆまず続けることが出来ている! 親に「尚之は何をやっても続かない」と嘆かれた幼少期をもつボクが、こんなに地道に続けられている!

もちろんいままで料理を日常的に作ってきた方は、また違うアプローチがあるかもしれない。でも超初心者には一汁一菜を強くオススメしたい。そう、これなら歯磨きと同じくらい続けやすいのである。

なにより「食べ飽きない」
これは日本人のDNAレベルのものかもしれない。ごはんと味噌汁ってある種の民族食だよね。毎日毎食食べても、1日3食これでも、ボクはまったく「食べ飽きない」。

そのうえ、「痩せる」
なんと、始めて1年で約8キロ痩せた。
それも、筋肉量を落とさずに脂質のみ8キロ痩せた。理想的なダイエットだ。一部にはごはんは糖質だから太る、という主張もあるが、ボクは見事にスマートになった。84キロから76キロへ。身長は182センチあるからほぼ適正体重になった。ブラボー!

さらに健診の数値もほぼオールAになった。
この年齢なりにBとかCも多かったボクだが、もろもろ改善したのもこの食事のおかげだと思う。野菜たっぷりの具沢山味噌汁だからね。腸活にもとてもいいのだと思う。

いいですよー、一汁一菜。
イイコト尽くめだと思う。

ちなみに「継続のための注意点」として、まずは『自分用だけ作る』ことをオススメする。妻にも食べさせたりすると「皮は剥かなきゃ」「スジが残ってるわ」「味が濃い!」とかいろいろとご指導が入り、だんだん面倒臭くなってくる。

自分だけが食べるのであれば、細かいことを気にしない最低限料理が可能になる。妻に「3ヶ月〜半年、自分のためだけに作ってみたい」とお願いしてみてはどうだろう。きっと妻もいろんな意味で喜んでくれると思う。

 ただ、超最低限料理といっても、切る、煮る、といった「料理スキル」は必要だ。
一汁一菜を作るための、最低限ギリギリの料理スキル。
料理ド初心者の男性にとってすれば、ちょっとしたこともハードルになる。

次回は自炊研究家の山口祐加さんをお招きして、その辺のハードルを取り去っていただこうと思う。いままでにあまりないくらい「最低限」の料理スキルを習いたいと思う。

ということで、次回も、ぜひ、お楽しみに。