もしかしてオレ、「自立」していなかった!?  vol.1

「2040年問題」をご存知でしょうか。
団塊ジュニア世代が高齢者(65歳以上)となる2040年代前半、高齢者の割合がピークを迎え、様々な社会問題が取り沙汰されています。その総称が「2040年問題」です。その中でも男性の一人暮らしの数は約360万人(女性は約540万人)になるという試算もあり、問題視されています。そして、男性の多くが家事や近隣コミュニケーションまで含めて「自分のことが自分でできない人」だとしたら? 男性の高齢単身者の存在はさらに大きな社会問題となるのではないでしょうか?
この新連載はご自身の経験から「男性の生活面での自立」の必要性に気づいたコミュニケーション・ディレクター佐藤尚之さんによる、社会問題の解決につながる提案です。佐藤さんの体験に基づく考察、さまざまな方との対談、そして家事の授業など、盛りだくさんでお送りします。昭和男子とそのパートナーの皆さんにぜひ読んでいただきたいと思います。


佐藤尚之(さとう なおゆき)さん
コミュニケーション・ディレクター。1961年東京生まれ。著書に「ファンベース」(ちくま新書)、「明日の広告」(アスキー新書)など。また“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(光文社文庫)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)などがある。
2018年にアニサキスアレルギーになって外食や旅に行けなくなり生活がガラリと変わる。一汁一菜を毎日作ってインスタグラムにアップもしている。
facebook:http://www.facebook.com/satonao
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※一汁一菜instagram:
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撮影/原 幹和(佐藤さん、浜田さん)

*佐藤さん、浜田さんの写真以外の画像はイメージです


自立、してますか?

ある朝キッチンに立っていて、ふと気がついた。

「あれ? もしかしてオレ、『自立』していなかった!?」

それは毎食のようにキッチンに立つようになって半年ほど経った朝のことだった。毎日の「営み」としての料理を作り始めて400食くらい。自分の中で「料理」の概念が変わった頃のことである。

そう、恥ずかしながら毎食のように作るようになって初めて気付いたのであるが、「料理」とは切る・焼く・炒めるといったシンプルかつ楽しい作業とは別のことであった。
「毎日の営みとしての料理」とは、買物→冷蔵・冷凍→献立→下拵え→調理→盛り付け→キッチンの片づけ→配膳→食事→下膳→皿洗い→食器拭き→収納→テーブル拭き→冷蔵庫チェック→次の食事の構想……これらすべての「連続的な行為」のことを呼ぶのであった。

そしてそれが毎日毎食、果てしなく地道に続いていく。
まさに「営み」だ。
週末に時間をかけて作るスパイスカレーとか、食材に凝った本格的パスタとか、友人と食べる男の煮込み料理とかはある意味「単発イベント」だ。美味しいし楽しいけど、少なくとも「営みとしての料理」とは別物である。

いや、書きながら気付いたが、「営み」という意味ではもっと広い。
そういう「連続的な行為」にプラスして、いわゆる「名もなき家事」が料理周りだけでもたくさんある。
お酢がきれてなかったか。キッチンペーパーの買い置きあったっけ。そういえばスポンジがへたってたんだ。あ、卵を買い忘れてたけど明日買いに行く時間あったっけ。コンロ周りの油汚れも気になるなぁ。というか最近食費がかさんでる! 隣駅の安いスーパーで買った方がいいかなぁ。

こういう様々な心配や気苦労、名前をつけられない細かい作業なども全部ひっくるめて「営みとしての料理」と呼ぶのだと思う。

そして冒頭に戻る。
自分で毎食のように「営みとしての料理」をするようになった頃、ふとそれまでの自分を顧みて愕然としたわけである。

いったいボクは自立していたのだろうか?
経済的にはともかく、生活的かつ「毎日の営み」的に、ぜんぜん自立できていなかったのではないだろうか?

「私が先に死んだらどうするの?」

そう、ボクは営んでこなかった。
いいトシこいて料理のことも掃除のことも洗濯や整理整頓のことも、営みとしてはほとんど何にもやってこなかった。
そういう意味で「生活」もしてこなかったし、「毎日を暮らすこと」にも無関心だった。仕事が忙しいことにかこつけて家庭内の「営み」をすべて妻に任せっぱなしにしてきてしまっていた。

だから妻に感謝せよ、と言っているのではない。ひとりの人間としてどうなのか、ということである。

折々の妻の言葉が脳内に蘇る。

「今晩いないけど、おかず作って冷蔵庫に入れておいたから」
「明日から泊まりで友人と山に行くけど、ごはん2日分作っておいたから温めて食べて。グラタンはオーブンレンジで20分。やり方わかるわよね? 必ずラップをはずして焼いてよね」
「急に出張になってごはん作る時間ないんだけど、夜ごはん大丈夫? コンビニで何か買うか外で食べてくれる?」

中学生か。
中学生が母親に心配されているのか。

思い返すとむちゃくちゃケアされてきた。
というか、ほぼ養われている
「大人」を何十年もやっているのに、外では「社会人」としてそれなりの役割を果たしているのに、生活面では「おこちゃま」と変わらない。

こういうのを「依存」と呼ぶ。
そう、妻から自立していない
それってひとりの人間としてどうなのだろう。

そういえばこんなことも言われたことがあった。

「こんなに毎日のこと何もできなくて、私が先に死んだらどうするの?」

いや、ほんとそれ!

「いざそうなったら何とでもなるわい」と思う人もいるだろうが、ボクはそうは思わない。
なぜなら毎日の生活とは「習慣」のことだからだ。「ちゃんとしないとな」と思って始めた料理も、掃除洗濯も、習慣になっていない限りきっと数週間で挫折する。冷蔵庫で野菜が腐り、リビングは汚部屋と化すであろう。

「コンビニや出前や宅配でなんとかするわい」って?
それ、わりとお金かかるけどずっと続く? 栄養面は大丈夫? そういう料理って誰でも美味しく感じるように味を濃くしてあるけど、塩分や糖分、添加物とか大丈夫? 
というか、とりあえず数週間続けてみるといい。絶対飽きるから。毎日の手料理がどれだけ「食べ飽きないか」に気がつくから。

特にいまの50代以上の男性は、妻がいなくなったらお手上げな人が多い印象だ。ほんと、マジでひとりになったらどうするのだろう。

「1980年生まれ」が分水嶺

ちょっと調べてみると、とても興味深い事実にぶち当たった。
「中学校で『家庭科』が男女ともに必修になったのは1993年」という事実である。

これ、どういうことか、わかります?
それ以前は「家庭科」は女子のみの必修で、男子は「技術科」を学ぶという性別によって分かれたカリキュラムだったのだ。
そう、男子は習ってこなかった。学校によるとは思うが、家庭内のさまざまな事柄を1993年以前の男性は学校でちゃんと習ってこなかったのである。

これって実は日本社会の根っこにとても大きな影響を与えているのではないだろうか。
「男女の性別役割」を義務教育で規定し、それを何の疑問もなく我々は受けいれてきたわけだ。そりゃ急にジェンダーがどうのって言っても社会が変わらないわけである。

意外と大きな境目じゃないだろうか。
つまり、1993年に中学1年生だった「1980年生まれ」こそがジェンダー平等意識の境目であり分水嶺なのだ。

1980年生まれ。
この原稿を書いている2024年末の時点で44歳の男性
その年齢を境に、家庭科を習ってる/習っていない、が分かれ、ジェンダー意識や生活上の自立にとっても大きな境目になっている。

たかが家庭科の授業がそんなに影響あるかなぁと思う方もいるかもしれない。
でもね、下の写真を見て欲しい。これは今の家庭科の、ある教科書(東京書籍)の表紙であるが、サブタイトルに「自立と共生を目指して」と大きく書いてある。

リード文には「あなたは『大人になる』とはどのようなことだと思いますか? 『大人になる』ということは自分自身が『自立』することであり、『他者とともに生きる(共生)』ことにつながります。」と耳の痛い言葉が書いてある。
そして、え? と驚くほどの分厚さで、料理や掃除や洗濯などの基礎と実践を教えてくれるのである。つまりはこういう行為を「自立」と呼んでいるわけだ。

そう、家庭科とはまさに家庭内における「自立」の科目なのである。人間がひとりで生きていくのに必要なスキルとマネージメントとルーティンについて3年かけて何十時間と習うのだ。これを習っている/習っていないは我々に大きな影響を与えているとボクは思う。

そういえば、44歳より若い人、特にいまの30代とか20代は、とても自然に家庭内のことをやっている気がする。
ホームパーティとかキャンプとか旅行とかでの若手のふるまいを見てそんなこと感じたことないだろうか? あれは「習った」からだ。学校教育とは意外と深層心理に影響を与えているのである。

何が言いたいかというと、「自立できていないのは我々のせいばかりではない」ということだ。習ってないから仕方がないという側面もあるということである。

ただもう無理だ。さすがにそろそろ変えないといけない。
だって、あなたもお感じのように、時代が大きく変わり始めているから。

男性の「自立」は社会問題である

主に1980年生まれ以前の昭和男子のみなさんに向かってお伝えしたい。
もちろん個人差はある。昭和男子でも営み面で自立している人はいるし、若いのに依存している男子もいるだろう。だから大きな傾向には過ぎないが、ざっくり45歳以上の男性(ボクを含む)の方々にお伝えしたい。

うすうす感じてらっしゃるとは思うが、どうやら今のままの価値観では到底逃げ切れない。それどころか、このまま自立しなければ「社会のお荷物」になる可能性が高いのだ。

だって我々昭和男子の「自立」は、こと家庭内の問題に留まらず、社会問題に直結しているのである。

まずは「男性おひとりさま問題」
熟年離婚も増えているし、妻を先に亡くす人もいる(ボクは防災問題ならぬ亡妻問題と呼んでいる)。結婚していない独身男性も一定数いるはずだ。つまり「おひとりさま」として老年を生きる確率は各人それぞれに必ずある。

そのとき生活的に自立していない男性が多いと、必ずや社会の負担になり、子ども世代に迷惑をかける。「お父さんひとりで大丈夫かな? ちゃんと食べてるかな?」とかいう日々の心配も子ども世代の自由な活動をちょこちょこ阻害する。

また、一般的に友人を作ったりコミュニティに参加するのが不得意な男性おひとりさまは不健康になりやすい。「つながりがないこと」はタバコを吸うより健康に悪いというデータがはっきりと出ている。それは医療費や介護費などの社会的コストの圧迫に直結するだろう。

そう、若者の貧困や少子化などを心配し声高に語るヒマがあるなら、まずは自分を養うことをなんとかするべきだ。若い世代の迷惑にならないようにちゃんと自立することが先決だと思う。

まだある。
男性が家庭内で自立していないことは、女性の社会進出の足を大きく引っ張っている

読んでくださっている方のほとんどが「女性が社会にもっと進出してもっとイキイキ働くこと」を肯定的に思っていると信じるが、そう心の中で思っているとしても、妻に依存している限り、ジェンダーバイアス(性別に基づく固定観念や偏見)を消極的に肯定している
無意識だとしても「家庭のことは女性がやる」という価値観や思いこみを助長している。それがどれだけ女性を縛り付けていることか。

また「女性活躍社会」(変な言葉だ)という日本が圧倒的に遅れている分野に関しても、「男性が生活的に自立していないこと」の影響は大きい。そういう社会の進化を阻害している。家庭内で男性が女性に依存している限り、それは女性の気力と体力を奪い、大きな足枷となるだろう。

特に40代50代の女性は元気だし活力もある。彼女らの社会進出を阻むことがどれだけ社会的損失か、計り知れない。

というか、そうやって「男が自立していない姿」を子ども世代や孫世代に見せていることも問題だ
「あ、そうやって女性に頼っていいんだ」「男って甘えても許されるんだ」「日本ってそういう社会なのね」みたいな印象を潜在的に子ども世代・孫世代に植え付けてしまう。社会の基礎単位である家族においてそういう意識が育ってしまうことが、どれだけ進化・変化の波を止めてしまうか。

もっと言うと、そういう状況が若い女性たちの諦めにつながって少子化を助長している面もあるかもしれない。将来の「生活のことが何も出来ない父親の介護」を考えて貯蓄を余儀なくされ、若者の貧困化をも助長しているかもしれない。

……オーバーかな。オーバーかもしれない。
でも、ボクは「家庭内で男性が自立していないこと」というごく個人的かつ小さく見える事柄が、実は社会の根底で社会の変化・進化の足を大きく引っ張っているように見えてならない
逆に言うと、45歳以上の昭和男子がそれぞれに自立することで、日本社会は意外と大きな変化・進化を迎えるのではないだろうか。

昭和男子よ、ジリメンでいこう!

なんだか自立できていない男性への悪口に聞こえるかもしれないが、そういう意図はない。ほとんど自分に言っている。自分の尻を叩いている。

そしてボクも男性だから「男性側の言い分」もいろいろわかってるつもりだ。
だって親世代の古い価値観やジェンダー意識を全身に浴びて育ってきたのである。「男」という役割を背負わされ、そう躾けられて生きてきたのである。そんなのボクたちのせいではない。
また、家事を積極的にやろうと思っても、妻に「逆に時間と手間がかかる」とか「無闇にいろいろ触ってほしくない」とか邪魔物扱いされた人もいると思う。そんなこと言われたらごっそりやる気が削がれてしまう。
というか、家事分担を話し合って仲良く暮らしてきた夫婦もたくさんいるだろう。急に「自立してない」と言われても困る。そんな男性も多いと思う。

ただ。
このまま行くと「社会のお荷物扱い」されるかもしれない。
そんなのなんだか悔しいじゃないですか。

男性は男性でいままでの社会の価値観に合わせていろいろ頑張ってきたのに、なんでそんな哀しい事態になってしまうのか。そんなのなんだか素直に呑み込めませんよね。

だったらいっそ、最低限の努力と習慣で「自立」しちゃいませんか?

それが、この連載のテーマである。
「そろそろ自立しないとまずいかもしれない」と気がついた昭和男子に向けて、
「最低限の努力と習慣で自立する方法」をいっしょに考え、識者に学んでいくものにできればと思ってる。

最低限でいい、と思う。
上手にできなくても全然いい。「最低限ひとりで営んでいけるスキルとマネージメントとルーティンを身につける」だけでいい。でもそれはきっと自分や家庭を変えるだけでなく、社会を根底から変えていく力になるのではないか。そんなことをぼんやりとイメージしている。

「ジリメン」という造語も作ってみた。
「自立している男性」、この連載ではそれをジリメンと呼びたいと思う。イクメンみたいに標語的にして、ボク自身も日々気をつけ、きちんと変わっていきたいと思ってる。

昭和男子よ、ジリメンになろう。ジリメンでいこう。
自立して、自分で自分を養えるようになることは、実はリタイア期を迎える我々ができる最大の社会貢献かもしれないのだ。

次回、まず、元AERA編集長にして『働く女子と罪悪感」『男性中心企業の終焉」などの著書もある浜田敬子さんをお招きして、「男性の自立」という根深い問題について女性の視点からのお話をお聞きしていきたいと思っている。
オレンジページさんが調査してくれた「男女の意識格差」についても触れていきたいと思う。

問題点を明らかにしたあと、いろんな識者にお聞きしながら解決策を探っていきたい。

どんな連載になるかボクもまだ全貌は見えていないけど、何かを変えるきっかけになれればいいなと思ってる。どうぞよろしくお願いします。

【連載第2回、浜田敬子さんとの対談はこちら】
「浜田敬子×佐藤尚之対談「ジリメン」は社会問題を解決する(前編)」
https://www.wellbeing100.jp/posts/5312