メディア企業での働き方は、多くが常に締め切りに追われ長時間労働も厭わず、このご時世になってもブラックというイメージがつきまとう。
ところが、放送局TBSを中核とするTBSホールディングスの阿部代表取締役社長が、「ウェルビーイングのリーディングカントリーにする」と宣言した。テレビ局が掲げるウェルビーイングとは、いったい何を意味するのか。
リーディングカンパニーではなく、「カントリー」と表現した意図は?
報道記者からSDGsを担う役員に転身した井上さんに、社内外の受け止め方や今後の展望、そして、井上さんが考えるSDGsとウェルビーイングの関係について、話を聞いた。
お話をうかがった人/(株)TBSホールディングス 執行役員 兼(株)TBSテレビ 取締役:井上 波さん
聞き手/ウェルビーイング100 byオレンジページ編集長:前田洋子 アンティーファクトリー:中川直樹
撮影/原 幹和
文/小林みどり

利他の絶対条件としての利己
━━━阿部社長の「ウェルビーイングのリーディングカントリーになる」という言葉を聞いたとき、SDGsを担当する井上さんはどう受け止めましたか?
井上 波さん(以下、井上):そうきたか!と、すごく合点がいきましたね。私は報道局出身で、さまざまな社会課題を取材する記者でしたが、それが会社の内部の仕事をすることになったとき、会社に貢献できて、社会課題解決にも関わることができる仕事は何かと考えました。そこでたどり着いたのが、SDGsなんです。
SDGsは、貧困や格差、気候変動など世界共通の困りごとをどうすれば解決できるのか、という達成目標。マイナスをゼロにして、みんながこの地球上で安心して暮らし続けるにはどうすればいいのかを考える。これは、とても利他的なことだと言えます。
一方でウェルビーイングは、私たちひとりひとりが、ちゃんと満たされていくこと。一見、とても利己的な概念のようにも思えますが、利己と利他は相反することではなく、自分が満たされることで、他人のために何かをする、他人を笑顔にすることができる。つまり、利他の絶対条件が、利己だと思うんです。
私たちの仕事に置き換えると、自分が楽しく生き生きとやりがいを持って働いていないのに、視聴者の皆さまを楽しませる番組なんて作れないということですね。
阿部社長はよく、「幸せな挑戦」という言葉を使います。我々ひとりひとりが、幸せな挑戦ができる会社でありたい。そのためには、ウェルビーイングが絶対条件。それがひいては、社会のために何かしたいというSDGsの願いにも通じていく。利他のSDGsは、利己のウェルビーイングにつながるということです。
だから、阿部社長が「ウェルビーイングのリーディングカントリー」という言葉を旗印として掲げたとき、あ、これはいいなと。TBSが、社会をよりよく動かすためのエンジンになれそうなムーブメントを感じています。

SDGsはマイナスをゼロにし、
ウェルビーイングはゼロをプラスにする
━━━2020年に「地球を笑顔にするWEEK」というキャンペーンを立ち上げて、この5月に11回目が開催されました。こういったSDGsの活動について、どのような反応がありますか?
井上:始めた当初は、どんな反応があるか正直予想できませんでした。
視聴者からだけではなく、社内からも「きれいごとだ」などといった批判的な声が出るのではと、実はちょっと心配していたんです。ところが蓋を開けてみるとそういった声はとても少なく、社内外ともに好意的に捉えていただけたと手ごたえを感じました。キャンペーン後の調査で、「応援したくなる」というような声が多かったですし、社内の協力もとてもスムーズに得られました。
社内で批判が少ない理由を考えてみると、放送局という会社に入ってくる人間は基本的に、人を楽しませたい、人のために何かしたいという人が多いのでしょうね。社内が一丸となって取り組めたのがよかったと思っています。

━━━土壌が育っているTBSがSDGsとウェルビーイングを接続させたら、何かいい相乗効果が得られそうですね。どんなイメージをお持ちですか?
井上:SDGsはマイナスをゼロにする概念であるのに対して、ウェルビーイングは個人の生きがいや創造性を社会にも広げること、つまりゼロをプラスにする概念だと思っています。たとえば貧困問題が解決したら、途上国の子どもたちは将来どんな職業にでもなれる、その夢を描くことができると、そうつながっていくイメージです。なので、SDGsとウェルビーイングは、車の両輪と例えてもいいのではないでしょうか。
私自身、入社から27年間報道の現場に身を置いて、ウェルビーイングなんて言葉とはかけ離れた世界で生きてきました。やりがいのある仕事なので、個人的な生活なんて後回しでいいと思い込んでいたのです。さらに言えば、私の取材のテーマは子供の虐待や貧困、介護など社会的な問題で、取材相手の人たちもウェルビーイングを阻害された状態にある人たちが多かったんです。
そういう経験から、ウェルビーイングは単なる理想論ではなく、人が人として生きるための絶対条件、生存の基盤であると、身と心をもって理解しています。あらゆる意味で生活、生存が困難な人たちのウェルビーイングを阻害している社会構造の問題をあぶりだして、誰一人取り残さない社会にどうやってしていくかを提案するのは、TBSがやっていかなければいけないことのひとつだと思うし、誇りを持って取り組んでいきたいですね。
これは、SDGsを推進すること、社内も含めた社会のウェルビーイングに貢献していくこと、その両方をつなげることであり、つながると思っています。
我々はモノを作る企業ではなく、人々の心に届くコンテンツを創造していく企業ですから、健康経営とか生産性を上げるといっても、一般企業とはちょっと尺度や観点が違うかもしれません。すべてがシームレスにつながっていくイメージがありますね。
TBSグループは、ウェルビーイング推進の柱に「教育・コンテンツIP(知的財産)・グローバル」を掲げています。
グループ会社には「やる気スイッチ」という、子供の教育にかかわる企業や、「PLAZA」という輸入品やトレンドを若い人に発信する企業もあります。そしてメディアとしての私たちは、「難しいことをやさしく、分かりやすく言い換えて」クリエイトしていくプロ。各グループ企業の特徴をうまく活かしてつないでいけば、SDGsとウェルビーイングの両方を、社内や日本の社会を越えて、どんどん広げていけるんじゃないかと。
社長が「ウェルビーイングのリーディングカントリー」と表現しましたが、私は「カンパニー」じゃなくて「カントリー」としたのがすごくミソだと思っています。

━━━確かに「カントリー」としている点は興味をひかれます。ウェルビーイングを社員のため、会社のため、社会のためにという話はよく聞きますが、たいていは日本という枠の中のイメージ。「世界のために国として」という大きな言葉は初めて耳にしました。
井上:そうですよね(笑) ちょっと大きい話ではあるのですが、今、私たちが作ったコンテンツを世界に見てほしいとがんばっているところで、たとえば製作したドラマをただ見てもらうだけではなく、そのドラマを通じて社会問題などを間接的に訴えるとか、幸せを与えるということも一緒に、世界に発信したいと考えています。
それこそまさに、ウェルビーイングだと思うんです。笑顔になること、笑うこともウェルビーイングだし、そのドラマを通じていろいろな社会問題を知ること、知って自分ができることを考えるのも、広い意味ではウェルビーイングです。そういうことも含めて、伝え続けていくことが大事なのかなと。

ウェルビーイングは「最高のコンテンツ」を生み出す「最強の武器」
━━━社内に対してはどんなアプローチをお考えでしょう。社長の掲げた旗の意味を、社員にどうやって浸透させていくのでしょうか。
井上:そうですね、ウェルビーイングなんてきれいごとじゃないかと思っている人もいるかもしれません。一朝一夕に理解してもらうのは難しいでしょう。往々にして、ウェルビーイングは単なる健康の話だと捉えられがちですが、そうではなく、社長の言う「幸せな挑戦」を社員ひとりひとりが実現できるためのコンディション作りなんだと言い換えて、理解を促していきたいと思っています。
放送局の仕事は、昔はよくブラックだと言われていて、今もとてもホワイトとは言い難い。
働く時間の問題、放送に間に合うかどうかというプレッシャー、今のご時世でどう視聴率を上げていくか。そういう過酷な環境での仕事になりますが、とはいえ、心身がすり減った状態でいいクリエイティブが生まれるわけではありません。
放送業界、メディア業界は今、ハラスメントなど人権問題についてもとても厳しい目を向けられていますが、これもウェルビーイングが鍵を握っていると思っています。心身がすり減った状態だと、ハラスメントも起きやすくなりますから。ウェルビーイング=職場の心理的安全性の担保は、正にビジネスに直結する問題なんだと、社員の皆さんに訴えていきたいですね。
いろいろな挑戦ができる、たとえ失敗してもちゃんと支えてもらえるという安心感は非常に大切です。
長時間労働など不満やモヤモヤはたくさんあると思うんです。でも、そのモヤモヤをワクワクに変えられたらどんなにいいか。それこそ、最強のコンテンツですよね。最強のコンテンツを生み出す最強の武器が、ウェルビーイングなんです。クリエイティビティは、自由にものを考えられる環境からしか生まれませんから。
━━━昨年、「健康経営優良法人 ホワイト500」に認定されていますね。
井上:はい、ありがとうございます。おかげさまで3年連続でいただいているんですけれども、最初はホワイトじゃないのにホワイトなんて認定されて、社員の皆さんがシニカルに受け取るんじゃないかと危惧したのですが(笑) あらためて、社員の皆さんに納得してもらえるように努力を続けなければいけないなと気持ちが引き締まりました。それで、「TBS WALK」や「TBS朝食食べようキャンペーン」など、いろいろな施策を行っているところです。
「TBS WALK」はすでに6回開催していて、前回はグループ全体で700名近くが参加しました。皆さん楽しんでくれて、小田原の家まで歩いて帰りましたなんてツワモノも出てきてしまうので(笑)、一日の上限を20000歩にして、それを2週間コンスタントに歩いた人の中から抽選で表彰するというイベントです。
「やる気スイッチ」の外国人の英語教師たちも参加してくれて、社長による表彰式はかなり盛り上がるんですよ。同僚が大勢駆け付けたり、社内のイントラマガジンで紹介されたり。単純なことですが、健康になることすら楽しむというのが、TBSの文化なので、ウェルビーイングについても、こういう観点で取り組んでいこうと。
今年の入社式でも大いに盛り上がったエピソードがあります。一番大きなAスタジオにグループの全新入社員約170名を集めて開催されたのですが、その冒頭に社員66人とK-BALLET TOKYOのオーケストラによる、Mrs.GREEN APPLEの「僕のこと」の大合唱があったんです。

阿部社長発案の、まったくのサプライズで、みんなすごく驚きました。宝塚を受験したとか学生時代にミュージカルをやっていたような歌自慢の社員と、入社2年目の社員、さらに、採用を担当した各グループ会社の人事部員たち。66人が選抜され、ひそかに練習を重ねて、見事に歌い上げたわけですよ。新入社員もワーッと喜んでくれて、何よりこの66人の歌っている顔がすごくいい。これこそ最高のウェルビーイングだなと思いました。
集められた66人の中には、きっと最初は懐疑的だった人もいたと思うんです。でも、おそらく練習していくうちに、それが取り払われていったんですよね。みんないい顔して歌っていましたので。ウェルビーイングの施策についても、最初から全員がいいですね、やりましょうとなるわけがない。でも、ごく一部からでもそういう空気を醸成していくことができたら、マジョリティーを巻き込んでいくことも可能なんじゃないかと思っています。


「幸せな挑戦」から生まれたコンテンツで社会で生きるすべての人の勇気になるように
━━━とても前向きで、明るい未来が見えそうです。これからやりたいこと、思い描く将来像を教えてください。
井上:最近よく“テレビ離れ”と言われます。若い人がテレビを持っていないと。タブレットやスマホなどパーソナルなガジェットで、自分の好きな情報だけを受け取る時代になったと。でもそれは、社会の分断や孤独感につながることもあるのでは、と危惧しています。
テレビだけではなく新聞や雑誌もそうですが、いわゆるマスメディアと呼ばれる立場にいる者が果たすべき役割があると思うのです。家族みんなでテレビを見て、この人何バカなこと言ってるのと笑ったり、こんな事件があったなんて怖いね、と話したり。人と人がつながる空間を生み出す機能としての役割ですね。
偶然目にする情報から、何か次につながっていくこともあるでしょう。また、子供のころの視聴体験、父親がチャンネル権を持っていて夏はいつも野球を見ていた思い出とか、親に言われて嫌々見ていた教育番組の知識が今になって役立っているとか、そういう時間を越えたつながりもありますよね。
私たちが果たすべき役割は、単なる娯楽や情報の提供にとどまらず、そういったことを通して人々の心をつなぐ、社会の接着剤のような媒体になること。そういう意味で、TBSがウェルビーイングを掲げるのは必然なんだろうなと思っています。
まずは、TBSグループの社員の皆さんが、誰よりも楽しみながら、失敗を恐れず、いろいろなコンテンツやサービスなど新しい価値を生み出していく。そんな「幸せな挑戦」から生まれたコンテンツやサービスが、社会の皆さまの背中をちょっと押して、自分もやってみよう、自分の状況を良くしよう、社会を良くしようということにつながっていくといいですね。
それが、日本がウェルビーイングのリーディングカントリーになることにつながるのではないでしょうか。そこにTBSも貢献できたら、すごく名誉なことだと思います。

●井上 波 (いのうえ なみ) さんプロフィール
TBSホールディングス執行役員(グループサステナビリティ推進統括)TBSテレビ取締役
91年TBS入社。報道カメラマン、社会部記者、「筑紫哲也NEWS23」ディレクターなどを経て、05年~09年アメリカ・ワシントン特派員。帰国後は外信部デスク、「報道特集」ディレクターを務めたのち、14年~18年中国・北京支局長。北京支局時代は北朝鮮取材も担当する。帰国後、社内でSDGsへの取り組みについて提案を始め、20年8月に新設されたSDGs企画部の部長になるとともに、会社横断のSDGsプロジェクトのリーダーとして、20年11月にキャンペーン「地球を笑顔にするWEEK」を立ち上げた。23年7月に新設されたサステナビリティ創造センター長に就任。24年7月サステナビリティ推進担当特任執行役員、25年1月より現職。














