命懸けの塩鰤

麻生要一郎さんが養子になった高齢の姉妹はどちらも料理が上手で、彼女らが若いころは大勢の客をもてなすために様々な料理を作っていました。しかも、たっぷりと。そして、その量は食べ手が麻生さんと二人だけになっても変わりませんでした。今回の回想は、そのお姉さまが作った大量の塩鰤(しおぶり)です。見事な鰤をおろして塩をして準備するお正月を寿ぐごちそうも、日がたつにつれ、その味わいは最高の美味から恐怖の風味に変化していきます。塩鰤にまつわる思い出と、ある日訪れた転機。いろいろな味のする一遍です。

著者紹介
麻生要一郎(あそう よういちろう)

料理家、文筆家。家庭的な味わいのお弁当やケータリングが、他にはないおいしさと評判になり、日々の食事を記録したインスタグラムでも多くのフォロワーを獲得。料理家として活躍しながら自らの経験を綴った、エッセイとレシピの「僕の献立 本日もお疲れ様でした」、「僕のいたわり飯」(光文社)の2冊の著書を刊行。現在は雑誌やウェブサイトで連載も多数。2024年は3冊目の書籍「僕のたべもの日記 365」(光文社)を刊行。また、最新刊は当サイトの連載をまとめ、吉本ばななさんとの対談を掲載した「僕が食べてきた思い出、忘れられない味 私的名店案内22」(オレンジページ)。

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麻生要一郎「僕が食べてきた思い出、忘れられない味 私的名店案内22」

撮影/小島沙緒理

鰤が美味しい季節になると、養親となった高齢姉妹の姉が煙草を燻らせながら「あゝ、塩鰤が食べたいなあ」と機嫌良く言う。塩鰤とは三枚におろした鰤の身に強めに塩をふって、味わいと保存性を高める為に生み出された熟成方法だ。関東生まれの僕にはあまり馴染みがなかったけれど、彼女達のルーツである九州では塩鰤を、生で焼いて煮てと活用、お正月には雑煮にしたそうだ。時間が経つと、飴色にねっとりとした食感へと変化する。

 彼女達は、塩鰤を刺身で食べるのが好きだった。食べたいなと言うが早いか、馴染みの魚屋さんに連絡、大きな鰤がまるまる一尾届く。食べるのは、姉と僕の2人なので、量はいらないと思うのだが、長年染みついた習慣、家にたくさん人が出入りをしている頃の記憶から、適量というのは無理なのだ。自室から姉妹の部屋に上がって、いつものように鍵を開けて玄関に入るとどうも生臭い。キッチンを覗いてみると、鰤の頭が発泡スチロール箱の上に放り投げられたように転がっている。恐らく若い時のように上手く力が入らず、綺麗に捌く事が出来なかった事によって、色々飛び散った惨劇の台所だった。ぎざぎざ三枚おろしの鰤には、たっぷりと塩がふられて、積み重なっていた。その様子を、褒めたが「私もう疲れたわ」と、自分でやっておいたのに機嫌が悪い。塩のおかげで少し水分が出た頃、気を取り直してキッチンペーパーで包んで、冷蔵庫にしまっていた。

 明日の夜に刺身で食べようと言われて、夕飯時に姉の家に出向くと、大きな伊万里焼のお皿にどどんとカットされた塩鰤が盛り付けられている。あらの部分は、潮汁にしてあった。ポン酢につけて何枚目か迄はとても美味しく、ごはんも進む。途中までは順調だが何せ量が多い、塩鰤の山はなかなか崩れない。しかし、残してしまうと姉の機嫌が悪くなってしまう。僕が美味しそうに食べていれば、機嫌は良い。「私、包丁がきれいでしょー?」と、上機嫌に自分の切り方上手さを訴えてくる。「お見事です!」と褒めながら、身を掴んだ時、最後まで包丁が入っておらず、すだれになっている事があった。すだれを眼前でご披露しては、姉の面子を潰してしまうから、当然機嫌が悪くなるのだ。そういう時は、バレないように小皿に移してから、そっと繋がった身を外して食べた。

 しかし問題は、10日位経った頃に姉が「塩鰤、良い具合になっているわ」と囁いて食べる時の恐怖である。件の塩鰤は、生ハムのような感じの飴色になって、食感がねっとりする。それを美味しそうと捉えるか、どう捉えるかはそれぞれにお任せしたい。僕は食べる前に、こっそり胃腸薬を飲んで恐る恐る箸を伸ばして、お腹を壊して七転八倒する己の姿を想像しながら食べるのは、まさに命懸け。ポン酢が足りない、やっぱり醤油と山葵が欲しい等々、僕は姉を台所へと向かわせ、その間に持参してきた保存袋へ塩鰤をしまっていく事により、リスクヘッジをする。

 皿が空になれば、保存袋はパンパンになる。いつも姉の部屋に携えて行く、小さなバッグの中に保存袋を仕舞い込んで「あゝ美味しかった」と言いながらお茶を飲む。その様子を、ずっと横目で見ていたチョビが、バッグの中を覗きに来る。食べたいと言った割にほとんど食べない姉は、僕が完食した事に満足そうな顔で隣に座って立ち膝で煙草を吸っている。「量が多い」とか「お腹を壊しそうで怖いです」と言えば、それで済む事なのかも知れない。しかし料理上手と称され、その手料理を楽しみにお客様が来ていた頃の楽しい時代の記憶の中を生きている姉に、そんな事を軽々しく言っては機嫌が悪くなるだけではなく、人生そのものを否定する事にもなりかねない。彼女が僕を通して見ている、懐かしき食卓の情景を壊さない事が、僕の使命なのだ。

 2021年の暮れに塩鰤を作って、明けた正月には塩鰤を入れた雑煮も一緒に食べた。その数日後に姉は、段差のない平らなリビングの床で足がもつれて転倒、大腿骨骨折で緊急入院。姉は骨折の痛みから「どうやらお迎えが来たみたいだから、今日は側にいて欲しいのよ…」子供が甘えるような声で電話をして来た。その前日まで姉は機嫌が悪く、ほとんど口も効かなかったからなのか「私が意地悪したのは、本心じゃないって事あなた分かっていたはず、可愛い私の要ちゃん」そう言って僕の頭を撫でていた。僕が救急車を呼ぼうとすると「もうすぐ私、ぽっくり行くから大丈夫」と優しい笑顔を見せた。過去に心筋梗塞をしているが、症状を聞く限り今の痛みは骨折である。放って置くと延々、この寸劇が続きそうだったので、説得の末に救急車を呼ぶ。ぽっくり行かない姉は「救急車乗るなら、ちょっとタバコを一本吸わせてよ」と言う。タバコに火をつけてあげると煙を吐き出しながら「あゝ、落ち着いた」と床に転がったまま幸せそうにしていた。2本目を吸っている時に救急隊が到着、ばつが悪いので姉の手から取り返して僕が咥えると「あなたも吸うの?」と、嬉しそうに言っていた。結局、骨折が原因で動けなくなってしまい、退院した後は施設で暮らしている。

 魚売り場で鰤を見かける度、あの命懸けで食べた塩鰤の事を思い出す。姉は何かを作ると「いつか私がいなくなった後、これを食べたら私のこと思い出すかな?」と言っていた。味もさる事ながら、彼女達の強烈なエピソードを思い出すと、可笑しくなる。命懸けで家のごはんを食べなくたって良いのにと、今は思う。昨年末も鰤の柵を買って、塩鰤にして食べた。塩をする時、切り分ける時、寝ていたはずのチョビがいつも足元にいる。チョビにとっても懐かしい味なのだと思う。あまり寝かせ過ぎずにフレッシュな状態で食卓に出せば、誰もが美味しいと言ってくれる、我が家の自慢の味。少し置いてしまったら、潮汁や粕汁にご活用。この原稿を書きながら、久しぶりに丸ごと1尾の魚を捌きたい気持ちになってきた。

さて、魚屋さんを覗きに行ってこよう。

姉妹の父親は文芸評論家であり、野球評論家の大井広介(おおい ひろすけ)、本名・麻生賀一郎(1912年2月16日~1976年12月4日)。自由人として名を馳せ、坂口安吾や山口瞳とも交流がありました。「文学者の革命実行力」は、1956年2月『群像』に発表されたもの。麻生さんが手 にしているのはその文庫版。

<塩鰤>

材料・鰤 (刺し身用・さく) 好みの量(大きめのものを使って下さい)
  ・塩 鰤の重量の15%ほど(藻塩を使用)

作り方
1.鰤はキッチンペーパーでよく拭いてから、バットなどに置き、全体に塩を馴染ませる。
2.厚手のキッチンペーパーで包み、冷蔵保存する。水分が出てくるので、途中様子を見ながらキッチンペーパーを交換していく。1日か2日置いた状態が刺し身の食べ頃です。食べる時には、ポン酢がおすすめ(塩とすだち、もちろん、しょうゆとわさびでも)。

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