「食の記憶とウェルビーイングはどのように関係していますか?」(ゲスト:麻生要一郎さん/料理家・文筆家)

これまでになかった視点や気づきのヒントを学ぶ『ウェルビーイング100大学 公開インタビュー』。第32回のゲストは料理家であり文筆家である麻生要一郎さんです。ウェルビーイング100byオレンジページで『酸いも甘いも〜僕の自伝的たべもの回想〜』を好評連載中の麻生さん。食べることは生きることにつながっているからこそ、何を食べるかよりも誰と食べるかを大切にしてきたそうです。人と一緒に食卓を囲み、ていねいにつながりを築いてきた麻生さんの、ホッと肩の力を抜けるお話が聞けました。

聞き手/ウェルビーイング100byオレンジページ編集長:前田洋子
撮影/原幹和
文/中川和子


麻生要一郎(あそう・よういちろう)さん
料理家・文筆家
家庭的な味わいのお弁当やケータリングが評判になり、日々の食事を記録したInstagramでも多くのフォロワーを獲得。料理家として活躍する一方、自らの経験を綴ったエッセイ&レシピ『僕の献立 本日もお疲れ様でした』『僕のいたわり飯』『僕のたべもの日記365』(いずれも光文社)を刊行。最新刊に『僕が食べてきた思い出、忘れられない味』(オレンジページ)がある。

「僕が食べてきた思い出、忘れられない味 私的名店案内22」
https://www.orangepage.net/books/1837

好評連載中
「酸いも甘いも~僕の自伝的たべもの回想~」
https://www.wellbeing100.jp/posts/feature/suimoamaimo


建設会社の三代目に生まれて

前田:コロナ禍以降、すごく世の中が変わってきたところで、麻生さんが、正に「出現」という感じで現れた……という気がしています。今の世の中の息苦しさが麻生さんみたいな存在を求めているのでは、と。それは「絶対にこうじゃなきゃいけない!」という決めつけみたいなものを麻生さんからは感じないからなんです。

麻生:「こうであらねば!」というのは全くないですね。料理家と名乗っているのも、自分がしていることを世の中に知ってもらうときに、たとえば本を出すとか取材を受けるとき「料理家」としておいたほうがわかりやすいというくらいの意味づけなので。料理家になりたくてこうなったわけでもないし、エッセイストをめざしたわけでもない。自分がしていることがそのまま仕事になっている、不思議なポジションですね。

前田:うらやましいです。

麻生:僕は建設会社の三代目に生まれて、小さい頃から家業を継がなければならないという大前提があったんです。だから子どもの頃から「こういう職業に就きたい」と考えたことがなかった。たとえば僕が「野球選手になりたい」と言ったら祖父が悲しむし、両親の立場が悪くなるから、そういうことは思い描かない。自分が会社を継ぎたかったわけじゃないけど、親の期待にはちゃんと応えようと思っていた。だからほんとうに何になろうかと考えたことがなかったんです。

前田:麻生さんのInstagramをご覧になっている方もたくさんいらっしゃると思うのですが、毎日、いろいろな人を呼んで一緒にごはんを食べていらっしゃるじゃないですか。今どき、なかなかそういう家はないと思うんです。でも麻生さん、実は人見知りなんだそうですね。

麻生:全然社交的ではないし、ほんとうはシャイなんだと思うんですよ。毎日のようにごはんに来るのはさすがに仲のいい家族みたいな人たちですけれど、初対面の人が来ることもあるし、それほどつき合いのない人がごはんを食べに来るとか、いろいろなケースがありますね。だから何を喋ろうか、一応考えてみたりはするんだけど、そういうのはあまり役に立たない。しぜんにしているほうがいいいですね。

前田:麻生さんはすごく柔和な方ですけれど、実はハードな部分があるなというのを感じるんです。もしかしたら、それは建設会社の跡取り修行時代に理由がありますか?

麻生:ドラマなんかだと、跡取りさんはすごく大事にされているように描かれるでしょう。僕もそうだといいなと思いながら会社に入ったんですけれど、そのときは既に父は亡くなっていて、別の人が社長をやっていたんです。社員数もそこそこの人数がいたので、派閥があったり、祖父は会長職で業務ラインにはタッチしていない状況だったから、僕は腫れ物みたいに扱われてしまいました。「おはようございます」と挨拶しても、返してはくれるけれど、目は合わせてくれないような社員が多くて。だからまず、会社で信頼を得るために頑張りましたよ。でも、それは結局、誰もやりたがらないことをやるということ。そうでないと信頼は積み重ねられない。当時の役員の人たちは、自分たちの都合の悪いときは「将来の跡継ぎだから、こういうことを経験したほうがいい」と言って、面倒なことを押しつけてくる。それに黙々と対応しているうちに、だんだんと社員の人たちが、僕の目を見て挨拶を返してくれるようになったんです。それは地道な積み重ねでしたね。

前田:その積み重ねはなかなかできることではないですよね。聞くところによると岩下志麻さんの『極道の妻たち』を見てから仕事に向かわれたことがあったとか。それってよほどのことがあったんだなと思うのですが。

麻生:工事で問題が起こったり、問題はないけれど誰かが怒っているとか。たとえば「水を買いに行ったらお店の店員さんの対応が悪かった」ということと、マンションを建てたけれど、何か気に入らないというときの怒りの度合いは違うんです。ものすごく怒っている相手の気持ちを鎮めないといけないし、工事も円滑な状態に戻さないといけないときには、もう何を見たって方法は載っていないし、どういうふうにお詫びしたらいいのかもわからない。そんなときにたまたま金曜ロードショーか何かで岩下志麻さんの『極道の妻たち』が放送されていたんです。敵対する相手のところに乗り込んで、お詫びするみたいなシーンが。

前田:ああ! ありますね。

麻生:それを見て「これだ!」と思って。別に着物を着ていくわけじゃないけれど、気持ちとかスタンスとか。自分が言いたいことがあってもぐっと抑えて、ただ、あまり頭を下げすぎても、今度は会社が不利になってしまうから、相手の気持ちは落ち着かせるんだけれど、力関係は保たないと困る。そういうときのメンタルコントロール術みたいなものを岩下志麻さんの映画から感じたんです。それで何度もそれを見返してから出かけました。

前田:麻生さん、そういう仕事は苦手でしょう?

麻生:もちろん苦手ですよ。でも、やっぱり積み重ねていくと、結局できちゃうんです。ものすごく厄介なことも、けっこういろいろ経験しました。今となったら笑い話だし、財産になっているけれど、当時はものすごく嫌でしたね。

前田:そのご経験があるから、その後、何か起こっても「なんのこれしき!」と思えるのでは?

麻生:そうそう。そういう感じ。

前田:今の麻生さんを拝見していると、若い頃にかなりいろいろなことがあって、つらい目にもあって、一つ一つ乗り越えてきて、勉強し、努力もして信頼を得る術も身につけ、それが土台になってこのやさしげなクマさんのようになっていらっしゃると思うんです。ボヤッと生きていると、こうはならないでしょう。積み重ねることによって何とかなるというけれど、みんな積み重ねられないんですよ。

麻生:環境的にはもちろん嫌だし、逃げたいし、とっとと辞めたいんだけれど、そうしたら負けだなと思うし、そもそも辞められないと思っていたので。とにかく大変でも耐えて耐えて頑張るみたいなところがあったから。負けたくないから逃げなかったのかもしれないですね。

食の記憶は「誰と食べたか」が残る

前田:麻生さんといえば「ごはん」です。麻生さんのファンはおしゃれで美味しそうな料理とか、すごく手早い料理を作る人に惹かれる、というよりは、麻生さんの料理のある世界やその物語性に憧れるのだと思うんですね。それで今日のテーマでもあるわけですが、食の記憶とウェルビーイングはどのように関わってくるのでしょう。麻生さん、小さいときから美味しいものを召し上がっていたでしょう?

麻生:ありがたいことに母親は料理が上手だったし、僕は子どもの頃から静かだったから、レストランにも連れて行きやすかったようです。ただ、父が忙しかったので、母と2人でごはんを食べるのが普通になっていたんです。あるとき、幼稚園の同級生のお家に、お誘いを受けて夕飯をいただいたとき、食卓にお父さんがいることに驚いたんです。そのとき、自分の家では母と2人のごはんだけれど、よその家はこうなんだと。初めて世界が広がったというか、学んだところがありましたね。

前田:私は子どもの頃から、他人の家でごはんを食べるのが好きだったんです。同じお味噌汁でもこんなに違うんだとか、いろいろなことがわかりますよね。子どもはやはりすごく様々ことを強く感じて自分の中で反芻するので、自分の知っている世界だけが世界じゃないと、そう言葉にできなくても視野が広がりますし。

麻生:そうですね。母は洋風なものが好きだったのですが、母方の祖母は和風の料理をいっぱい作ってくれました。黒い鉄の天ぷら鍋で、よく天ぷらを揚げてくれて。台所で見ていると、揚げたてをつまみ食いさせてくれたりする。いろいろ揚げてくれたと思うんですけれど、僕はサツマイモの天ぷらがすごく美味しかったことしか記憶にないんですよ。揚げているそばから「1個ちょうだい!」って熱々をもらうのが最高に美味しい。

前田:子供にも大人にも、美味しいものを作ってくれる人はいい人(笑)。

麻生:そうですね。

前田:そうするとサツマイモの天ぷらのおいしさと、その人のやさしさが結びついていきますね。だから、美味しいだけじゃなくて、ほんとは美味しくなくても、好きな人と食べることが重要なのかもしれませんね。

麻生:食べるものは何でもいいんですよ。基本的には共有する時間だと思う。誰と食べてどんな話をするかということが記憶に残っていくと思います。

「前に進む力をくれるもの」を自分で見つける

前田:麻生さんの家庭料理に関する言葉で印象的なのは、「味付けしなくていい」ということだと思うのですが。

麻生:外食すると一品ずつ注文するから、一品で味が完成しないといけない。そうすると、美味しさを追求するためにいろいろな味がして、それを一揃え並べると、全体的な味の値が高くなってしまうところがあるんです。家庭料理だと「こっちの味は濃いから、こっちは味をあんまりつけていなくて、もし、足りなければ何かつけてね」という感じでいいと思う。そのほうが食べて楽だし、もっと自由でいいんじゃないかと思うんです。

前田:お店みたいに全品味を決めてしまうと、食べてる途中から疲れますし、ときどき大失敗しますね。

麻生:僕は食材を買い溜めすると、残っている食品がダメになるのが気になって、とんでもないメニューの組み合わせになったりするんです。たとえば鶏肉と牛乳があって、ひき肉と豆腐があると、シチューと麻婆豆腐とか。この組み合わせでは、出されたほうも落ち着かないでしょう。

前田:でも、そういう不思議な献立を作ってくれるのも思い出深いし。

麻生:なんだかよく一緒にごはんを食べたけど、毎回、料理の組み合わせが変だったとか(笑)。でも家なので、それでいいかなと思っているんです。あんまり「これをしちゃいけない」とか、そういうふうに考えずに。

前田:そうですねえ、料理じゃなくても「大人だからこうあらねばならない」とか、「もう私は母なんだからこうしなければいけない」とか思うと、気持ちがつらくなりますよね。

麻生:だから実家にいたときは、「跡取り息子はこうでなければならない」というのがすごくあったし、母は母で「社長の奥さんはこうでなければ」みたいなのに自分を当てはめていたように思うんです。そこからポッと抜けたときに、急に今までギューと押し込められていたものが全部取れて、自由でいいなとしみじみ感じました。元のところにはもう戻りたくないし「〜でなければならない」というのは、もうやめようと思いました。

前田:その後、新島で宿を始められたときも、大変だったそうですけど。

麻生:会社員時代に比べたら、全然。基本的に宿に来る人は泊まりたいと思って来るだけだし、怒っている人もいないので。そう考えると何一つ問題はない、という気持ちになるんです。建設会社では自分が選んだわけではない人たちがたくさん周囲にいたけれど、今はもう自分が「いいな」と思った人と仕事をしたり、お互いに選んで選ばれてやっているわけだから、そんな幸せなことはないですよ。「忙しいな」と感じるときも、忙しいといえば忙しいけれど、何がストレスなんだろうと考えていくと、好きな仕事だし、これもあの人が好きだからやりたいし、これもそうだしと考えると、全然、問題がないみたいな気持ちになりますね。

前田:そこに行き着くまでが大変ですね。でも、どんなにつらいことがあっても、人間、おなかはすきますよね。

麻生:どんな状況でも、お金があるとかないとかいうことは抜きにしても、やっぱり食べたいものとか、その状況の中で必要なものをきちんと食べるということは、すごい力になると思うんです。それは何だってよくて、自分が好きなものとか、そのとき食べたいなって思ったものとか。食べることは、前に進む力になると思う。僕はものすごく落ち込んだときも、食欲がないということは全然なかったです。ごはんがのどを通らないということは人生で一度もなかったですね。

前田:中には「私はごはんが食べられなくなってしまうタイプ」という方もいらっしゃるかもしれないけど、そういう人たちは他のことで元気になる術があるのかもしれません。

麻生:そうそう。ごはんだけじゃなくて、何か好きなことをするとか、何でもいいと思うんですよ。また、それを見つけるということもすごく大事なポイントだと思っています。無理なくずっと続けられることが何かあると思うんですよね。お花を生けるとか、お茶をたてるというのもいいと思うし、何かを書くとか。

前田:推し活とか。

麻生:まわりで推し活をしている人、いっぱいいますけど、すごく楽しそうですよ。ものすごくストレスを発散しているし、それで仲間も増えるし。ただ、自分を元気づけてくれることって、やっぱり自分から見つけにいかないと。ある日突然、何かが降ってくることはないので、そこは好奇心を持って、外に気持ちを開いて、出歩いてみるだけでも目に入ってくるものが違うし。

相手のことを思うんだけど、思い過ぎない

前田:その点、料理がいいところは、作ればすぐに結果が出て、みんな喜んでくれたり。

麻生:ただ、その人がトンカツが好きだからといって、トンカツを作って出したとしても、もしかしたらお昼にトンカツを食べたかもしれないし、いくら好きでも食べたくない日もありますよね。だから、そういうのを強要しない。よく「品数が多いですね」と言われるんですけれど、予防線を張っているみたいなところがあって、「これが好きだったな」と思って作るんだけれど、もし、今日は美味しいって感じられなかったら、別のこれを食べてもらえばいいかなとか。そういうふうにしていろいろなものが増えているところがあります。相手のことを思うんだけど、思い過ぎない。「あなたのためにこのトンカツを作ったのよ」というのは、たぶんいちばん食べづらいんですよ。渾身の思いで作ったとしても、それが美味しく感じられる日もあれば、感じられない日もあるわけだし。いちいち「これ美味しいね」と言わないといけないものじゃないし、ささっと食べられる感じにできたらいいなと思っています。

前田:それは大人のテクニックというか、なかなか難しいと思います。食べて「幸せだな」と思えたら、それでいいということでしょうか。

麻生:そうそう。たとえば、パートナーと旅行に行って、帰ってきたけれど家には何もない。コンビニで袋麺を買って、適当に野菜を入れたラーメンが、ごちそうというわけではないけれど、なんだか美味しかったし、楽しかったという記憶はたくさんあります。すごいごちそうを作らなきゃいけないと思わずに、気楽に、自分で楽しさを見つけていくと、人生は楽しいんじゃないかと思いますね。

以下、みなさんの質問に麻生さんがお答えします。

Q:人を招いてもてなしたいけれど、味付けに失敗しそうで怖いです。失敗しないおすすめのおもてなし料理はありますか?

麻生:料理家と言うと、料理がいつも上手にできると思われるかもしれないけど、疲れているときや、忙しいときは、そういう味になりがちなんです。他人が食べてもそう思うかどうかわからないけれど、僕の中では「今日はちょっとな」と思うことがある。そのときベストなものを落ち着いて作ることが大切なんじゃないでしょうか。ごちそうを作らなくてもいいと思うし、ちょっと出来合いのものを混ぜたっていい。好きな料理本を見つけて作ってみるとか、自分のベストを見つけていくのもウェルビーイングだと思いますよ。

Q:麻生さんが外食するお店を選ぶときの一番のポイントは?

麻生:『僕が食べてきた思い出、忘れられない味』にも書いているんですけれど、店主の顔が見えるというお店は安心しますね。

Q :どうしても料理をすることが習慣になりません。面倒くささに打ち勝つ方法はありますか?

麻生:僕はいつも楽しく料理をしていると思われがちなんですけれど、もちろん、面倒くさい日もけっこうあって。でも、台所に立って手を動かし始めると意外に楽しくなってきたりすることもあります。ほんとうに面倒な日は外食に出かけるし、無理な日は「今日は作るのは無理」と言います。無理してやるものでもないので、状況が許すのであれば、気が向いたときに料理すればいいのではないでしょうか。

Q:麻生さんはどんなおもてなしをされると嬉しいですか?

麻生:「みんな頑張って作ってくれたんだ」と感じるときが嬉しいですね。先日は家族同然の友人がジンギスカンを作ってくれて、すごく美味しかったので、ものすごい量を食べました。その人のバックボーンが感じられるような、そういうのが嬉しいです。あるとき、別の友人が「いつも美味しいおにぎりを作ってくれるから、今日は私が握る」と言って作ってくれたのが、海苔の上にごはんといろいろ具材がのっているものだったんです。その友人は料理を仕事にしているわけではないのですが、それがすごく美味しくて。その人の人となりが見えるというか、気持ちがこもっているとか、そういうのが嬉しいです。

前田:自分を大事にするのも大切だけれど、やはり人に思いを伝えること、伝え方として料理はいいですね。

麻生:ほんとうにそう思います。