『阿古真理さん/作家、小林美礼さん/全国家庭科教育協会常任理事』との鼎談(ていだん)を振り返って

ウェルビーイング研究の第一人者・石川善樹さんが各界の著名人と対談しながら『ウェルビーイングの旅』に出るこの連載。作家の阿古真理さんに家庭科教育の最前線に立っていらっしゃる小林美礼さんを交えた2回目の鼎談を、石川さんがスタッフとともに振り返ります。初めてご覧になる方はVol.17の阿古真理さん、小林美礼さんと石川善樹さんの鼎談をご一読いただいてから、この振り返り座談会をお楽しみください。

第17回 石川善樹×阿古真理×小林美礼
「ウェルビーイングと家庭科教育について語り合いましょう」


石川善樹(いしかわよしき)
予防医学研究者、博士(医学)
1981年、広島県生まれ。東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。公益財団法人Wellbeing for Planet Earth代表理事。「人がよく生きる(Good Life)とは何か」をテーマとして、企業や大学と学際的研究を行う。専門分野は、予防医学、行動科学、計算創造学、概念進化論など。近著は、『フルライフ』(NewsPicks Publishing)、『考え続ける力』(ちくま新書)など。
https://twitter.com/ishikun3
https://yoshikiishikawa.com/

前回の石川善樹さんとの鼎談にご参加くださったお二人

阿古真理(あこ まり)
1968年、兵庫県生まれ、神戸女学院大学文学部を卒業後、コピーライターとして広告制作会社に勤務。その後、フリーライターとして活動を開始し、東京都に拠点を移す。現在はくらし文化研究所を主宰し、作家・食文化を中心とした生活史研究家として、さまざまな媒体で執筆。講演活動も行う。2023年、食生活ジャーナリスト協会主宰の『第7回食生活ジャーナリスト大賞(ジャーナリズム部門)』を受賞。著書に『小林カツ代と栗原はるみ―料理研究家とその時代―(新潮選書)』、『日本外食全史』『家事は大変って気づきましたか?』(ともに亜紀書房)など多数。2月20日に発売となる朝日新聞出版の人気シリーズ『いまさら聞けない』の1冊『いまさら聞けない ひとり暮らしの超基本』を執筆。衣食住から防犯まで各分野の専門家に取材したひとり暮らしの必携本。
くらし文化研究所
https://lab.birdsinc.jp/

小林美礼(こばやし みれい)
東京都生まれ。日本女子大学院修士課程修了(家政学)。専門の家庭科教育では、よりよい生活と未来について考え、食育や本物の社会の課題を本気で考える授業を目指す。筑波大学附属中学校(先導的教育・国際教育・教師教育拠点校)に勤務。日本教育大学協会中学校部会会長、国立大学附属学校連盟副校長部会会長、筑波大学院キャリアマネジメント講師などに従事。現在は、同附属中学校と日本女子大学に勤務。全国家庭科教育協会(ZKK)常任理事。著作校閲は中学・高校家庭科教科書ほか。近著は「命のバトンで育てる体」(国土社)。


(参加者)
石川善樹/予防医学研究者、博士(医学)
(スタッフ)
前田洋子/ウェルビーイング100byオレンジページ編集長
今田光子/ウェルビーイング100byオレンジページ副編集長
中川和子/ライター

文/中川和子


日本女性のウェルビーイングは?

前田:前回の鼎談を聴いて、感じたことや人に話したことはありますか?

中川:最後のほうで、男尊女卑の傾向のあるエリアは若い女性の県外流出率が高いというお話が出ていましたね。その直後に「消滅可能性自治体」のニュースがあって、20代〜30代の女性の人口減少率が指標になっているという話に、けっこう衝撃を受けました。地方の人口減少はインフラや働く場所の問題かと短絡的に考えていたのですが、もっと文化的な背景や、若い女性が生きにくい風土も関係しているのかと。仕事はもちろん、家事や育児、介護も女性が一手に担わなければならないような所では、女性はつらいですよね。

今田:その点で、日本は海外と比べてウェルビーイングの男女差があるのか、データではどうなっているのでしょうか?

石川:基本的には女性のほうがウェルビーイングは高かったと思います。また、元々日本女性は世界一平均寿命が長い。日本女性を巡る環境は負の側面がたくさんありますが、結果だけ見ると、日本女性のウェルビーイングは男性よりも高い傾向にあります。

前田:「女性活躍」なんて声高に言っているぐらいですからね。

今田:いろいろな役割がたくさんあるのに、それをこなしつつ、幸せを感じることもできているなら、日本の女性はすごくたくましいですね。

石川:日本女性がこんなに長生きだというのは、ほんとうに七不思議ともいわれるくらいなんです。日本男性も少し前まではそうでした。休みも取らず、仕事ばかりしてストレスも多いのに、どうして楽しそうなのかって。

前田:でも、日本人全体のウェルビーイングとなると、低いほうなんですよね。

石川:海外との比較でいうと低いですね。

家庭科共修世代とそれ以前の世代に大きな意識の差が

前田:石川さんは家庭科共修※世代ですよね。

※家庭科共修……中学の家庭科が男女共修になったのは1993年から。

石川:そうですね。男子校の中でやっていました。

前田:ああ、男子校のご出身でしたね。しかし考えれば考えるほど、家庭科共修世代の40代以下の人と、それより上の世代にはものすごく意識の差があるように感じます。今の家庭科を習った人と習っていない人がこの国に共存していて、そこに大きな溝があるような。

石川:世代が交代しないと、考えは変わらないといわれています。そういう意味でいうと、30年くらい地道に教育できたら考え方は変わります。

前田:もう30年たちますね! 私は子どもがいないので、このコンテンツを担当していなければ、家庭科教育の現状を知ることはありませんでした。家庭科で「自立と共生」を教えているという事実に特に驚きましたし、知人たちに話しても、みんなビックリしますね。

中川:私も現在の家庭科の状況を知らなかったので、驚きました。

前田:家事や家の仕事はけっこう頭を使います。「自立」とは何かというと、自分のしたいことを言えて、自分で決めて、自分で段取りつけることだとこの企画を通して感じています。それこそ前頭葉を使う、ということなんだろうなと。毎日同じような日常を送っていても、家事を工夫するということだけでけっこう頭を使いますから。家事をしない、家庭科共修世代ではない男性は、それを有償労働のほうだけに向けているわけですよね。それは家庭内での「自立」の機会を逸しているのではないかと考えたりします。

移動の苦痛から解放されたコロナ禍

石川:「男は若い時は、やりたいことや好きなことはあるのだけれど、お金がないかスキルがない。40歳超えるとスキルとかお金はあるんだけれど、やりたいことがない。どちらかも悩む」と友人が言っていて。

前田:40歳ぐらいになると、いろいろな意味で仕事など固まるから「ほんとうはあなたは何がしたかったんですか?」と言われると、うまく答えられなかったりしますものね。それは男性でも女性でも。

石川:孔子的に言うと「50で天命を知る」ので「40ぐらいからは不惑」。「迷うことがない」と一般に言われてますが、実は「不或」と表記されていたらしく、40歳からは物事を区切らず、枠にとらわれず判断できること、とする説もあります。自分の得意とか好きなことに逃げずに、苦手なことや嫌いなことをやって自分の枠を拡げようというのが孔子でいう40歳なんです。

前田:迷わない、よりも「枠を拡げて超えたい」ですよね。

石川:ル・コルビジェ*という建築家がいて、彼は「世界中の人はこれから都市に住む」と。それで、歳の機能は何かというと、住む、移動する、働く、それに余暇。特に移動は苦痛です。ただ、学生の通学を見ているとなんだか楽しそうなんですよね。どうして通勤は楽しくならないのか。

※ル・コルビジェ……1887年スイスに生まれ、主にフランスで活躍した建築家。モダニズム建築の巨匠といわれ、日本では上野の国立西洋美術館の設計やソファなどでも知られる。

前田:通勤時間、ほんとうにちょっと楽しくなりたいですよね。私は美大出身なのですが、満員電車に乗りたくなかったから美大に入ったのに、結局ある企業に入社して、ほんとに毎朝の通勤が苦痛でしょうがなかったんです。その後、編集者になったわけですが、コロナ禍になって会社に行かなくなったら、すごく楽だなあと思って。

中川:私は普段、決まったところに通勤していないので、移動中は読書タイムです。通勤ラッシュといわれるほど混んでいなければ、けっこう充実していますが。

石川:それはけっこう重要です。スマホを見ている人の中には、仕事をしている人も多いと思うんです。移動中も仕事になってしまっている。僕は自転車でよく移動するのですが、気持ちいいですよ。「自立」って働くこともそうですが、家にいるときや、移動や余暇も自分の思うようにできるようになったら、人生がウェルビーイングな気がします。お金をかけなくてもできることなので。

前田:確かにそうですね。

石川:お金をたくさん得ても暮らしが変わらない人がいます。それは別に倹約しているんじゃなくて、もともとその暮らしが好きでやっているだけ。究極的にはお金がなくても楽しくやれる術があれば、不安は少ないですね。

中川:「移動」でいうと、会社員の方はコロナ禍で在宅ワークが中心になって、移動する必要がなくなると、ウェルビーイング度が高まったんでしょうか?

前田:高まったというか、物理的にほんとうに身体的には楽だと思います。その代わり運動不足になるけど(笑)。

どんな状況でもウェルビーイングへの道は拓ける、それがウェルビーイングのおもしろさ

石川:コロナ禍のときに「あれ、自分はほんとうは何がしたいんだっけ?」とか「どうやって時間を使いたいんだっけ?」という問いに多くの人が向き合うことになりました。「自分は何をしたいんだ?」と一日何回ぐらい考えたか。あんまり考えない人もいたでしょうけれど。僕の知り合いの資産家の人はずっと考えていて「お金があるからたいていのことはできるけれど、逆にしたいことがわからなくなってしまった」と言っていましたよ。

中川:資産がありすぎるんですね。

石川:いろいろなお金の話が入ってくるから。だからといって話が来るたびにポンポン出していたら「結局、自分は金づるなのか」という悲しい思いになることもあるそうで。

前田:私の知り合いの資産家も、奨学会を作るなど節税のために努力して何かやっても、結局、またお金が入ってきてしまうので、自分のアイデンティティーがお金以外ないのかと嘆いていましたよ。

石川:節税のための人生ですよね。手段と目的が混同されてしまう。

中川:お金はありすぎてもなさすぎてもウェルビーイング度は低くなりそうですね。お金のことをあまり考えなくていい、そこそこが一番いいんでしょうか。そこそこがどれくらいかわからないけれど。

石川:お金はいくらでもいいんだと思うんですよ。お金を持っている人の中でも、ウェルビーイングの人とそうでない人はいるし。

今田:そうですね。お金の問題だけではなさそう。

石川:ウェルビーイングのおもしろいところは、どんな状況でもウェルビーイングへの道は拓けているということです。だけど、(お金を)持っていない人は持っている人と比べてしまうから、そこが不幸の始まりというか。やっぱり、自分と同じ状況の人を見なきゃいけない。「同じような状況なのに、何が違うんだろう」と。たとえば、同じ会社で同じように給料をもらってきたはずなのに、築いた資産が違うように、同じようなお給料をもらって同じような仕事をしていても、ウェルビーイングは人それぞれですよね。

家庭科教育にウェルビーイングを取り入れる意味

今田:前回の鼎談を聴いて、石川さんに伺ってみたかったのが、家庭科の先生たちはウェルビーイングを踏まえて家庭科を教えるということですが、まず最初に何から始めたいと考えていらっしゃるんでしょうか。現状週一回という授業の時間を増やしたいのか、あるいは体験学習を増やしたいのか、他の教科との連携を進めたいのか、カリキュラムを見直したいのか。

石川:教える内容は変わらないでしょうけれど、何のためにそれをやっているのかというところで、ウェルビーイングが意識されるようになると思います。たとえば食に関して、今までの調理実習にウェルビーイングの視点を加えていくとか。

今田:家庭科の調理実習で「料理ができるとウェルビーイングにつながる」というアドバイスをもらいながらやるのと、ただ「料理のスキルを上げましょう」とだけ言われてやるのとでは、授業のもつ意味合いが大きく違いますよね。

石川:雑誌もそうなんじゃないですか。読者のウェルビーイングをより意識すると、記事内容はそれほど変わらないかもしれないけれど、方向性は変わるとか。

前田:タイトルとか小見出しは確実に変わりますね。たとえば、年末の大掃除特集などで、プロセスを見せるというところは最終的に同じかもしれないけど、「何のためにやるのか」という理由とかタイトルが変わってきますよね。

今田:企画検討の際に「この企画が誰を幸せにするのか」ということを意識して考えていくと、仕事が変わってくるという話を以前、聴いたことがあります。今、それを思い出しました。

よいとは言えない状況の中で「ポジティブな例外」を探し、何が違うのか見る

石川:僕がもともと研究していた予防医学とか公衆衛生というのは、「ポジティブな例外」を見にいくというやり方をするんです。「ポジティブな例外」というのは、たとえば、スラム街の子どもたちは栄養状態が悪いことが多いんですけれど、スラム街なのに栄養状態がいい子どももいるんですね。それはちょっとした行動が違うだけなんです。その子の家だけ収入が多いわけでもないし。たとえばベトナムでは1日の食事が2回なんですけれど、子どもは2回だと消化しきれないので、状態のいい子どもは同じ量を3回か4回に分けているとか、そういう細かいことなのですが。

今田:ああ、なるほど。

石川:「ポジティブな例外」を見にいくと、よいとは言えない環境の中でも何ができるのかが見えてきます。伝統的に予防医学とか公衆衛生にはそんなにリソースがないから、環境をいじらなくても何か改善できないかを探すんです。たとえば、ブラック企業に勤めているのに、ウェルビーイングな社員もいるはずなんですよ。その社員は他の社員と何が違うんだろうと。

今田:石川さんが印象に残ったポジティブな例外の人たちがやっている、ちょっとした行動の差というのは、他にどんな例がありますか?

石川:自炊ですね。工場で働いている派遣労働者の人たちを調査したときに、自炊している人のほうがウェルビーイングだという結果が出たんです。コンビニでカップラーメンを買ってパッと食べると時間があまるので、その時間で何をするかというと、パチンコしたりゲームをしたり。でも、それで生活の満足度が上がるわけではない。全般的に製造業で働いている派遣労働者の人たちは、給料がそんなに多くはないので、満足度が高いわけではない。かといって、仕事の中で何か変えることもできない。

前田:そうですね。

石川:みんな同じような給料で同じような仕事をしているんだけれども、日々の生活のウェルビーイングが違うということは、仕事の外で何かあるはずなんです。

前田:それが自炊だったと。

石川:僕もちょっとビックリしましたけど。実際、時間もかかるし面倒くさいかもしれないけど、満足度がそれなりに高いんだということですね。

前田:ごはんが作れるのは生きるためにほんとうに大事なことですよね。何があってもごはんが作れれば大丈夫じゃないですか。先ほどの話に戻ると、家庭科を習っていない男性が、その妻が死んでしまうとごはんが食べられないというのでは困ります。仕事を辞めた途端に家に入って、家で過ごす人になったのに、掃除もできないしごはんも作れない。そういう人と一緒に暮らすのはつらいですね。家の中でも自分のことは自分でできるようにならないと。

今田:そういう意味でも、やっぱり家庭科で「自立と共生」を学んでおくことは大切ですよね。

前田:改めて家庭科教育の大切さを知る機会になりましたね。今回もありがとうございました。