『阿古真理さん/作家』との対談を振り返って-その2

ウェルビーイング研究の第一人者・石川善樹さんが各界の著名人と対談しながら「食」を入り口に『ウェルビーイングの旅』に出るこの連載。阿古真理さんとの2度目の対談をスタッフが石川さんとともに振り返ります。初めてご覧になる方はVol.13の阿古真理さんと石川善樹さんの対談をご一読いただいてから、この振り返り対談をお楽しみください。

第13回 石川善樹×阿古真理
「ウェルビーイングと家庭科と料理について語り合いましょう」

阿古真理(あこ まり)
1968年、兵庫県生まれ、神戸女学院大学文学部を卒業後、コピーライターとして広告制作会社に勤務。その後、フリーライターとして活動を開始し、東京都に拠点を移す。現在はくらし文化研究所を主宰し、作家・食文化を中心とした生活史研究家として、さまざまな媒体で執筆。講演活動も行う。2023年、食生活ジャーナリスト協会主宰の『第7回食生活ジャーナリスト大賞(ジャーナリズム部門)』を受賞。著書に『小林カツ代と栗原はるみ―料理研究家とその時代―(新潮選書)』、『日本外食全史』『家事は大変って気づきましたか?』(ともに亜紀書房)など多数。

(参加者)
石川善樹/予防医学研究者、博士(医学)
(スタッフ)
酒井博基/ウェルビーイング勉強家
前田洋子/ウェルビーイング100byオレンジページ編集長
今田光子/ウェルビーイング100byオレンジページ副編集長
中川和子/ライター

文/中川和子


今田:今の家庭科は実践的になっているし、子どもたちも楽しそうにやっているけれど、時間が少ないのがもったいない

前田:前回の石川さんと阿古真理さんの対談で、家庭科がすべての学問の基本であるというお話がすごく印象に残っています。同時に、石川さんが「ウェルビーイングを考える上では、真善美という視点の中でも、とくに美が重要になる」というような発言をされたのがとても印象的でした。

中川:私も、阿古先生がおっしゃっていた通り、家庭科が全ての基本ということにはすごく納得できました。でも、家庭科を学んでいたのが何十年も前の話なので、改めて、今の家庭科がどうなっているのか知りたいです。

今田:今、息子が高校生なので、家庭科のテスト前とか教科書を見ると、昔に比べて実践的なことをやっているようです。赤ちゃんはどうやって育つんだろうという保育的なこともあるし、もちろん料理や栄養のこともあります。調理実習もあるし、聞けば結構楽しそうにやっている。ただ、時間数も少ないし、そこがもったいないなと思います。

前田:酒井さんはどうでした?

酒井:私は街づくりとか、いろいろなプロジェクトにも携わっているのですが、ウェルビーイングというキーワードをプロジェクトの中に組み込んでいけるといいなと考えていまして。その中で、石川さんがおっしゃった、ウェルビーイングの3要素である「体験と評価と意味」というプロセスが、すごくおもしろいキーワードのように感じました。まだ深掘りができていないのですが。

前田:家庭科だから、子どもに教えるという話だったのですけれど、ウェルビーイングを教えるようになるとすれば、大人のための家庭科があってもいいのかなと思ったりもしましたね。

石川:コンポストをやると、ゴミを出すことを自覚するから、やっぱり捨てる生ゴミの量がすごく減るそう

石川:オレンジページさんでは、料理で残ってしまった食材はどうしているんですか?

今田:会社としての取り組みで“※コンポスト”をやっています。オレンジページに掲載するレシピの試作は、社内のキッチンで行っているのですが、そこで出る生ゴミをトートバッグ型コンポストを使って堆肥にしています。その過程のレポートでコンポストの良さやトラブルの対処法を発信していて、これが『コンポストで始まる循環の生活実装デザイン』として2021年度のグッドデザイン賞を受賞しました。オレンジページの本社がある港区と連携して、公園の花壇で堆肥を活用しています。

※コンポスト……家庭の生ゴミや落ち葉などの有機廃棄物を、微生物の力を利用して発酵・分解させて、堆肥を作ること。オレンジページでは『バッグ型コンポスト』を開発・販売するローカルフードサイクリング株式会社と連携し、都市型コンポストの普及に努めている。

石川:今の家庭科では、料理を作って終わりではなく、たぶん、そういったところまで扱うようです。三鷹市の※鴨志田農園って知っていますか?

※鴨志田農園……三鷹市の野菜農家の6代目である鴨志田純さんが運営。2014年から教師を続けながら家業を継ぎ、2018年から専業に。コンポストの普及を進めるコンポストアドバイザーとしても活躍中。

前田:はい、知っています。有名ですね。

石川:農園をやっている鴨志田純さんはもともと数学の先生だった人。農業を始めて10年ぐらいなんですけれど。野菜を買ったお客さんにコンポストも作ってもらって、出たごみから堆肥を作って野菜を作るという循環をつくっている人なんです。その鴨志田さんと話していて、極論かもしれませんが、「小学生は技術と家庭科を学ぶだけでいいんじゃないか」というような話になりました。

中川:そうなんですか。

石川:たとえば、野菜のことでいうと、有機野菜って、有機野菜のマークを取得するのに7万円かかるんです。40種類野菜を作ったら、280万円かかる。

前田:すごくお金も時間もかかると聞いたことがあります。

石川:そんなにお金や時間をかけなくとも、野菜を買う人が「ああ、この人がこうやって作っているんだ」と、作っている人が誰だかわかれば、そもそも認証マークを取得する必要はないのではないか、そう考えているのが鴨志田さんなんです。鴨志田さんの実行していることや考え方は、生産と消費などの各活動が循環していく社会を作り、その仕組みと一人一人の役割を教えるという、これからの家庭科っぽいなと思っていまして。その鴨志田さんが言うには、コンポストでのたい肥づくりを始めると、ゴミを出すことを自覚するようになるから、家庭で捨てる生ゴミの量がすごく減るそうです。

石川:今、社会では分業化が進んでいるので、全体がどうなっているのかがよくわからなくなっている

石川:ちなみにみなさん、自分の生活や人生を、知らない人たちに話す機会はありますか?

前田:あんまりないですね。実はこのウェルビーイング100の中にある『ウェルビーイング100大学』の1回目のゲストが作家の角田光代さんだったのですが、インタビューの後に打ち上げみたいなことになって、なぜかそこにいた人みんなが、自分の来し方を話し始めたということがありました。あれはちょっと新鮮な体験でしたね。

酒井:後にも先にもあの1回だけでしたけれど。つい最近、大学のOB会があって、過去のことを話すことはあったけれど、知らない人に自分のことを話すことって、やっぱりないですね。

石川:※宮本常一さんって知っていますか? 『忘れられた日本人』という著書がありますが。

※宮本常(みやもと つねいち1907-1981)……民俗学者。1930年代から亡くなるまで、日本全国の町、村、農漁村のフィールドワークを継続し、膨大な記録を残した。著作も多く、代表作は「忘れられた日本人」(1960年/岩波文庫)

前田:名前は聞いたことがあります。

石川:「日本人はどういう生活をしていたんだろう?」ということを記録した人で、たとえば「畑仕事をしているときに、女性たちはどんな雑談をしているのだろう」とか、そんなことを丁寧に記録しているんです。彼によると、昔の日本には“世間師”という人がいたらしくて。「山の向こうの村ではこんな生活をしていて、こんな事件があって……」と、村から村へと旅をしては各地の情報を伝えていたらしいんです。

前田:今の石川さん、その世間師みたいな側面がありませんか(笑)。いろいろな方にお会いになって、お話を聴いて、その話をまた伝えていらっしゃる。

石川:実は世間師をめざしています(笑) 今、社会では分業化が進んでいるので、みんな一部の役割しか担っていないんですね。逆に言うと、分業化が進むことによって、どんな人でも輝けるチャンスが出てくるということがあるとも言えますが、自分が携わっているのは一部だけなので、全体としてどうなっているのか、自分の行為がどのような役割と意味を持っているかはよくわからなくなっています。

酒井:確かにそうですね。

石川:仕事もそう、生活もそう。スーパーで野菜を買う、もしくはスーパーでお肉を買う。この豚肉の豚はどこでどう育てられたかなんてわからない。どう処理されてここまで来ているんだろうとまでは考えない。先ほどお話した鴨志田農園は都市型農園で、すごく小さいんです。で、近所の大学に馬術部があって、そこの馬糞を持ってきて、それで野菜を育てる。その野菜がすごく甘いんです。ピーマンを食べさせてもらったんですけど、めちゃくちゃ甘い。鴨志田さんによれば、東京には大学がいっぱいあって、馬術部もたくさんあるから、東京のポテンシャルの一つは、馬糞なんじゃないかともおっしゃってました。

中川:そうなんですか。

石川:「生活」というものがどう成り立っているのか。ワークライフバランスといいますが、ワークとライフを分けて考えていますよね。そんなにはっきり分けられるでしょうか? 分けたら育児や介護といったプライベートな生活のことも「会社は関係ありません。そちらで勝手にやってください」ということもできますよね。

酒井:分けてしまったら、そうなりますね。

石川:会社って、そういう職場の外で起きていることに対しても、今、ちゃんと支援をしようという流れになってきている。それがワークライフバランスということなのかもしれないですけれど。分けると全体像がわからなくなる。宮本常一さんの『忘れられた日本人』では、橋の下に住んでいるホームレスの人の話が出てくるんですが、その人がどういう人生を送ってきたのか、どういう生活を送ってきたのか、宮本さんが聴くんです。人って、自分の人生とか生活を、全体として話す経験ってすごく少なくて、意外に話さない。だから、自分でも自分のことがよくわかっていないということがあります。

前田:ああ、話すことはまとめることですものね。話さなかったらまとめることも、考えることもないのかもしれません。

石川:「自分にはどういう生活の選択肢があるのか?」は、やっぱり人に聞かないとわからない

石川:家庭科では生活の授業をするわけですが、その際、ジャンルを切り分けるんですね。「衣」「食」「住」とか「お金」とか。そうやって切り分けると、また生活全体がわからなくなるのでは。家庭科に限らずなんですけれど、ウェルビーイングって、日本だと生活満足度と訳されることも多いんです。だから、あくまで「生活」なんですよ。それは日々のこともそうだし、過去も将来も含むんですけれど。どういう生活を送ってきて、自分がどう捉えるかですよね。例えば「そこに美しさがあるのだろうか」とか。

今田:ここで美しさとつながるんですね。

石川:「今日、自分は美しく生活したか?」と振り返って考えると、今の自分の生活がとぎれとぎれの部分に分けられていることに気づく。で、それは自分が望んでそうなっているのか、いつの間にそうなったのか、よくわからなくなってしまう。※川喜田二郎さんという、KJ法を開発した、ブレインストーミングの基礎を作った人が、これからの時代は創造性の充足が重要で、そのためには、一つのことを最初から最後まで全体的に自分でやらないとわからないと言っています。料理で言うと、最初から最後までってどこからどこだろうと考えると、たとえば鴨志田さんみたいに、顔の見える人がこうやって作ったとわかっている野菜を買って、料理して食べて、ごみはコンポストに入れてたい肥にして、農場に戻すと、そこまでを料理なんだと考えると、その行為は「買う」「食べる」だけではない、「生活」として感じられるんですね。

※川喜田二郎……(かわきた じろう1920-2009)地理学者、文化人類学者。フィールドワークによる豊富な調査経験から、情報整理と発想の手法としてKJ法(データをまとめるために考案した手法。KJは自身の名前から)を開発し、ブレインストーミング後の情報整理法として各分野に応用された。代表的著作に『知の探検学』(講談社現代新書)などがある。

前田:今、思い出したんですけれど、以前、大分県の臼杵市の有機農業を取材したことがあります。たい肥を作る巨大な市営の工場があるんです。近隣の農家や林業をやっている人が、端材とか廃棄する農作物などいろいろなものをトラックで運んで来られて。それらからすばらしいたい肥を作って、その肥料を安価で売る。農家や市民はそれで野菜を作って食べて、というふうな循環が生まれていて、市民も、それをとても誇りに思っていると聞きました。農薬をずっと使っていると、その土地が劣化して泥みたいになってしまうんだそうで、そのことに危機感を持って始まったらしいんですけれど。

石川:そうですね。だから、どういう生活の選択肢があるのか、やっぱりいろんな人に聞かないとわからないと思うんです。徳島県上勝町でしたっけ? 町のおばあさんたちが山の葉っぱを集めたのを買い取り、それを料理の盛りつけ装飾用に売る、「葉っぱビジネス」で成功した町もあるし。子どもでも「あ、それは美しい生活だな」ということが、直感的にわかるようなものだと、将来の自分の暮らしの選択肢に入ってくると思うんです。逆にいえば、直感ではなく、理屈で説得されて始めたことは、やっぱり続きにくいのでは。

前田:確かにそうですね。

石川:「生物の多様性」というと、ものすごく理屈っぽい感じがしますよね。同じことを「命のにぎわい」って言うと、すごく情緒的になるんです。子どものなぞなぞで「雪がとけると何になる?」と聞いたら、理系の人は「水」と言うし、情緒的な人は「春になる」と言う。土が劣化するというとすごく理系的だけど、「土が泣いている」というと情緒的。今、世の中が理屈のほうに寄っていると思うのですが「美しい生活」は、情緒的な表現になるのではないかと。

中川:石川さんのおっしゃるように、理屈の世の中になっているから、若い人が「エモい」とか言うのでしょうか?

石川:そうだと思います。さまざまな生き方の選択肢を知る方法が昔は小説だったんです。それがだんだん映画になり、CMになり、インスタになり……ってことなんですかね。だんだん文字情報が消えていって、直感的なものになっています。

前田:昔、いろいろな小説を読んで、その中に出てくる主人公の暮らしとか、憧れたりしましたけどね。『小公女』とか『赤毛のアン』に出てくるお料理がすごく美味しそうであこがれたり。今私がけっこう料理が好きなのにはその影響があります。小説とか映画で、ものすごくいろいろな感情がわき上がりますからね。

石川:街づくりなんかも、あまり議論するよりも、実際にどこかの町をみんなで見に行ったほうが早いんです。そうするとそれぞれがいろいろなことを感じるから、イメージが湧いてくるんです。

酒井:それは、他の町で暮らしている人をまず見て、どういう生活の選択肢があるのかということを肌で感じるということですか。

石川:「みんなで体験する」というのが大事なんです。山崎亮さんというコミュニティデザイナーの方が、街づくりをするときに、自分たちはどういう生活をしたいんだろう、どんな暮らしをしたいんだろうって、そこから始めると言っていたんです。それをまとめるのに2〜3年かかると言っていました。

酒井:コミュニティも本当に最低でも2、3年かかる。企業や自治体が関わっていると、たいてい3年は待てなくて、2年ぐらいで「成果が出ない」といってやめてしまうことが多いですね。

石川:一つの問題を解決することは、全体からすると一部のことなので、一部を解決したことで全体が崩れることもある。たとえば、オシャレな有名カフェチェーンを呼ぶと、地元の喫茶店が潰れるみたいな。なので、どういう生活をしたいのかという、全体像が大事だと山崎さんはおっしゃっていましたね。

酒井:なかなか難しい問題ですね。

前田:家庭科に求められることは、思っている以上に大きいのかもしれません。時間になりましたので、本日はここまでで。みなさん、ありがとうございました。