ウェルビーイングと家庭科と料理について語り合いましょう(第7回ゲスト 阿古真理さん/作家)

ウェルビーイング研究の第一人者・石川善樹さんが、”食”を入り口に、各界の俊英と対談、さらにスタッフとの「振り返り座談会」を通じてウェルビーイングを旅する連載です。作家・生活史研究家の阿古真理さんとの連続対談の2回目です。来春から家庭科に取り入れられる「ウェルビーイング」を模索する石川さんと阿古さんのお話には、思わずうなってしまうような貴重な発言が次々と飛び出してきました。家庭科で教える「ウェルビーイング」は生徒たちに何が提示できるのか?

進行/ウェルビーイング100byオレンジページ編集長/前田洋子
文/中川和子


石川善樹(いしかわよしき)
予防医学研究者、博士(医学)
1981年、広島県生まれ。東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。公益財団法人Wellbeing for Planet Earth代表理事。「人がよく生きる(Good Life)とは何か」をテーマとして、企業や大学と学際的研究を行う。専門分野は、予防医学、行動科学、計算創造学、概念進化論など。近著は、『フルライフ』(NewsPicks Publishing)、『考え続ける力』(ちくま新書)など。
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阿古真理(あこ まり)
1968年、兵庫県生まれ、神戸女学院大学文学部を卒業後、コピーライターとして広告制作会社に勤務。その後、フリーライターとして活動を開始し、東京都に拠点を移す。現在はくらし文化研究所を主宰し、作家・食文化を中心とした生活史研究家として、さまざまな媒体で執筆。講演活動も行う。2023年、食生活ジャーナリスト協会主宰の『第7回食生活ジャーナリスト大賞(ジャーナリズム部門)』を受賞。著書に『小林カツ代と栗原はるみ―料理研究家とその時代―(新潮選書)』、『日本外食全史』『家事は大変って気づきましたか?』(ともに亜紀書房)など多数。


阿古:「家庭科は教育の基本です」

石川:前回はありがとうございました。あの後、振り返りということで、われわれが阿古さんのお話を聴いた感想を雑談のように勝手に話し合って、サイトにアップしました。まずは「ここは違う」とか、ご意見をいただきたいのですが。

阿古:中川さんの「ごはんを作れと言われるとつらい」というコメントがありましたよね。アジアでは外食が当たり前で、それでいいんじゃないかと。おっしゃることはよくわかるし、日常はそれでいいと思います。ただ、心配なのは災害時や最近ではコロナ禍など、家にある食料で乗り切らないといけないような事態が起こった場合です。あるいは家族の中の誰かに食事制限が必要になったりしたとき、必ずしも外食や市販のものだけで乗り切れるとは限りません。イレギュラーなことが起こったときに、自分の知恵で乗り切らなければならなくなります。そのとき、料理の知恵が全くないとつらいと思うのです。日常では作らなくてもいいけれど、料理ができる人であったほうが生き延びやすいのではないでしょうか。

石川:その知識とか知恵はどうやって学べばいいのでしょうか?

阿古:若いうちは学校の家庭科で学ぶことができますよね。ただ、学校の授業では家庭科はあってもなくてもいいように思っている人もたくさんいますし、学校教育の中でもほとんど時間が割かれていません。教科書だけはあるので、授業でカバーしきれなかったとしても、教科書を見て参考にすることはできます。以前、農業史研究者の藤原辰史(たつし)さんと対談させていただいたことがあるのですが、そのときふたりで「家庭科の時間が少なすぎておかしい」という話をしたことがあります。家庭科だけが大切だとは思いませんが、家庭科は教育の基本であるはずなのに、そう認識されていないのではないかと。

石川:それはどういう意味で?

阿古:「なぜ学ばなければならないのか」ということを、いちばん伝えやすいのが本来は家庭科なんです。それは料理に限らず、生きていく術でもあり、生活を理解するベースでもあるからです。実は家庭科が背景にあるということを前提として、他の科目があったほうが本当は子どもたちに伝わりやすい。若ければ若いほど、特に子どものうちは、自分に引きつけてものを考えないと理解できないと思いませんか。自分たちの生活に密着させて、具体的で身近というところが共感する部分で、たとえば算数では「リンゴとミカン」を例に出すわけです。「xとy」は中学生になるまで出てきません。

石川:確かにそうですね。

阿古:算数の計算がなぜ必要なのかと言えば「買物をしたときに、お金の計算ができないと困るでしょう」と言えばわかりやすいですよね。だから「リンゴとミカン」なんだと思います。「何のためにこれを勉強しなければならないのか」と子どもたちはどこかで思うし、常に思っている子どもたちもいるわけで。学ぶ理由を知らないままに大人になって、後から「あのとき、ちゃんと勉強しておけばよかった」ということになる。だから生活と密接に結びついた家庭科は重要な科目であると思っています。

石川「主観的なウェルビーイングには、選択肢と自己決定が大きく影響する」

石川:その家庭科の中でウェルビーイングを教えていくという動きがありまして。

阿古:そうおっしゃっていましたね。

石川:そこでウェルビーイングについてちょっと話をさせてください。ウェルビーイングは客観的なものと主観的なものに大きく分けられます。客観的なものはわかりやすくて、「これは健康にとって正しい」というようなことですが、難しいのは主観的ウェルビーイングのほうで、3つの側面で考えられています。その3つとは「体験と評価と意味」なんです。

阿古:それはどういう? 少し説明していただけますか。

石川:体験はある出来事や現象をどう感じたかという、本人もコントロールがきかない直感。その評価、さらに意味づけは、理性的な振り返りのようなもの。主観的ウェルビーイングとは、人がある現象をどう直感して、どう評価して、さらに自分にとってどのように意味付けたかということなのです。重要なのは、「主観的なウェルビーイング」には、選択肢と自己決定が大きく影響するということなのです。人はいくつかの選択肢の中から自己決定したという感覚があると、それをポジティブな体験、よい評価、意味があったと思いやすくなるからです。自己決定は本人たちの問題なので、結局、教育でできることは「選択肢を提示すること」なんですね。今は家庭科でもSDGs的な選択肢を提示していますが、これがウェルビーイングになると、日本の場合、伝統的に「善」とか「美」の話が入ってくる気がしているのです。だから難しいなと思っていて、どういう選択肢を子どもたちに提示できるのかと考えています。

阿古:自己決定も誘導される場合があるから怖いですけれど。他に選びようがなかったのに、「それ、自分で選んだんでしょ」と言われるような。

石川:そうですね。だからこそ選択肢の提示の仕方がすごく大事で。

阿古:どれも同等に価値があると示せないと。 

石川:選択肢があって自己決定ができるというのは、仕事ではなかなかうまくはいかなくても、料理という行為においては手軽にできるという感じがありますね。

阿古:そうですね。今、テレビ東京系で放送中のドラマ『きのう、何食べた?』season2でも、主人公の筧史朗さんが、仕事のストレスを料理することで解消していくとか、気分転換を図っていくというようなことを、何度かセリフで言っているはずです。それに、料理は自信になるのです。私自身の体験で言うと、うつで料理ができない時期が何ヶ月かありました。病気で仕事がなかなかできないし、自分自身のキャリアの問題もあって、苦しい時期でした。でも、少し回復してきて、もう一度台所に立つことを何年か続けたことで、まわりはキャリアを築いているのに、私は何もできなかったと思う一方で「少なくともごはんだけは作ってきた」と思えたことがあって。たまたま研究対象で選んだのが食なので、余計にその想いは強かったんですけれど。ごはんを作ってきたということは、台所の担い手の精神を支えている部分がおそらくあるんです。ごはんを作ってきた、家族に食べさせてきたということは、知らないあいだにその人の自信になっている。世の中のおばちゃんたちが元気で明るく見えるのは、たとえ悩みを抱えていたとしても、「私はみんなのためにごはんを作って、この子はこんなに大きくなったんだ」と無意識かもしれませんが、その人に自信を与えている部分があると思います。

石川「よい時間の使い方の選択肢のひとつに、“料理をする”というのもあるんだよ、と提示する」

石川:家庭科の話に戻りますが、お金をどう扱うかということに加えて「自分の時間をどう過ごしますか」ということも重要です。「いい時間の使い方とは何なんだろう?」という話です。たとえば、外食チェーン店に入って、サッとごはんを食べるとします。入って10分で出てきました。いっぽう、料理を作って食べて、後片付けをすると、時間がかかるじゃないですか。それに比べると、外食では当然時間が余るわけです。その時間を自分は何に使いたいかを考えるのも家庭科です。外食で余った時間を「こう過ごしたい」と考えたけれど、実際はスマホを見て終わってしまったとか。

阿古:はい、ありますね。

石川:でも、僕はよい時間の使い方の選択肢のひとつに、料理をすることもあるんだよということを、子どもたちに直感的に体験としてわかるような、そういうことを家庭科で教えられるといいなと思っているんです。

阿古:以前、料理家の上田淳子さんが息子さんたちの話をされていました。料理の習慣をつけさせるために、息子さんたちが中学生ぐらいのとき、雨で外に出られない暇そうな週末に「料理をすると楽しいんじゃないの」と提案されたとか。

石川:それはいいですね。提案することは大事で、決して強制とか命令ではない。料理は買物も片付けもありますし、その一連のことをくり返していくと、すごい自信になりますね。筋トレと似ているかもしれないですね(笑)。ジム通いも料理と似たところがあって、ジムに行くまではみんなイヤなんです。めんどくさい。でも、行ってやり始めたら、なんだか気分がよくなって帰る。

前田:そのうち「行かなくちゃ」と思うようになって(笑)。

石川:習慣化のステージというのがあって。ざっくり言うと、「始める理由」と、「続ける理由」と、最後は「やめられなくなる理由」。始める理由はほとんどの人はちょっとしたきっかけなんですね。続ける理由は、大体楽しいから。ただ楽しいからだけだと長く続かなくて、やっぱりやめられなくなる理由が必要なんです。たとえばジョギングだったら、もう走らないと気持ち悪いとか。

前田:そうそう。

石川:そこまでいくと本当に続くんです。料理も、もしかしたら似たところがあるのかなと思います。

阿古:家庭科で、時間の使い方のひとつとして、料理が提示されるというのはすごくいいことですね。

石川:阿古さん、家庭科の教材を作ったらどうですか?

阿古:「家事をしていこうよ」とか、家庭科の意味をちゃんと問うものはやりたいですね。

石川:阿古さんのお話にはすごく手触り感があるので。

前田:自分にひきつけてじゃないと理解できないとか、算数の「リンゴとミカン」の話もすごく腹落ちしました。

阿古:私自身が子どもみたいなところがずっとありまして、具体的じゃないとダメなんです。

石川:家庭科の教科書、今、どんな内容になっているんでしょうね。ぜひ、いくつか中身を勉強して、またこの対談をしてもおもしろいかもしれませんね。

阿古:それはいいですね。ぜひお願いします。

石川:「家庭科こそ教育の基本だ」という先ほどのお話、本当にその通りですよね。

阿古:それを記事にしたとき、家庭科の先生からコメントをいただいたことがあります。「よくぞ言ってくれた」と。

石川:次回、ますます発展しそうですね。本日はありがとうございました。