『阿古真理さん/作家』との対談を振り返って

ウェルビーイング研究の第一人者・石川善樹さんが各界の著名人と対談しながら『ウェルビーイングの旅』に出るこの連載。前回の阿古真理さんとの対談をスタッフが振り返り、何を思い、何を実行したかを披瀝し合います。初めてご覧になる方はVol.11の阿古真理さんと石川善樹さんの対談をご一読いただいてから、この振り返り対談をお楽しみください。

第11回 石川善樹×阿古真理
「日本の家庭料理の変遷について語り合いましょう」

阿古真理(あこ まり)
1968年、兵庫県生まれ、神戸女学院大学文学部を卒業後、コピーライターとして広告制作会社に勤務。その後、フリーライターとして活動を開始し、東京都に拠点を移す。現在はくらし文化研究所を主宰し、作家・食文化を中心とした生活史研究家として、さまざまな媒体で執筆。講演活動も行う。2023年、食生活ジャーナリスト協会主宰の『第7回食生活ジャーナリスト大賞(ジャーナリズム部門)』を受賞。著書に『小林カツ代と栗原はるみ―料理研究家とその時代―(新潮選書)』、『日本外食全史』『家事は大変って気づきましたか?』(ともに亜紀書房)など多数。

(参加者)
石川善樹/予防医学研究者、博士(医学)
(スタッフ)
酒井博基/ウェルビーイング勉強家
前田洋子/ウェルビーイング100byオレンジページ編集長
今田光子/ウェルビーイング100byオレンジページ副編集長
中川和子/ライター

文/中川和子


今田:毎日、息子の食事を作る母親として、彼のオリジンは私の料理にかかっているんだと思うと、ちょっと息苦しくなります

石川:阿古真理さんとの対談を聴いて、みなさんの感想や記憶に残ったことを教えていただけますか?

前田:たぶん明治の頃からずっと、政府によっていろいろな生活改善の運動が行われていた。特に台所改善運動で、農村の女性たちが自分たちが作った作物を売り、お金を得ることで自立の第一歩を踏み出したという話が印象に残りました。それから、食のオリジン(原点)を知らないとオリジナルが作れないということも。

今田:毎日、息子の食事を作る母親として、彼のオリジンは私の料理にかかっているんだと思うと、ちょっとプレッシャーというか、息苦しくなるといいますか。「こういう食事をとるべきだ」と思って作っているのではなく、息子の喜ぶ顔が見たくて作っているので「この味の原点は〜」という話になると、自信がなくなってきて、どうしようと思います。

前田:料理をしない人が増えているというのも興味深かったですね。このメンバーでいうと、中川さんは料理をしない人ですよね。料理をしない人に、いきなりレシピを与えるのは逆効果という話も出ましたけど。

中川:未だに家庭料理が第一というのが、私にはちょっと疑問があって。海外、特にアジアに行くと、ホウカー(屋台街)があって、そこで家族で食事をしているのが普通の生活だったりするじゃないですか。もちろん家庭料理は大事だと思うけれど、毎日作らないといけないと思うと、相当しんどいだろうなと。特に仕事をされている方は大変だと思います。私自身も料理をしたくないわけじゃなく、ライターとしては「明日、締切だ!」と思って原稿を書いていると、やっぱり料理をしようという余裕がないんです。

石川:全くしないんですか? 

中川:ほぼしないです。ごはんだけは炊いて冷凍しておいて、あとは主菜と、副菜になる野菜系のお惣菜を買ってきて、味噌汁も忙しいとフリーズドライのものを使います。一応、その4点で定食風にはしていますが、味付けらしい味付けはしていないです。

石川:オレンジページでは“料理の定義”ってあるんですか?

前田:オレンジーページで料理の定義を話し合ったことはないですね。オレンジページメンバーズのコミュニティには19万以上の登録者がいるのですが、アンケートを取ると、人によってどこからかかわったら「料理した」と定義するというのは違っています。

今田:買ってきたお惣菜に何かを添えただけでも、料理をしたととらえる人もいますし、人によって違いますね。「料理しないのは罪悪感があるので、料理した実感は得たい。でも手間はかけたくない」というかたに人気なのが、味付けがそれ1つで済むおかず調味料のようです。

前田:いわゆる“ていねいな暮らし”をしていて「梅干し漬けます」「基礎調味料作ります」みたいなすごい人からいろいろな段階があって。だから料理の定義というのは、すごく簡単なことになるかもしれないけれど、“そのままでは食べられないので人間が何かしら手を加えたもの”ということになるかもしれません。

石川:米を炊いている時点で、実際に料理をしていますよね。

酒井:米を炊いたら立派な料理ですよ。

中川:ありがとうございます(笑)。

酒井:学生の頃、500円ずつ出し合って集まり、僕が料理当番をするようになったんです。そうすると、お互いの食文化の違いを認識するようになりましたね

前田:酒井さんは料理をする人ですよね?

酒井:どうして料理をするようになったかと言うと、和歌山県出身で、関西から東京に出てくるときに、母親にものすごい呪いをかけられて。「関西では安くて美味しいものが外で食べられるけど、東京は高いし、うどんの汁は黒いし」と(笑)。自分の口に合うものを食べる手段として、東京では料理をしなきゃいけないと言われたのが最初ですね。

中川:私も関西出身で東京に出てきたので、よくわかります。

酒井:学生で仕送りの中で生活していくためには、やっぱり作らないといけないなと。だけど、母親から料理を教わったわけじゃなくて、東京に来てからレシピ本を1冊買って、それを見ながら。だから対談を聴いて、改めて食のオリジンって何なんだろうと、自分の子どもには自分の料理の味を引き継げないかもしれないと思いました。

中川:ひとり暮らしになると、自分でやるしかないですよね。私も学生時代、少しやっていました。ひとり分の量がわからず、太った記憶があります。

酒井:学生の頃、みんなお金がないので、少しずつお金や食材を持ち寄って、それで作ったほうが美味しいものが食べられるということがわかってきて、500円ずつ出し合って、僕が料理当番をするようになったんです。そうすると、お互いの家庭の文化、食文化の違いを認識するようになりましたね。

前田:私も、大学時代にみんなで集まって1日中、ダラダラと料理をしたことがあります。毎日、同じ学校に通っていて、同じようなエリアに住んでいても、食べるものが本当に違うんですね。いちばん驚いたのは、目の前でがんもどきを作り始めた友だちがいたことです(笑)。

中川:今やネタになっていますけど、カレーの肉は何を使うかとか、地域によって違いますよね。関西で肉といえば牛ですけど、地域によっては豚を入れるとか。

石川:自分の食の原点がどこなのかというのは、他人と比べないとわからない。日本人と、たとえばブラジル人を比べたら明らかに違うじゃないですか。今田さんみたいに苦しく感じる必要はないと思います。原点になるものはもうできていて、それを自覚するためには、他の人と一緒にごはんを食べるといいですね。

前田:生きるためには食べなきゃいけない。根源的な“食べる”という行為で「あ、生きてるな」って思うのは、確かにうらやましい

石川:みなさん、『土を喰らう十二ヶ月』という映画を観ました?

※『土を喰らう十二ヶ月』……水上勉の名著『土を喰らう日々――わが精進十二ヶ月――』をもとに映画化、2022年公開。人里離れた長野の山荘で暮らす作家のツトム(沢田研二)が、畑で育てた野菜や山で採れた山菜などを自ら料理し、人々と交流する人間ドラマ。料理研究家の土井善晴が料理を担当した。監督・脚本は中江裕司。

酒井:観たい映画のリストに入れてあるんですけれど、まだ観てないです。

前田:原作は水上勉ですね。石川さん、もうご覧になったんですか?

石川:文庫本だけ読んでおもしろそうだなと思って。映画はまだ観ていないんですけれど。主人公が人里離れた自然の中で、畑や山で採れたもので精進料理を作って食べたり、訪ねて来た人をおもてなししたり。それを12ヶ月。こういう生活っていいな、生きている実感がすごくあるんだろうなあと。分業化された中で生きていると、あんまり生きている実感ってないでしょう。

前田:私も原作を読みましたが、自分で掘り出した、土の香りのする里芋を食べて「あ、生きてるな」って思うんだろうなと思うと、確かにうらやましいです。

石川:今まで手を出してなかったんですけれど、魚をさばけるようになったんです。

中川:わ、すごい。今、切り身で買ってくる人が多いんじゃないですか。

今田:私、たまに釣りをするんですけれど、父がコノシロを釣って、持ち帰るために血抜きをするんです。エラを切るんですけれど、切っても頭を取ってもピクピク動いていて。「あなたの死は無駄にしない。ありがたくいただくぞ」と思いながら、それでもかまわずにさばいたんですけれど。生きていたものをさばいてそれを食べるというのは「いただきます」とか「ごちそうさま」ってどういうことなのかと、考えさせられたりします。

石川:『土を喰らう』もそうなんですけれど、僕、精進料理に関して興味があります。大根ひとつ料理するのでも、大根の部位によって調理法や味付けを変えるとか、すごい工夫があるみたいですね。

前田:どうして今、精進料理にご興味が?

石川:さっき言った「生きている実感がするだろうな」ということで。僕は小さい頃から、いつか自分がホームレスになるだろうという、不安というか予感を抱えて育ちました。電車の乗り方も中学生ぐらいになるまでよくわかっていなかったし、都会の中で生きていく術を理解するのがすごく遅くて「大丈夫なのかな?」とずっと思っていました。他の人がパッとわかる世の中の仕組みが、なかなか理解できない。理解が遅いので、自分はきっとホームレスになって苦しい思いをしながら生きていくんだろうなあと、今も思っているんです。その中で、精進料理の人たちは、自然の中でしっかり生きているというような感じに見えるんです。

今田:楽しく美味しく工夫して、感謝して。

石川:今の時代、感謝したり、食べさせていただくとか、本当の意味での「いただきます」と思っている人っていないんじゃないですか。

前田:食べながら、だいたい他のことを考えていますものね。

石川:感謝と謙虚、これは精進料理にヒントがあるんじゃないかと。まあ、あんまり触れたことがないので勝手に思っているだけなんですけれど。

石川:生きているとか生かされているとか、そういう実感は、大根ひとつでもいいんだと思うんですよ。

石川:みなさんに見てもらいたいアニメ『まんが日本昔ばなし』に『あにょどんのデコン汁』があるんですよ。

中川:『あにょどんのデコンじる』?

石川:「おにいさんの大根汁」ですね。僕、数々見てきましたけど、ベスト3に入ると言ってもいいぐらい。これを見ると、大根ひとつでこんなにウェルビーイングなのかと。

※『あにょどんのデコンじる』……アニメ『まんが日本昔ばなし』の一編。鹿児島県桜島の民話をもとにしている。なまけものの兄と働きものの弟の、大根汁をめぐるほのぼのとしたストーリーで、登場する大根汁がとても美味しそうに描かれている。

今田:そうなんですか。見てみます。

石川:生きているとか生かされているとか、そういう実感は、この話のように大根ひとつでもいいんだと思うんですよ。いろいろな料理、あれもこれもじゃなくてもいいと思う。これがあったら生かされている実感があるんだという、僕はこれをずっと求めているような気がするんです。『あにょどんとデコン汁』みたいなことがあれば、自分は生きていける。

前田:そうなんですか。

石川:自分が立ち戻れる原点になる。阿古さんとのお話で出てきた“原点”は、どういう素材でそれをどう調理してという話での原点だと思います。そう考えると、今田さんのように難しく感じるかたもいるかもしれませんが、僕の原点は、ただ、大根ひとつなんですよね。次回の対談の前に、阿古さんにもぜひ『あにょどんのデコン汁』を見ていただいて。

前田:はい、次回までにお伝えしておきます。この味がわが家の原点だということではなく、その人が生きていくとか、感謝とか謙虚とか、そういうことの原点を考えてみませんかということで。

石川:お願いします。

酒井:われわれも『あにょどんとデコン汁』を見ます。本日はありがとうございました。