『山口祐加さん/自炊料理家』との対談を振り返って

ウェルビーイング研究の第一人者・石川善樹さんが、各界の俊英と対談しながら『ウェルビーイングの旅』に出るこの連載。「対談」のあとには「それを聞いていたスタッフとの振り返り座談会」を行っています。せっかく「対談」という素晴らしい場にいても、それを聞いてどう思い、何を実行したか、お互いの解釈を披瀝し合わないといい経験にならない……という石川さんの提案によるものです。ということでvol.9の対談をお読みいただいたかたはもちろん、ここから初めてご覧になるかたは、vol.9の山口祐加さんと石川善樹さんの対談を、ぜひご一読いただいてから今回の「振り返り座談会」をお楽しみください!

第9回 石川善樹×自炊料理家/山口祐加
「自炊から、ウェルビーイングについて考えましょう」

(参加者)
石川善樹/予防医学研究者、博士(医学)
(スタッフ)
酒井博基/ウェルビーイング勉強家
前田洋子/ウェルビーイング100byオレンジページ編集長
今田光子/ウェルビーイング100byオレンジページ副編集長
中川和子/ライター

文/中川和子


石川:人が美しさを感じている時に反応する脳の部位は、自分自身について考えている時の部位と一緒なんです

前田:今日は自炊料理家・山口祐加さんとの対談の振り返りです。よろしくお願いします。私はあの中で石川さんがおっしゃった「真善美」がすごく気になって「これは善なのか」「これは美なのか」とか考えるようになりました。いろいろなことを考えるきっかけとして、すごくいいことを教わったなあと思っています。

酒井:「真善美」の話が「食」の話と絡められて、すごく新しい発見があったのがおもしろかったのと、「美」という字が「美味(おい)しい」にも当てられていて、味覚だけではない「美」という価値観が「食」には深い関わりがあるんだなあという話を家族でしました。

石川:どうして「美味しい」と書くんでしょうね?

前田:美味しいものを食べると、人間は嬉しくなったり、感動したりする。そこに価値があるということにつながっていくんでしょうか?

石川:「よい」っていろいろな漢字があるんです。「好き」の好いもあるし、「善」の善いもあるし「良い」の良いもある。「美」というのは「好き」の「好い」に近いのかなと思っているんです。「美」って個人的な好き嫌いがあるし。

酒井:心の中から湧き上がってくる感情の中で、「美」って同じものを見ても「美しい」と感じる人と感じない人がいるのがすごく興味深いですね。

前田:ピンクのバラに真珠がついているみたいなのがきれいっていう人もいれば、そのバラがちょっと枯れているところがきれいっていう人もいるし。自分が好きなものを美しいと感じるんでしょうか?

石川:脳の活動をみていると、人が美しさを感じている時と、自分自身について考えている時に反応する脳の部位は一緒なんですよ。だから美しいものに触れれば触れるほど自分が磨かれるし、自分を磨けば磨くほど美しいものを発見できるようになる。どれだけ美しさを意識して日々生活しているか、みなさんはどうですか?

酒井:できるだけ美しさを感じられるような状況でありたいという願望はありますね。歩いていても、その風景の中から美しさを見出すというか。コンディションがいい時って、美しいと思えるものが多いような気もします。

前田:確かにすごく悩んでいたり悲しかったりすると、まわりが目に入らないですものね。

酒井:今、ビジネスの業界でも「真善美」ってすごく語られるようになっていて、美意識が重視されつつあるようです。なので、人が自分自身のことを考えるときに使われる脳の部位と美を感じる時の部位が一緒だというのはすごく知的なことだなあと思います。今、美大時代を思い出したんですけれど「なぜこれを美しいと思ったのか」ということを言語化して、話す訓練をさせられましたね。客観的に美しいというより、なぜ主観的に美しいと思っているのかを。

前田:私も美大時代のことを思い浮かべると確かにそういうことがあったし、美術作品を、これはなぜ美しいのかというのを説明させられたり。

今田:一般的には若い時って、自分がほんとうに好きとか美しいと思うことよりも、時代の流行だったり、まわりの友だちの価値観とかに流されてしまいがちで。自分なりの美意識とか「私はこれを美しいと思っている」という価値観ができるのは、年齢を重ねて大人になってからじゃないかと思うんです。でも、美大生の場合、学生のうちから「自分にとっての美」と向き合う時間をもたされることで、大人になるきっかけが与えられているように思いました。

前田:それですぐ大人になれないけどね(笑)。

前田:「○○道」とつくものは、みんな男の人が創っているんですね。概念をつくるのは男の人のほうが得意だったんでしょうか

石川:「美道」がないのはどうしてなんでしょう? 「○○道」って、だいたい男がつくってきてるじゃないですか。女性が始めたものって料理研究家などで「料理道」ってないじゃないですか。家事道も、美道も。どうしてなんだろう? 女性が始めたもので「○○道」ってありますか?

前田:ないですね。

石川:でも日本の歴史を振り返ると、ひらがなは女性が主に使い始めたり、紫式部の「もののあはれ」という情趣とか、「※手弱女(たおやめ)ぶり」とか、日本の美の原点はけっこう女性がつくってきたんだなと思うんです。

※手弱女ぶり……『古今集』以降の勅撰集にみられる優美で繊細、女性的な詠みぶりのこと。

酒井:確かにそうですね。

石川:ところが茶道だって、女性が広くやり始めたのは戦後ですからね。花嫁修業として、ターゲットをそこに絞って広めたわけですから。

酒井:華道も始めたのは男性ですね。

前田:「美」は「美道」ではなく「美術」っていいますよね。

酒井:「道」じゃなくて「術」。

石川:柔道も、いろんな流派があった柔術を、嘉納治五郎が「柔道」にした歴史がありますからね。剣術が剣道。美大は美術大学であって、美道大学ではないですよね。

前田:美道って見たことがないですね。美術、武術、剣術、柔術、芸術。武道、剣道、柔道、芸道って、「術」がついたものはみんな「道」になるんだけど、「美術」は「美道」になってないですものね。

酒井:「美道」で調べると一応出てくるんですけど。「男色の道」って出てきますね。それはそれで不思議ですね。

前田:「○○道」とつくものはみんな男の人が創っているんですね。それをやることの価値とか概念みたいなものをつくるのは、男の人のほうが得意だったんでしょうか。

石川:男は暇だったんじゃないですか(笑) 女の人は忙しかった。男は暇だったから剣を振ったり、お茶飲んだり。美道ですら男の人がつくったんでしょう。

前田:茶道は中国からやって来て、お寺から広まったじゃないですか。最新流行の飲み物だったんでしょうね。

石川:あれは薬だったんです。「わび茶」は村田珠光でしたっけ? それを千利休が「茶道」にして美しくしたんじゃないですか。

前田:そうすると「○○道」をつくるには暇じゃないとダメなんでしょうか。

石川:そんなことやってる人は明らかに暇ですよね(笑) 余裕がないとできない。

今田:確かにそれだけをもっぱらにできる人じゃないとつくれないかもしれないですね。臨機応変にいろんなことをあれこれやっていかないといけない女の人には難しいかもしれません。

酒井:男性も料理をしていたら「料理道」になっていた可能性はあるんでしょうか?

石川:男性はやっていましたよ。殿様の料理を作ったりするのは基本、男性じゃないですかね。

酒井:ああ、そうだ。それなのにどうして料理は「料理道」にならなかったんでしょうね。

中川:「いい人生」と「美しい人生」はどこが違う?

石川:みなさんにとって美しい一日ってどうですか? どういう生活になるんですか? 家に帰って「今日は一日美しく生きたか。生活したか?」って振り返ることはありますか? 振り返るときはどういう基準で振り返っていますか?

酒井:「美しい」という基準では考えていないなあ。

前田:「ああ、今日はいい日だった」って思うことはあるけど、今の生活の中で「今日、自分は美しく生きた」と思えるのは、ちょっと気になっていた時間のかかる家事をしたとか、掃除をちゃんとしたとか。そういうときに気分良く「ああ、今日の私、よくやった」っていうふうに思える時が、もしかしたら「美しく生きた」感覚にちょっと近いのかなと思います。

酒井:今日一日の出来事を神様に見られていても大丈夫、みたいな。ご先祖様でもいいんですけど。美しい一日となると、姿勢を正すような。そんな日はめったにないな(笑)。

今田:私は「区切り」がついた日ですかね。たとえば本を一冊読み終えて得るものがあったとか、自分の担当した本が校了したとか。
あとは、いつもより家事や料理をがんばって家族にもほめられた日、桜や夕焼けがきれいで感動した日、人にすごく優しくされた日も、「今日はいい日だったな」と思います。

中川:今、今田さんがおっしゃったような「今日はいい日だったな」というのが1週間とか1ヶ月の中で割合として多くて、それが積み重なっていったら美しい人生になるような気がします。ただ、難しいですね。「いい人生」と「美しい人生」はどこが違うのかというのが。 

石川:「美しい人生」ってどういうイメージですか? 壮絶な略奪不倫の末、最後は円満にみたいなのをみると美しいっていうのでしょうか

前田:たとえば瀬戸内寂聴さんみたいな人はどうなんでしょう。

石川:略奪の女王といわれた。

前田:でもそれを小説にしたらベストセラーになって、本人も有名になったのに、50代で出家してますよね。

石川:渡辺淳一さんも似たような感じじゃないですか。

前田:渡辺淳一さんの小説の登場人物もすごいですものね。『失楽園』とか「えー!」と思いながら読むんだけど、情景として美しい。

石川:社会の規範からみたら善くないようなことも美しくみえる。それは本人が意志を貫き通しているから

前田:石川さんは最近、「今日は美しく生きたか」と振り返ったりするんですか?

石川:いや、振り返りはしないんですけど「美しい」という観点で日常を見るようになりました。「いい人生」ってひと昔前は「いい学校、いい会社、いい人生」っていうイメージでした。「美しい人生」は、みなさんあんまりイメージがないってことは、普段、そういう観点で物事を見ていないからだと思うんです。「善」と「美」は似てるところもあるけど、言葉が違うので、たぶん違うんですよね。瀬戸内寂聴さんなんかは、善いかと言われたら、社会の規範からみたら善くないような気がするじゃないですか。でも美しくみえる。それは本人が意思を貫き通しているからだと思うんです。「美」ってほんとうに個人的なものだから。自分がほんとうに納得している生き方かどうかだと思うんですね。本人があの生活しかできなかったんだっていう。結局、美しさって「それしかできない」ってこともあるんですかね? 茶道における美で言えば、いろいろ考えた結果、お茶の出し方はこれがいちばんいいんだ、ふすまの開け方はこれだ、みたいな。

前田:生き方といえば瀬戸内さんもそうだけど、たとえ道徳的には批判されるようなことがあった人でも、意志を貫き通したら、それは美しい、というのはあるでしょうね。

石川:みなさんにとって善くはないけど、自分にとって好きなことってどんなことですか?

前田:禁煙する前だとタバコだったんですけどね(笑)。若い頃、最初にタバコ吸ったときは、森茉莉という小説家の作品の中に出てくる美少年がタバコを吸うシーンがあって、ポールモールというタバコなんですけど、ポールモールを吸ってその気分になっていました。今思うと恥ずかしい話ですけど(笑)。よくはないけど、美しいってこともありますよね。酒井さんも禁煙されてますよね(笑)。

酒井:今は「どうして吸ってたんだろう」と思います。前田さんと同じように、ちょっと背伸びして「こういうのが大人なのかな」みたいな感じで。やっぱりタバコを吸ってるシーンが多い映画とか、それに憧れるというか。

中川:恋愛とかも別にしなければしないでいいんだけど、人間だからいい恋愛もそうじゃない恋愛もいろいろあって。不倫も貫き通したら純愛みたいなこと、よく言いませんでした?

前田:よく言いましたよね。ひとりが貫き通したいと思っても、片方が貫きたくなくなっちゃうのがだいたいのケースなので、そこは難しいんじゃないですか(笑)。

中川:確かに。

前田:あと、お酒なんかもそういうところがありますよね。

中川:タバコは今や、健康への悪影響で完全に悪者。テレビドラマでもタバコを吸うシーンはなるべく放送しないという傾向にあるそうです。

酒井:そういう意味では、価値観によって「美しい」ってすぐ変わってしまうんですね。

前田:美しいということに関しては、美大では考えることがあったけど、最近はほんとうにそういうことを考えないできてしまいました。

酒井:そういう観点で物事を見てないですね。美を感じやすくなる、美の感度といいますか、美意識を鍛えるにはどうすればいいんでしょうか?

中川:手っ取り早いのは美しいものにふれることじゃないでしょうか。それは絵でも自然でも。そういう中に身を置くとか、ふれる時間があったほうがいいのかなと思います。

前田:そう考えていくと茶道っていいかもしれないですね。石川さん、美を頭に置いて物事を観るようになって、ご自身は変わりました?

石川:歯間ブラシを使うようになりました。

一同:

石川:抹茶をたてるようになったり。

前田:それは茶道を習っていらっしゃるということではなくて?

石川:自分で勝手に。茶器をつくっている※朝日焼の松林さんという友人と話しているうちに、ちょっとやってみようかなと思って。

※朝日焼……京都府宇治市にある窯元。約400年前の慶長年間に初代が窯を築く。小堀遠州から窯名の「朝日」を与えられ、「遠州七窯」のひとつとされる。現在の当主は十六世の松林豊斎氏。

前田:お茶をたてるといろいろ気づくことがあるんでしょうか?

石川:まだあんまりわかってないです(笑)。茶道はおもてなしを通じた美意識のトレーニングになるって言われたんです。だから僕は美を意識してから「半歩先のおもてなし」をキーワードにしています。

前田:「半歩先」ってどういう感じなんでしょうか?

石川:相手の立場に立って「きっとこうしたいんじゃないかな」というのを事前にイメージして、用意しておくみたいなところですかね。「相手のために」ではない。相手の立場に立って考える。相手のためにだと、こっちの欲望の押しつけになることが多いんです。そこは立場で考えた半歩先ですね。

前田:その人の行動を予測して?

石川:予測とも違うんです。その人と同一化するみたいなイメージ。そうすると相手がどういうことを考えているかわかってくるから。相手の人になってみるっていうこと。たとえば、親が子にすることって、子どものためにと思っているけど、子どもの立場で考えていないことがほとんどなんです。「塾に行きなさい」「早く宿題しなさい」。子どものために無理矢理やらせているんですけど、美しさってそういうところから生まれなそうだなーと。

前田:「半歩先のおもてなし」ってカッコいいですね(笑)。

石川:相手の立場に立った結果、厳しい決断になることもあると思うんです。「この人の立場で考えると、自分とは関係性を切ったほうがいいだろう」とか。相手に楽をさせるということじゃないですからね。

前田:なるほど。

石川:茶道で亭主がお茶を出す時って、器のここの部分で飲むとちょうどいいという角度で出すんです。客はそこから軽く器を2回まわす。亭主がベストポジションだと思うところから、あえてずらすというわけのわからないことをする。どうしてなのかわからないですけど。美学なんですかね。

前田:どうしてなんでしょう? 謙遜なんでしょうか。

石川:そういえば「美」は「美学」っていいますね。

前田:今日もまた、たくさん考えることが出てきました。

石川:肝心なのは、美しい生活とか美しい人生のメージがあんまりなかったってことですね。

前田:ほんとうにないです。

石川:あんまり意識してないからです。意識している人はたぶんパッと出てくる。便利な生活とか豪華な生活はすぐイメージできるじゃないですか。

酒井:美しい生活という視点で物事を考えたことはなかったですね。

石川:チーム美大(前田と酒井は美大出身)の人たちが、考えたことがないというのは由々しき事態ですね(笑)。

前田・酒井:ほんとにそう思います。

前田:自分の一日が美しかったかなんて考えたことないですよ。一日とか人生とかいう言葉が入ってくると、善と美がごちゃごちゃになっちゃって。これからもっとそれを考えていかないと。

石川:これがないと、人が生きる上での食の位置づけがたぶんあんまりわからないんじゃないですか。

酒井:食と美がこんなに深く関わっているということが想像できなかったです。

前田:料理に「料理道」があるかないかということと、大きく関係しますものね。食と美って。

石川:上原隆さんを知っていますか? ノンフィクションの作家さん。市井の人が挫折したときにどう立ち直るのかみたいなテーマで、素晴らしい作品ばかりです。『友がみな我よりえらく見える日は』とか、『喜びは悲しみのあとに』とか。彼の作品に老夫婦の一日の話があります。老夫婦の何もない一日が朝から夜まで描かれるんですけれど、なぜかすごい美しいんですよ。ぜひ読んでみてください。

前田:『友がみな〜』は気になっている作品でした。読んでみます。本日もありがとうございました。