自炊から、ウェルビーイングについて考えましょう(第5回ゲスト 山口祐加さん/自炊料理家)

今回からウェルビーイングを巡る旅の入り口は「食」!

この連載では、ウェルビーイング研究の第一人者・石川善樹さんとゲストとの対談、さらにスタッフとの振り返り座談会で様々なキーワードを掘り起こしてきました。今回からはウェルビーイングを旅する入り口を「食」とし、エキサイティングな対話を展開します! さあ、この道はどこに私たちを連れて行ってくれるのでしょうか。 
今回の対談のお相手は自炊料理家の山口祐加さんです。日本の自炊率の低下を憂え、買い物から片付けまでを寄り添いながら指導する山口さん。料理との向き合い方の変化や美意識について、白熱した対談になりました。
進行/ウェルビーイング100byオレンジページ編集長/前田洋子
文/中川和子
撮影/原 幹和(山口さん、書籍)


石川善樹(いしかわよしき)
予防医学研究者、博士(医学)
1981年、広島県生まれ。東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。公益財団法人Wellbeing for Planet Earth代表理事。「人がよく生きる(Good Life)とは何か」をテーマとして、企業や大学と学際的研究を行う。専門分野は、予防医学、行動科学、計算創造学、概念進化論など。近著は、『フルライフ』(NewsPicks Publishing)、『考え続ける力』(ちくま新書)など。
https://twitter.com/ishikun3
https://yoshikiishikawa.com/

山口祐加((やまぐちゆか)
自炊料理家®︎
自炊をする人を増やすために活動する自炊料理家。「自炊は食事を作る行為にとどまらず、人生をより豊かにするための手段である」をモットーに、料理初心者に向けた「自炊レッスン」を行うほか、noteやVoicyなど多方面から料理をすることの楽しさを発信。著書に『楽しくはじめて、続けるための自炊入門』(note株式会社)『週3レシピ家ごはんはこれくらいがちょうどいい。』(実業之日本社)など。
https://yukayamaguchi-cook.com


山口「自炊は買い物から片づけ、残った材料をどう処理するかというところまでととらえています」 

前田:今日のゲスト、山口祐加さんはたぶん日本で唯一の「自炊料理家」で、自炊と料理、それからウェルビーイングに関して、お話をしていきたいと思います。

石川:ということは、山口さんみたいじゃない料理家が多いということですか?

山口:料理を研究している人たちはたくさんいるんですけれど、自炊を研究している人はあまりいないかもしれません。私が自炊と言っているのは、買い物から片付け、残った材料をどう処理するかというところまでとしているんです。料理家さんというと、料理のレシピを作る、お皿の中の話が多いなと思っているんですけれど、それよりはもうちょっと範囲を広げたようなイメージで言っています。

石川:『オレンジページ』的にはやはり皿の中の話が多いのですか?

前田:そうですね。私たちが依頼している料理研究家という方たちは、私たちが決めたテーマに沿って、読者が必ずおいしく作れるレシピを考えてくださいます。もちろん、料理をするとか、料理をするという行為、料理って何だろうということは、おひとりおひとりは考えていらっしゃいますが、媒体からあまり求められないこともあって、それを表に出す機会がほとんどない、ということでしょうか。

山口:私はむしろ、レシピを作るのはプロの領域だと思っています。私もレシピを作ってはいるんですけれど、“料理の入口を作る人間”であって、そこから先はたくさん料理家さんがいらっしゃるので「みなさん、好きな人を見つけてくださいね」という気持ちでやっています。

山口さんの料理教室は「料理をしたことがない」という人に、調理はもちろん、買い物から残り物の処理の仕方までアドバイスする。

石川:どうして今までそういう領域の人がいなかったんでしょうか?

山口:どうしていなかったんでしょう(笑)。料理研究家さんとか料理編集者さんと話していて思うのは、やっぱり料理が好きな人たちの集まりなので、世の中の人たちがいかに料理をしていないかということに、あまり気づいていらっしゃらないのかな、と思うことも多いです。昨日教えに行ったおうちも「お米が上手に炊けないからパックのごはん買っています」と言って、炊飯さえやっていない。ライフスタイルがすごく変わってきているし、オレンジページさん自体も、紹介するレシピが昔に比べて時短のものだったり、半調理品を使ったものだったりが増えてきていると思うんですね。一方でほんとうに全く料理をしない人たちが増えてきてしまっている。外食をする、冷凍餃子を食べる、レトルト食品を食べるとかで生活しているわけですけれど、料理する人としない人の間にものすごく大きな溝があって、その溝が深いなあと思います。でも、外食ばかりの人たちも、全く自炊をやりたくないかというとそうではなかったりして「やってみたい」とは思っている、「何回か挑戦したけど日常化しなかった」という方も多いので、なんとかしてそこをつなげられないかなと思っているんですね。

山口さんの著書 左から:スマホサイズの『楽しくはじめて、続けるための自炊入門』(note株式会社)、『週3レシピ 家ごはんはこれくらいがちょうどいい。』(実業之日本社)、『ちょっとのコツでけっこう幸せになる自炊生活』(エクスナレッジ)

石川:前田さんは「山口さんがいいな」と思ったのは、どんな背景があったのですか?

前田:山口さんご自身がおっしゃったように、今までの料理研究家とは立ち位置が違っているところです。“料理しない人に簡単なレシピを提供する”のではなく、料理を「買い物から片付けまで」で自炊として捉え、子どもにも教えたり、まったくやったことがない人に教えたりしているという活動内容がすごく面白くて。いろいろお考えになっていることも具体的で、しかも新しいなと思ったので。

山口:ありがたいです。小倉ヒラクさんという発酵デザイナーの方がいらっしゃるんですけれど、その方が「『発酵食品を作っている会社』だけではどうしても古くさいイメージで、なかなか新しいお客さんが増えない。でもそこで『発酵デザイナー』という不思議な肩書を名乗る自分のような人が現れたり、20代だけど発酵食品がものすごく好きで、それを発信している読者モデル的な人が増えてくると、その領域がおもしろそうに見えてくる」といったことをおっしゃっていて。私は料理界の読者モデルみたいなのをめざして頑張っている感じでしょうか。読モはレシピの精密さとかはあまり求められないと思いますし、その領域でやたら楽しそうな人というのを私はめざしているんです。だから、料理を通じてウェルビーイングを体現している人になりたいという気持ちはありますし、私自身が料理をしていて「料理という行為は絶対に手放したくない」と思うので。料理を体験せずに「なんだか苦手」とか「やったことがない」という気持ちだけ抱えて大人になって、料理ができないと結婚できないとか、子どもを育てるためには料理しないといけないと思っている人たち。喉に突っかかる骨みたいな感じで、ずっと頭のどこかに料理できないコンプレックスがあるみたいな人はけっこう多いんじゃないかなと思っています。

石川「ウェルビーイングはその人の実感なので。他人がしているから、それと同じことをしたら自分もウェルビーイングになるのかといえば、そういうものでもない

山口:たとえば友だちの家に行って、レコードがいっぱいあって、レコードに針を落として聴いたら、それがすごく気持ち良くて「めっちゃいいじゃん、レコード」と思って、レコードを好きになるみたいな感じ。友だちの家に行って、友だちが料理を作ってくれて「一緒に作ろう」って言われて、一緒に餃子を包んで焼いて、焼けたら美味しくてビールを飲んで、「なんか料理っていいなあ!」みたいな感じで料理に親しんでもらうイメージでやっているんですよね。

前田:「楽しそう」っていう。

山口:そうそう「楽しそう、やってみたい」を入口にしたいんです。逆に石川さんがウェルビーイングのご研究をされていて、たとえば、早起きする人はウェルビーイングが高いなのか、趣味が多い人はウェルビーイングが高いなのか。ウェルビーイングの構成要素ってどんなものがあるんですか?

石川:ウェルビーイングは“健康”とは違うので、何がいいかは自分で決めないことにはどうしようもないんです。健康になりたいのだったら「○○したら健康になるよ」ということはあるんですけれど、ウェルビーイングはその人の「実感」なので。人がしているから、それと同じことをしたら自分もウェルビーイングになるのかといえば、そういうものでもないというのが特徴で。

山口:なるほど。

石川:たとえば現代アートを見ている人はウェルビーイング実感が深いとしましょう。だけど、現代アートが好きじゃない人に「現代アートはいいよ」と勧めても「はあ?」って感じですよね。結局、実感の話、究極的には「何を美しいと感じているか」ということなんだろうなと思っているんです。昔から言うところの『真・善・美』で言うと、正しさとか善さの話ではないんですよね。「正しさ」は普遍的、科学的な、例えば「からだのためには減塩するといいよ」のようなことですし、「善さ」というのは時代によってかなり変わってしまいます。女性は学校を卒業して家庭に入るのが善いとされた時代がありましたよね。科学的な正しさとか時代が決める善さを自分の満足や充足感のよりどころにするのではなく、「自分は何を美しいと思って日々生活しているのか」。自分らしい美意識というんでしょうか。本質的にはそこなんだと思うですけれど。「○○するとウェルビーイングになるよ」というのはあんまり言わないほうがいいんじゃないかとすら思っています。

山口:うーん、なるほど。

石川:人生を振り返ったときに「私は美しく生きてきたんだろうか」と。自分が美しく生きた、と思えたら、科学的に正しくなくても、その時代に善いとされることに合っていなくてもいいんじゃないですか。

山口:今の世の中って、たとえばお金の話にしても「少なくともNISA(ニーサ・少額投資非課税制度)くらいはやるべき」とか、正しさの話が多いじゃないですか。そんな中で「あなたは何を美しいと感じますか?」って、ものすごく個人的な価値観が問われている。それに対して簡単に「私はこれが好きです。美しいと思います」と答えられる人って多くはないだろうと思いますね。石川さん、そこが難しいと思ったりなさいませんか? 

石川:たとえば日常の動作でも、そこに自分なりの美意識を持って歩いたり立ったりしている人とそうでない人というのは見たら一発でわかります。僕自身は「正しさと善さ」の世界の中で生きてきたんですね。科学って正しさの話だし、特にウェルビーイングの話になってくると『真・善・美』だと「善さ」なんです。「客観的な正しさ」というよりも「主観的な善さ」の話。今の時代だとダイバーシティ(多様性を認める考え方)って善いことだとされているんですけれど、ちょっと時代や文化圏が変われば「ダイバーシティ?」と言われたりするわけで、普遍的な正しさではないですよね。あくまでもある地域、ある時代における善さでしかない。「正しさと善さ」の世界で生きてきた僕に欠落していたのは「美しさ」の部分なんですね。最近、それを強く意識するようになりました。どうしてかと言うと、自分なりの美意識を持ってそれを積み重ねてきた人というのは、表情にも表れているし、所作を見ても美しい。そういう「美意識の時代を超えた連鎖」については、職人さんを見てもそう思います。器を作ってきた人とか。代々続くなかで似通った美意識の、時代を超えた連鎖が見られるのは当人と、二世代前の職人の作ったものなんです。父親の影響はあまり受けないようです。

山口:ああ、そうですね。

石川:一世代前とは違うものになる。そうすると、どこに影響を受けるかというと、二世代前、おじいちゃんの代になるんです。それは職人の世界だけではなくて、いろいろなところで起きている気がしていて。ひとつ上の世代とはどうしても反発するところがあって、ファッションとかもそうなんじゃないですか? すぐ上の世代、10歳上の人たちよりも20歳、30歳上の人たちの影響を受けるとか。おじいさんおばあさんたちの生き方、その時代の美意識が、実は今の世代にすごく影響を与えている、それを最近感じます。日々の立ち居振る舞いとか、日々の生活を美しく生きていくことって何なんだろうって、最近すごく思っていることですね。

山口:私のおばあちゃんは今84歳で、もちろん戦争も経験していますし、すごく質素な人なんですよ。あまり派手なことは好きじゃないし、長年住み続けた家に今もひとりで住んでいて、なんてことない日々を送っているんです。でも私、そのおばあちゃんに言われた言葉がすごく印象に残ってるんです。「祐加ちゃん、結婚する人を選ぶんだったら『今日はお金がないから焼きそばでもいい?』って聞いたら『いいよ』って言ってくれる人と結婚しなさい」って。すごいいいアドバイスだなと思って。私が言ったことをきちんと受け止めてくれて、それなりに幸せを感じられるという人がいいよと。おばあちゃんの世代は戦争もあり、今のように平和と裕福さを享受できなかったと思いますが、私の世代もこれからさらに金銭的な豊かさを得られるようになれるかというと、たぶんそういう未来は待っていないと感じます。それでいうと母の時代はバブル世代真っ盛りなので、二世代前のおばあちゃんの生活のほうが落ち着く感じはありますね。おばあちゃんなりに美意識があるなあと思いますし、そういうのを見ていて、私はすごく美しいなあと、人として美しいなあといつも思います。

石川:前田さんはどうですか? 「美と食」については。

前田:まず食材が美しい、と思うことが多いですね。野菜を切ったときに、すごくキレイな断面が出てくるとか、茹でている野菜がパーッと色が変わってくるとか、そういうのを美しいなと。所作で言うと、料理って姿勢が悪いとうまくいかなくて、まな板に対して少し斜めになったほうがいいとか、それがなんとなく自分で体得して、それを格好よくやろうと思ったりしているのはあります。

石川「タイムパフォーマンスの時代だからこそ『長い時間軸での時を重ねる美』、これがこれからの時代の重要なテーマになるのかなと思う」

石川:今、タイパ(タイム・パフォーマンス)って言うじゃないですか。タイパって非常に短い時間軸における効率性の話なんですよ。短い時間軸でいうと「料理をするより買ったほうが得だよね、楽だよね」と。どうして今、世の中がタイムパフォーマンスということになっているのか、その背景には長い時間軸における効率性の指針がなくなったからなんです。

前田:それはどうして?

石川:昔なら、男性ならいい学校、いい会社、いい人生みたいのがあるし、女性であれば茶道を含む嫁入り修行、嫁入り=いい人生、みたいな、わかんないけど(笑)。本人にとっていいかどうかはわからないけれど、社会はそれを善い人生とした時代がありますよね。これが孔子の時代だったら儒教では「三十にして起つ」とか「四十にして惑わず」「五十にして天命を知る」とか。人生を長い目で見たときの指針というのがあったんですよ。孔子の教えが生きていた時代は「五十にして天命を知る」なので、今は25歳だから、あと25年ぐらいはいろいろなことをやろうという気になりますよね。今は長い時間における効率性の指針がないがゆえに、時を重ねて、継続したからこその美しさや尊さがわからなかったり、やっている本人もいいと思わなくなったりしてるのではないでしょうか。でも、たとえば、幼稚園から高校までの子どものお弁当作り、それって意欲のある日もあれば、やりたくない日もあると思うんです。やりたくない日のほうが多いかもしれない。それでもそこに作る人なりの美意識を込める人が少なからずいるってことですよね、日本の場合。タイムパフォーマンスの時代だからこそ『長い時間軸で見た時を重ねる美』、これがこれからの時代のけっこう重要なテーマになるんじゃないのかなと思うようになっているんです。

山口:あ~、面白いですねえ~! 私はおばあちゃんたちから料理を学ぶのが好きなんですけれど、ああいう人たちの所作を見てるとやっぱり美しいですよね。長く生きてきて、台所を自在に使うというか、自分の体の一部みたいに台所を使うおばあちゃんとか見ていると、その長い時間の流れを感じるし、初めて料理をする人とは体の使い方や手元の所作が雲泥の差だったり。ほんとうにそう思いますね。石川さんにお尋ねしたいんですけれど、いつからその人生の指針みたいなものがなくなったんですか?

石川:いい学校、いい会社、いい人生が崩れてからです。次なる「人生100年時代」における指針というのを作る人がいないということだと思いますね。

山口:それってむずかしいですよね。

前田:「どうして勉強しなきゃいけないの?」と子供に聞かれたら「いい学校に入っていい会社に入って、それがいい人生になるんだよ」と迷いなく答えられる時代のほうがシンプルでしたね。今働き方も時代も変わって、会社員だけど副業持つ、いや持たなきゃいけない、なんてことにも指針がないから正直辛い。

山口:今、お話を聴いていて思ったのが、その指針がSNSの「いいね」数とかフォロワー数とかになるんでしょうね。でも、それってすごく短期的なものだし、10年後にそのSNSがあるのかといったらわからないですからね。それによる足下の不安感はすごくあると思います。自分を内側から支えてくれるものが何もない。すごく頑張って勉強していい大学に行っても、いい就職先に入れるわけでもないし。じゃあ海外に行ったからいい人生が保証されるかというとそういう時代でもないし、海外も大混乱だし。さらに戦争とか始まるとさらに足下がぐらつくというか。「自分にはこれがある」みたいなものがほんとうに摑みづらいというか、自分で探していかないといけない時代で。でも、自分で探していける人はほんとに一握りの人たちだと思う。その他大勢の、誰かをフォローしていったほうが楽な人たちの生きる道って示されていないから漠然と不安。大学生に「漠然とした不安感みたいなのがあるの?」と聞くと、みんな大きく頷きますよ。

前田:ああ、そうですか。

山口:よくわからないけれど不安。それが結局、心を病む人の増加にもつながるのではと思いますし、人生を長い目で見られないから、食事にしても「買ってきたものを食べればいい」になる気がするんですよね。

石川「茶道とか○○道といわれるものって、概念と道具と所作が3つセットになっているんです」

石川:今の時代、何が「善」なのかがわからなくなっている。だから日々の生活で積み重ねる基準は「真・善・美」の「真(エビデンスのある正しさ)」……例えばたんぱく質を摂取しましょうとか……と「美しさ」しかないんですよ。なので、自分はどういうものを美しいと思うのかが大事になってくる。たとえば前田さんのおっしゃった、日々包丁を使うときの美意識とか、時を重ねる美とか、そういうことを考える時代ですね。

山口:手でタマネギは切れないから、キレイな断面に切るためには包丁が必要で、その包丁はちゃんと時間をかけた手入れとか、研ぐことも必要です。長い時間のタイムパフォーマンスの指針というのは、これからもなかなか摑みにくいんでしょうか。石川さんがおっしゃった「時を重ねる美を考える時代」になっていくのは、料理とか、食べることとか、食についてもそうなのかなと。

石川:前田さんはどう思いますか?

前田:「暖まるためにはエアコンでいいじゃない」ということではなくて、あえて手間のかかる「暖炉が欲しい」となるのも、自分が時間をかけた行為がもたらすものが、気持ちがいいことになる。「自分好み」にしていくというんでしょうか。好みというのは美だと思うので。ミニマリストなんかもそれが美だから、なんでしょうか。

石川:美なんじゃないですか。

山口:ミニマリストの部屋って茶室に似てますよね。何も置かない美しさみたいな。そういえば最近、だんだん「美」を意識したコンテンツとか増えている気はします。私自身も去年からお茶を始めました。茶道はすごく美意識を鍛えてくれるなあと思いますね。

石川:もともと茶道はおもてなしを通した美意識のトレーニングみたいなところがありますからね。

前田:茶道は不思議ですよね。子供の時から茶道って何なんだろう、ってずっと思っています(笑)。

山口:炭手前といって、炭を置く位置まで決まっていて、「この炭はここに置かなければいけない」と。「なぜ?」みたいな(笑)。ここにも美意識が存在したんだと気づかされたり。お茶って料理と同じだなあと思うことがあって、結局、料理も作って食べての繰り返しで、お茶も点てて飲んでの繰り返しなので。行動自体の様式美みたいなところはある気がしますね。

石川:茶道とか○○道といわれるものって、「概念と道具と所作」が3つセットになっているんですよ。ところが時代によって3つのどこに焦点が当たるかは違って、ずっと男の世界のものだった茶道は戦後、所作に焦点が当てられて、女性のものになったんですね、花嫁修業のひとつとして。もともとは「わび」という概念だったんです。「わび」というのは豪華絢爛の美に対して庶民の質素な、アバンギャルドな美というか。シャネルとかエルメスに対するユニクロみたいなものですよね。

山口:

石川「それが正しくはなくても当人が”美しいからやっている“ことって他人がとやかく言うことはあまりないと思う」

石川:その「わび」という概念を利休が茶に応用し「わび茶」として一定の型を作った。概念だけだと人々に伝わりにくいので、物(茶道具)と所作で目に見えるものにした。概念と道具と所作が揃うとひとつの道になる。日本の場合、いろいろな美意識の源流には「もののあはれ」というのがあります。わびとかさびとか幽玄とか粋とか、最近でいうとカワイイとか。どういう美意識をもって日々生活をしていくのかというのは、正しく生きる、善く生きるということと同等の価値があるんだろうなと思います。それは正しくないかもしれないし、たとえばタバコ吸うのは、今の時代だと善くはないかもしれない。肩身が狭いですから。でもそれを美しいと思って吸っている人っているんですね。それを他人がとやかく言うことはあまりないと思う。自分の一日の「これが美しい生活だ」と思っていることの中に料理が入っていなければ、それはそれでいいと思うんです。「料理をすると健康になりますよ」とか、正しさとしての料理とか、今だと「男性がちゃんと料理しよう」という「善さ」としての料理に対して、山口さんが追究するのは「美としての料理」ですかね。

山口:わあ、ギフトみたいな言葉をいただいてしまった! ほんとにその通りだと思います。私自身は小さいときから料理に親しんで楽しかったのですが、大人になってから触れる料理の情報というのが正しさを中心としたもので「これから始める人は正直これだとやる気しないよな」と思ったんです。栄養的に「これは食べるべきですよ」とか、これをやると危ないからこういうやり方でやってくださいとか。言われていないけれど、品数とか彩りとかにも正しさがある気がしますし、無言のプレッシャーみたいなものもある。もっと適当に自分なりに楽しんでいいのにと思います。「料理がなぜウェルビーイングにつながるの?」と聞かれると、「栄養をとると健康になりますよ」「経済的に節約になりますよ」といった話になりがちですが、料理の「楽しさ」や「美しさ」といった面も伝えていきたいですね。
料理している最中に見える食材が作る景色、ハッとする美しさであったり、道具ひとつひとつの美しさとか、器の美しさとか、それを人に振る舞えるということの価値。そういうところに美しさや喜びを感じていて、それをもう少しカジュアルに伝えたいなと思います。どうして私がウェルビーイングと料理って相性がいいんじゃないかと思ったのかと分析すると、今、石川さんがおっしゃたような「美としての料理」ということなんだと思います。

前田:すごくいいところを見つけましたね、山口さん。

山口:ファッションは誰がどんな服を着ていても、基本的にはOKじゃないですか。そこにTPOはあるけれども、自分が何を着るのかは自由。一方で、食事というのは栄養という部分が入ってくるので、そこが料理をややこしくしているところだなあと思います。大学生に聞いても、栄養バランスよく食べることがいいと言うし。正しさがお料理、食事業界を覆っている感覚はすごくあります。

前田:「自分がおいしければいいんでしょ」ということですよね。

山口:ただそこに自分の命がちょっとかかっているという部分があるから、難しいですよね。石川さんから見て料理業界はどういうふうに見えますか? この正しさというところに偏っている感じはしますか?

石川:いや、料理業界は全然知らないんです(笑)。ただ「料理道」になっていないのは美意識のところが弱いからじゃないかなと思いますね。弓道とか、道になっているものはやっぱり美しいです。美意識が入る。『真・善・美』がうまく揃っている。

前田:放送作家の小山薫堂さんが「家元」である『湯道』って映画にもなっていますよね。薫堂さんも湯道を概念と風呂桶や手ぬぐいとかの道具、あと、湯船に入る前のかけ湯をする、その時に美しく、人に迷惑をかけないようにするという作法をきちんと揃えて提案していらっしゃいます。ひとつのことを「道」にするというのは、美を付け加える上で重要ですよね。

石川:道になるためには、概念がいるんですよ。料理には道具と作法は今もあるんだと思う。どういう美意識でやるのかという概念がないんだと思うんです。

山口:それを樹立するのはものすごい偉業ですね。

石川:そうですね。それはきちんと言語化しないといけないので。「○○道」というのは普遍的な美だと思うんです。青森にある縄文時代の三大丸山遺跡にも炊事場があるわけで、どんなところで、今と共通するような普遍的な美ってあるんだろうか、関心があります。

前田:弓道も茶道も、弓を引かないと生きていけないわけじゃないし、お茶を飲まないと生きていけないわけじゃないけど、料理の場合は生きるために食べる、という側面がどうしても入ってくるために、概念になりにくいんでしょうか?

石川:山口さんがその役目をやり得るのは、料理をトータルして捉えているから。そこに何がしかの美が入り込む余地があるというか、お皿の中に閉じた話でないというか。

幼いころから料理を始めた山口さんは自分を「料理ネイティブ」と呼ぶ。これは山口さんが主宰するオンラインの子どもの料理教室。これも料理ネイティブを増産するための活動。

山口「あらゆる業界が正しさというものに覆われつつあるような気がしていて。『美としての料理』を考えていきたいと思います」

山口:私は料理教室で食材の選び方を話すんです。「これはこう選びましょう」という、そういう本もあるわけですけれど、それをいちいち憶えるとややこしいことになるので、とりあえずパッと見たものの中から「これおいしそう」と思ったものを直感で選んでくださいとずっと言っています。それはある意味、美しさの話をしていたんだなあと、今、「美しさを考える料理」「美としての料理」というキーワードをいただいた後に振り返ると、そう感じました。

前田:すごい。これについてまた深く考えてしまいそうな。

山口:そうですね。でも、縄文時代とか、日本のいろいろな時代のキッチンに共通する美って何だろうと考えるのはおもしろいですね。あと、日本の調理道具ってものすごく美しくないですか? 

前田:そうそう。

山口:各地に包丁の生産地があったり、職人が一個一個、柄や素材にこだわって。ひとつひとつ「道」にしていく感じがすごく日本ぽいなあと私は感じています。

前田:今日、すごくハッとすることがいっぱいあって。石川さん、『真・善・美』というのがキーワードとして、すっかり入ってきてしまいました。

石川:入りましたか(笑)。

山口:今、あらゆる業界が「正しさ」というものに覆われつつあるような気がしていて。いずれにしてもこの「美としての料理」を考えていきたいと思います。すごく面白かったです。ありがとうございました。

石川:こちらこそありがとうございました。