『舌津智之さん/立教大学教授・アメリカ文学、大衆音楽文化研究者』との対談を振り返って

ウェルビーイング研究の第一人者・石川善樹さんが、各界の俊英と対談しながら『ウェルビーイングの旅』に出るこの連載。「対談」の後には「それを聞いていたスタッフとの振り返り座談会」を必ず行います。せっかく「対談」という素晴らしい場にいても、それを聞いてどう思ったか、お互いの解釈を披瀝し合わないと流れてしまっていい経験にならない……という石川さんの提案によるものです。ということで第5回の対談をお読みいただいたかたはもちろん、これから初めてご覧になるかたは、舌津智之さんと石川善樹さんの対談を、ぜひ、ご一読ください。

第5回 石川善樹×立教大学教授・アメリカ文学、大衆音楽文化研究者/舌津智之
『どうにもとまらない歌謡曲 70年代のジェンダー』から出発し、歌謡曲にみるジェンダーや時代の精神と文化について話しましょう

(参加者)
石川善樹/予防医学研究者、博士(医学)
(スタッフ)
酒井博基/ウェルビーイング勉強家
前田洋子/ウェルビーイング100byオレンジページ編集長
今田光子/ウェルビーイング100byオレンジページ副編集長
中川和子/ライター

文/中川和子


酒井:「みる」と「きく」を調べてみると、漢字だけでもたくさんあって、日本人はすごく意識的に使い分けていて、視覚や聴覚という割り切りだけではないような気がします。

石川:舌津先生との対談で、みなさんはどういうところが印象に残りました?

前田:昔はどこに行っても歌謡曲が聞こえてきて、全年代でヒット曲が歌える、NHK「紅白歌合戦」の視聴率が90%、などという時代がありました。舌津先生が「歌は聴くというより、見る時代になっていて、聴覚より視覚が優位になっている。視覚優位でアイドルグループ化現象が進むと、ルッキズムや個人の声の抹消につながり、危険な感じがする」とおっしゃっていたのがすごく印象的でした。

酒井:僕も視覚と聴覚の関係性がおもしろいなと思いました。「みる」と「きく」を調べてみると、漢字だけでもたくさんあって、日本人はすごく意識的に使い分けていて、視覚や聴覚という割り切りだけではないような気がします。たとえば「みる」でも「見る」の他に映画や舞台を「観る」、検査や調査するときの「視る」、お医者さんが患者さんを「診る」とか。その中でウェルビーイング、よく生きることと関係がありそうな漢字は何だろうと考えています。

今田:「時代の精神が歌に表れる」というお話があり、石川さんも「時代の精神性には常に注目している」とおっしゃっていました。今の時代の精神性もやはり歌に表れているのか、表れているとしたら、どんなかたちで表れているのか。今は「だれもが聴く歌」というものがなくなり、世代を超えて共有できなくなってきましたが、それでも時代の精神性は歌に表れるのか、石川さんのお考えを知りたいと思いました。

中川:みなさんの視覚や聴覚の話に加えて、石川さんがおっしゃった明治時代の国家神道の確立とか、舌津さんの軍歌の話もすごくおもしろかったです。

石川:「五感」でいうと、香りを聞くって言いますよね。

中川:「聞香*」ってありますね。

※聞香(ぶんこう/もんこう)……お香をかぎわけること。

酒井:どうして香りを聞くんでしょうね? 五感に当て込んでいる言葉と必ずしも一致していない幅があるのがおもしろいなあ。

石川:それは結局、調べてもわからないんですよ。明確に言い始めた人が誰かわかるわけでもないので。どうして白は白いと言うのかとか、青は青いと言うのかとか。わからないものは妄想するしかない。僕は歴史が好きなのは、いくらでも解釈できるからです。同じものを見ても解釈が違ったり、見解が分かれますからね。

酒井:「五感」という言葉が日本ではいつ使われ始めたんだろうと気になります。五感という5つに分けた分類の起源を調べてみると、古代ギリシャのアリストテレスみたいですけれど、そういう感覚が日本人にしっくりきたのかどうか。漢字の種類の多さからみても、分類の方法が違ったんじゃないのかと妄想してみたんですけれど。

石川:それは般若心経になりますよね。「無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法*」と。

※無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法(むーげんにーびーぜつしんにー むーしきしょうこうみーそくほう)……般若心経の一説。「目で見たり、音が聞こえたり、香りをかいだり、食べ物を味わったり、身体で動いたり、意識を働かせるということも無い。形のあるものの、声や音、匂いや香り、美味しいまずいといった味、冷たいなどの触感、心の動きも無い」といった意味。

石川:記憶って喋れば喋るほど定着するといわれていて、大人になると「人の名前が出てこない」のも、それはその人のことを喋る回数が減っているからなんです。

石川:記憶に残る五感体験って何だろうという話もありましたね。

前田:石川さんが「旅先の田舎道で、トランス状態になりそうなほどのカエルの鳴き声が強烈だった」というお話をされてましたよね(笑)。私はひぐらしなんですよ。学生の頃、四国の祖谷渓に旅行して、夕方宿の縁側に座っていたら、ひぐらしの声が聞こえてきて。最初はカナカナカナカナと叙情的だったんですけれど、それがしだいに数が増えて大きくなって、それを聞いていたらぼ~っとしてきて。それ以来、ずっとひぐらしの声が好きなんです。あれが聞こえると、どんなに忙しいと思っていても、割と落ち着くというか、シーンとした気持ちになります。

石川:いい話ですね。

酒井:聴覚以外にも、みなさんご記憶はありますか?

今田:ケニアに行ったときにマサイ族のダンスを見たんです。大勢の方が歌って踊って飛び跳ねる。会場にはカカオのような香りが広がっていました。視覚、嗅覚、ともに衝撃的で強く印象に残っています。

石川:音楽とかリズムはどうだったんですか?

今田:音楽とリズムも今まで触れたことのないもので。「日本から遠く離れたところへ来たんだな」と、異文化を実感しました。

中川:海外に行ったときに、その国独特の香りとか音みたいなのがありますよね。初めて台湾に行った友人は「台湾はハッカクの匂いがする」って言ってました(笑)。

前田:石川さんはカエルの鳴き声以外に、五感の体験っておありですか?

石川:僕にとってカエルの体験はすごく重要だったんです。どうしてかと言うと、知り合って間もない、特に仲良くもない10人ぐらいと一緒に茨城の古民家に泊まりに行くという旅行だったんですね。メンバーは20代から50代ぐらいまでで、男女半分ずつぐらい。特に共通項はない。それは「大人になったら、友だちってどうやってできるんだろう」とふと疑問に思って。よく知らない者どうしが一緒に旅行してみるという中で、カエルの強烈な体験をして、その結果、その人たちとは今もだいたい半年に1回ぐらいは旅行に行くんですけどね。

前田:みんなで「うわー、すごいな、このカエルの大合唱」って同時に体験すると、やっぱり親しくなりやすいんでしょうね。

石川:それ以来、僕はいろんな人と一緒に旅をするようになったんです。だからこの『ウェルビーイングを巡る旅』で、最初に「旅しませんか?」って言ったのも、僕の原体験がそこにあるからなんですよ。

中川:なるほど。そうだったんですね。

石川:人生で何が記憶に残っているか。どういうシーンで、そこにどういう五感があったのか。何でもないようなことが意外に残っていたりしませんか? ピーク体験じゃないというか「結婚式のこの瞬間!」みたいなのが記憶に残っている人って少ないんじゃないかな。そのときは一生懸命頑張るけど(笑)。

酒井:確かに記憶に残っていることって「どうしてこんなことが残っているんだろう?」っていう、割としょうもないことがあります。小学校のときに校長先生が言ったダジャレとか。もっと大事なことがたくさんあったはずなのに(笑)。そのダジャレに自分は爆笑したわけでもないのに憶えていますね。

石川:不思議なんですよ。記憶って喋れば喋るほど定着するといわれていて、大人になると「人の名前が出てこない」のも、それはその人のことを喋る回数が減っているからなんです。

前田:そうなんですか!?

石川:記憶力が低下しているわけじゃなくて、単純につながりが増えて、知っている人が増えるから、ひとりひとりに関して喋る回数が少ないからなんですよね。だけど、今の酒井さんの話はそれに反していて、全然、普段喋っていないのに記憶に残っている、忘れがたいもの。記憶は不思議だなあと僕はずっと思っているんです。小学校の校長先生のダジャレ、人生で話すことはあんまりないですよね?

酒井:誰にも喋ったことないです(笑)。このエピソードは妻にも話したことはないです。その先が拡がらないし、すごくパーソナルなものだと思うので。誰と共有してもしょうがないことだと思いますし、今、ここで話すとは思いませんでした(笑)。

石川:僕はそのような「弱い記憶」が、その人らしさの原型なんじゃないかなと最近仮説を立ててまして。なので「みなさんがどのような弱い記憶をもっているのか」、いろいろな人に訪ね歩いています(笑)

中川:記憶を呼び起こすきっかけとなるのが五感で、五感のうちどれが重要かというより、ウェルビーイングに五感がどう関わっているんだろうと。

石川:何が記憶に残っているかというと、変なものが記憶に残っているじゃないですか。

前田:残っています。開けるのを頼まれた友人のロッカーの暗証番号とか、それを伝えた彼女の表情とか(笑)。

中川:記憶の定着に五感ってすごく関わっているじゃないですか。匂いとか音だとか。今、70年代の歌謡曲を聴くと、それが流行っていた当時のことを思い出すというのがありますよね。だから、記憶を呼び起こすきっかけとなるのが五感で、五感のうちどれが重要かというより、ウェルビーイングに五感がどう関わっているんだろうと思ったときに、記憶の話が出てきたのはビックリしました。

酒井:記憶と五感の絡まり方がおもしろいですね。昔、つき合っていた人の香水の匂いをかいだときに、その人を思い出すというような、五感の中のある一部の器官とある記憶がイコールで結びつくときがある。でも、Aという信号を送ればAという記憶が思い返されるのではなくて「なんでこの瞬間に、この記憶が出てきちゃうんだろう?」みたいなことはありませんか? それが五感のおもしろいところだと思うんです。70年代の歌謡曲とか80年代のヒットソングを聴いていると、場面として明確なそのときの記憶が思い起こされるんじゃなくて、なんとなく空気感みたいなものを思い出す、そういう感覚になるんですけれど。それも記憶のおもしろいところだと思います。

中川:悪いことばかり記憶するクセがあるとイヤですよね。

石川:イヤかどうかはわからないけれど、そういうクセがあるってことですね。

酒井:記憶するクセっておもしろいですね。広告業界でいうと、商品やサービスをいかに印象的に見せるかとか、記憶ということと広告のビジュアル・コミュニケーションはとても密接な関係だとデザインの講義で言ったりするんです。それで、記憶と結びつきやすいのがエピソード記憶と反復記憶と、手続き記憶みたいなのがあって。先ほど、石川さんが体験はつくりものっていうことをおっしゃったんですけれど、企業がこぞって体験をつくりたがっている。でも、人によって記憶するクセって異なるものなんですね。

石川:たとえば、部活の仲間とかいますよね。その人たちが何を記憶しているかは、けっこう人によって違うと思うんです。部活の話をすると、思わぬことを記憶していたりしませんか?

酒井:確かに。20年後に高校の部活の仲間と同窓会で会ったときに、20年も前の出来事を今でも引きずっていたんだという人間もいれば、まったく憶えていない人間もいたり。みんなが部活で同じ体験をしたはずなのに、記憶に残っていることが20年も経てば人によって違う。確かに同窓会をやってみるとよくわかりますね。

今田:記憶の捉え方とか、どこを切り取って憶えているかというのは確かに、居心地の良さとか悪さとかに影響するかもしれませんね。

石川:みなさんの記憶のクセはどうですか?

今田:たぶん、都合の悪いことは忘れるようです。家庭でいうと、夫が憶えていることは私にとって都合の悪いことで、私が憶えているのは夫にとって都合の悪いことで、お互いに「なんでそんなこと憶えているの?」と。あと、小学校の同級生が大人になってから集まったときに「オレ、今田に理科室でぶたれたことをまだ憶えてる」と言われて。私の記憶では「イヤなことを言うから、ちょっと押しただけ」なんですけど…。お互いの記憶が全く違っていて、「絶対に押しただけだ」「いや、ビンタした」って(笑)。

酒井:記憶がよみがえってきたときに、そのときの感情も一緒によみがえってくる人と、その怒りはどこかにもう置いてきていて、笑い話で終わる人。そういうのもクセのひとつなんでしょうか。

今田:その小学校時代の思い出は笑い話で、その後も会うたびに鉄板ネタになっていて。でも、夫婦間の記憶の違いは…(笑)。記憶の捉え方とか、どこを切り取って憶えているかというのは確かに、居心地の良さ・悪さ、つまりウェルビーイングに影響するかもしれませんね。

石川:心は日本だと三層構造で捉えられているんです。いちばん上の「こころ」が変化するもの、その下に「おもひ(こひ)」は欠落したものを埋める。ここはあんまり変わらない。その下に「しん(心)」。ここは集合的無意識みたいなもので、一瞬で相手に伝わるのが「しん」だといわれています。

前田:「しん」っていうのは最後に残ったものなんですか? それが集合的無意識、それが一瞬で伝わるものといわれているんですね。

石川:「以心伝心」の「心」ですね。

前田:うつろい流れゆくものとしての体験があって、そこの下のところに、その体験が自分に欠落していて乞うているものか、欠落したものが埋められるかのフィルターになっていて、そこを通ると最後の「心」のところに落ちていくんでしょうか。

石川:何か記憶に残っているものを話すとき、無意識にさわるような記憶ってあると思うんですね。それをいろいろ集めていって日本の物語とか神話ってつくられているのかなと思うんですよ。だいたい日本の物語は悲しい話が多いんです。

前田:悲しいことが記憶として伝承される?

石川:悲しいことや不思議なことですね。日常から突然、変なところに行ってまた戻ってくるような。そういうのを記憶としてとどめて伝承してきたということですから。そこに日本人のウェルビーイングの原型があるんじゃないかなと。

前田:以前、石川さんが昔話の「火男」この話をしてくださったのが印象に残っていて。おじいさんが山で刈った芝を火の神様にあげたら、お土産にと、変わった顔の男の子(火男、これがなまってひょっとこ)をもらいますが、その子のおへそを叩くと小判が出てきて、おじいさんとおばあさんはどんどんお金持ちになります。でも、欲ばりなおばあさんのせいで、その子は火の中に帰ってしまう。すると、おじいさんおばあさんはどうなってしまうのか? そこまで説明がない。ひょっとこってどういう存在なんだろうと。これは何かの教訓なのか、何なのか。ときどき考えるんです。

石川:不思議なことと当たり前のことは表裏一体なんだという話なんですよね。

前田:昔は不思議なことばかりだったのでしょうね。口伝で伝承されたそれら”お噺“を私たちも親などから聞かされて憶えているわけですけど、そういう記憶というのは、心の中に無意識にたまっているんですね。

石川:今日の五感というテーマで、「聞く」を考えたとき、たとえば、スライドを使ったプレゼンテーションで話を聞いていると記憶に残らないんです。自分の話した内容を、どれだけ別の人に伝えてもらえるかという、口コミしてくれるかが重要な場合、スライドを使うと、そのイメージを相手に伝えられないですよね。言葉だけだと伝えやすいんですよ。

酒井:スライドだと記録に残せるので、あえて記憶しなければならないというよりは「いつでも取り出せる状態だから」という感じになっているんでしょうね。大学の授業ですごく不思議なのが、最近は板書せずに、黒板に書いた文字を学生がスマホで撮るんです。これで記憶できるのかな? と思いますが。今、リモートの授業が多いので、スライドで授業を進めざるをえないんですけれど、授業の感想のコメントを見ていると、スライドよりも脱線した僕の雑談の感想のほうが圧倒的に多い。なので、スライドを使ったプレゼンテーションって記憶に残らないとか、他人にそれを伝えたいみたいな、口コミと言いますか「誰かにこの気持ちを伝えたい」にはなかなかつながらないんだなと、石川さんの話を聞いてハッとしました。

前田:今、みんなスマホで写真を撮るでしょう、観光に行っても。私の体験で言うと、写真を撮ろうと思っていると、旅に行っても、旅の記憶より、すごく一生懸命写真を撮りましたという記憶になってしまう。何かを見てどう感じたか、何を考えたかのほうが大切なんでしょうに。

石川:入り口から奥に行くあいだに、なぜそこが玄関口になったのかという話も含めて、過去と現在と未来がつながってくるんです。

石川:「旅とは何か」という話になってくるんですが、“旅とはこっちからあっちに行くこと”なんですよ。入り口から奥に行くということ。入り口と出口を兼ねているのが玄関口、神社でいうと鳥居だったりします。旅をするときに、その地域の玄関口はどこだろうかと僕はまず考える。「この地域の奥ってどこなんだろうか?」と、入り口から奥への旅を組むんですね。そうするとすごく印象に残る。記憶に残る旅になるんです。

前田:その玄関口とか奥というのは、地理的に調べたり、歴史を調べたり、一般的にこの地域の玄関口はここだよといわれているところを探すということですか?

石川:そうですね。歴史的にそういうところがあるとか、玄関口もいろいろ移ったりするんですけれど。ただ奥にはだいたい神社があるんです。地元の人に聞きまくるんですけれど、地元の人はあんまり知らないですね。意識したことがないんでしょう。

前田:旅人じゃないですからね。

石川:で、地元の人と一緒に歩いたりすると、地元の人も感動して。確かに外から来た人を入り口から奥へと誘うツアーのしかたはいいねえって言って、みんな次からやってくれるようになるんですよ。「こうやって案内したらいいんだ」って。でないと最新かキレイな場所に連れて行って終わりなんですよ。そこにはストーリーがないから、記憶に残らない。「ああ、写真撮った」で終わりになる。

前田:ストーリーは大切ですね。

石川:入り口から奥に行くあいだに、なぜそこが玄関口になったのかという話も含めて、その地域の過去と現在と未来がつながってくるんです。

酒井:そう聞くと、そろそろこの座談会も旅に出たいですね。

前田:この振り返り座談会、隅田川沿いを歩きながらやるとか(笑)。桜の季節にやりたいですね。本日はありがとうございました。