なぜ今、「幸せ視点」が求められるのか

感染拡大と収束を繰り返すコロナの脅威、日常の問題となった気候変動に伴い、企業と個人の行動の変容を余儀なくされる環境問題、デジタル化が進む中で拡大する経済格差、非接触が求められる中、変化する人間関係……。今、なぜ「ウェルビーイング」なのか。
コロナ以前から四半世紀以上にわたり大規模な生活者定点調査を実施してきた第一生命経済研究所の膨大なデータと分析は、私たちの「越し方、今、行く末」のとらえ方のヒントになり、行動の指針となるはずです。

文/第一生命経済研究所 ライフデザイン研究部長 主席研究員 宮木由貴子
イラスト/ながおひろすけ


個人における「幸せ」のとらえ方の変化

近年、「幸せ」「well-being(ウェルビーイング)」という言葉を聞く機会が増えたように思います。また、特にこの2年においては、新型コロナウイルスの感染拡大によって様々な制約を体験し、日々の「普通の暮らし」に幸せが多く存在していたことを、多くの人が実感したのではないでしょうか。自分自身を振り返り、人生や家族、つながり、仕事の意義などを考えた人も多かったと思います。
こうした中で、個人における「幸せ」の捉え方も変化してきました。従来幸せとは「勝ち組」という言葉に象徴されたように、収入や地位の高さ、モノの多さや学歴といった、量・高さ・速さなどの段階的・数値的なもので測られ、それに勝ち抜いた人というイメージがありました。しかし、今はむしろ、個人の充足の方が重視され、目指す幸せの形は人それぞれという流れにあります。いわば、人より抜きん出ようとする「勝ち組」から、自分の価値観を尊重しつつ周りの多様な価値も尊重して受け入れ、それらを組み合わせて新たな価値を生む「価値組み」への転換です。
当社では、「幸せとは“なる”ものとして目指すのではなく、“感じる”ものとして日々身近にある」と捉えています。これからの社会においては、日々「自分なりの幸せ」を感じながら暮らしていくことがこれまで以上に求められることになります。

幸せを描く「ライフデザイン3.0時代」

「ライフデザイン」という言葉から、どのようなことを想起するでしょうか。「人生設計」と言われると、自分の人生の残り時間と家計状況と健康のバランスをどうとっていくかということをイメージする人が多いのではないでしょうか。
長く生活者の人生満足度やウェルビーイングについて研究を行っている当社では、ウェルビーイングを実現するためには、ライフデザインをすることが大事と考えています。また、社会の変化に応じてライフデザインのモデルを1.0から3.0に分けて捉えています。

① ライフデザイン1.0時代

「ライフデザイン1.0」(昭和)は、同質的で画一性の高いライフコースのモデルがあった時代。
定年まで同一企業で働く父親、専業主婦の母親、子どもが2人といった家族のイメージで、モデルコースを歩んでいれば先を見通しやすく、将来への心配も大きくなかった時代です。この時代の「豊かさ」「幸せ」は、マイホームや家電、ブランド品など「モノ」を保有することや、昇進・昇格、学歴などでした。

② ライフデザイン2.0時代

「ライフデザイン2.0」(平成)になると、多様化が進んで人生の選択肢が増え、人生がカスタマイズできるようになります。
女性の高学歴化や社会進出で、結婚や出産も「当たり前」なことではなくなり、人生における選択の自由度は高まりました。しかし、これによってモデルコースがなくなり、将来への見通しが立ちにくくなり、自己責任の部分が拡大しました。先行きの不透明感から備えの意識は高まったものの、ライフコースの多様化により自分に合うモデルがなかなか見つからず、模索の時代でもありました。これまでの「豊かさ」や「成功」の形も崩れてきましたが、かといって新たな目指すべき幸せの形も不明瞭だった時代です。

③ ライフデザイン3.0時代

では、「ライフデザイン3.0」(令和)とは、どのようなモデルなのでしょうか。
これは、ありたい未来を自ら描き、その実現に向け「今」を含めてデザインするモデルです。自分の人生の残り時間と金融資産のバランスを考えるだけの人生設計だけではなく、いつからでも何度でも何かにチャレンジし、柔軟に方向転換をしながら、「幸せを体感」することに主眼を置いた、人生100年時代に則したライフデザインです。

ライフデザイン1.0→3.0モデルの変遷
第一生命経済研究所『「幸せ」視点のライフデザイン』東洋経済新報社 2021年

個人が「幸せ」を感じることの社会的価値

こうした社会変化の中で、数年前から多くの企業や自治体、団体においても、「幸せ」「well-being」を組織のミッションに据え、それぞれの持つリソースや商品・サービスがそれらの実現にどう貢献できるのかという視点を持つ組織が増えています。
その背景の一因に、「主観的に幸せ」と感じる人が多い組織には、様々な利点や強みがあることが検証されてきたことがあります。「主観的に幸せ」であるとは、自分が幸せであると自ら評価していることです。そうした人が多い組織では、社員の創造性やエンゲージメントが高いため、生産性や売り上げが高く、利益がより出やすくて離職率が低いことなどが指摘されています。つまり、組織のメンバーが幸せを体感していることは、組織の持続性を高め、成長を促すのです。
このことから、多くの企業や団体が「幸せ」「well-being」に着目し、従業員とお客さまの幸せ体感をいかに実現するかに心を砕くようになってきました。政府や自治体の方策にもwell-beingのコンセプトが盛り込まれ、豊かさを測る指標としてGDP(gross domestic product:国内総生産)だけでなくGDW(gross domestic well-being::国内総充実)が考案されるなど、社会の価値や豊かさを「幸せ」視点で測る動きが生じています。これは、「1人1人が頑張ることが組織や社会の持続性を高めることに貢献する」との考え方から、「1人1人が幸せを体感することが組織や社会を活性化し、その持続性を高める」という考え方へのシフトです。言い換えれば、組織のマネジメントにおいて「いかに個人を頑張らせるか」という発想より、「いかに個人が幸せや充実感を感じられるか」という発想を持つことの方が効果的であることを示しています。

ライフデザインにおける「幸せ戦略」

こうした価値観シフトの中で、一人ひとりの個人はどのように「幸せ」を捉えていくべきなのでしょうか。「幸せとは“なる”ものとして目指すのではなく、“感じる”ものとして日々身近にある」と言及しましたが、具体的にどのようにすれば、それらを実現できるのでしょうか。当社から出版した「『幸せ』視点のライフデザイン」(2021)や「人生100年時代の『幸せ戦略』」(2019)(いずれも東洋経済新報社)は、いずれも生活者個人がどのように幸せを体感する日常を実現するかについて述べています。特に、個人における「幸せ戦略」として、以下の5点をあげています。

<幸せ戦略①:3つの人生資産を確保する>

3つの人生資産とは、「健康」「お金」「つながり」です。
私たちはこれをコマのイメージで表現しています。コマの軸は伸びる平均寿命を意味し、それを支えるコマの盤を構成するのが3つの人生資産です。コマの軸が伸びていくのに盤が縮小していけば、コマの回転は不安定になります。人生100年時代に向けて、しっかり3つの人生資産を準備しておく必要があります。ただし備えるというのは、単に「量」を確保することとは異なります。数値や状態としての健康状態ではなく、今の自分の身体の状態を所与のものとし、最大限活かして幸せに暮らす「健康」、生活を支えるだけでなく自分の精神的満足をもたらす消費を含めた「お金」、自分の日常を豊かにしてくれる「つながり」という具合に、そのあり方や価値は人それぞれであるということも重要なポイントです。

<幸せ戦略②:つながりでレジリエンスを担保する>

つながりを持つことでしなやかで強靭な、折れにくい人生にすることも重要です。
人生100年時代は、他人の力を借りる時代です。これからの長寿時代は家族だけに頼るのが難しい時代となります。今後は、家族だけでなく、地域や事業者、専門家の力を積極的に借りる時代となるでしょう。つながりをしっかり持っておくことで、日々楽しく、そして、いざというときに安心な暮らしが実現されます。
そのためには、自らが助ける側になるという意識を持つことも重要です。社会参加や貢献活動は、それ自体が自分の満足感を高めるとともに、人とのつながりを通じて助けるスキルを養います。人を助けるスキルを養うことは、助ける側の理解促進につながり、いずれ助けられるスキルを養うと考えられます。人の世話になりたくない、面倒をかけたくないという意識を持つ人は少なくありません。そうした意識を持つこと自体は、自立した生活を送るうえで重要な意識です。しかし、人はいつか誰かの世話になります。その時に、適切に声をあげ、必要な助けをもらうということは本人にとっても家族や周囲の人にとっても、結果的によいことで非常に重要なことだと考えられます。
コロナ禍において、人を助ける行動をとるのもずいぶん制約されていますが、そうした人を助けよう・助けたいという意識や行動が、実は自らのQOLの維持や幸福感につながり、自分自身を救済することにつながっていると気づいた人は少なくないと思います。人を支えることで自分も支えられているという感覚を持てることは、幸せ戦略上級者の幸せ体感だともいえるでしょう。

<幸せ戦略③:「クオリティ」の基準を自分で決める>

QOL(クオリティ・オブ・ライフ:生活の質)の向上は、幸せの体感において重要です。
重要なのは、ここで言う「質=クオリティ」の基準も自分で決めるということです。例えば、自分の今ある状態の中で、どう心身の健康を維持・増進するか、どのような働き方をして、どのような消費スタイルをとるか、誰とどのようなつきあいをどのくらい持つかについて、どのような状況が達成されれば自分は幸せなのかについて考えるということです。例えば、持病があったり障害があっても、その状態を所与のものとしてその中で最大の満足を得るにはどうしたらよいのか、育児や介護で仕事のペースダウンをしたとしても、その中で最大のQOLを追求としたら、何を達成すべきなのかといったことについて、そのゴールを自分自身で設定するということになります。
クオリティの基準は、人と比べたり、社会の常識や平均で決まるのではなく、一人ひとりが自分の現状と幸せの感じ方に応じて設定するものだと考えます。万人に最適な1つの基準というものはないのです。

<幸せ戦略④:嬉しさ・楽しさを感じるスキルを養う>

私たちは、主体的な行動をとることによって嬉しい・楽しい経験をし、その結果としてQOLが向上します。
まずは楽しさ・面白さ・ワクワク感をもって日々行動することが、効果的にQOLを高め、人生資産コマを大きくしていくことに寄与するといえます。幸せを「ゴール」ととらえてそれに向かってひたすら頑張るだけでは、プロセスは苦痛となってしまいます。プロセス自体にも多くの幸せがあり、それらを楽しみながら日々生活することが、コマの拡大、ひいてはQOL、well-beingの向上にとって非常に効果的なのです。
限られた環境下で、幸せを体感するにはどうしたらよいのか、今できることは何か、この機に変えるべきことは何か、何をコロナ前に戻し、何を戻さないのか、そうしたことを考えることが、今できるライフデザインなのだと思います。

<幸せ戦略⑤:自らデザインする>

自分が幸せかどうかをジャッジするのは、他人でも社会でもなく、自分自身です。
そのためには、自分の生き方や暮らし方を考える意識を持ち、人とのつながりを楽しむ力を養い、日々のハピネスを感じる感性を持つことが重要です。これにより、自分の在り方を見つめなおして、どうしたら自分が幸せでいられる環境を形成できるかを考えることが求められます。こうして描いた未来の実現のために、例えば、何か学ぶ、外に出てだれかと話す、ネットでつながりを見つけるなど、今何をしたらよいのかを見つけ、主体的な行動をとることが、ライフデザイン3.0の生き方であり、well-beingを感じる幸せな人生を形成すると考えています。
「人生設計」というと、将来のために備えて準備するというイメージを持つかもしれませんが、私たちにとって今の暮らしをデザインすることも、well-beingを感じる上で非常に重要な視点なのです。

こうした視点のもと、これから健康・お金・つながりの各領域についての現状やエビデンスを示しながら、当研究所のメンバーが情報発信をさせていただきます。


宮木由貴子(みやき・ゆきこ)
第一生命経済研究所ライフデザイン研究部長兼主席研究員。
専門分野は消費スタイル、コミュニケーション、モビリティなど。
内閣府、経済産業省、金融庁、東京都などの政府委員を歴任。
一般社団法人日本ヒーブ協議会第38・39期代表理事。
令和2年度消費者支援功労者表彰内閣府特命担当大臣表彰受賞。