足立由美子さん

食生活はこころとからだを満たして、気分よく歳を重ねるための重要なカギ。「料理を作ること」は、日々の暮らしの豊かさと深くつながっています。
今回、ご登場いただいたのは、東京・江古田にあるベトナム屋台食堂「Maimai」の店主、足立由美子さん。
もともとスペイン・中南米料理の研究をしていた足立さんですが、友人に誘われて訪れたベトナムの文化に魅了され、ベトナム各地のおいしいものを現地の雰囲気とともに伝えたいとお店をオープン。ベトナム料理の本も出し、ベトナムの尽きない魅力を追い続けている足立さんに、「料理を作ること」について、お話をうかがいました。

お話をうかがった人/足立由美子さん
聞き手/ウェルビーイング勉強家:酒井博基、ウェルビーイング100 byオレンジページ編集長:前田洋子
撮影/原幹和 文/岩原和子


遅咲きの“食”への好奇心の根は“食わず嫌い”

酒井 足立さんはどういうきっかけで、食とかお料理に興味を持ち始めたんでしょう?

「私、子どものときは超食わず嫌いだったんです。今でこそ嫌いなものは何もないですけど。小さい頃はずっと自分は好き嫌いが多いんだと思っていたんですが、大人になっていろいろ考えてみて、じつは食わず嫌いだったんだと気づきました。食べて好きとか嫌いとかじゃなくて、食べる前に感じる感覚的な嫌いだったんだと。香りとか組み合わせとかに苦手なものがあって、こういう匂いは嫌だとか、これとこれが混ざると嫌だとか、そういう思い出が多いですね。
給食も苦手で、なんでこの組み合わせなんだろう、なんでコッペパンに煮ものなんだろうって思っていました。

しかも私、今とはあまりに違って、言うのもお恥ずかしいんですけど、病弱で(笑)。だから、お願いだから何でもいいから食べてって親に言われる、そういう子どもだったんです。

酒井 病弱だったから、とにかく食べなさい、みたいな感じになっていて、それで嫌な予感がすると……。

「食べないですね。嫌いっていうんじゃなくて、なんかちょっとこの組み合わせは嫌だと思うと。今でも口の中での食べ合わせのようなものはあって、これを食べたあとにこれを食べるのは嫌って思うことがあるんです。だからあいだに一回おみそ汁やお酒なんかでリセットして、口の中をさらの状態にしてから次のものを食べるとか、これを食べたあとにこれは食べないとか」

酒井 その感覚って、わかるわかるみたいな人が、いそうでいないですよね。

「あまりそんな話をしたこともありませんが、あ、わかるわかるっていう人はたまーにいます。たぶん自分の母親とかもそうで、叔父もそうだったりしました。そういう感覚って遺伝じゃあないとは思いますけど」

酒井 お母さんが作るものの組み合わせは、そんなに嫌じゃなかったんですか?

「嫌じゃなかったです。たぶん母親もそういう組み合わせは嫌だから作らなかったんじゃないでしょうか。給食は嫌だなと思うと食べられなくて、いつも後ろのほうの席でずっと食べさせられていました。必ず3人くらいいるんですよね、おんなじメンバーで。
そんな子どもだったから、今こんな食の仕事をしていると知ると、親戚や子供の頃の友だちがすごく驚くんです」

酒井 その給食の居残り組って、トラウマになるんじゃないですか。食に対していい思い出はない、みたいな。それを肯定したきっかけのようなものはあるんですか?

「私は食べない時は最後まで食べなかったので、トラウマにはならなかったです。『食べさせられた』というのはなくて、最後に先生に『今日も食べられませんでしたね』って連絡帳に書かれちゃうんですけど。息をつめて、ぐーっと食べる、みたいなことはしませんでした。
だけど、大学のとき中学校に教育実習に行って、先生だから生徒と一緒に給食を食べるシチュエーションになって。ぐーっと食べました(笑)。それどころか、『先生、お代わりどうぞ』って一番先にされちゃって、うわー、もう一回! みたいな(笑)」

酒井 じゃあ、そのくらいの年まで全然変わらなかったんですか、その食わず嫌いが。

「全然変わらなかったわけではありません。高校生になって健康(優良児)になりましたし。いろいろ食べるようになったのは、他人と食事するようになってからかもしれないですね。他人が食べているものを、へぇー、それおいしいのかなって思って食べたり。学校の帰りに買い食いするとか、中華料理屋とかお好み焼き屋に寄るとかから始まって、大学に行ってますますいろんな人とごはんを食べるようになって段々と。だから結構、遅いは遅いですね、食べることに対してのデビューは」

酒井 周りの人から、『え、これ食べたことないの?!』ってびっくりされたりしませんでした?

「そう言われたこと、いっぱいありますよ。大学の時に、付き合っていた人、今のダンナですが、ダンナの先輩から、メシごちそうするよって言われて、のこのこついて行ったら、うなぎ屋さんだったんです。うなぎ、それまで食べたことがなくて。でも、食べないわけにいかないじゃないですか、ごちそうするって言われて。そうしたら、すっごいおいしかったんです(笑)。
そういうものかもしれないですよね。それ以来、私にとって他人と食べるっていうことは大事です。自分では選ばないものを選ぶから。今でもまだそうですよ。焼肉だって他の人と食べに行くと、今まで食べなかった部位をその人が選ぶ。自分では選ばなかったものが食べられる、そうしてどんどん食が広がっていったんだと思います」

酒井 今は好き嫌いがないっておっしゃいましたけど、じゃあ、その新しい扉を開いていくときって、そんなに嫌な印象はなかったんですか?

「全然なかったです。逆にすごくおもしろくて、おおー!! って思って。私はこれまで何をしてきたんだろうって」

「コムディア」ごはんの上に甘辛の豚肉焼き、五目蒸したまご、なますがのっかる「エコダ ヘム」のメニュー。ガッツリながら女性ファンも多い。

酒井 それって、日本にいながら、もう異文化に触れているような感じですね。

「そうそう、そういうことだったかもしれませんね。みんな、こんなの食べてたんだって。それで好奇心がすごいことになったときに、ちょうど食べ歩きとかが流行って、食べることにいい時代になってきて。会社に入ったときもそのあとのバブルの時代も、上司や同僚にいっぱい新しい食べ物を教えてもらいました(笑)」

酒井 じゃあ、その後、異国の食文化に触れるっていう感覚もとくに意識されずに?

「意識しなかったかもしれませんね。異国のものもうなぎも、変わらないかも。うなぎに行ったことで垣根を越えちゃった感はありますね、当時はそう思ってなかったけど(笑)。今は、海外でも日本でも、新しいものを食べる機会があって、もうこの機会しかないかもと思うものは絶対食べます。特に気になっていたものとかは、ここぞ! と思って」

酒井 絶対にチャンスを逃さない(笑)。すごい好奇心ですね。

「食べたことのないもの、見つけると楽しいです。あと、やっぱりお酒を飲むようになってから、食が相当広がりましたね。お酒と料理の組み合わせがあって、家で料理を作るときも先にお酒ありきで。今日は飲むのやめようと思っていても、作った料理を見ると飲みたくなっちゃったり(笑)」

中南米研究中に初めて行ったベトナム旅行は料理教室

酒井 それで、ご自分が料理をつくる立場になっていったときに、もちろん組み合わせも大事ですが、どういうことを重視されるようになったんですか?

「子どものときは料理を作ったことがほとんどないんです。病弱だったし、母がさせてくれなかったということもあって。あとから考えると母親の楽しみだったんですね、料理を作るのが好きで、自分のダンドリでっていう。だから、きっと邪魔されたくなかったんだろうなと。
母はダンドリ上手で、ものすごく手早くて、仕事をしていたのに料理は全部作っていて。だから子どもにやらせたくなかったんでしょうけど、それはね、自分が結婚してから同じように思いました。やっぱり自分のダンドリで自分で作りたいって。

料理は結婚してから作るようになりました。料理を作るのが楽しくて楽しくて。はじめての台所、みたいな本を読み込んで、ボロボロになるほど、最初はそれで全部やりました。その本でものすごく勉強したんです。」

酒井 そこはすごくスタンダードですね。じゃあ、まず基本的なものをやってみて……。

「最初はその基本的な料理を作っていきました。結婚しても仕事をしていたので、次には、よし、30分で全部作るぞ、みたいな時短料理をやってみました。帰りの電車の中で、あれやってこれやって最後にこれで4品できる、とか考えるのがすごく楽しくて。働いていると平日はやっぱりそういう料理の仕方になりますね。

結婚する前に、いったん会社を辞めて、半年くらいスペインに留学したんですが、異文化のものを食べるっていうのはそこでだいぶん身についたと思います。スペインはもうすごく楽しくて、そのときにたぶん料理に目覚めたんです。どうやって作るの? っていろいろ聞いて教わって、レシピをバルのナプキンとかに書いて。酔っ払って失くしちゃったりしたんですけど(笑)。結婚前に半年で7キロ太りました。
それで帰ってきて、結婚して、料理が作れるようになって、スペイン料理を作りたいなって思ったんです。その頃はまだ、日本ではスペイン料理って知られてなかったですし。自宅に人を呼んではスペイン料理を作ってました」

東京・江古田に2軒、足立さんの店がある。上は「Maimai(マイマイ)」、下は数軒先の「ECODA HEM(エコダヘム)」

酒井 まずスペイン料理にハマって、そこからどういうきっかけでベトナム料理に?

「結婚してまた就職したんですが、その頃はもう食べることも料理もすごく好きになっていて。スペインもですけど中南米にも興味があって、チリやパラグアイや中南米の料理を勉強しながら、立教大学にあるラテンアメリカ研究所に通ったんです。そこでもう1回スペイン語を勉強しながら中南米の文化を勉強して。

毎年スペインに通って、そのあいまにポルトガルやキューバに行って、次はいよいよ南米大陸かっていうときに、ポルトガルで知り合った友人から『ベトナム、ものすごく料理がおいしいらしいよ』って悪魔のささやきがあったんです(笑)。『一緒にベトナムに行かない?』って誘ってきて、しかも料理教室10日間ツアー!とかで。すぐに、行く行くって言って、それが初めて。1997年だったかな。初めてのベトナムでいきなり料理教室に行っちゃったんです」

酒井 1997年の頃って、日本ではまだあんまりベトナムのことが知られてないですよね。

「そう。時空を超えた旅でしたね。まるで何十年か前の日本に戻ったような。
でも衝撃だったのは、昔の日本みたいっていうことじゃなくて、ものすごくたくさんの人がいて、バイクがいっぱい走っている道路を、信号機がないのに歩いて渡らなきゃいけないとか。市場に行くと、活気がものすごいし、見たことのない食材や何に使うのか全くわからない調理道具がたくさんあるとか。

で、料理教室で初めて習ったのが揚げ春巻きで、すっごいいっぱい作って、すっごいいっぱい食べたのを今でも覚えています。何でこんなに食べられるんだろうって。ライスペーパーって油を吸いにくいし、春巻きはハーブや野菜で巻いて、さっぱりした甘酸っぱいタレにつけて! そうか、これならいくらでも食べられる~。

ベトナム料理の美味しさにも感動しましたが、何が一番すごかったかっていうと、帰ってきた日に和食を食べたくならなかったことなんです。
それまでは、外国に行って、どの国の料理もおいしいんですけど、長い滞在になると途中でちょっと逃げたくなって中華料理を食べたり、どうしてもちょっと和食が恋しくなるときがありました。で、日本に帰ってきた日はだいたいおそばとか食べたくなるんですよね。でもベトナムだと不思議と全然恋しくならなくて。朝到着する便で帰ってきたんですけど、その日の夜に人を呼んで、ベトナム料理の美味しさを熱く語り(笑)、揚げ春巻きを作って食べた自分にすごくびっくりしました。」

酒井 違いはあれど、ベトナム料理は和食からそう遠くはないんですかね。

「なんかすごく肌が合ったっていうか、そういう感じですね。
私、これまでベトナムで日本料理って何回食べたことあるかなって、このあいだ数えてみたら、ああ、つき合いで1~2回行ったな、くらいでした。

ベトナムではイタリア料理とかレバノン料理とかはおもしろがって食べたりするんですよ。逆に今、新しいものがすごいですから、向こうは。最初に行ったときは時空を超えた旅で、何十年か前に戻った感じの旅だったのが、今や逆に越された感じで、30年40年前の日本から、今や10年くらい先までベトナムに置いて行かれた気がします。もちろん都市部に関してですけど。私にとってのワクワク感はニューヨークとかとあんまり変わらないかも。だから今はそういう意味で行きたいって思っています。クラフトビールやサードウェーブコーヒーが流行り、ヴィーガンやモダンベトナミーズの店があれば、昔ながらの街の屋台も残っているしで、すごくおもしろくて」

“先入観と固定観念”を持たない。持たないでいると、新しいものが生まれる可能性が

酒井 足立さんは、お料理を楽しむことと好奇心がワンセットになっている感じですね。

「そうですね。なんて言うのかな、ある意味、スタイリングって言うか。スタイリスト的な感覚で、これをこうしたらもっとよくなるなとか、こうしてみたらどうかなとか、そういう気持ちで料理していて、それが楽しいんです。それはたぶんベトナムで学んだことで、これはこういうものだっていう先入観を持たないようにしているんです。
私はジャンクフードも嫌いじゃないし、ジャンクならジャンクをどういうふうに食べるかとか考えたり、スーパーで新しいカップ麺やポテトチップをチェックするのも、新しいビールを見るのと同じくらい好きです。なんちゃって料理もありと思っていて、ちょっと手抜きしたっていいし、何でもあり。そういうのを考えるのが楽しいですね。考えることが料理の楽しみというか。

足立さんは日本でのバインミー流行の仕掛人。見かけは脱力系なれど、パンの質、具材、調味、すべてが計算された味覚の調和に驚く

バインミー(ベトナムのサンドイッチ)の具材も、まず口の中で想像して考えるんです。それは子どものときの、これとこれが混ざるのは嫌だなっていうのの逆なんですけど、これとこれが混ざるとこういう味になるから、じゃあ、今回のなますは大根でいこうとか、パパイヤでいこうとか、玉ねぎを使ってみようとか。一度、口の中で想像してから形にするっていうのが楽しいのかな」

酒井 そのイメージと実際に作ったものが、ずれたりせずにピタッと合うんですね。

「だいたい合いますね。これは酸っぱいから、酸っぱいものとは合わないだろうなとかいうことはあんまり考えずに、感覚に素直にやってますけど」

酒井 先入観をなくして、何でもありで考える。料理に対する思考がそうなると、ほかのこともそういう思考の枠組みになってくるんじゃないですか?

「そうですね。そういう意味で生きているのが楽になるというか。今までこうじゃなきゃだめって思っていたことがとっぱらわれている感じがします。まぁ、いいじゃん、っていう、そういう生き方」

前田 ベトナムが足立さんの中でヒットしたっていうのも、先入観で“なんでこの人達はこんなことするんだろう?”って否定的に見るんじゃなくて、逆に“あ、これでいいんだ”って思ったからですかね?

「そうなんですよ。私、最初にそれを思ったのは料理じゃなくて、ベトナムの雑貨で。ベトナムのカラフルなメッシュのプラスチックカゴありますよね。私、飲食店の前にベトナム雑貨店をやっていたんですけど、当時あのカゴは基本的に同じ柄のものがなかったんですね。おしゃれと言うより、現地では実用的なものだったので同じ必要がないせいか適当に編んでいるから(笑)。
それで仕入れに行って、この柄が良い! これと同じのがないかって聞くと、色が同じだけのものが100個くらい出てくるんです。いや、これ全部違うし、みたいな。でも向こうの人は、同じだ、“セイムセイム”って言うの(笑)」

酒井 うーん、「同じ」の感覚が違うんですね。

「そう。ジャケットをオーダーメイドして作ってもらった時も、ボタンの色が微妙に違って。違う~! って言ったら、ジャケットを持って1メートルくらい離れて、“ほら、わからないでしょ!セイムセイム(笑)”う~ん、確かにわからないよな(笑)と思う自分がそこにいて、クスッとしてしまいました。こっちのほうがいいと思って、勝手に変えてしまう彼らのすごさ。でも、逆にそこでいいものができることもあるんですよ。すごくいいものが。

だけど日本に帰ってきて売っていると、日本人はみんな、あれと同じのが欲しいって言うんです。私自身もそれまではそれが当たり前と思っていましたし。やっぱり考えかたの土台なり土壌なりっていうのが、違うんだなって。

同じものを作り続けることももちろん大事ですけど、それだと違うものはできない。で、違うものがもしかしたら突拍子もないものかもしれない。そういう可能性がなくなってしまう」

前田 ベトナムじゃなかったら、絶対にバインミーなんかできないですよね。

「できないと思いますよ。フランスパンになますをはさんじゃうんだから。きっとあれは最初、フランス領だったときにはキャロットラペだったんじゃないかと。それを、フランスの人たちがいなくなったときに、自分たちで適当に作って“いいか、なますで。酸っぱいし”みたいな(笑)醤油もかけちゃうし」

酒井 それが彼らにとって、セイムセイムの感覚なんでしょうね。

「そうなんです、それでいいんだっていうのが、そこで突き抜けたんですよ、自分の中で。ベトナム料理についても、本場はこうじゃない、と言われたりすることもありますが、それは自分のフィルターを通しているわけで、食べる人が違ったら味の感じ方も違う。その人が食べた料理と、私のフィルターを通して表現する料理は違ってもいいんじゃない? って思えるようになりました。
人それぞれ、経験は全部その人なりのフィルターを通していて、いろんな人がそのフィルターを通した表現をしているものだから、みんな違っていいと思うし自由にやっていいんだと」

“ON”の状態で料理に臨めばアイデアもわくし、発明もできる、失敗も乗り越えられる

酒井 では、最後の質問ですが、足立さんにとって“料理すること”とはどういうことなんでしょう?

「なんかこう、料理をするっていうのは自分が“ON”の状態ですね。やっぱり、いろいろ考えることが必要な部分が多いから、頭と気持ちのスイッチが入っている状態で料理をしたい。たとえば、料理って、今、冷蔵庫にあるもので何を作ろうかとか、そういうのって結局思考じゃないですか。たとえば、食材がそれとこれだったらメニューは何と何と何が作れて、って考える。あれこれを組み合わせてクリエイティブに献立を作る、新しいアイディアも出てくる、そんなふうに料理を楽しめるように、常に料理を作るときは“ON”の状態が作れるようにしたいなとは思っています。
う~~ん、でも疲れているときはどうしているかなぁ…。品数が減りますね。
これからは必ずしも“ON”じゃなくても、ま、いっか、とゆる~く考えることも楽しめるようにもしたいです。喝から脱へ。

なんか仕事と一緒かもしれません。仕事の考え方も料理で学んだ、みたいなことですね。私は料理と仕事のスタートが人生の中で近かったですから。それで料理がすごく仕事とリンクするところがあります」

前田 ダンドリをつけたりとか、これとこれの組み合わせでどうなるかって考えたり。

「そう、そうやって考えるのは、料理も仕事もあんまり変わらない。あと失敗とかもそうですよね。あると思っていた材料がなかったとか、あると思っていた道具がなかったとか。そのときにどう乗り越えるか。そんな一大事じゃないですけど(笑)、ああ、何にしよう、何でやろうって考えるのも、それはそれで楽しいです」

酒井 そこで方向を変えるのか、それともプラン通りで代用品を考えるのか。

「なければ考えて、そこに発明が生まれて、すると次はそれでOKになっちゃうんです。そういうのって料理にも仕事にもあると思っています」


足立由美子 あだちゆみこ
東京・江古田の「ベトナム屋台食堂 Maimai(マイマイ)」「ECODA HEM(エコダヘム)」店主。1997年に初めてベトナムを訪れて以来、毎年何度も渡航しては現地の屋台や食堂のおいしいものを探し回る。コロナの影響で渡航できない時期が続くが、「Maimai」で、「ベトナム地味なおかず選手権」や「ベトナムディルディルまつり」「ワインとフレンチコロニ アルベトナム料理」など、ベトナムに行ったような気分を味わえるユニークなコース料理を企画している。
著書に「バインミー~ベトナムのおいしいサンドイッチ」(文化出版局)、「はじめてのベトナム料理」(共著・柴田書店)、「ホーチミンのおいしい!がとまらない:ベトナム食べ歩きガイド」(共著・アノニマスタジオ)。「ベトナム料理は生春巻きだけじゃない」(共著・柴田書店)は英語版にもなっている。

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