“ウェルビーイング”って、私たちのくらしとどう関係するのでしょうか?(ゲスト:予防医学者・博士(医学)/石川善樹さん)

これまでになかった視点や気づきを学ぶ『ウェルビーイング100大学 公開インタビュー』。第3回は、予防医学者・博士でウェルビーイング研究の第一人者、石川善樹さんです。ゲストも聞き手も全員がオンライン参加、異なる場所からお送りした初の試み。
「ウェルビーイングとは?」から「いる」という人間関係の本質的な話まで、中身の濃いトークになりました。

聞き手/ウェルビーイング勉強家:酒井博基、ウェルビーイング100 byオレンジページ編集長:前田洋子
撮影/原幹和
文/中川和子


「ウェルビーイング」はたぶん、「なんか新しい感じ」をいままでと違う言葉で表すもの

酒井:本日のテーマは「ウェルビーイングって、私たちのくらしとどう関係するのでしょうか?」ということなんですけれども、この「ウェルビーイング(Well-being)」という言葉、WHO(世界保健機関)憲章に登場し「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも『すべてが満たされた状態』にあることをいいます」と書かれています。最近は「いい状態」とか、イメージ先行で使われている気がするのですが、石川さんは、この「ウェルビーイング」をどう考えていらっしゃいますか? 

石川:僕も「よくわからないですね」って答えてますね。「はて、それは何でしょうか?」って。ウェルビーイングって、人間が作り出した妄想なので、実態があるわけじゃない。水とか太陽と違って概念なので。「これがウェルビーイングだ」っていうものはないんじゃないでしょうか。じゃあ「日本とは何か?」と聞かれて、「何でしょう」みたいな。

前田:確かにそうですね。

石川:ただ、今までとは違う何かを表すために「ウェルビーイング」って言っているんだと思うんです。若者言葉で言えば、最近「エモい」とか「チル」とか言うじゃないですか。サウナ愛好者の「ととのう」とか。そういう今までになかった感じを説明するために、何か新しい現象とか、もしくは今まであった現象なんだけれども、それをもう少し違った角度で「ウェルビーイング」って言ってるんじゃないですかね。

酒井:いろいろなメディアでもちらほら目にするようになったなあ、という印象があるんですけれど。どうしてこの言葉が注目されるようになったのか、石川さんはどのようにお考えですか?

石川:活動家がいるんだと思いますけどね。それは「サステナビリティ」を広めたい人たちがいて、サステナビリティってことをずっとやってきたように、ウェルビーイングってことを広めたい人たちがいて、昔から活動はあったんだけど、最近、いろいろな活動が勢力を増してきたということなんだろうなと思うんですね。

酒井:石川さんはウェルビーイングの研究をされるきっかけがあったんですか?

石川:僕の父親が……父は「元気」って言っていたんですけれど。「元々ある気」っていう。それを英語でいうと「ウェルネス」とか「ウェルビーイング」とか言っていて。物心ついたときからそういう話はよくしていたので、それが何なのかもよくわからずに「ウェルビーイングというのがあるんだな」と。「元気」っていう、もともとあるものなので、別にカラ元気でもないし、無理するものでもなく「普通ってことなのかな」と僕は思っていましたけどね。もともとある気が「元気」「普通」と。

酒井:『ウェルビーイング100』というタイトルでメディアをやっていると「どうやったらウェルビーイングになれるんですか?」みたいな質問がよくあります。

石川:その人の中のウェルビーイングが何なのか、僕にはよくわからないですけれど、少なくとも「今の自分は何か違う」と思ってるんでしょうね。今とは違う「ウェルビーイングな自分」みたいなのがたぶんいて、頭の中で思い描いている自分と、現実の自分とのあいだにギャップがあって「どうやったら埋まりますか?」っていうことなんでしょうか。

酒井:じゃあ「こうであればウェルビーイングな状態だ」ということではなくて、それぞれの価値観の中で「どういう状態がウェルビーイングなのか」っていうのは人それぞれあって、「ウェルビーイングになれるにはどうすればいいんですか?」というのは「今の自分はウェルビーイングの状態ではないな」と気づいている状態なんでしょうか?

石川:どんな状態でもそれをウェルビーイングと呼んでしまえば、ウェルビーイングになりますよね。風邪をひいて寝込んでいる状態でも「ウェルビーイングなんだ」って呼べば。それが理想の自分なのか普通の自分なのかわからないですけれど、自分がそのウェルビーイングという状態を定義してるんでしょうね。イメージしているというか。

「100歳までは生きたくない」のは身近で見る機会がないから

酒井:この『ウェルビーイング100』の100という数字は「人生100年時代の」というところでつけているんですが、以前とったアンケートで「100歳まで生きたいと思わない」と回答した人が65%ぐらいいたんですけれども、そういう状態についてどのように思われますか?

石川:当然と言えば当然とも思えるし。たとえば「60歳まで生きたいと思いますか?」と言われたら、何パーセントぐらいの人が「イエス」と言いますかね?

酒井:僕は60歳まではイメージできるので、生きたいと思いますけど。前田さんはどう思いますか?

前田:たぶん、90%以上の人は「60歳までは私は生きたいな」と答えると思いますね。

石川:それはどうしてなんでしょう。

前田:結果からみるに、やっぱり健康の不安とか、自分がボケちゃうんじゃないかとか、そういう不安が「60歳だったらまだ、多少お金があって、まだ元気もあるなあ」と思っているからだと思います。

石川:それはどうしてそう思うんですかね?

前田:どうしてでしょうね。それを聞かれたのが、私が30歳だとしたら「あと30年ぐらいは大丈夫かな」というふうに、そこまでは何となく予想がつくけれど。30歳ぐらいだと、60歳以上のことは考えにくいというのがあるかもしれないですね。65歳以上かな?

石川:たぶん、ポイントは60歳だったら、高い確率で健康だろうし、高い確率でお金にも困ってないだろうという、根拠はないけれどイメージがあるんですね。

前田:そうですね。根拠はないですね。

石川:これが、戦後すぐにアンケートをとるとします。「60歳まで生きたいと思いますか?」と聞いたら、「いや、わからない」と言うと思うんです。「そういうことじゃない。今生きるのに必死なんだ」みたいな。

前田:明日のこともわからないのに。

石川:そうなんです。じゃあ、どうして60歳までは自分は高い確率で健康で、お金にもそんなに困ることはないだろうってイメージできるんですかね?

酒井:定年退職が60歳とか65歳なので、そこまではみんな元気に働けるんじゃない、みたいな、そういう線引きがあるから、自分たちも知らず知らずのうちに、それぐらいの年までは元気でいられるのかな、とか。社会からも必要とされるのかな、みたいな感じが、定年退職のラインのところで何となくあるのかなと僕は思います。

石川:会社に勤める、なんていうのは最近の話ですよね。寅さんの映画とか観ても「サラリーマンっていうのはいいなあ。会社に行ってればお給料、毎月もらえるんだろう」っていうセリフがあって。ポイントは、60歳の人たちを見ると、みんな健康そうで、そんなにお金に困ってる人も多くないっていう、そういう人たちを見てるからですよね。たとえば、100歳まで生きている人は、9割以上が健康で、9割以上はお金に困ってません、みたいなのを見たとすると、どうですか。自分も大丈夫そうだなと思いますよね。

前田:イメージじゃなくて、実際にそこにロールモデル(自分にとって、ああいうふうになりたいと思うような見本)がいたら、たぶん「私も大丈夫かな」と思うかもしれないですね。

石川:思いますよね。だから、たぶん、見たことがないだけだと思うんです。人間は見たことがないものはちょっと不安だなあと思うので。だから、100歳まで生きたいと思う人が今少ないのは、たぶん、あまり身近で元気な100歳を見たことがないからなんです。

酒井:なるほど。

石川:僕が「そうだろうな」と答えたのは、まだそういう人を見ていないから。これからたくさん、そういう人を見るようになると「まあ100歳ぐらいまでいくんだろうな」「たぶん、大丈夫なんだろうな」って普通にそうなると思います。今、過渡期ですね。

酒井:一方で、10%ぐらいの人が「100歳まで生きたいと思う」と答えているのもおもしろいと思うんですが。

石川:たとえば「月に行きたいですか?」という質問が、それにけっこう近いと思うんですよ。「行きたいと思わない」って人が多いんじゃないですかね。月に行く人が増えて、安全に行けるようになって「月に行くと楽しいよ」みたいにならないと。「別府温泉と月、どっち行く?」みたいな。

一同:

石川:宇宙温泉、月温泉みたいなのができたら、「月に行こうかな」と思う人が増えると思うんですよ。「月温泉につかりながら見る地球はキレイだな」みたいな感じになるかもしれません。

酒井:そういうイメージを持つと、少しずつ「月には行きたいかも」みたいな人が増える。

石川:単純に言って、見たことのないものは「自分もできるかも」とはなかなか思いにくいので。まず「見る」ってことなんでしょうね。

酒井:見ることによって、不安が解消されたり、イメージできることが大事なんですか?

石川:たとえば、自分より元気な先輩をたくさん見ると、自分も頑張れそうと思うじゃないですか。自分よりちょっと先輩で、もっと元気な人をずーっと見続けたら、たぶん100歳まで到達すると思うんですよね。気づいたら。いつだって今がいちばん若いときなので。

前田:そうですね。今、100歳の人って、ものすごく増えましたよね。

石川:ものすごく増えましたよ。でも「じゃあ何人、見たことがありますか?」ってことなんですよ。

前田:テレビとかでは見るけど、間近ではあんまりないですね。

酒井:確かに、実際に見るってことはないですね。

石川:もっと言うと、60歳以上で元気でやってる人をどれだけ見たことがあるかと。60まではなんとなく見たことあるから、イメージがついているだけなんだと思うんです。

ウェルビーイング研究は、ひたすら聴くことから

酒井:石川さんはウェルビーイングについて、どのようなアプローチをされているんですか?

石川:大きくは3つ流派があるんですね。哲学とか宗教の人たちがいて、専門家がウェルビーイングについて議論する。仏教ではこう伝えているとか、ギリシャ哲学ではこうだとか。そういう専門家がウェルビーイングについて、ああだこうだ言うというのがありますね。

酒井:もう千年以上も議論されているようなことですかね。

石川:それが流派1で、僕はあまり手をつけられていない領域です。で、流派2は「一般の人に聴く」という素朴なやり方ですね。

酒井:「一般の方に聴く」、どういうことを?

石川:簡単なのは「去年と比べて今年は良くなっていますか?」とか。たとえば「5年後の自分って、今と比べてもっと元気になっているか、病気のほうに向かっていると思うか」みたいな。そういう自分の変化ですね。聴いたときに、たとえば、傍から見ると同じような境遇に見えるのに「元気に向かっているよ」という人と、「自分は病気に向かっているなあ」という人に分かれるんです。その違いは何なんだろうかということを調べるという、すごく素朴なやり方です。哲学とか宗教の人たちとは違って「ウェルビーイングとは何ぞや」ってことを、流派2では特に定義していないんです。普通の人の感覚で、すごく単純なことを聴く。「元気ですかー?」って聞いたときに「元気でーす」という人と、そうじゃない人に分かれるじゃないですか。その違いを調べるという、めちゃくちゃ基本的なことです。

酒井:その違いは何によって生まれるのか、ということなんですか?

石川:そうですね。たとえば「収入によって違う」みたいなことがもしあるとすると、今度は同じ収入の人で比べてみるんです。あるいは、たとえば世帯収入300万円の人よりも600万円の人のほうがどうも「元気です」と答える人が多いとするじゃないですか。世帯収入300万円の人ほうが相対的に元気の割合が低い、と。となると次に調べるのは「世帯収入300万円の中で元気な人ってどんな人なんだろう」とか。「世帯収入600万円なんだけど、元気じゃない人ってどんな人なんだろうか」とか。そうやってだんだんだんだん条件を揃えながら、人々を分けていく感じですね。

酒井:それはすごく興味深いですね。ウェルビーイングが「こういうものだ」と具体的に定義されて、言葉だけが先走ってしまうと、今のお話でも変なところだけ切り取られて「じゃあ年収600万円ないと、私はウェルビーイングになれないんだ」みたいな、そういった誤った解釈、むしろまた新しい呪縛みたいなものに悩みそうで。世帯収入が300万円の人の中でも「いい」っていう人と「私はいまいち、いい状態ではない」っていう人が、同じ条件の中にいるという、その違いなんですね。

石川:数年前に僕が行った調査で、派遣労働者の方々のウェルビーイングを調査したんです。派遣の中でも工場労働の人たち、収入でいうと200万円前後くらい。工場で働いている、たとえば携帯電話の組み立てをやっている人とか車を作ってる人とかを調査したんですけれど、他の職業の人たちに比べて、ウェルビーイングが低いんですね。理由は給料が安いとか、その安い給料を得るための仕事がつまらなすぎるとか。いろいろな理由があるんです。でも、同じ給料、同じ仕事をしているのに、なぜか元気な人たちも一方でいるんですね。同じ仕事なのに楽しいと思っている人がいたり、同じ境遇なのにありがたいと思っている人たちもいて、こういう人たちはどうしてなんだろうか。やっぱり人っておもしろいのは、同じ環境でも心の持ちようで全然違うんですね。ナチスの強制収容所の『夜と霧』みたいな話もそうですね。

※『夜と霧』……ユダヤ人の精神分析学者ヴィクトール・E・フランクルがナチスの強制収容所での体験を綴った世界的名著。

前田:あ、そうですね。

石川:日本でいうと、普通の人は人生につまずいたとき、どうやって立ち直るんだろうかということをテーマにしている作家さんがいて『友がみな我よりえらく見える日は』というノンフィクション作品を書いている人なんですけれど。人って、どんな状況でも力強く立ち直る人がいて、それはどういう人たちなのかなあと。これはもう、単純に聴くしかないんです。人に興味を持ってたずねていくっていう、素朴なやり方が流派2ですね。

「ウェルビーイング研究流派3」から生まれるとんでもないイノベーション

酒井:ちなみに聞き続けることによって、少しずつ石川さんの中で、立ち直れる方の共通点であったり、わかってきたことはあるんですか?

石川:そういうものはいっぱいありますよ。たとえば派遣労働者のかたでいうと、もっと若いときにとんでもないブラック企業を経験している。すると、基準がそこになるので、そうすると何をやってもありがたく見えるんです。一般化して言えば、やっぱり若いときに苦労していた人のほうが、その後の苦労を乗り越えやすいというのがあるんですね。若いときの苦労は買ってでもせよ、って。

前田:言いますよね。

石川:重要なのは苦労することじゃなくて、それをちゃんと乗り越えること。しっかり苦労して乗り越えた経験がある人は、その後、基準がそこになるので。実際、そういう人のほうが長生きしやすいという研究もあるし、また、ある程度年を重ねてから、まったく新しいことにチャレンジしたことがあるかとか。人間関係でもいいし、仕事でも何でもいいんですけれど。たいがいは年を重ねれば重ねるほど、どうしても新しいことに億劫になって、これまで自分が得意だったことや、やってきた何かを活かしたことをしようとする。でも、年を重ねてからガラッと新しいことにチャレンジしてきた人って、そのあとも「何があっても大丈夫だろう」って思いやすい、みたいな。だから、定年まで勤め上げるよりも、途中でやめちゃった人や、やめて全く違うことをした人のほうが、最初は苦労したりしますけど、なんだかイキイキはしていますよね。女性でいうと、専業主婦のかたってだいたい50歳ぐらいで母親定年を迎えるので、その後苦労するんですけれど、いろいろ新しいことをやって、えらい元気になって。

酒井:へえ。おもしろいですね。それが流派2。

石川:流派3はもうちょっと生物学的というか、脳からのアプローチなので。実験したりいろんな数式を用いたり。

前田:実験というのは、どのような実験なのでしょうか?

石川:ギャンブルをやらせてみて、どういう振る舞いをするか、とかですね。

酒井:なるほど。その振る舞いを観察するという感じなんですか? 

石川:まあそうですね。そこから、その人のパラメーターみたいなのを抽出するということをやるんですけれど。これは完全に数式の世界なので、この流派3は、わかる人にしかわからない世界です。あんまり一般に知られることはないですね。流派3から、とんでもないイノベーションとかテクノロジーが出てくるんですけれど、それが出て一般に広まるとそういうもんだなと思うんですが。それはもう数十年待ったほうがいい流儀ですね。

酒井:では、石川さんはその流派2のていねいに聴くというところから。

石川:僕は2と3ですね。3は僕、一般にこういう場で話すことはないですね(笑)。難しすぎるんです。流派2というのは、要は「こういう人がいたよ」っていう話をしてるだけなんです。「こういう人が元気だよ!」って言ってたという。

一同:

石川:ちゃんとやってる人からすると失礼だったかもしれないですけど。そんな難しいことをやっていないという意味では、たいしたことはやってないですね。

酒井:じゃあ、「そういう人がいたよ」ってことであって、必ずしも誰かに、または自分にそれが当てはまる、というわけではなく。

石川:そうです。ただ、当てはまるように、なるべくいろいろな条件をみる。なるべく客観的な条件は揃えるというか。で、プロフィールを聞いてって、「ああ、ちょうど酒井さんと同じような人で、すごく元気な人がこのあいだいたんですよ」みたいな。そうするとすごく参考になりますよね。

酒井:なるほど。まわりに自分の境遇と似ていて、元気な人がいると良さそう。

石川:だからビッグデータっていうのは、自分と似た境遇の人を見つけやすいというので、すごくいいんですよ。amazonとかそうですよね。「あなたと似たような人がこういう商品を買っていましたよ」って表示される。そうすると「そうそう、これが欲しかったんだよ」とか。「自分じゃ選ばないけど、こういうのも有りだな」とかいうことあるじゃないですか。あれは今、グッズとか商品の推薦が多いんですけれど、「もう少しこういう旅はいかがですか?」とか、それこそ「お友達はいかがですか?」とか。お友達とは、酒井さんが既に築いてきた人間関係の中で「最近、この人はあんまり会ってないですね。久しぶりに会ってみたらどうですか?」みたいなことは、人間ではどうしても情報量が増えると処理しきれないんですけれど、そこはコンピュータのほうが得意なので。

酒井:そういうのが出てきたらおもしろそうですね。グッと生活が変わりそうな気がします。

石川:カーナビじゃないですけど、人ナビみたいな、出会いができたりするんだろうなと思います。僕はそういうカーナビじゃなく人ナビの特許技術を取ってるんですよ。

前田:え、ほんとですか!?

石川:どうでもいいですけど(笑)。

前田:へえ、すごい。

旅に出る目的は、一緒に行った人の話を聴くこと

酒井:先ほどちょっと旅の話も出てきましたけれど、石川さん、よく旅に出かけられるとか。

石川:先週も行ってました。

酒井:それは石川さんにとって、旅がいい状態になれるといいますか、意識的にされていることなんですか?

石川:そうですね。特にこの数年ですけどね。

酒井:石川さんが旅に出る理由をうかがいたいんですけれど。

石川:二つあるんです。旅する場合って、必ず現地の人が案内してくれるっていう。旅する先に必ず現地で暮らしている人がいて、そういう人たちと交流するというのが、パターンとしては多いですね。

酒井:それは、自分とは違う状況で暮らしている人の世界とつながってみる、みたいな。

石川:それもそうです。それがひとつと、もうひとつは一緒に行く人のことをよく知るためっていう。両方に共通しているのは、僕、人に興味があるんだと思うんですね。どうしてもその人のことを知ろうと思うと、時間を取って同じものを見たりとか、そういうことがどうしても必要になってきて。暇がないとできないですよね。「わー、あれキレイ!」とか言ってると、その人のことを知る暇がないんです。暇で暇でどうしようもないと、話すしかないじゃないですか。

酒井:はい。

石川:移動中とかは、僕にとってすごく大事な時間で。たとえばその人の家系が、ご先祖様を何代先ぐらいまでさかのぼれるか。その人の生まれるまでの話を聞いて、旅を終わることがよくありますね。

前田:すごい。

石川:その人が生まれたあとの話に行き着かない。たとえば「その人のご両親はどうやって出会ったのか」とか。「どうして恋に落ちたのか」とか。根掘り葉掘り聞いて。知らない場合はご両親に電話してもらって。

一同:

酒井:その人のことをそうやって知るということが、最初から目的化されているんじゃなくて、一緒にいる過程で結果、知ることになってしまうという感じなんですか?

石川:だから、まあ、そんなある意味で人の過去に踏み込むようなことをやっているんですけれど、僕が旅する目的は、要はそれだなあと。

前田:自己紹介するときに「私の三代前のおばあさんはこうでした」っていう話はしないですよね。

石川:そうですね。だから僕、社会人になったあとの話はあんまり興味がないので聴かないですね。そこの話よりも何者かに「なる」前の話のほうが。

酒井:「なる」前。

石川:その人の原型はどうやってかたちづくられたんだ、どういうとらわれとかトラウマとか、苦しみがあったんだろうとか。どこに人生のヒントがあったんだろうとか。ずっと聴いていくと、その人もけっこう「ああ、そういえば……」みたいに思い出すこともあったりして。このあいだも「自分はずっとスポーツが得意だと思ってきたけれど、よく考えたら、自分はスポーツが苦手だな」みたいな人がいて(笑)。どんだけ勘違いしてるんだって。

前田:なんで?(笑)

石川:どうして自分はスポーツが得意だっていう、そういうとらわれを持つようになったんだろう。ご両親がふたりとも国体選手で、めちゃめちゃスポーツが得意だったんですね。だから自分も得意なんだっていうふうにまわりに思い込まされた。でも、小学生の頃はリレーを走ってもいつもビリだった、よく考えたら全然得意じゃなかった。自分でもなんとかできるスポーツはないかというのを探して、無理矢理ニッチなほうにいって、得意げな勘違いをあえてしてたけど、よく考えたら違うっていう。おもしろいですよ。人っていいかげんだなって思いますよ。いいように話を創ってるな。人って感じたことは変えられないですけど、記憶は変えられるというか。このあいだも大分県の別府に行ったんですけど、別府の隣町でサップしたんですね。サップってわかります?

酒井:はい、わかります。海の上で。

石川:サップってサーフィンボードみたいなのに立って、オールみたいなので漕ぎ出すんですけどね。サップしているおっちゃんがいて、そのおっちゃんの人生の話を聴いていたら、サップどころじゃなくなって(笑)。彼は香港に25年ぐらいいて、香港でずっとアパレルの仕事をやっていて、で、この間戻ってきた、って言うんです。そういう話を聴くと「この人の人生、何があったんだろう」って気になってこないですか?(笑)

前田:アパレルだったのに(笑)。

石川:そんな感じで興味を持っちゃうんでしょうね、僕の場合は。「そもそもこの土地ってどういう土地なんですか?」とか。まあ、土地の歴史を聞いたりとか、そういうのが好きなんでしょうね。そうやって「こういう人がいたよ」「こういう人が元気そうだったよ」とか。

「いる」と「する」の違いにある大きなもの

酒井:先ほどから「いたよ」とか、その人の話を聞いて「いる」という存在のあり方にご興味があるんだなと。自己紹介の話で思い出したんですけれど、社会人になってからの自己紹介って「私って何々しています」っていう、何をしているのか、みたいなところにドメインを置いて話す。そこから「私は今、こういうふうになっているんです」みたいなことを話す傾向にあるなあと。石川さん、あんまりそこにはご興味がないってことなんですか?

石川:そうです。だから「何をされてる方なんですか?」という質問は、僕はあんまりしたことがないですね。

酒井:その人自身の存在に興味がある?

石川:そうですね。そういうことになるんでしょうね。たとえば、皆さんだったらどうしますか? 新しい人と知り合ったときに。どういう会話から始めます? そこにもちろん、特にいいとか悪いとかないんですけど。

酒井:僕の場合「最近、仕事でしか人と知り合わなくなったなあ」みたいに感じで。そういうのに疲れてきて、テニスを始めたんです。それは定年を過ぎた、割と元気なおじいさんたちのテニスの壁打ちをやるたまり場があったから、そこに飛び込んで。すると「何をしているか」とか何も聞かれずに、僕44歳なんですけど「若者」って言ってくれて、ただの「テニスが下手な若者」という扱いで。どういう仕事をしているかなんて、全然、会話になくて。ただひたすら、一緒に壁に向かってボールを打っては「どこのスーパーで安売りしてる」とか、ほんとうに他愛もない話をしている。思い切ってその壁打ちコートに行ってから「なんて心地いいんだ」みたいな感じで。最近は一緒に朝練とかやるようになりました(笑)。

石川:今の酒井さんの話を聞いていて、連想ゲームみたいに思い出したことがあります。南アメリカのアマゾンのジャングル。アマゾンのジャングルに住むある部族がいるんです。で、そこのあいさつが変わっている。出会うじゃないですか。で、出会うときに「いる?」って聞くらしいんです。「いるよ」って言うらしいんです。でも、見ればわかるじゃないですか。そこにいるから、いるのがわかる。

酒井:そうですよね。改めて確認する感じじゃないですよね。「元気か」とか、そういうことでもなく、「いる?」っていうふうに聞くんですね。

石川:別の話で、今度は南アフリカなんですけど、佐渡島傭平君に聞いた話で、「いる」っていう感覚が日本人とは違うって話をしていて。「いる」って僕らだったら、たとえば今、僕らって一緒にいますか? たぶん、人によって感覚が違うと思うんです。物理的に一緒にいないとダメっていう人もいれば、オンラインでこうやっていれば一緒だよっていう人もいると思う。前田さんはどうですか? 僕ら一緒にいますか?

※佐渡島傭平……元講談社の名物編集者で、『バガボンド』『ドラゴン桜』『宇宙兄弟』などのコミックを担当。現在は作家のエージェント会社コルクの代表取締役会長を務める。

前田:うん……います。

石川:ただ、ここが限界だと思うんです。こうやって話してることとか。で、南アフリカのそのある部族は、100キロ離れたところに住んでいる友だちと、話してもいないし、会ってもいないんです。だけど「昨日、一緒にいたよ」って言うらしいんです。

前田:「想った」っていうことでしょうか?

石川:たぶん。「いる」ってそんなに感覚が違うんだなあと。で、僕も、たとえば地元の人だったら「どれくらいここにいるんですか?」というようなことから聴くんですね。サップのおじさんだったら「まあ、数年かな」みたいな。「その前はどこにいたんですか?」「もともとおじさん、どこにいた人なんですか?」「もともと、家系はどこにいたんですか?」みたいに。だから、「いる」話をずっとしていくと、どんどんどんどん、深い話になっていくんです。

酒井:まさにビーイング。

石川:だから、「いる」いうことなのかなと。僕はあんまり「する」話は、しないんですね。

酒井:ウェルビーイングっていうと、どうしても「ウェル(well)」のほうが気になって「どうやったら良くなれる?」「どうやったらいい状態になれるんだろう」「そのために何をすればいいんだ?」みたいに思います。今日は石川さんに「ビーイングbeing」のお話をうかがっている、そういう感覚になります。

石川:だからさっきの流派2の研究でいうと「こういうところにこんな人がいるよ」って話をひたすらしてるんです。きっとそれは語り継がれていったら、新しい昔話として、    
残っていくんだと思うんですね。

前田:ああ、昔話としてね。

石川:「こういうところにこういう人がいました」っていう。

酒井:「われわれは何を“すれば”ウェルビーイングな状態になれるのか?」ということにこだわり過ぎているんでしょうか?

石川:それが悪いことだとは思わないんですけれど、どうなんでしょう。僕、以前、ダイエットの研究をしていた頃は「やせるために何をしたらいいですか?」っていつも聞かれたんです。「食べないでください」しか言わないですよね(笑)。それで「わかりました。やります」っていう人、僕は見たことないです。みんな「ですよね」と言って。そいうことじゃないんだろうなって、だんだんだんだん僕も気づいてきて。
それこそ企業でも地域でもそうだと思うんですけれど「隣のこの人は誰なんでしょうか?」っていう疑問がどんどん出てるんだと思うんです。「一緒に働いてるこの人は誰?」っていうことですよね。一緒に、同じ地域に住んでいるあの人は誰なんでしょうかっていう疑問が、たぶん、あるんだと思うんですよ。それもあって多分、ウェルビーイングってことが言われているんじゃないでしょうか。

前田:同じ会社とか、同じコミュニティの中にいても、お互いに「いる」っていうことがそんなに感じられないということがありますからね。

石川:『居るのはつらいよ』っていう本を書いた臨床心理学の先生がいるんですけど、一緒に「いる」ってけっこう難しいんですよね。ただ「いる」だけじゃダメで、
なんかどうしても、何かを「したがる」というか。

※『居るのはつらいよ』東畑開人著 医学書院刊

前田:ただ「いる」んじゃなくて、何かをしたがるってことですね。

石川:一緒にいるためには、その人に興味を持ってないと、一緒にいられないですよね。

前田:確かに。

石川:一緒に「する」ことが目的だったら、役割と責任と給料を出せばやるっていう。

酒井:確かに仕事は「一緒に仕事をする」でつながっている感じなんで。一緒に「いる」っていうのとはまたちょっと違う感覚ですね。

石川:「私はここに確かにいるんだ」って思えるときって、「私のことをみんな人間として興味持ってくれている」っていうときだと思うんですね。今って、たぶん、あんまり人に興味がないんだと思うんです。自分だけに興味があるんですかね? だから「ずっとここにいるんですか?」みたいな話を聴いていくと、よく言われるのが「こんなことを話したのは初めてです」って。もうひとつ、よく言われるのが「なんだかスッキリしました」。僕は別にカウンセラーでもなんでもないし、ただ話しているだけなんですけれど。「どういう人なんだろうか?」と聴いているだけなんですけれど。結果としてそれが「あんまりそういう話はしないよね」みたいな。じゃあ何の話をしてるんだろうと思うとみんないつも何かを「する」話をしてるんです。

●「いる」に関連して「居場所」に関するデータ

【「子供・若者の居場所」「子供、若者の居場所と自己認識の関係:内閣府調査】
全国の子供と若者(20代)に対して行われた調査。
参考①は「自分の部屋」から「インターネット空間」までの6つの場所が、それぞれ自分にとって居心地のよい場所であるかどうかを尋ねたもの。2016年に比べ、3年後はどの場所の居心地も下がり、結果として約20人に一人が「どこにも居場所がない」と回答。
参考②は「自己肯定感」「将来への希望」などウェルビーイングに関連する指標が、居場所の数が多い人ほど右肩上がりに上がっていることを表している。

酒井:その人に興味を持って聴くことで、その人は「スッキリした」っていう話はすごくおもしろいですね。今日、ほんとうは「ウェルビーイングって何だろう?」っていう話を聞いてから、「じゃあ、ウェルビーイングになるためには何をすればいいんでしょう?」って石川さんに聞いてみたいなと思っていたんですけれど、全然違うお話が聞けて、むしろメチャメチャおもしろかったです(笑)。

石川:あえてそれに答えるとすると、「ウェルビーイングとは、一緒にいて相手に興味を持つこと」、というようなことなんだと思うんです。

前田:ああ、それ、グサッときますね。

石川:たとえば、もう、これだけ一緒にいるのに、その人のことを30分間しゃべれますか? という問いがあって、意外と知らないみたいなことがあるんですね。それは僕自身もそういうことってよくあって、びっくりすることがあります。特にそれは職場でよくあるんだと思うんです。

前田:ほんとにそうですね。

石川:人生でこれだけ多くの時間を共に使っている、職場にいるんですけれども「隣にいるこのおじさん誰?」ってことがよくあるんじゃないですか(笑)。

前田:あんまり知りたくもないし、みたいな。

石川:そうそうそう。興味がないんですよ、あんまり。

酒井:そうですよね。コロナもありましたけど、もう“飲みニケーション”も必要ないみたいな感じで。それなら旅に出ればいいんですかね。

石川:このあいだ、ある会社の若者が言っていたんですけれど、「不思議なんですけどね」って。コロナになってから入社したから、テレワークで仕事の話しかしたことがなかったんだけど、出社して、初めて上司とごはんを食べたという話で。そこで仕事以外の話も当然して、「高校時代って、そんな部活をやってたんですか」とか、その人の人となりを知って「不思議なんですけれど、それですごい仕事のヤル気が出たんですよ」みたいな。「こういう人と一緒に仕事をしているんだ」って思えるというのは、なにか解像度が上がったみたいで。不思議ですよね。

酒井:おもしろいですね。

●以下、石川さんが皆さんの質問にお答えします

質問:石川さんはどんなかたにも興味を持てますか? 興味を持てないかたもいますか? 気になりました。

石川:結論から言うと、タイミングってあるなあという話です。「昔は興味なかったけど、今はすごく興味ある」みたいな。同じ人でも、タイミングはあるんだと思うんですね。あるいは、昔はすごく配偶者に興味があったけど、結婚して長くなると、興味が薄れて怒られるとか。僕もよくわからないですけれど、タイミングとかご縁みたいなのがあって、僕も「自分、こういう人に興味持つんだ」と、いろいろ話を聴いていく中で自分でもビックリすることがあります。

酒井:普段から流派2のところで、人の話を聴くということをされているので、興味を持ってしまう可能性が高い?

石川:人の話を聴くというのは、僕だけじゃないんですよ。実は石川家代々、やってるんです。祖父母は保護司というボランティアをやっていたので、刑務所に入られてた方々の社会復帰を支援していました。元囚人の方々の話はずっと聴いていたし、父もへき地医療をずっとやっていたし。ほんとうにお医者さんがいないようなへき地ですね。そこで結局、やることって、島であったり、へき地の住民の方の話を聴くところからしか始まらないって言うか。だから、よく話を聴く一家なんですかね。

質問:石川さんはご自身がどんな状態のときでも、相手と一緒に「いる」ことができますか? 「いる」ことができるために、意識されていることはありますか?

石川:僕はもちろん、そんな立派な人間ではないので、失敗したり、絶望したりはよくしますね。なんで自分はこんなに信頼がおけない人間なんだろうってよく絶望しているんですけど。こんな信頼できない自分と一生つきあっていくのかと思うと、勘弁してくれと。自分と一緒にいるというのがもしかしたらいちばん難しいかもしれないですね。気づけばすぐ忘れるし、怠けるし、やめてくれと思いますよ。

質問:「一緒にいる」という感覚は、自分以外の誰かの存在との関係の中で、成り立つと思います。自分自身だけでウェルビーイングだと感じることは可能でしょうか? そのための条件などありますか?

石川:別府でサップした話をしましたけど、大海原に向かって、しかも泳ぐのと違って立っているので、視界が全然違うんですよ。「近く見ると酔うから遠くを見ろ」って言われて、大海原に向かって漕いでいるとき、「地球にいるわー!」と思って。あの感覚はなんだかひとりでも味わえるというか。あと、別府温泉で地熱に抱かれたとき。「すみません。ちょっと地球、お邪魔させていただいてます」みたいな気になりましたね。「抱いていただいてありがとうございます」と。

質問:今は必要以上に干渉しないこと、相手と心の距離を縮めないことで自分を保つという風潮があるように思います。石川さんはお話を聴いていて「これ以上は聴きたくない」と思うことはありますか?

石川:相手からすればイヤなこともたぶんあると思うんですよ。聴かれたくないとか。もしかしたら本当のことじゃなくて、ねつ造した話をしてるかもしれないですよね。だけど、興味があって聴きたいから、もうしょうがないですね。相手がどう思おうが、怒りにふれようが、こっちはそれでも聴きたいんだっていう感じですね。

質問:いろいろなかたの話を聴くときには、相手が話をしやすいように気をつけていること、心がけていることはありますか?「初めて人に話したよ」とよく言われる石川さんの聴き方に興味があります。

石川:何をしている人なのかはあまり聴きませんね。あとはなるべく弱いところを聴く。人って弱い存在、「人間は弱い」っていうのは、石川家の家訓なんですよ。だから、人は自分のことを理解してもらいたいという欲望を抱えてしまうし、自分のことをよく見せたいという欲望を抱えてしまうと。強さよりも僕は弱さの部分にたぶん興味があって、そこをずっと聴いていくので、そういうとらわれやトラウマがあるんだ、みたいなことには、どちらかというと、そっちに偏りがちになるかもしれないですね。「この人の弱さの神髄に触れたい」という。これはすごく難しいと思いますね。普通に聴いたら怒られてもしかたないことをいっぱい聴いていると思いますね。そこはもう無邪気なフリして(笑)。「ほんとは?」「ほんとは?」って言って。

酒井:でも、そこの根本に石川さんの中にある、その人に対する興味というところがあるので、そんなにこじれないんじゃないですか?

石川:わからないです。こじれているかもしれないですよ。

酒井:弱みを聴いて何か利用しようとか、そういう下心があったりすると、なかなか心も開いてくれないと思うんですけれど、その人の「そこにいる」ということ、その存在自身に興味を持って聞けば。

石川:そうかもしれないですね。だから、ウェルビーイングっていうのはそういう意味で言うと「その人の弱さとともにいる」ことかもしれないですよね。僕なりの定義は。だから、あんまり自分の話じゃないです、僕にとっては。もうちょっと関係性の中にあるものかもしれません。

酒井:たくさんの質問に答えていただいて、ありがとうございました。

石川:毎回、趣旨とズレたヘンなことを言っているみたいで(笑)。

前田:すごくおもしろかったです。「弱さとともにある」というのはなるほどなと思いました。人ってそんなに自分に対して興味を持ってもらえることがないですものね。「あなたは何をしていますか?」とか「仕事は何ですか?」は聞いてくれても、私の弱さを暴き出してくれるとか、あんまりないですもんね。

石川:それをしてくれるのは、占い師とかそういう人なんでしょうね、たぶん(笑)。

酒井:笑。本日はどうもありがとうございました。


石川善樹(いしかわ・よしき)さん
1981年、広島県生まれ。東京大学医学部健康科学科卒業。ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。公益財団法人Wellbeing for Planet Earth代表理事。「人がよく生きる(Good Life)とは何か」をテーマに、企業や大学と学際的研究を行う。