ウェルビーイングの鍵は“働きがいを生む仕組み”にあった!

「チーフウェルビーイングオフィサー」という役職をご存じだろうか。
今やウェルビーイングは、意識の高い人たちが唱えるふわっとした概念ではなく、
組織として推進するべき企業部門のひとつとなってきた。
他社に先駆けてこの役職を置いた楽天グループの
チーフウェルビーイングオフィサー、小林正忠さんに、
組織のウェルビーイングとは何なのか、
個人のウェルビーイングとどんな関係があるのかを伺った。

お話しをうかがった人/楽天グループ㈱ 常務執行役員 CWO (Chief Well-Being Officer) 小林正忠
聞き手/ウェルビーイング勉強家:酒井博基、ウェルビーイング100 byオレンジページ編集長:前田洋子
撮影/原 幹和
文/小林みどり


━━━「チーフウェルビーイングオフィサー」という役職はまだ珍しいと思うのですが、設置された背景や経緯はなんでしょう。

「我々は早くから『楽天主義』を掲げコーポレートカルチャーを重視してきましたが、事業の拡大や買収、海外進出などにより楽天グループのメンバーになった仲間たちが、海外も含めかなり増えてきたんですね。そういう仲間たちにも楽天主義に共感してもらい、一致団結したいという思いがありました。
それで2017年の夏に三木谷(創業社長・三木谷浩史氏)からコーポレートカルチャーを再強化しようという話があり、コーポレートカルチャーディビジョンを作りチーフピープルオフィサーに就任しました。
私は人事の専門家ではないので、いろいろな人の話を聞きにいきました。ミッション、ビジョン、バリューを仲間たちに伝え体現してもらいたいんだと訴えると、それはウェルビーイングですよ、と言ってくれた人がいまして。
仲間が共通の価値観を持ち、創業社長と同じエナジーレベルでパフォーマンスできたら、組織がとんでもなくいい状態になる。だから、個人のウェルビーイングを通じて組織のウェルビーイングを実現していこうと、方向が定まったわけです。それで2019年に、チーフウェルビーイングオフィサーと肩書を変えました」

━━━楽天のウェルビーイングといえば、扇の要に個人のウェルビーイングがあり、その上に仲間(組織)、社会と広がっていく図が印象的です。あのビジョンはどのようにして作られたのでしょうか。

「コーポレートカルチャー専門の箱がまずできたわけですが、そこに外部から、エンプロイー・エンゲージメントが大事だという人が入ってくれました。そして社内のCSR担当チームより、サステナビリティもコーポレートカルチャーの一部ではないかという提案があり、我々の仲間になってくれました。さらに、ひょんなタイミングから、個人の健康意識の醸成や、組織としての健康増進の推進を行うウェルネス部も、我々の組織に加わることになったんです。
 バラバラだったチームがひとつの箱に入ってしまい、さてみんなの前でどう説明しようと考え、個人のウェルビーイング、組織のウェルビーイング、社会のウェルビーイングと表現したら、意外とハマってうまくいったなと(笑)
 個人、組織、社会という3レイヤーでウェルビーイングを考える人は、世界的にみてもあまりいないように思います。メディアなどもほとんどが個人のウェルビーイングをフォーカスしていて、組織のウェルビーイング(=コレクティブ・ウェルビーイング)はあまり聞かないですよね」

━━━コーポレートカルチャーディビジョンの活動は、具体的にはどんなことを?

「2019年にチームができあがって間もなく、コロナ禍となりました。一時的に在宅勤務が中心となったため、さまざまな情報をオンラインで発信していこうと、腸活や睡眠などのヘルスケアから保険や税金、不動産、相続といったファイナンシャル・ウェルビーイングのコンテンツもたくさん作りました。お昼休みの時間にセミナーやイベントの配信をして、それぞれ数百人が参加してくれ盛況でした。
 知識を身につけるメリットもさることながら、それを考える機会があるということが、とても幸せなことだと思うのです。みんな真面目で忙し過ぎて、目の前の“しなければいけないこと”で頭が埋め尽くされている。そんなとき、お昼ご飯食べなきゃ、じゃなくて、お昼ご飯を食べながらちょっと自分のライフプランについて考えてみない? という機会の提供がすごく大切だと思いました。
 もちろん、単なるふわっとした“エンゲージメントを高めるぞ!” ではなく、我々のチームは達成率もちゃんと意識していますよ。きちんとKPIに落とし込み、数値で目標を立て、それをチームに割り当てるといくら、さらに個人に割り当てるとこう、と極めて明確に整理しています。
 ただね、そうすると参加率や参加者満足度みたいな話に偏りがち。そんなときに僕が、楽天グループ全体でみたとき、本当に僕らがやりたいことができているのかな? と問いかけるわけです。すると、参加しなかった人たち、満足しなかった人たちにはどういうアプローチをしよう? という発想が出てくる。こういうことを、全社的にやっていくことが大事だと思うんです」

━━━KPIの設計が難しそうですね。大きなビジョン、大きな歯車を動かすために、どう数値化し、どんな小さな歯車を用意して組み合わせ、駆動させるのか。

「毎週一回『朝会』という全社ミーティングを開き、三木谷がビジョナリーな話をします。携帯市場の民主化! みたいな。現場で働く仲間からみると、漠然としていてかなり乖離がある。そこを媒介して、トップのビジョンを翻訳して現場とコミュニケーションをとるのが、ミドルマネージャーたちの仕事です。
そのビジョン、目標をどこに設定するかが大きなポイント。三木谷が目標設定をストレッチしていくんですよ。背伸びやジャンプで届くなら、目標じゃないよねと。それは何のクリエイティビティがなくても達成できる数字なわけで、あえて目標にしなくてもいいと。
 ジャンプして届かないということは、めちゃめちゃ頭を使わないと届かない。椅子を持ってくれば、ふたりで組めば、一人が一人を持ち上げれば、と、目の前にはない策を考えるアクションや機会が生まれます。そこに、企業文化のひとつ『GET THINGS DONE』、つまり、やり切る力というのがついてくる。現場が“どうしよう”と考え、現場のクリエイティビティで目標を達成していくので、KPIの設計の要は現場側にあるんですよ。
 ただ、僕らの会社にそのカルチャーがあるのは、三木谷が本気だよと示し続けているからこそ。社内公用語を英語化にしたことや、携帯事業に参入して楽天モバイルを一から立ち上げたことにしろ、世間からは無理だと言われるようなことも、社内では毎週のように三木谷が全員でやろうよ! とビジョンを訴え、本気を見せなきゃ世の中変わらない! と伝えていくんです。これが、組織のウェルビーイングを作るんです。
 うちの会社のいい状態、“ウェル”はこれですとトップ自らが延々と語り続ければ、社員はあまり迷わなくてすむ。これが、働く人々にとって重要なポイント。リモートワークOKとかラグジュアリーなソファがある、おいしいコーヒーやランチが無料だとか、とかく働きやすさのほうに注目が集まりがちですが、それ以上に大事なのが、働きがい。働きがいこそ、ひとりひとりが持っているエネルギーの源泉のはずです。そこを忘れないように、トップが本気だと語り続けたり、会社として仕組みを持ったりすることが大切です。
 ウェルを言い切るのは勇気がいると思いますよ。覚悟がいるというか。責任が伴いますのでね、特に経営者側には」

楽天クリムゾンハウス内にあるフィットネスジム。低料金で利用できるのはもちろん魅力だが、社内にある、というところが運動の継続に大きく影響する。

━━━コーポレートカルチャーディビジョンの活動で、経営課題が解決されたのでしょうか。

「とても貢献できていると思います。経営課題を解決するうえで圧倒的に大切なものが人材。その人材がそもそも会社を離れていってしまうのは問題で、エンゲージメントが大事です。
 我々には『楽天主義』という10個のバリューがあるのですが、それと個人の価値観を接続したい。ひとりひとりが、なぜ今日私は働いているのかが分かると、当然パフォーマンスもよくなり、ビジネスパフォーマンスに寄与します。
その接続の手段のひとつとして、「主義ファシリテーター」という役割があります。インドなどの海外拠点でも毎月のように仲間が増えていますから、主義ファシリテーターが彼ら彼女らに伴走して、我々の考えや想いを伝えていってくれています。
個別の具体的な経営課題の解決というよりも、人材力の底上げであり、大前提を構築していると思っています」

━━━ウェルビーイングにおいて、今後の展望は。

「楽天市場には、我々と志を共にしてくださっている事業者さんがたくさんいます。そんなビジネスパートナーにも、ウェルビーイングの考え方をお届けしたい。たとえばその中の5万社で組織のウェルビーイングが図れたら、うちごときの3万数千人レベルではなく、何百万人という単位で社会を変えていくことができると思うんです。
 たとえば我々に、児童労働などの人権侵害がある製品を売らないようにしたいという思想があったとしても、それに共感し理解してくれる事業者さんの協力なくしてはサステナブルな売り場づくりは実現しません。そこで我々のサステナビリティのチームは、ショッピングモール事業に伴走して、一緒に教育コンテンツの開発やSDGsの勉強会を提供したりしています。
 それと同様のことが、ウェルビーイングでもできるんじゃないかと考えています」

━━━個人のウェルビーイングはもちろん、組織のウェルビーイングも上げていけば、社会のウェルビーイングも自ずと高まっていく

「そうですね。ウェルビーイングが高まるとか低いとかって、おそらくウェルビーイング=幸福度という定義からきていると思うんですけど、僕はウェルビーイングを『自分らしく生きる』という意味に捉えていて、そうすると高い低いではなく、近い遠いと表現するほうがしっくりきますね。
 ウェルビーイングを測定するなんて話もありますが、測るとなると、あなたより私のほうがウェルビーイングが低いとか、営業部門より間接部門のほうが高いなど、あの会社とこの会社を比較するようなランキングを始めるのが人類の残念なところでして(笑)
 たとえば、今日のキミの体温は36度2分、オレは36度8分だからオレの勝ち! なんてマウントはとりませんよね。なぜなら、体温は他者と比較するものではなく、自分の中のコンディションを図るものだと知っているから。でも今、ウェルビーイングについてはそこまでの認識には至っていません。それにも関わらず測定するとなると、きっと他者と比較してしまう。私の自分らしさをあなたの自分らしさと比較しても、意味がないのに。
 高い低いではなく、自分らしさに近づいているのか遠ざかっているのか。そう考えるほうが、本来のウェルビーイングのニュアンスに近いんじゃないでしょうか」