これまでになかった視点や気づきのヒントを学ぶ『ウェルビーイング100大学 公開インタビュー』。第29回のゲストは精神科医の和田秀樹さんです。多くのベストセラーを上梓した和田さん。世の中の人が「正しい」と信じていることにとらわれ、自分に「がまん」を強いている現状を指摘し、その解決法を提示してくださった今回のインタビュー。ウェルビーイングに近づくための、多くの示唆がありました。
聞き手/ウェルビーイング勉強家:酒井博基、ウェルビーイング100byオレンジページ編集長:前田洋子
撮影/原 幹和
文/中川和子
和田秀樹(わだ・ひでき)さん
精神科医。1960年、大阪市生まれ。1985年、東京大学医学部卒業。精神科医として活動する一方、大学受験のオーソリティーとしても知られる。教育や医療をはじめ、幅広い分野の評論活動も行い、『80歳の壁(幻冬舎新書)』『どうせ死ぬんだから(SBクリエイティブ)』など著書多数。近著に『60歳からはわたしらしく若返る 一生、元気に美しく年を重ねられる365のヒント(日本文芸社)』など。
医者の言う「健康」と「ウェルビーイング」が乖離している
酒井:そもそもウェルビーイングはひと言では言い表しにくいものですが、ひとまず、穏やかに人生に満足している状態とした場合、そう感じている人の心の中はどういう状態なのでしょうか?
和田:満足しているということは、基本的に現状肯定できるということだと思います。いわゆるウェルビーイングは、われわれ医者の世界では「健康」に近いとされています。ところが現代医療においては「健康=検査データが正常値なこと」と思われている。血糖値もコレステロール値も正常の範囲内で、肝機能や腎機能などにも悪いところがない状態。ところが検査データが正常でも、気分がいいかどうかはわからない。特に薬で血圧や血糖値を下げてしまったときに、服薬前よりも(血圧や血糖値が)低い状態だから、何となくだるいとか、頭の働きが悪いなと感じる人もいます。私自身もそういうタイプで、もともと血圧が高すぎるということもありますが、140ぐらいまで下げてしまうと、頭がボーッとして仕事になりません。
前田:そうなんですか。
和田:自分の感覚で「これがちょうど気分がいい」という状態と、「医者からみて正常」という状態のあいだに乖離が起こってしまうと、心のウェルビーイングと体の健康にズレが生じるのではないかと思いますね。
酒井:検査の数値だけみて健康な状態でも、気分が良くないこともあるということですね。
和田:普通に美味しくごはんが食べられて、元気に仕事もできて、日常を楽しめている人が、「自分はウェルビーイングだ」と思えない状況が出てくる。そのひとつの例が健康診断や人間ドック、がん検診などです。体調が悪くないのに、わざわざ病気を見つけに行くのだから、見つかった途端にウェルビーイングじゃなくなる。だから僕はウェルビーイングでいられるひとつの心構えとして、体の声を聴くとか、自分で体調がいいと思えるのなら、余計な検査はしなくていいと思うのです。と言うと「がん検診をしなかったら、早期がんを見落とすじゃないか」と言う人がいますが、若い人なら手術や、抗がん剤治療でもなんとか耐えられるだろうけれど、ある一定の年齢になると、治療によってガクッと体力が落ちたりすることもある。医者に行く行かない、どちらを選ぶかということも含めて、その人のウェルビーイングに関わることだと思うのです。医者の言うことを聞いていると、がまんさせられることがすごく多いから、それは果たしてウェルビーイングなのかな、と思うことが多いですね。
前田:確かにそうですね。
和田:たとえば、私の母親が94歳で、先日、急に食欲がなくなって入院したんです。結局、急性胃炎だとわかったのですが、入院させられたことで生活がガラッと変わってしまった。退院後、もともと住んでいたサービス付き高齢者住宅から介護付き有料老人ホームに移ったのですが、そこではおかゆときざみ食しか出されなくなってしまったのです。病院の医者からの申し送りなのかもしれませんが。それで、本人も「こんなの食べたくない」と言うし、こちらも「もし、固形のごはんを食べて喉に詰まらせたとしても、ホームを責めたりしないから、好きなものを食べさせて欲しい。食べたいものを食べたり、食べる幸せを感じたりするほうが大事です」と伝えたのですが、要求は受け入れられない。つまり、有料老人ホームでも、利用者サイドからの要望は意外に通らないんだ、と感じましたね。
一定の年齢を超えたら、今、がまんしても、後でいいことがあるとは限らない
和田:このこと一つとっても、社会には人のウェルビーイングを阻害する何かしらの制約があると言えます。会社にいたら人目を気にしてしまうとか、あるいは人づきあいでついつい相手に合わせてしまうとか。ほんとうはイヤなのに、がまんしていることがどうしてもありますが、年をとっていくにしたがって、そのがまんを減らしたほうが自分らしく生きられるんじゃないでしょうか。
酒井:「がまん」はキーワードになりそうですが、がまんしている状態はけっこうストレスですよね。日本人には割とが「まんの文化」がありますが、このこととはどうつき合ったらよいのでしょう。
和田:「がまん」というのは今を楽しむのではなく、「今、がまんして、後にいいことを取っておくこと」なんです。ところが、ある一定の年齢を超えたら、今、がまんしていると、後でほんとうにいいことがあるかどうかわからなくなってしまう。
前田:その通りですね。
和田:スタンフォード大学の有名な実験に、『マシュマロ・テスト』というのがあるんです。4歳の子どもの前にマシュマロをひとつ置く。「今食べてもいいけれど、先生が帰ってくるまで待てば、マシュマロを2個あげるよ」という実験です。すぐに食べた子とがまんできた子とでは、その後アメリカの大学入試用の共通テスト(800点満点で)で200点ぐらい、がまんできた子のほうが点数が高かったとか。そして10年後、20年後の追跡調査でも、社会的な成功度合いが違ったという結果もあって、やはりがまんできるように育てたほうがいいという話になるのです。だから、セルフコントロールというか、がまんできるということは教育やしつけの大事な要素になっているのです。
酒井:日本だけじゃないんですね。
和田:ただ、海外のがまんは、欲望に負けないとか、自己を律するというがまんなんです。ところが日本のそれはどちらかというと「同調圧力」、まわりに合わせるという意味が大きいですね。言いたいことも言わないとか、文句を言わないとか。日本の「がまんの質」のほうが悪い気がします。
前田:まわりに合わせようとするがまんですね。
和田:そうですね。自己をちゃんと律することができる人は、自己主張してもよい、という文化が、海外にはあるんじゃないかという気がしますけどね。海外ではセルフィッシュ(selfish)な人とアサーティブ(assetive)な人は、はっきり分けるんです。相手のことも考えないで、相手を傷つけるような、言いたいことばかり言うセルフィッシュな人と、ちゃんと相手の立場も考えながら、自分の言いたいことも言うアサーティブは違うよ、と。このアサーティブであることも、ウェルビーイングの重要な要素です。言いたいことが言える人はある意味、生きたいように生きられるとか、あるいは転職であれ何であれ、やりたいようなことができるのではないでしょうか。
酒井:その同調圧力的な、日本的ながまんが、われわれにはけっこう染みついているという気もするのですが、自分を解放していくときの心構えとかメンタリティーはどういうふうに持てばいいのでしょうか?
和田:染みついたものから離れるのは僕も難しいと思うんです。でも、その一つの方法を私は「実験」と呼んでいるのですが「試しにやってみる」ことですね。試しに少しずつやりたいことをやってみて、周りの反応がどうかを見てみる。いつも地味にしているけれど、「試しに」ちょっと派手な服を着てみて、周囲の反応を見てみるとか。少しずつ同調圧力に負けないようなことを試してみる。それで、「なんだ、大丈夫じゃないか」と、案ずるより産むが易しという経験をすればいいんじゃないでしょうか。
酒井:「試しに」っておまじないみたいで、すごくおもしろいですね。
和田:たとえば、定年したら何もすることがないとかよく言うけれど、「試しにやる」ことができる人は、毎日が実験だと思って生きていたら、定年後もけっこう楽しめると思いますよ。
前田:会社勤めをしている間でも、少しずつ「試しに」はできそうです。
和田:会社で年齢を重ねて、もうそろそろ出世はないなと思えたら、それまでほど妥協しなくてもすむじゃないですか。あるいは、もうこれ以上、出世も望めないなと思ったときに、残業はなるべく断って、自分の趣味の世界に入ってみようとか。そういう準備って、定年後のためには役立つわけですよ。
前田:少しずつ実験を重ねて、人の目を気にしない耐性をつくっていく。
和田:そうそう、そういうことです。
前田:なかなか一瞬の逆風に耐えるのも大変ですけれど。
和田:だから、一瞬だと思えばいい。ずっと続くわけじゃないと思えればいいのだけれど、当事者からすると、ずっと続いてしまうように思うんでしょうね。
酒井:その思い込みですよね、自分で決めてしまっているような。和田先生のご著書を並べてみると、タイトルだけでウェルビーイングというか、すごく勇気づけられます。
和田:そう言っていただけると嬉しいですね。僕は本業の対象が高齢者なので、結局「死ぬときに後悔しないように」ということが大事だなと痛感する。今、ちょっと出世がかかっているとか、今、ママ友に嫌われたくないとか、みなさん「今」に焦ってしまうんだけれど、後々のことを少しでも考えるのは大事なことじゃないかと思いますね。そのちょっとずつの勇気が後の人生にずいぶん役に立つはずだと、僕は信じているんです。
困ったとき、悩んだ時、人に助けを求められる人のほうが強い
酒井:ちょっと勇気を持つとか、自分を貫けるというのは、一般的にメンタルが強い人で、自分はメンタルが弱いからできないなど、一般的に言う「メンタルの強弱」は、精神医学的にはどうなんでしょうか?
和田:孤独感とか不安感に苛まれない一番いい方法というのは、「誰か頼れる人を持つ」ということなんです。素直に人に頼るとか、素直に人に泣きつけるとか、一般的にはメンタルが弱い人みたいな行動ですが、そういう人のほうが折れない人になりやすい。
酒井:折れない強さ、わかるような気がします。建築の構造でもそうですね。昔は耐震構造で折れないように設計していたものが、最近は、揺れても倒れないようにしていますね。頼れる人をつくることで、ポキッと折れてしまわない。
和田:頼れる人でなくとも、「逃げ場」をつくるということですね。
前田:それは大切ですね。
和田:DV(ドメスティック・バイオレンス)でもシェルターがあることを知っていれば、いざというときに逃げられる。実は日本には福祉があって、介護保険を含めて、申請さえすればいろいろなサービスがあるのに、それを知らないから逃げ場がなくなり、ひとりで苦しむという方がけっこう多いんです。
酒井:自分で自分を追い込んでしまうというか、責任を勝手に背負ってしまうような。
和田:そんな感じですよね。日本の場合、逃げることがずるいこと、汚いことだと思われているし。たとえばいじめで自殺した子のニュースを見ると「どうしてこの子はいじめられているのに学校に行くのだろう?」と思う。いじめを完全になくすことなんて無理なわけだから、学校の先生は「万が一、あなたがいじめられたら、学校に来なくていいから」と教えればいいのにと思いますよ。
酒井:逃げることは悪いことだと、自分に刷り込んでいる?
和田:中途半端な武士道だか何だか知りませんが、逃げると卑怯みたいに思っている。でも、徳川家康なんて逃げるのが上手だったから、最後に天下を取った(笑)。要するに、逃げて最後に勝てばいいと考えるのが、ほんとうの武士道だと思います。
酒井:物事のいい悪いが刷り込まれているのか、教育なのか。
和田:その「いいこと」「悪いこと」を周囲の雰囲気が決めてしまうところがあって。要するに「法律を破らなければ自由だよね」というのが民主主義というか、自由主義の原則だと思うのですが、周囲が決めたルールや不文律を守らなければならない、みたいなのが、やっぱりつらいんじゃないかと思います。
前田:私は母親だからとか、会社で責任者だからいい仕事をしないとダメだとか、先輩になったんだから部下を指導しなくてはとか。そこで逃げるなんて「人としてどうなの?」とかよく言うじゃないですか。
和田:それは人としてというより、人には生存本能もあるわけだから、そっちに素直に従ってもいいと思うんです。何か困難な仕事を頼まれたときや、介護をしなければいけなくなったときでも、より楽な方を探すほうが生き延びられるわけです。探せば方法は必ずあるんです。だから「楽をしちゃいけない」という考え方は「楽をしないと長続きしないよ」というふうに言い直さないといけない気がします。
前田:「今」でいっぱいいっぱいになってしまうけれど、ちょっと先を見て、どこに行きたいかをぼんやりでも考えて探していけば、方法は見つかるかもしれないってことですね。
和田:そうですね、目標がはっきりしていれば、どんな道を通ってもかまわないじゃないですか。時折、有名進学校を出て、東大を卒業して、それで官僚になってエリートだったのに、次官候補からはずれて自殺したとかいう話を聞きます。すると「あの人は挫折を知らなかったから」とか言われるけれど、僕に言わせれば逃げ道を知らないことが問題。つまり、進学校に合格できなくても東大に入る方法はあるし、東大に入らなくても役人になる方法はある。次官レースに負けたとしたら、役所に残るほかにも、大学の先生になるとか、評論家になるとか、いろいろな道はあるわけですよ。
酒井:AがダメならB、BがダメならCみたいに、自分の中でひとつに固執し過ぎないことですか。
和田:そうです。心の強さというのも、「この道一筋」の強さではなく、選択肢を常にたくさんもっている人が、心が強い人だと思う。だから私の本は、書かれた通りに生きろというつもりはなくて、多くの人の選択肢を増やすための情報と思って読んでもらえればいいんです。
前頭葉を使い、意欲を衰えさせないことが若さにつながる
前田:先生のご著書によく出てくる「前頭葉」という言葉がとても気になっています。前頭葉を刺激し続けることが、いつまでも若くいるためにすごく大切だということですよね。
和田:さっき言った「試しに」やることが前頭葉を使うことにつながるんです。日本人は「勉強したことが正しい」とそのまま思ってしまう。それはあまり前頭葉を使っていることにならない。お店に入る前から美味しい店を探そうとして、ミシュランだとかグルメサイトを頼りにするんだけど、「試してみないとわからない」と思う人のほうが前頭葉が若いんです。受験勉強のときも、これが正解だと教わってその通りにやると、頭頂葉や側頭葉はちゃんと使うし、知能も上がるんだけど、前頭葉は使わないわけです。だから、前頭葉を使った受験勉強をしたいなら、私の本にもありますが、いろいろな勉強法を試してみることを勧めます。
前田:ただ鵜呑みにして勉強すればいいというものではないんですね。
和田:そうですね。大学も日本と海外は違っていて、日本は教授が入試面接して「教えやすそうな人」を入れるわけです。ところがアメリカやイギリスの名門校では、教授ではなく面接のプロに任せて、教授に逆らいそうな人を入学させる。だから学問が進歩していくわけです。日本は有名ジャーナリストが何か言えば、みんなが「そうだったのか」と言うけれど、海外の場合、高学歴の人は「そうとは限らない」とか「それは決めつけだろう」とか、他の可能性も考える。それが高等教育を受けた人、なんです。日本のように高等教育を受けても前頭葉を使わないで、会社に入ってからも上司の言うことをよく聞く人が出世するみたいなカタチだと、前頭葉を使わないまま年を取ってしまう。そうすると年を取ってから意欲がわかないし、クリエイティブではないし、変化への対応能力も弱い。
前田:保守化しそうです。
和田:変化を望まないですからね。40代、50代になったら行きつけの店しか行かない。同じ著者の本しか読まない。それから政権政党にしか投票しない、みたいなことになってしまう。そうやって前頭葉を使わないでいると、年を取るほど意欲が無くなってくる。年を取ったときに意欲が落ちるというのはかなり怖いことで、歩く意欲が落ちると歩けなくなるし、頭を使う意欲が落ちると、やっぱり知能が落ちてくる。あるいは「モテたい」という意欲が落ちると、おしゃれもしなくなるとか。前頭葉が若い人は意欲があるから、年を取っても元気だし、アイデアもおもしろい。「試しに」をやってみるとか、「年を取ったら、残りの人生は実験だ」と思える人は、そんなに退屈もしないし、人生を楽しめるように思います。
以下、和田さんがみなさんの質問にお答えします。
Q:和田先生ご自身が、ウェルビーイングな状態でいられるように、取り入れている習慣はありますか?
和田:僕の場合は、医者の言うことを信じないで、自分が気分がいい状態を保つということですね。だから、食べたいものや飲みたいものは原則がまんしない。これが健康法でも大事なポイントだと思うんです。たとえば脳卒中にならないためには塩分を控えろと医者は言うけれど、脳卒中で死ぬ人なんて、がんに比べれば少ない。太ると心筋梗塞になる、コレステロール値が高いとダメと言いますが、心筋梗塞で死んでいる人は、がんで死ぬ人よりずっと少ない。日本人の死因の第一位はがんです。「医者の言うことを聞かず、好きに生きたほうが免疫機能が上がる」と思えるような人がウェルビーイングだと思います。
Q:料理をすることは前頭葉の若さを保つために有効でしょうか?
和田:同じ料理ばかり作っていると、前頭葉にはあまり刺激がありません。試しに自分でレシピを開発してみるとか、あるいはエスニックなものを作ってみるとか「これとこれを組み合わせると合うかどうかはわからないけれど、どうせ食べさせられる犠牲者は夫だけだから」と思えば、いろいろなものが作れるわけでしょう。そういう料理なら前頭葉にいいのではないでしょうか。
Q:和田先生にも苦手なこと、克服したいことはありますか?
和田:受験生の頃からそうだったのですが、苦手なことはなるべくやらないということにしています。これも日本の悪いところだと思うのですが、数学ができて国語ができないというと、「数学ばかりやっていないで国語もちゃんとやれ」とか言うじゃないですか。けれども得意な数学を伸ばしていたら、受験でも何とかなります。得意なことが光っている人のほうが目立つでしょ。たとえば大谷翔平さんでも、得意の野球に専念しているからすごい人になっているんだと思いますよ。もう何年もアメリカにいるから、ある程度、英語は話せるようになっていると思うけれど、彼が偉いのは、そんなに得意じゃないなと思ったら、英語でインタビューに答えるみたいなことはしない。世間では苦手を克服するのがエライ、と言われますが、とにかく、苦手なことはなるべくやらないほうがいい。私はこれからも、こういうさまざまな「考え方」をアウトプットしていきたいと思っています。