「ウェルビーイングはデザインできますか?」(ゲスト:服部滋樹さん/クリエイティブディレクター、graf代表)

これまでになかった視点や、気づきのヒントを学ぶ『ウェルビーイング100大学 公開インタビュー』。第28回のゲストはクリエイティブディレクターの服部滋樹さんです。服部さんは、一人ひとりの生活から社会をよくする活動まで、インテリア、空間、プロダクト、グラフィック、コミュニケーションデザインなど幅広い領域を横断しているクリエイター集団・grafの代表を務めています。そんな服部さんが語る「ウェルビーイングとデザインの関係」とは?

聞き手/ウェルビーイング勉強家:酒井博基、ウェルビーイング100byオレンジページ編集長:前田洋子
撮影/原 幹和
文/中川和子


服部滋樹(はっとり・しげき)さん
graf代表、クリエイティブディレクター、デザイナー。1970年、大阪府出身。美大で彫刻を学び、インテリアショップ、デザイン会社勤務を経て、1998年に友人たちとgrafを起ち上げる。建築、インテリアなどに関するデザインや、ブランディングディレクションの他、近年では地域再生などの社会活動にもその能力を発揮。京都芸術大学芸術学部情報デザイン学科教授も務める。

graf
「ものづくり」を通して「くらしを豊かにする」クリエイティブユニット。以前から「大阪に行ったらgrafに行かなくては!」は、インテリアやプロダクトデザイン好きの間の合言葉だったが、今、各領域を超えた展開に新たな注目が集まっている。
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ハードもソフトも越境し、拡がるデザイン

酒井:デザインという言葉を聞いて、一般にイメージしやすいのは見た目をきれいにするということかもしれませんが、最近は経営や政策に至るまで、デザインの領域がどんどん拡がってきている印象があります。服部さんは今、デザインの領域についてどのようにお考えですか?

服部:私たちのgrafは10の事業体で運営しているチームなんです。家具だけではなく、建築も公共空間も、そして行政のブランディングもやるというチーム編成です。デザインということで考えると、私たちが10事業体でさまざまな領域を横断していることが、現代のデザインの捉え方にすごく近いのではないかと思っています。10事業体の中には企画があり、リサーチするポジションがあり、そこから課題解決をするということもあれば、逆に課題発見することも。その中で現在必要なもの、もしくは、未来につないでいくための政策のようなことを考える、これが現在の“デザイン”ではないかと思っています。

酒井:ハードもソフトも越境するのですね。

服部:たとえば、ハードの部分が築40年以上経っている集合住宅なら、そこに住み継いでいくための方法論のようなことがソフト。ハードのデザインからソフトのデザインまでというふうに展開していくわけですね。そうすると、住んでいた人たちと、これから住む人たちがどういうふうにコミュニティーを形成していくかということも、デザインの領域の中に存在します。

身近なところにある社会課題を解決しようとするZ世代

酒井:いろいろな領域を越境している服部さんだからこそ、ウェルビーイングとデザインについてお話を伺いたいと思います。その前に、服部さんは京都芸術大学の教授でもあるわけですが、今の若者たちがデザインをどう捉えているのか、変化を実感していらっしゃることはありますか?

服部:いわゆるZ世代の人たちが、今、学生なのですが、Z世代と20年前の学生たちで考えると、変化はありますね。20年前は「社会に対して、自分たちがどんな表現力を持とうか」と考えている学生がすごく多かったのですが、今のZ世代の子たちは、デジタルネイティブというか、生まれたときからスマホを使っているような人たちです。その影響もあってか、個人と個人がつながっているということを実感している人たちがすごく多いのではないでしょうか。その個人と個人のつながりも、こっちにもあっちにもあるので、ひとりの人間なのにInstagramのアカウントを3つも4つも持っていたり。それでその属性に合わせて、自分をアジャストしていくことが可能な人たちだと思うのです。

酒井:「個の時代」みたいな言われ方もしますが、「個」と「個」のつながりみたいものをけっこう持っている。それもひとつの人格ではなく、アカウントで人格を使い分けるような。

服部:そうですね。20年前とZ世代のあいだの社会のムードとしては、「デザイン=課題解決」というふうにされていました。

酒井:それは10年くらい前ですよね。できれば自分たちの故郷に戻って、故郷を元気にするために自分の能力を使いたいというのが、10年くらい前の子たち。

服部:それが現在になると、その解像度がどんどん上がっていて、地元に戻って、地元を元気にするというのはもちろんですけれど、じゃあ、その地元を元気にするためには、どんなパートで自分の能力が発揮されるのか。もしくは、どんな能力を持ち帰れば発揮できるのか、というところまで解像度を上げている。

酒井:13年前の東日本大震災以降、社会のつながりや人と人とのつながりが見直され、そういうものもデザインで超えていこうと、特に社会課題解決としてのデザインがすごく注目されたんですが、それはもうスタンダードとなり、その次の段階に向かっているという感じなのですね。

服部:はい。前提が自分たちはすでにその社会課題を取り巻いているということから、そのうえでどういう能力を発揮させるかということを考えている。おもしろいのは、ニュースに上がっている社会課題みたいな話ではなく、身近な社会課題、たとえば自分のおじいちゃんおばあちゃんの暮らしを何とかしたいとか、見えている課題を解決していこうという人たちが多いんじゃないかと思いますね。

酒井:ぼんやりとした社会というのではなく、ほんとうにこの人の力になりたい、この人の助けになりたいという、けっこうミクロな視点が起点になっていて、それが社会とつながっているような。大きなぼんやりとした社会を相手にするんじゃなくて、ほんとうにリアリティのあること、個と個のつながりの中から、アプローチしているんでしょうか。

服部:たぶんベースに社会課題が溢れていると考えると、次のステージとして考え出されたんだろうなと思います。たとえばSNSでみんなが発表しているのは、日常の中で起こっているおもしろいことを見つけてはTikTokで送るようなことです。大舞台に立ってTikTokの配信をしているというよりも、日常の世界の中でエンターテインメントを作ったり、取り組んでいることがすごく多いと思う。

今、東洋医学的なデザイン処方が求められている

酒井:ウェルビーイングは、心の健康、体の健康、そして社会や人との良好なつながりと、大きく3つの要素があるようにいわれることが多いのですけれど。服部さんはどうですか?

服部:僕らが捉えているのは、非日常と日常という世界ですね。心と体が豊かであるというのは、生活する中で山もあれば谷もあるという、暮らしにも感情にも抑揚があることがウェルビーイングにとって必要なことではないかと思います。人間は安定すると「もっともっと」と次の欲求が満たされるところに行こうするわけです。“日常と非日常”というバランスがウェルビーイングにはすごく重要です。日常という話になると、デザインは機能的に物事を整えていくという作業はもちろんですけれど、情緒的に伝えていくということもやっていますし、エンターテインメントのように非日常性をデザインすることもあります。

酒井:ウェルビーイングというと、右肩上がりにコンディションを上げていって、そのいい状態をキープするような感じで捉えていたのですが、服部さんの「山あり谷あり」で往き来する、日常と非日常という考え方はすごくおもしろいですね。

前田:私もそう思いました。ともすれば安定した充足感がウェルビーイングだと考えがちです。暮らしは、人によって振幅の大きさの差はあっても、ずっと同じ日常じゃないはずなんですよね。

酒井:私の中でデザインの役割は「よくすること」と捉えていたのですが、「よくすることとは何だろう?」と考えると、ある時代においてよいとされていたものが、今の時代では必ずしもよいとされないようなことがありますよね。「よい」が今、ぶれ始めていて、だからこそデザインがカバーする領域がどんどん拡がっているのかなと考えているんです。

前田:ウェルビーイングの「ウェル」のところですよね。

服部:今の酒井さんの話で言うと、僕がよく話をするのは、東洋医学的デザインの処方と西洋医学的処方があるということ。西洋医学的処方というのは、今までのカンフル剤を打つようなデザインをやっていた考え方で、患部をとにかく処置する。今、東洋医学的処方が求められているというのは、根幹から治そうということで、時間はすごくかかる。東洋医学のように時間はかかるんだけれど、根幹の問題が何かと突き止めて対処することだと思うんですよね。さらに、東洋医学には即効性のある処方もある。だから、今やらなければならないことと、100年先を見据えて考えるという、レンジ(幅)がすごく広くなるんです。

前田:服部さんの他のインタビュー記事で「いつまでもデザインしない! とよく言われる」という発言を拝読して、今、おっしゃった東洋医学的処方につながっているのかなと思いました。

服部:ありがとうございます(笑)。もしかすると課題が山積しているというか……。環境や災害の問題とか、昔は問題そのものがこんなに多様ではなかったのかもしれません。「これを全部網羅することはできないかもしれないけれど、私はこれについては何か関われるかもしれない」というように思えるのが今の社会だと思うのです。これは多様性時代と相まって話をすると、どんな人にもデザインにアクセスする場所があると言ってもいいのかもしれないですね。

酒井:だからもう、デザインに全員参加するみたいな。

服部:全員が参加できる。そういう社会だと思います。

「知性が動いた」瞬間

酒井:「服部さんがウェルビーイングを意識しているプロジェクトってあるんですか?」とお聞きしようと思っていましたが、究極でいうと、意識していないプロジェクトなんてないような気がしてきました(笑)。

服部:そうですね。目標としては、みんなが「いかに長く愛し合えるか」ということですね。

酒井:なるほど。ウェルビーイングという言葉については、どういう印象を持っていらっしゃいますか?

服部:流行り言葉は大嫌いなんですけれど、ウェルビーイングはすごく好きですよ。大賛成。ウェルビーイングという言葉自体、海外に行くと有機栽培であるとか、オーガニックフレンドリーといった意味合いのほうが強かったりするけれど、日本でわれわれが話し合っているウェルビーイングについては、もう少し幅の広い言葉だなと思っているので、すごく好きです。

酒井:先ほど社会課題が多様化しているというお話があったのですが、みんながウェルビーイングと言って、自分たちの幸せについて真剣に議論している時代っていいものだなあと思います。以前は「私は、私の幸せについて考えている」というような言い方は、あまりオープンじゃなかったような気がするのです。

服部:確かにそうかもしれません。私たちはいろいろなコンテンツに対して熱狂してきました。たとえばスポーツへの熱狂も、それが当たり前のように享受されるようになった。そして、社会問題のカードがバッとテーブルの上に散らかって「これはもう、自分ひとりでは絶対無理だし、誰かと一緒に何かをしないと解決できないぞ」という社会のムードがある。だからウェルビーイングという目標が設定されると「そこに行きたい!」みたいな、北極星とは言わないですけれど、目指したいものに見えますよね。

酒井:なるほど。「所有」より「共有」とか、「私」より「私たち」みたいに、豊かさのパラダイムシフトが起きているのも「私が私のための幸せを」というところから「みんなと叶えていく」という考え方に変化しているから。到底ひとりでは問題はクリアできないと。

服部:「個の時代」と言われていたことから考えると、「誰かと」いう考え方が湧いているというのはたぶん、全員の知性が動いたんじゃないかと思うのです。それがグッと動き出したときに「ウェルビーイングという目標、すごくいいじゃん!」と思い出せたのではないかと。知性が動く瞬間って、あるようでなかなかなさそうな感じがしますよね。

前田:それはやはり、「これ、どうしよう。どういうことなんだろう?」と感じるさまざまなケースが多くなったからと言えるのかもしれませんね。

服部:そうだと思います。だから「集合知」で何とかしようとしている。集合知の「知」は知性の知ですからね。共創しながら頑張ってまいりましょう!

前田:それはなんだか勇気がわく言葉ですね。

以下、服部さんがみなさんの質問にお答えします。

Q:デザイン的な発想ってありますか? ざっくりとした質問ですみません。

服部:僕は、「考えを放置する」という趣味を持っています。ずっと考えているのが好きなので、考えを放置していると、ビンビンビンビンビーン! とまったく別の考えがつながって思わぬ回答が出たりします。僕はデザインは課題解決というよりも課題を発見するというところがすごく魅力的だなと思っているんです。あの時、あそこで起こっていたことと昨日考えていたこれに、こういう接点があった! という瞬間に答えが出る。しかも、今まで通り過ぎていたことを改めて発見したりするんですね。デザインの思考法とか本もいろいろあるので、本をお読みになったほうがいいと思うのですけれど、自分に合った考え方がいちばんいいとすると、僕の場合は、その考えを放置しながらも、瞬間的につながったりとか、身体的につながったりというときがありますね。

酒井:ありがとうございます。あっという間に時間になってしまいました。服部さん、ウェルビーイングだけをテーマに話すこと、今までにありました?

服部:いや、ないない。絶対ないです。だけど、お題を与えられるとすごく考えるから、ほんとうによかったです。各方面に必要なことだと思うし、たとえば、海外ではこう言われているが、日本のウェルビーイングとは何なのかということを、みんなに出してもらいたいですね。

前田:今多くの研究者がその「日本的ウェルビーイング」に取り組んでいます。とても大事なことだと思います。

酒井:文化も価値観も違う中で、日本に合うウェルビーイングのあり方ということですね。それは別に排他的になるということではなく、日本の歴史や自分のルーツを探る上でも、海外から来たものをそのまま受け入れるのではなく。

服部:日本のウェルビーイングって、もう既にあるじゃないかと思うんですよ。自然とともに、四季とともに生きてきたという文化、文明はもうすでにウェルビーイングなんだと思う。暦とか、どうしてこんな行事があるのだろう? などと考え出すと、日本のウェルビーイングもすごくおもしろいと思います。

酒井:その通りですね。本日はお忙しいところありがとうございました。