「幸せはシェアできますか?」(ゲスト:石山アンジュさん/一般社団法人シェアリングエコノミー協会 代表理事)

これまでになかった視点や気づきのヒントを学ぶ『ウェルビーイング100大学 公開インタビュー』。第27回のゲストは情報番組のコメンテーターでもおなじみ、シェアリングエコノミーの伝道師・石山アンジュさんです。世の中の価値観は「所有」から「共有」に変化していくのか、「シェア」は人生100年時代の問題解決の糸口になり得るのか。シェアリングが社会に大きな変化をもたらすかもしれない、そんな可能性を感じさせるインタビューになりました。

聞き手/ウェルビーイング勉強家:酒井博基、ウェルビーイング100byオレンジページ編集長:前田洋子
撮影/原 幹和
文/中川和子


石山アンジュ (いしやま・あんじゅ)さん
一般社団法人シェアリングエコノミー協会 代表理事。1989年生まれ。実家がシェアハウスということもあり、幼少期から「シェア」の概念に親しみながら育つ。2012年に国際基督教大学(ICU)を卒業し、リクルートに入社。その後、クラウドワークス経営企画室を経て現職。シェアリングエコノミーを通じた新しいライフスタイルを提案する活動を行うほか、政府と民間のパイプ役として、デジタル庁シェアリングエコノミー伝道師なども務める。現在、大分と東京の二拠点生活を送りながら、テレビのコメンテーターとしても活躍中。著書に『シェアライフ――新しい社会の生き方』『他拠点ライフー分散する生き方』など。


「大量生産、大量消費」と「終身雇用」に代わるシェアリングエコノミー

酒井:まず「シェアリングエコノミー」という言葉を初めて聞いたという方もいらっしゃるかもしれないので、ご説明いただけますか?

石山:「シェア」は直訳すると「共有する」という概念ですが、実は「シェアリングエコノミー」自体は、世界的に確固たる定義があるわけではなく、非常に解釈の幅の広い概念だと思っています。日本に長屋があった時代は、お風呂からお醤油まで、生活の様々なものを共有していた文化があったと思います。お醤油の貸し借りも、広く言えばシェアリングエコノミーであると思うのですが、今なぜ注目されているかと言いますと、みなさんが持っているスマホやインターネットを通じて「誰がお醤油を欲していて、誰がお醤油を貸せるのか」ということを、瞬時に見える化できるようになったからです。これがビジネスとしての側面のシェアリングエコノミーですね。

前田:需要と供給が見える……。

石山:私がシェアを拡げていきたいのは、経済的な側面だけではないのです。今、核家族化が進み、東京では単身世帯が約半数だといわれています。地方でもどんどんコミュニティや人とのつながりが希薄になっていて、改めて「分かち合う」とか「つながってシェアする」ということが、社会に必要な考え方なのではないかと思います。今日はこの「シェア」という広い概念を、みなさんとシェアしたいと考えています。

酒井:かつては「家を建てたら一人前」みたいな価値観があって、所有していることが豊かさのような時代もあったと思うのですが、シェアリングエコノミーという考え方が以前よりも理解が進んでいたり、実践されることが増えているように思います。石山さんはどう感じていらっしゃいますか?

石山:私は2016年からこの活動を始めたのですが、当時と比べるとライフシェアというキーワード自体は市民権を得てきたなと思います。大企業のCMで使われたり、紅白歌合戦のテーマがシェアだったり。みなさんの生活の中でも、モノを捨てる前にメルカリのようなシェアサービスに出品してみようとか、車を持つのではなく、カーシェアにしようとか、少しずつシェアという選択肢を選ぶ人は増えていますし、シェアサービスの種類も増えています。

酒井:シェアリングエコノミーが浸透していくことによって、社会にどういう可能性が拡がっていくとお考えですか?

石山:ひとつは環境やサステナビリティの推進というところです。大量生産、大量消費をくり返してきた結果、大きな環境問題が起こっています。シェアリングエコノミーはこれに代わるビジネスモデルだと思っています。誰かにとっては価値がないものも、それが欲しい人とマッチングすれば、0円の価値だったものが1万円の価値になることもあるわけですね。新しいものを作らなくても誰かとシェアすることによって、それが新しい付加価値になって経済もまわる。循環型の社会のカタチをつくることで、まずは環境という意味での社会的な価値があると思っています。

酒井:その通りですね。

石山:もうひとつは働き方です。社会参画のあり方として、多様な選択肢を持つことができるということです。週5日フルタイムで働き、ひとつの企業で勤め上げるという終身雇用の時代から、その人の体調によって、または人生や家族の状況によって、週1日だけとか週に数時間だけ働くという働き方をもっと増やしていくことができます。また、その働き方の選択肢自体も、いわゆる企業で採用されるようなスキルに限定することはありません。たとえば「私は専業主婦だけれど、料理や作り置きなら得意です」とか「私はワンちゃんが好きなので、預かることができます」とか。これまで仕事として定義されてこなかったことまで、それを必要としている人とマッチングできれば、それが収入になりますし、誰かのためにも役に立てます。そういった市場を拡げることができるという意味で、新しい働き方、ライフスタイルをつくれると思っています。

前田:そういう働き方の柔軟性が欲しいですよね。

石山:そうですね。三つ目としては、分散型の社会ですね。日本は戦後、高度成長期の中で、都市に人とモノとお金を集中させて大都市圏を築き、都市集中型の社会を形成してきました。しかし、様々なリスクが顕在する近年は、首都直下型地震が起こる可能性もあれば、新たな感染症が発生するかもしれない。そういった有事のリスクが高まっている時代の中で、人とモノとお金は一極集中よりも分散型のモデルにしていく必要があると思います。たとえば、いろいろな地域、地方にもっと人とお金が流れる仕組みや、決裁権を管理しているシステム自体を分散するのです。

「シェア」で選択肢を拡げ、不安を小さくする

酒井:「個人」という視点でシェアを考えると?

石山:最もお伝えしたいのは、シェアするという発想を生活に取り入れることが、これからの時代のセーフティネットであり、安心をもたらす考え方になるのではないかということです。個人においても、明日大地震が起こるかもしれない、明日戦争が起こるかもしれない、明日感染症がまたくるかもしれないと、何が起こるかわからない時代では、選択肢を複数持つことで不安を払しょくできるのではないか。それは仕事においても、人間関係においても、暮らしにおいてもいえることです。AがダメでもBがある。BがダメでもCがあるという状態を複数、小さく持っておくと、何かあったときに別の選択ができます。何かを失ってもそこに固執して悲しむよりも「いや、こっちもあるからいいや」と思える。こういった発想がこれからの時代には必要だと思います。従来の考え方は、何もないところから積み上げていくという発想が豊かさだといわれてきました。より大きなもの、より大きなブランドやより大きな企業に属していることが安定といわれてきましたし、何もないところからマイカーやマイホームを所有して、それを大きくしていく、財産を大きくしていくことが幸せだといわれてきました。これを否定しているわけではありませんが、何があっても変化に適応できるような考え方、それを取り入れていくことが、これからのウェルビーイングだと私は思っています。

酒井:ありがとうございます。最後にウェルビーイングという言葉があったのですが、シェアエコノミーとウェルビーイングの関係性についてはどうお考えですか?

石山:仮にウェルビーイングを豊かな状態、幸せな状態と定義したとき、そうではない状態を考えてみたいのですが、私個人の視点で言うと、幸せではない状態は「こうなったらどうしよう」とか「これを失ったら怖い」といった不安や恐怖がある状態だと思うのです。この不安や恐怖の正体は、半歩先の未来で何かを失うかもしれない、と考えること。であるならば、先ほどお伝えしたように「こうなってもこれがある」という選択肢を複数持つことが、将来の不安や恐怖を少なくしていけると思うのです。選択肢が持てれば、それはつまり「何があっても大丈夫」という精神状態をキープできるというか、不安になったり、恐怖心を持つことをなるべくしない状態につながっていくのではないでしょうか。

前田:「人はなぜ不幸せな気持ちになるのか?」と突き詰めて考えると、やはり不安ですものね。何かをなくして困ったときに、頼れる人に「困ったときはお互い様よ」なんて言われたら、ほんとうに安心できるでしょうし。そのためには「よし、こうやって変えていかなきゃ」というふうにがんばるよりも、小さくひとつずつ、自分の心を他の人に開いていくみたいな、そういう気持ちが不安の払拭=(イコール)ウェルビーイングへ一歩近づくということかもしれませんね。

石山:そうですね。シェアするうえでは、自分の弱さ、自分の気持ちをシェアするということは重要になってくると思います。シェアというのは、つながりと信頼関係の上に成り立つので。

「何をもって信頼するか」自分の信頼の軸を考える

酒井:そうなると、何をもって信頼するかが重要になりますね。

石山:「お互いを知る」みたいな側面もあれば、助け合える存在というのは、自分の弱さをさらけ出したり、共有できることも重要だと思います。子育てでのシェアリングについて講演することも何度かあったのですが「子育てをコミュニティの人たちでシェアしたい」「見守り合ったり、預け合いたい」という理念自体は全員一致でやりたいと言うのですけれど、それでは実際にやってみようという話になると、かなりバラツキがあります。たとえば子供を預けるときには「何かあったらどうしよう」と、自分の子どもの安全に対する心のハードルが出てくる人もいますし、「預けすぎたら申し訳ない」という遠慮が働いて、躊躇してしまう人もいます。どうしたらいいのかという壁を感じることはあると思いますが、ここは自分の信頼の軸に沿って動き出すしかありません。何をもって信頼できるか、頼り合えるかということは、ほんとうに育ってきた環境や、自分が見てきた背景によって100人100通りですから。

前田:たしかに、人それぞれでしょうね。

石山:講演で行ったワークショップで「スマートフォンのロックをはずして、隣の人とシェアしてみてください」と言うと、「写真アルバムとか見られても全然平気」という人もいれば「絶対にイヤだ」という人もいます。これひとつを例にとっても、まったく違います。

前田:ワークショップに参加することで、自分のことが見える感じはしますね。今までの世の中は、たとえば大手メーカーの食品だから安全とか、ブランドのお洋服だから価値があるというふうに、信頼が絶対にあった時代。それが崩れてきているじゃないですか。そういう意味で言うと、自分はいったい何を信頼して、自分は誰に信頼されているのか。ちょっと考えないといけない時代になってきましたね。

石山:おっしゃる通りです。この「信頼」という定義自体が、今、社会的に大きな変革の時期にあると思います。一昔前は、何のラベルもついていないお醤油に毒が入っていないかどうかは、そのお裾分けの関係性の中で信頼していたんですけれど、大都市的な社会になって、どこの会社が出しているお醤油かどうかや厚労省の基準に当てはめて審査を通ったお醤油かどうか、こういった組織に信頼を預けるという時代になったわけです。私たちはモノを買うとき、何かを選択するとき、そういった第三者が提供している信頼のものさしを借りて、モノを買ったり、人とつながったりするという時代があったわけです。ただ、今は企業が不祥事を起こしたり、政治不信ともいわれていますけれど、その第三者の指標でさえ、もしかしたら信頼できないかもしれない。また、科学至上主義がコロナによって一変したともいわれています。ワクチンの必要性とか、コロナの医療的なデータ、これが専門家によって違うとなると、素人の私たちは何を信じたらいいんだろうと。

酒井:われわれは右往左往させられますね。

石山:そういった中で、新しい兆しとして出ているのがシェアリングエコノミーによる「デジタル上の信頼」なんですね。これで完璧とは言えないですけれど、たとえば『食べログ』のような世界観。以前はおいしいかどうかはお店が出した広告を見て判断したわけです。それが食べログが普及した世界というのは、そこに行った人の口コミの総数によって、そのお店がおいしいかどうかを判断する時代になりました。一方向の第三者的なものさしではなく、いろいろな人が言っていることを自分が判断をして信頼する。それでモノを買ったり、サービスを受けたりするという時代。これがデジタル時代の新しいものさしになってくると思いますが、これもまた、いろいろなリスクもありますが、最後はやはり、自分で慎重に判断しながら利用するという視点は必要であると思います。

酒井:「自分が何を信頼できるのか」というものさしを意識していくと、自然に判断できるようになってくるものなんですか?

石山:経験や判断した数はすごく大事になってくると思います。信頼の研究をされている山岸俊男先生※が「信用社会と信頼社会というのは定義がまったく違う」ということをおっしゃっています。信用社会というのは相互的な関心をもってそのリスクを排除しようとする社会で、監視カメラが設置されている食品の売り場とか、カメラで監視することによってリスクを排除するという考え方です。一方、無人販売所は、誰が盗むかわからないリスクを背負っているけれど、たぶん盗まれないだろうという性善説に基づいて販売しているわけですよね。「何かあるかもしれない」というリスクをちょっと背負いますが、それでも大丈夫だと積極的に信頼していくことによって、信頼が拡がっていく社会のことを信頼社会というわけです。

※山岸俊男……社会心理学者。(1948〜2018)。北海道大学名誉教授。『安心社会から信頼社会へ――日本型システムの行方(中央公論新社)』などの著書がある。

酒井:信用社会と信頼社会、大きな違いですね。

誰かを受け入れ、自分のものをシェアする。
それが社会のウェルビーイングにつながる

石山:人間関係においても、それこそ彼氏になる相手は全く知らない他人から「この人は信頼できるのかな、大丈夫かな」と思いながら、騙されるかもしれないというリスクを背負って関係性を築いていくわけです。原始的ではあるんだけれど、それをいかに多くの人といろいろなシーンで拡げていけるかということが、今の時代、ものすごく大事になってくると思います。インターネットが登場して、SNSで人との関わりは増えたかもしれませが、リアルな関係性は狭まっていると思っています。人とのつながりを増やしていくためには、少し自分がリスクを背負ってでも、人と関係性を結んでいく、ちょっとした勇気だったり、自分をさらけ出す勇気だったり、それが必要なんじゃないでしょうか。それは人脈力があるとか、コミュニケーション力がある人が勝つような世界ではなく、弱さをシェアするとか、悩んでいることをシェアするだけでも人とつながることはできると思うので、そんなふうに人間関係を捉えていけたらいいのではないでしょうか。

前田:同年代の同じ趣味を持っている人だけで、そういう関係は築きやすいと思うのですが、そうではなく、いろいろな世代をまたぐということがけっこう重要なポイントのように思うのですけれど。

石山:まさにその通りですね。一般的には自分の家族とか、おじいちゃんおばあちゃんではない限り、異なる世代で交わることはないと思うので。世代の分断ともいわれますし。SNS時代になって、自分の価値観の合う人たちだけでどんどん層が厚くなっていくような構造になっているので、自分の価値観と違うとか、自分と全然違う世界観で生きている人に対して、心を寄せづらい時代になっていますね。そういったことを俯瞰的に見ながら、尊重したり、理解を示したりできるかということも、また重要な時代になってくると思います。

前田:やはり、“自分を開く”ということが大切なんですね、シェアは言い換えたら自分がとらわれていることを開くこと、というか。

石山:そうですね。もうひとつ、ウェルビーイングで大事なことは、“孤独じゃない”ことだと思うのです。孤独じゃない、誰もが孤独だと思わない社会をつくるということは、誰かにとって「ここに居場所がある」と思える状況を作らないといけない。そうでないと孤独を感じない社会は実現できないと思います。結局、自分を開くということは、そこを誰かの居場所にするということでもあります。今、物価も高騰しているし、自分のことを守るので精一杯とか、自分と他者に境界線を引いてしまいがちで、シェアする余裕がないという人もいると思います。でも、誰かの居場所にそれぞれがならない限り、寂しい人は減らない。自分自身も誰かに助けられていたり、誰かのぬくもりを感じるからこそ、「ああ、幸せ」と感じるものだと思います。シェアを利用するとか、誰かに依存するとか、何かを求めるという視点だけではなく、同じように自分も誰かの居場所になるとか、誰かを受け入れるとか、自分のものを何かシェアするという思想を持つこと。それを一人ひとりが増やしていくことが、結果的に社会のウェルビーイングにつながると思います。

前田:人生100年時代で、ほんとうにいろいろな問題があると思うんです。そう遠くない時代に、お一人様、ソロ世帯が増えて2040年に孤独死が最多になるとか。高齢になればなるほど、人生100年時代の恐怖があるし、若い方も先が長いだけに、またちょっと違った恐怖があると思うんです。人生100年時代のためのインフラが整っていないのに、100年生きなければならない。そういう意味でも、今、とりあえずできることがシェアリングではないかと思いました。

石山:ほんとうにそうですね。

以下、石山さんがみなさんの質問にお答えします。

Q:石山さんご自身が、ウェルビーイングでいるために取り入れられている習慣とかありますか?

石山:本の巻末のプロフィールに記載するくらい、趣味が「大人数料理」なんです(笑)。料理を作るじゃなくて、大人数の料理。自分がたくさん料理を作って、みんなに振る舞って、みんなで一緒にだんらんを過ごす時間が大好きで、できるだけそういう時間をつくるようにしています。たとえば、東京にいるときはリモートワークが多いですけれど、ランチもひとりで済ませるよりも、どうせパスタを1人分作るのなら、3〜4人分作るのも一緒かなという感じで。シェアハウスのLINEグループに「ごはんを食べるよ」と呼びかけて一緒に食べたり。それは私にとってはいちばん豊かな時間です。

Q:今、あまりシェアされていないけれど「もっとシェアされたほうがみんなが幸せになれるのでは?」と思うことはありますか?

石山:いちばんに浮かぶのは、やはり住居のシェアリングだと思います。シェアハウス自体は認知されているけれど、実際にシェアハウスに住もうという人の割合は、シェアハウスのマーケット全体の成長スピードからするとかなり遅いなと思います。家族のあり方や生活の暮らし方がまだまだ多様化できていないのかもしれません。今、ひとり暮らしで幸せ、という方はそれでいいと思います。現在のように、ご夫婦に子ども1人とか家族の構成人数が少ないと、家族間ですごく不満が溜まってしまうんですね。「○○をしてくれない」とか、そういうケンカが多いようなことがよくいわれますが、シェアハウスの場合は、1人に対して期待しすぎません。「この人がこれをやってくれないのなら、この人にお願いしよう」とか。子育ての方針も、夫婦でケンカすることはあると思うのですが、いろいろな人に囲まれているシェアハウスでは、子どもから見ても「正解っていろいろあるんだ」とか、考え方の幅が拡がって、シェアできるのは豊かなことだなと思います。

酒井:住まいを共にするには、まだ壁を感じていらっしゃる方が少なくないということでしょうか。シェアハウスの感覚をお試し的に体験できる、先ほどおっしゃっていた「信頼の軸」みたいなことを試す機会とか、そういうサービスは存在したりしますか?

石山:いくつかあるのですが、ひとつおすすめしたいのは『ADDress(アドレス)』というサービスです。月に数千円の定額で、全国270ヶ所のシェアハウスや古民家、ゲストハウスに住めるというサービスなんですね。各拠点には「家守(やもり)」といわれる、その家を管理する人が住んでいて、そのお家に行くようなかたちで滞在できます。たとえば、子育て世帯の家庭が、自分の家の一室を開いて、みんなが来てくれるような場所にするという、そんなかたちですね。「ここの地域のご家庭に泊まってみよう」みたいな。そこでまた、旅行とは違ったつながりみたいなものができたりします。

Q:祖母の着物整理を頼まれていたので、着物のシェアサービスの利用を考えているのですが、石山さんから見て、サービスのこういうところを見るべきというポイントはありますか?

石山:サービスを使おうとするときに、やはりその会社の経営状況であったり、どういう人が使っていて、どういった口コミがあるかとか、今日お話ししたデジタル上での評価をしっかり見て判断する必要はあると思います。着物でいえば、既に着物を貸した人とか、着物を借りた人がどんな口コミを書いているのか。あともう一つは、保険ですね。シェアリングサービスには保険がかかっているサービスが多いのですが、何かトラブルがあったときにどういった保険がおりるのかとか、トラブルが起きたときの解決方法が、サービス上で明記されているかをしっかりチェックしたほうがいいと思います。