ウェルビーイングと家庭科について語り合いましょう(第8回ゲスト 阿古真理さん/作家、小林美礼さん/全国家庭科教育協会常任理事)

ウェルビーイング研究の第一人者・石川善樹さんが、”食”を入り口に、各界の俊英と対談、さらにスタッフとの「振り返り座談会」を通じてウェルビーイングを旅する連載です。作家の阿古真理さんをお招きし、料理と家庭科について語り合った前々回。今回は、長年、教育現場で家庭科を教え、教科書の著作校閲にも長く関わっていらっしゃる小林美礼さんにも加わっていただき、ウェルビーイングと家庭科の関係について鼎談を行いました。“家庭内での仕事”や郷土料理から考える自分のルーツの問題など、家庭科教育がいかに重要かを改めて考える機会となりました。

進行/ウェルビーイング100byオレンジページ編集長/前田洋子
文/中川和子 
撮影(本)/JOHN LEE


石川善樹(いしかわよしき)
予防医学研究者、博士(医学)
1981年、広島県生まれ。東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。公益財団法人Wellbeing for Planet Earth代表理事。「人がよく生きる(Good Life)とは何か」をテーマとして、企業や大学と学際的研究を行う。専門分野は、予防医学、行動科学、計算創造学、概念進化論など。近著は、『フルライフ』(NewsPicks Publishing)、『考え続ける力』(ちくま新書)など。
https://twitter.com/ishikun3
https://yoshikiishikawa.com/

阿古真理(あこ まり)
1968年、兵庫県生まれ、神戸女学院大学文学部を卒業後、コピーライターとして広告制作会社に勤務。その後、フリーライターとして活動を開始し、東京都に拠点を移す。現在はくらし文化研究所を主宰し、作家・食文化を中心とした生活史研究家として、さまざまな媒体で執筆。講演活動も行う。2023年、食生活ジャーナリスト協会主宰の『第7回食生活ジャーナリスト大賞(ジャーナリズム部門)』を受賞。著書に『小林カツ代と栗原はるみ―料理研究家とその時代―(新潮選書)』、『日本外食全史』『家事は大変って気づきましたか?』(ともに亜紀書房)など多数。2月20日に発売となる朝日新聞出版の人気シリーズ『いまさら聞けない』の1冊『いまさら聞けない ひとり暮らしの超基本』を執筆。衣食住から防犯まで各分野の専門家に取材したひとり暮らしの必携本。
くらし文化研究所
https://lab.birdsinc.jp/

小林美礼(こばやし みれい)
東京都生まれ。日本女子大学院修士課程修了(家政学)。専門の家庭科教育では、よりよい生活と未来について考え、食育や本物の社会の課題を本気で考える授業を目指す。筑波大学附属中学校(先導的教育・国際教育・教師教育拠点校)に勤務。日本教育大学協会中学校部会会長、国立大学附属学校連盟副校長部会会長、筑波大学院キャリアマネジメント講師などに従事。現在は、同附属中学校と日本女子大学に勤務。全国家庭科教育協会(ZKK)常任理事。著作校閲は中学・高校家庭科教科書ほか。近著は「命のバトンで育てる体」(国土社)。


高校生向け家庭科の教科書 左から「生活デザイン」(実教出版)、「家庭総合」(東京書籍)、「家庭基礎」(東京書籍)

小林:家庭科共修世代によって、家事は夫婦で分担する時代へ

前田:家庭科教育の第一線にいらっしゃる小林先生、家庭科教育とウェルビーイングということについて、どう感じていらっしゃいますか?

小林:教育の方向性を示す『第4期教育振興基本計画』が昨年の6月に出されまして、2040年以降の社会を見据えたコンセプトが二つ掲げられました。「持続可能な社会の創り手の育成」と「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」です。これもあって、今、教育界でウェルビーイングがすごく話題になっています。

前田:教育界でも話題になっているんですね。

小林:現在の家庭科の小学校・中学校・高等学校の学習習指導要領の目標には、「よりよい生活の実現や社会の構築に向けて~」とあります。このよりよいとは自分だけではない、あらゆる世代、あらゆる地域、国、あらゆるステークホルダーの「未来を含めたよりよい生活」を希求しているものなんです。これはウェルビーイングの考え方にものすごく近いのではないかと思っています。言い換えれば、私たちが長年やってきた家庭科教育は、「自立を支援し、人々の生活をよくして、みんなが共に生きる社会をつくっていこうよ。その根底には誰もが幸せになることへの願いがある。」だと思っています。

石川:内閣府が行っている世論調査があるんです。その中に「あなたのご家庭の生活は、これから先、どうなっていくと思いますか?」という設問で、「良くなっていく」と思っている人の割合を示しているものです。昭和40年代までは、3割から4割の人が「よくなっていく」と思っていたんですが、昭和48年のオイルショックで急落して、バブル崩壊でまたガクンと落ちて、21世紀以降は、もうこれ以上落ちようがない1割未満で変わってないんです。これを見ると「あんまり変わらない」もしくは「悪化する」と思っている人が増えているということですね。日本は構造的に、何か抜本的に変えないといけないフェーズに来ているんです。私がそもそも「家庭科がものすごく大事だな」と思ったのは、この内閣府のデータを見たことにも関係しています。

内閣府が実施する世論調査の質問

前田:……少なからずショックを受けるデータですね。

小林:ショッキングですけれど、そうだろうなと思います。ただ、希望は持っています。私が画期的だなと思っているのは、高校家庭科が男女共修になった1994年に、同じく中学校の家庭科教科書の内容も衣食住中心から変わってきているんです。家庭の中のことはアンペイドワーク(無償労働)で、仕事としてみなされなかったし、もちろんGDPにも反映されないけれども、今後はこの意識を変えていくために、家事・子育て・介護などを「家庭の仕事」という言い方にしようと、教科書の書き方を変えています。家の中のことが徐々にですが「仕事」として認知されてきているのではないかと思います。

高等学校家庭科用教科書「生活デザイン」(実教出版)より

前田:家庭科の教科書をいろいろ取り寄せて見たのですが、以前とはずいぶん変わっていますね。高校の教科書で「生活デザイン」というのがある。旧世代としてはタイトルもすごい、と思うのですが、第1編「人とかかわって生きる」の1.が「自分を見つめる」なんです。これを見ていると、こういうことを家庭科で教わっている人が社会に出ていくと、何となく将来に期待が持てそうな気がします。

高校生向け家庭科教科書「生活デザイン」(実教出版)より

小林:子どもたちには、家庭にどんな仕事があるか細かいことまで書かせて、それを誰がやっているか色分けさせるんです。すると「お母さんがいちばんやっているね」となることが多いのですが、稀に「お父さんもけっこうやっている」という家があります。男性の家事参加率が高い国のほうが子どもを産む数が多いということがわかっています。先ほどの石川さんが示された暗いデータもありますが、中学1年生も10年経つと社会に出ていきますので、授業では、家庭の役割について考え、少子高齢化・子育て支援・介護・虐待・ワークライフバランス・北欧の福祉先進国の状況などついて、協働的に学び合い、解決策を考えて自分の意見を発表する授業をしています。視野を広げ、行動力を育てることを目指しています。今の20代や30代の卒業生たちの話を聴くと、家事や子育ても夫婦で一緒にやるという感覚になってきているので、これから変わっていくのではないかという期待はあります。

阿古:私はアンケートを取ったわけではありませんが、小林先生がおっしゃるように、家庭科の共修世代が社会人になってから、はっきりと変わってきていますね。たとえば、三木智有さんという、男性の家事シェア研究家がいらっしゃって「家事は家族でやったほうが、それこそ子育てもうまくいくよ」ということをおっしゃっています。三木さんが提唱していらっしゃることもそうですし、2010年代後半ぐらいから、SNSを中心に家事シェアとか家事の省力化を求める声が非常に大きくなったんです。とにかく、家事は「手伝う」ではなく「シェア」するものだということを多くの人が言い出したということで、それは当然のことになってきている。私はこれからの未来は可能性が広がると思っています。平成はその準備期間。家庭科を学んでおらず、古いジェンダー観を持っている人たちが、まだまだ強くて抑え込んでいるけれど、だんだんその抑え込んでいる力が弱くなってきた。令和になって、壁はもう壊れるかもしれないというところまで来ていると思います。

小学生向け家庭科教科書「わたしたちの家庭科」(開隆堂)

石川:今の家庭科の教科書は、大人にこそ役に立つのではないか

石川:以前の対談でもありましたけれど、国際的に見ると、日本は男性も女性も家事・育児の時間が長いわけじゃないんです。日本は男性も女性もお金を得るために働いている時間、つまり「有償労働」の時間が長い。

前田:ああ、なるほど。

石川:日本では、家事、育児、介護の「無償労働」時間の男女差がありすぎるんですよ。だから、時間でみると少ない。男性が家事や育児という無償労働をやるためには、有償労働の時間を減らさないといけない。日本の男性はその時間がものすごく長いんです。現在のような家庭科教育を受けていない、50代以上の経営者の感覚を変えて、働く人の有償労働の時間を減らして、無償労働してもらわないといけないんです。

前田:一銭のお金にもならない無償労働をしてもらわないと。

石川:はい。その時に家庭科の教科書が役に立つのではないかと。子どもだけじゃなくて、大人にこそ、役に立つのではないかと思います。

前田:ほんとに今の教科書を読むとそう思いますね。

石川:例えば、初めての人と会ったとき「どんなお仕事をされているんですか?」とよく聞くじゃないですか。そこで言う仕事とは、ほとんどの人は有償労働のことを想定して言っています。一方で、有償労働をしていない人間は「仕事はしていません」と言うしかない。女性でも男性でも専業主婦(主夫)の人は「お仕事は何ですか?」と聞かれたら困るのではないかと思います。

前田:「何もしていません」と答える人がほとんどですね。

石川:「仕事をしていません」と言うと、「じゃあ、どうやって食べているんですか? どうやってお金をもらっているんですか?」となる。そこで「いや、お金はあるんです」と言えたらいいんですが「お金もないんです」みたいな話をすると、あ、なんだか残念な人がいる……みたいな感じで、みんな去っていくんじゃないかと(笑)。人と会ったときに「どういうお仕事をされているんですか?」と聞く、これ自体が変なのではないかと僕は考えるんです。

前田:昔、女性の肩書で「家事手伝い」というのもありましたよね。

石川:ありましたね。人と会って、その人のことを理解しよう、共感しようとするとき、あいさつは何がいいんだろうかと考えるんですよね。「どういうことを目指されているんですか?」とか。でも、誰もが何かを目指しているわけじゃないから、それも違うと思うし「どういう生活をされているのですか?」とか、そのほうがいいのか。

前田:う~~ん、難しいですね。確かに「あなたはどんな仕事をしているのですか?」と初対面の人に聞くのも不躾だけど、女性同士では「ダンナさんは何をしていらっしゃるの?」という話になったりしますよね。

小林:いきなりは聞かないけれど、なんとなく時期を伺って、みたいな……(笑)。

石川:結局、みんな有償労働の話にばかり興味があるんですよ。たとえば、ご家庭ではどのようなお仕事をされているとか、どのような役割を担われているんですかとか、そういう聞き方はしないじゃないですか。「どのような無償労働、家事、育児、介護は何をされていますか?」とは聞かないですよね。

小林:そうですね。でも、その聞き方はおもしろいですね。

前田:今、政府の後押しもあって、男性も育児休暇が取れるし、育児休暇に理解を示す育ボス運動があったりするじゃないですか。

小林:最近厚労省の法律が変わって、産後パパ育休制度ができましたね。事業主は取得意向を聞かなければいけないというように変わったそうです。私のまわりでも、大企業も中小企業も産後パパ育休を取りましたと言っていますね。すごくいいことだと思います。

*資料 「育児介護休業法 改正ポイントのご案内」
https://jsite.mhlw.go.jp/chiba-roudoukyoku/content/contents/001009638.pdf

石川:子どもたちと接している中で、変化を感じられることはありますか? 生活をよくするというときに、たとえば、高齢者の生活ってどうなんだろうとか。

小林:家庭科は生まれたときの赤ちゃんの特徴やその育ち方から始まって、自分自身の自立と共生、そして、だんだん老いていって、介護というところまでを扱うのですが、今核家族なので、高齢者のことを本当に知っている子はほとんどいないですね。学校の役割として、高齢者とつなぐきっかけをつくる。お互いに理解するチャンスは授業で仕掛けます。「自分のおじいちゃんおばあちゃんでなくてもいいし、近所の人でもいいから、高齢の人にインタビューしてみよう。嬉しかったこと、辛かったこと、幸せな人生をおくるために大切なこと、中学生へのメッセージなど。」という課題を出すんです。おじいちゃんおばあちゃんたちは嬉々として話してくれますし、子どもたちも「すごく楽しかった」と言っています。いろいろな気づきがあって、それは最終的には異なる世代の理解でもあるのですが、人と関わらなければ、多様性を受容する意識や、グローバルな課題を解決していこうという意欲を育むことはできないと思います。よりよい生活、気持ちが豊かになるような活動を家庭科の中でやろうと思って実施した一例です。

高校生向け家庭科教科書「生活デザイン」(実教出版)より

阿古:郷土料理を作ることは、自分のルーツを知ることにつながる

前田:以前の家庭科では、料理実習というと、野菜を何センチ角に切ってとか、そういう話だったと思うのですが、今の教科書には郷土料理を作ってみようというページもありますね。阿古先生、郷土料理を子どもが作ることに、どんな意味がありそうでしょうか?

阿古:子どもが郷土料理を作るということは、自分のルーツを知ることになると思います。今、あちこちに移動して暮らしている人がものすごく増えたので、自分の郷土はどこかというところから定義しなければいけない場合もある昭和の時代の転勤族の家庭で育った人には、しょっちゅう父親が転勤するので、自分のふるさとがどこかわからなくなった人もいます。さらに、育った地域にいろいろな問題があって、自分は馴染めなかったとか、学校でいじめられたとか、ふるさとなんだけれど、思い出したくないという人もいて。一方で、転勤族でいろいろなところをまわったけれど、この街がいちばん好きだったから、ここに家を建ててリタイア後の生活を始めたという方々もいます。ふるさとのとらえ方は今は多様になっていますが、自分がここ、と決めた場所がふるさとだったら、その土地の先祖が何をどのように食べてきたのかを知ることは、自分にとっての安心感につながると思います。

前田:安心感ですか。

阿古:自分のルーツを認識していない子はたくさんいると思いますし、大人になってからも、そういえば親がどういう人生を送ってきたか知らなかったという人もたくさんいるので。これだけ変化が激しく、不安定でよくわからない世の中で、根っこが見えるというのはとても重要なことだと思います。自分のアイデンティティがそこで確かめられるということになるので。

高校生向け家庭科教科書「生活デザイン」(実教出版)より

前田:石川さん、自分のルーツがわかることについて、どう思われますか?

石川:自己紹介をするとき、ほとんどの人は自分が生まれた後の話をするんですよ。もう少し言うと、社会人になってからの話をする人が多いです。でも、もうちょっと自分のルーツを意識した自己紹介のしかたもあるんです。私がアメリカでよく聞いた自己紹介には二つあって、一つは「私はこんな仕事をしてきました」と、職歴を話す人、もう一つは「自分のおじいちゃんおばあちゃんはこういう人で、どこどこから来ました。お父さんお母さんはこういう人で、2人が出会って自分が生まれました」で自己紹介終了の人もいるのです。それで、どちらの人のことをもっと知りたいと思うかというと、ルーツを語ってくれた人なんです。結局、ルーツを語るというのは、自分というものの範囲をどこまでと思っているかに尽きると思うんです。だから「自分って何だろう」ということを家庭科でも扱うと思うんですけれど。

小林:今、グローバルな時代だからこそ、自分のアイデンティティ、日本人として「伝統文化の理解」ということをしっかり教育しようという流れがあります。たとえば、家庭科では衣服の領域で和服、それに食の領域では和食ですね。ユネスコの世界無形文化遺産になったとき、家庭科の一教員として、すごく嬉しかったです。家庭科の教科書でもスパゲティやサラダにフレンチドレッシングばかりやっていた時代もあったのですが、「和食もいいじゃない」という授業ができると。ただ、そのとき、和食は世界で評価されているみたいだけれど、日本人で和食についてちゃんと説明できる人がほとんどいないということを聞いて、確かにその通りだと思い、「自分の言葉で和食を説明してみよう」という授業をしています。阿古先生のご著書でもずいぶん勉強させていただきました。

石川:今日のお話で、家庭科ってすごく広範囲のことを捉えているんだということが、よくわかると思います。今後家庭科のイメージが変わってきたらいいなと思います。

小林:そうですね。子供たちは家庭科の実習をとても喜んでいます。もっとやりたかった、という声が多いです。家庭科の学会で調査をしていますが、社会人へのアンケートでも、性別・世代にかかわらず、約95%の人が高校時代に家庭科を学んでよかったと家庭科を学ぶことの有用性を高く評価しています。その声に励まされています。家庭科は“未来を考える時間”です。自分も社会も含めて、総合的に幸福度をアップさせていくような教科だと思っています。

前田:本当にそうですね。本日はみなさん、ありがとうございました。