『ウェルビーイング的思考100~生きづらさを、自分流でととのえる~』出版記念トークイベント(作家:角田光代さん、絵本作家:五味太郎さん)

2021年10月に始まった『ウェルビーイング100大学』のインタビュー。お招きした21名のゲストの言葉をまとめた『ウェルビーイング的思考100~生きづらさを、自分流でととのえる~』が9月29日に発売されました。これを記念し、10月31日にジュンク堂池袋本店で開催されたトークイベントの内容をご紹介します。
ゲストは作家の角田光代さんと絵本作家の五味太郎さん。2021年、インタビューの第1回と第2回に登場してくださっています。おふたりの「自分流」の本音トーク、会場は大いに盛り上がりました。

聞き手/ウェルビーイング勉強家:酒井博基、ウェルビーイング100byオレンジページ編集長:前田洋子
撮影/原 幹和
文/中川和子


五味:自分で自分のことがよくわからないのが原則

前田:本日はお忙しいところ、ありがとうございます。まずおふたりに、この本のタイトルにある「自分流でととのえる」について伺ってみたいのですが。自分流といっても、実は私自身も、自分のことはよくわからないんですが。

五味:自分で自分のことがよくわからないのは原則で、オレ、今、78歳だけれど「オレって何だろう?」っていうのが最近のテーマなんです。若い頃のように、不安で自分がわからないという意味ではなく、客観的に見た時の話なんです。五味太郎って、客観的には絵本を描いて、いつも楽しくやっている人、のように見えるわけですよ。すると、新聞とか雑誌、テレビとかサイトとか、いわゆるメディアの人が話を聞きに来るんです。「幸せになるためにはどうしたらいいんですか?」とか。知らないよ、そんなこと(笑)。本に興味を持ってもらうのがベストなんだけど、それにプラスして、いろいろな人がいろいろなことを聞きに来る。それに答えているうちに「オレって何なのだろう?」と考えるようになった。

角田:「自分のどこを見て聞きに来るのか?」ということですか?

五味:絵本のことなら答えられるけど。それ以外にオレに聞きたいことって何かあるのかな? と思う。

角田:ウェルビーイングしかり、マインドフルネスしかり、そういうことを聞きにいらっしゃる方が多いということですか?

五味:いや、単純にちょっと政治的な話とか。または「夏休みが終わって、子どもが学校に行きたくないと言ってます」みたいな。それを五味先生に聞いてみようっていうことで来るんだけど、オレはそういうことに答える先生じゃないと思っているんだけど。「子どもが学校に行きたくないのは当たり前だろう。つまらないから」と言うと「そうですよね」と納得して帰っていく。「オレはどういう立ち位置にいるんだろう?」というのがこのごろちょっと面白くて。

角田:聞きに来る人は五味さんに断定して欲しいんだと思うんです。五味さんは「そんなのつまらないに決まってるじゃないか」みたいに断定されるから。よくわからないことをはっきり断定されると人は安心するんですよ。

五味:ああ、言葉として落とし込むとちょっと安心するということはあるよね。それは人類の歴史かもしれない。「わからない」というのを放置しておくと不安だから、怖そうな生き物にライオンだとか、犬とか蛇とか名前をつけて。それと同じで、なんだかモヤモヤする感じを言葉にすると、ちょっと解決するのかな。

角田:解決した気はします。実際解決することもあると思います。たとえば、この本(『生きづらさを、自分流でととのえる〜』)を読んでいると、五味さんは「来年は今年よりも良くなると思うからつらいんじゃないの」とおっしゃっていますが、そうだなと思います。五味さんが言葉にしてくださると、自分も心の中で何となく思っていたけれど、言葉になると「ああ、そうだよな」と。

五味:なるほど。そういう“言葉にしないと不安な現象”が起きている世界なんだね、今。今までの自分たちの世界にはなかった情報や概念がどんどん目の前を往き来して、入ってくる。「これ、一応知っとかないと……」というプレッシャーを感じているのに捉えきれない。そのときに一種の不安感が残る。それを誰かがきちんと言えばいいんだな。

角田:目標を持たないほうが長続きする

前田:ウェルビーイングは定義するのが難しいと言いますが、「自分らしく生きること」だと言われると、自分とか、自由ということが重要なのでは、と思うのですが?

五味:オレ、あんまり自由になりたいって思った記憶がない。メディアから「もっと自由に生きるにはどうしたらいいんですか?」なんて聞かれることもあるんだけど、オレ自身は自分では不自由だなあと思っているんで、答えによってはケンカになることもあるんです(笑)。で、そのインタビューのときに、漢字遊びのようだけど、自由っていうのは、“自分の理由”なんだな、と考えた。自らの由(よし)だからね。英語のフリーダムを自由って言葉に当てはめたのがたぶん失敗しているんだけど、もうちょっと違うニュアンスだと思う。たぶん、自由っていうのは、“その行為に対して自分なりの理由がつくこと”で、それであればいいのだと。

角田:私は「自分らしさ」というのがすごく嫌いなんです。自分らしいってことは、私の中ではダサいってことなんですよ。「こうしかできない」とか「他人みたいにできない」とか、ネガティブでマイナスばかりが浮かんできてしまう。私にとって心がウェルビーイングな状態は「自分が他人だったら、どんなにいいだろう。もっといろいろなことがうまくできたら、どんなにいいだろう」と考えているときなのでは、とさえ思います。でも『自分の理由』って考えると「いや、こうしかできないんだから、これでいいよね」と。「一見、自由に飛んでいるように見える鳥だって、疲れて、もう飛べないと思うときでも生きるためにはエサを求めて飛び続けるしかないんだから。私は自分の理由で動いていればいいじゃないか」と思えば、自分の中で納得できることがありますね。

五味:結論的に言ってしまえば、なんでも“生まれつき”なのかも。生まれつき「幸せになりたい」と思う人がいる、とか。

角田:私、思いますよ。

五味:幸せになりたいってどういうこと?

角田:そう聞かれると……。たとえば、苦しみが少ないほうがいいな、とか……。

五味:あ、そうか。オレが今「生まれつき」って言ったのは、「持って生まれた性質」のことなんだけど、その生まれつきの部分が世の中に受け入れられないことって多いんだよね、きっと。オレはよくわからないけど、子どもの頃から大人に足を引っ張られていたと感じるんだよね。たとえば夏休みの絵日記、いつも夏休みのはじめに全部書いちゃうの(笑)。「日記というのはその日あったことを書くんだから、先に書いちゃダメ!」と言われるじゃない? でも、「〇月〇日 今日はおじさんがスイカを持って遊びに来た」と書いておいて、おじさんに電話して「〇日は、おじさんがスイカ持ってくるって日記に書いたから来て」と。おじさんは「え~! めんどくさいなあ」と言いながら来てくれた。8月20日は自分の誕生日だから「お母さんがゼリーを作ってくれました」と書いて見せたら、お母さんは「しょうがないわねえ」と言いながらゼリーを作ってくれる。そうやって、まわりがつきあってくれたんだよ。でも、「日記はそうやって書くものではない」とかほかの大人に言われて書くと、本なんか読んでないのに「今日は何もないから、本を読みました」なんて書くようになる。オレは生まれつきそういう性格なんだから、ほっといてくれればいいと思っていた。子どもは自分で考えて自分でがんばっているのに、往々にして大人が「大丈夫か?」と言って足を引っ張るんだよ。だから、今でも「自分が居心地がいいな」と感じているところより下に落ちないように気をつけるところはある。

角田:私、23年間ぐらいボクシングジムに通っているんですよね。「よく続くね」と言われるんですけど、目標を立てないと続くんです。運動経験がないまま33歳で始めたんですが、まわりはプロをめざす男の子たちがいっぱいいる中で、私は全くの素人、ゼロというよりマイナスの状態から入っている。がんばってプロテストを受けるとか、デビューするとか、スパーリング(模擬戦)で誰かを倒すとか、そういう目標が全くない。ただただ、練習を続けて、言われたことが少しずつできるようになる。ここまで、という目標を掲げていないので、いくらでも続くんです。

五味:それ、オレのチェロと一緒だね。だって、絶対にベルリンフィルから誘いはないじゃない(笑)。4曲ぐらい弾けるんだけど。いや、弾けるというだけなんだけど。目標がない。みんなすぐに「目標は何ですか?」って聞くけど、あれはわかってないよね。誰もが目標を持つべき、というのは、初等教育の貧しさなのではと思うことがある。

前田:初等教育の貧しさ、ですか?

五味:講演会で話した後に「ご質問ありますか?」って最後に司会の人が聴衆に聞くんだけど、日本はすごく質問が少ないじゃない? これ、学校教育の影響だと思う。みんなの前で発表するのはすごく緊張することになってしまっている。これは先生のリードしだいだと思う。「みんなで話そうよ」という感じで導くと、みんなが割とワイワイ喋って、それがおもしろい意見になっていく。日本では、先生の言うことは静かに聞いて「どう思いますか?」と聞かれたときに発表するっていう教育を受けているから、みんな怯えているんだね。「自分の表現をする」ということの基準を、“先生にウケるかウケないか”というところに置いてしかできない。つまり、今の教育では、子どもが早いうちから社会化するんだよ。これでは個人が育たない。

前田:それと、小学生のときから目標を持たされる。「大きくなったら何になりたいですか?」と。

五味:大人になったら何になるなんて、考えたこともない。大きくなったらだれだって大人になるじゃないか。でも、それじゃしょうがないから、パイロットとか学校の先生とか、大人がわかりやすいことを子供に手短に言わせるのが教育になってるんだよ。大人になって意見を言うときに、自分の考えではなく“社会が何を求めているか”を察知して言う。「自分」の考えでやっていないから、いつか整合性がつかなくなる。あるいは不条理みたいなことを感じてしまう気がするね。

前田:目標はないほうがいい、無くてもいい?

五味:目標を持たなくたっていいんだよ。企業とかすぐ右肩上がりとか言うじゃない。必ず去年よりも0.1%でも売上が上がらないといけないとか。これは株主が言うんだよな。つまりシステムの中でそうなっている。必ず前より上がっていなくてはいけない。だから、2年生より3年生は偉くないといけない。中学生は小学生より偉くなきゃいけない。大人は子どもより偉くなくちゃいけない。毎年偉くなれる保証はないもんね。

角田:一生懸命やって、それで良くなった、良くなって幸せだと思い込んでいる。

五味:そう、それが幸せだということにしてしまったんでしょうね。目標を作れば、そこに到達するというのを、人の性みたいに思い込んでいるところがあるよね。人間とはそういうものだと。

角田:自分がいちばんラクな方法を探っていくと……

前田:角田さんには、記事のインタビューで生活習慣についてうかがったのですが、サラリーマン以上に規則正しい生活習慣で、日々原稿を書いていらっしゃるというお話を伺いましたが、それは今も変わらずですか?

角田:はい、変わっていません。私は“仕事が終わらない”ということが怖くて。夕方5時以降に仕事をするのが絶対にイヤなんです。それで、5時に終わるためには、始める時間を作らないと終われないので。たぶん、その出発点は五味さんと一緒の感じだと思うんですけれど、自分がいちばん楽な方法を探っていった結果なんです。そうすると、冬に向かう今は平日の朝8時半から夕方4時半までと決めて仕事をして、それ以降は絶対にしない。あと日曜日には仕事はしないと決めていて。あの、つらいんです。日曜日に仕事をしたり、夜になって暗いのにパソコンの前に座っていたりするのが。

五味:おもしろいなあ、角田さん。それってごっこ遊びみたいなの? ちょっとしたおふざけなの? 自分一人の仕事場なんでしょう? 帰るときも「お先に失礼します」なんて言ってるんじゃない? 誰も見てないのに(笑)。

角田:ふざけてはいません(笑)。とにかく、その時間割が守れないと、ものすごく落ち込むんです。

五味:ああ、やっぱりボクサータイプだよ。そういうふうに自分に課して律している。オレは生まれつきダメ人間だから、そういう生活をする人を見ているとものすごく楽しい。「あ、オレとは違うタイプの遊びをやっているな」と。

角田:ボクサータイプ……確かに、そうかもしれないです。性格が暗いし。

五味:暗ぶってる、って感じがするよね(笑)。ま、みんなガハハって笑っている角田光代を見たくないわけだよ(笑)。

角田:五味さん、仕事を引き受け過ぎて、もう何もやりたくないってことはないですか?

五味:実は、オレの場合、基本的に“引き受け仕事”はないんです。「なんかできたら電話するから」ってみんなに言ってる。若い頃はオファーをもらっていたけど、「あ、これは違うな」と思った。たぶん40歳前ぐらいから。ありがたいことに待ってくれる人たちがいるんです。

角田:作品は、100%できたら渡すんですか? それとも8割ぐらいできたところで渡すんですか?

五味:100%できたのを渡す。もう、あとは修正とか何もないから簡単。

角田:五味さん! 私もそうしようと思ったのが今年だったので、今、すごい感銘を受けてます。私、どうしても仕事を引き受けすぎてしまって苦しくなることが多いので、今五味さんがおしゃった方法に変えたいと思っているんです。

五味:いやいや、遅いんだよ(笑)。“角田光代”なんだから、自分が設定すればいいんだよ。ヨーロッパの作家なんか見てるとその設定力がエグイよね。

前田:角田さんのところにも、いろいろな人が話を聞きに来ますか?

角田:確かに「これ、どうして私に聞くんだろう?」という質問、ウェルビーイングとかについてもあります。お酒の飲み方のような、答えたいものはなく、それよりも良く生きるとか、豊かに暮らすとはどういうことだとか。

五味:そうなんだよね。要するに、オレとか角田さんみたいに“あるものをあるベースでやっている人”というのは、社会的にも人格的にも非常に豊かな人なんだって設定になっちゃうわけだよ。

角田:そう見えるってことですか?

五味:そう見えるってこと。いろいろなことも知っているだろうっていうふうに。要するに「わからないことがあると、あの人に聞け」ってなる。そう言われてもね、わからないことはわからないし。誰かに聞くんじゃなくて、わからないことは自分で考える、という教育をしないと。

以下、角田さん、五味さんがみなさんの質問にお答えします。

Q:おふたりにとって生きづらさとは何ですか?

角田:今は「何々をしちゃいけない」とか「何々をしなきゃいけない」と言われたり、決められたりすることがキツいですかね。コロナのパンデミックの3年間は、外で飲んじゃいけないとか、旅行しちゃいけないとか言われていましたでしょ。私の場合は家にいる仕事だし、お酒飲みたければ家で飲めばいいんだけれども、やっぱり自分の意志で進んで家で飲んでいるのと、「外で飲んじゃいけない」というお触れなり空気なりがあるから家で飲んでいる、というのは気持ちがすごく違う。この前、久しぶりに旅行に行って、それに気づいたんですよ。すごく窮屈に自分が閉じこもっていた、自分で自分を閉じ込めていたのだな、という気がして。旅行に行って、その窮屈さを“開いた”感じは懐かしかったし、自分を閉じ込めていることがすごくイヤだったんだと、そのときに初めて気づきました。

酒井:そういうとき、角田さんなりに、自分でととのえていく方法はありますか?

角田:実は私、すごくガマン強いのと、すごく鈍いので、つらいってことに気づきにくいんです。パンデミック期間のあれこれのイヤさも数年たって旅行に行って初めて気づくぐらいなので。その渦中にいるときにはつらいとかはない。ただ、酒量が増えるとか、そういうことになる。

酒井:後で気づくんですね。

角田:だからととのえようがないんですよ。

酒井:五味さんは?

五味:いやもう、ずっと生きづらいと思ってる。生きやすい人ってどこにいるのかなと思うぐらい、生きづらいのが基本じゃないのかな。そもそもみんな、地球の引力に抗って生きてるじゃない。あと酸素が少ないとか、そういうことも含めて生きるのって大変だよねと思う、生命活動として、ね。そこに社会的な大変さが加わるから、二重苦だよね。これに割と早めに気づいたときに、自分らしさじゃないけど、生きられる範囲で生きようって、子ども心に思ってた気がする。

Q:角田光代さんの大ファンです。角田さんの本は日常の中の“普通の怖さ”みたいな部分を切り抜いていて、すごいなあと思うのですが、普通の人の怖いなと思う部分はありますか?

角田:普通の人が怖いです。普通のやさしい人とか怖いですよね。人は好きですけど、やさしさが何をするかわからないときがあるじゃないですか。やさしさにはいろいろなやさしさがあって、困っている人の手助けをするのはやさしさだけれども、やさしさで人を突き放すということもあるというか。だから、やさしいということがいいことばかりではなくて、やさしいこと、とされる中にも怖いことがありますよね。

Q:おふたりともイヤなことから逃げて、軽やかに生きているのが上手に見えます。逃げようとして失敗したことはありますか?

五味:そんなことはいっぱいあった。だってイヤなことは、するのも逃げるのも、どちらにせよ失敗するに決まってるじゃない。でもイヤなことでも目標を持ってがんばってやろうとする人と、イヤだってことすら忘れちゃう人もいる。これはさっき言った生まれつきの性格だと思うんだけど。

角田:さっきと同じですけれど、私はイヤなことをイヤだと気づくまでにすごく時間がかかるんですよね。で、自分が仕事を引き受け過ぎるのがすごくイヤで。だからもう先ほど五味さんにお話したように、依頼は受けない、と決めたんですけれど、それを忘れてつい引き受けちゃうんですよ。そうするともう本当に毎日が苦しいんです。だから、今、部屋にお札のように「仕事を引き受けない」とか「もう無理」とかいろいろ紙に書いて貼ってあるんです。たぶん、まだどこか怖いんだと思うんですね。断ったらもう仕事が来なくなるのじゃないか、どうしよう、みたいな。もう本当にクラクラするぐらいつらいんで、今、逃げようとしているところです。いつか「逃げようとしたけど失敗した」と話すかもしれないですね(笑)。

Q:おふたりはウェルビーイングという言葉についてどう思っていますか?

角田:ウェルビーイングって何だろう?

五味:「ちょっといい感じ」かな。でも、こういう言葉は自然崩壊すればいいんですよね。

角田:ウェルビーイングもマインドフルネスとかも、ちょっと意味が取りづらい言葉ってあるじゃないですか。あれはたぶん、それを表すいい日本語が見つからない言葉だと思っていて。いい日本語が見つからないということは、私たちの状態とはちょっとズレたものなんじゃないかと思うんです。もし「あ、これがその状態か」みたいな感覚があれば……。たとえば「サウナで整う」みたいなのはパーッと拡がりましたよね。あれは私たちもわかるからです。サウナやヨガで整うみたいな、自分の内と外が調和している感じというのはわかるんだけど、ウェルビーイングとかの横文字は「あ、この感じ」とは、なかなかならないと思うんです。日本語で表せない限りは、ちょっと難しいんじゃないでしょうか。


角田光代(かくた・みつよ)さん
1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞を受賞してデビュー。2005年『対岸の彼女』で直木賞受賞。2020年、現代語訳の『源氏物語』(全3巻、河出書房新社)を完成させた。

五味太郎(ごみ・たろう)さん
1945年、東京都生まれ。工業デザイナー、グラフィックデザイナーなどを経て、1970年代から絵本作家に。『きんぎょが にげた』や『らくがき絵本』シリーズなど、著作は450冊以上で、海外でも翻訳・出版され人気を博す。産経児童出版文化賞、ボローニャ国際絵本原画展賞、路傍の石文学賞など受賞歴多数。