上海蟹、北京ダックは他の店では食べない。ここは僕の理想の店 第十四回「富麗華」(東麻布)

文/麻生要一郎
撮影/小島沙織理


今は家庭料理のイメージが強い僕だけど、誂えたスーツにネクタイを締めて、家業を継いでいた二十代の頃は、フォーマルなレストランが好きだった。夢のようなデザートワゴンが最後にやってくる重厚なフレンチをはじめ、お気に入りの店はいくつかあったが、当時から惚れ込んでよく訪れ、今でも変わらず出かけて行くのは、東麻布に店を構える中国飯店のフラグシップ「富麗華」だけである。

 会食のほかに、友人や亡くなった母ともよく出かけた、たくさんの思い出が詰まったお店。華やかな雰囲気、誠実な味わい、決して前に出過ぎぬ良心に基づくサービスは、お店のモチーフとされている“牡丹の花”のようである。

牡丹の花言葉は、富貴が先ず上がり、壮麗、誠実、恥じらいと続く、まさにこの店を象徴する花と言えよう。料理は上海と広東料理の混合、今回訪れた際に初めて知ったのは、上海、広東で厨房スペースや味のベースになるスープも、場所が別れており、さらに焼物、点心も別の厨房になっているのだとか。お客様に、お料理をスムーズに提供するには、フロアと各厨房との綿密な連携が欠かせない事を、改めて知ると共に、この店の並々ならぬこだわりを改めて感じた。ちなみに僕は、北京ダックと上海蟹に関して、他の店では食べないと決めている。綿密にルール化している訳ではないので、他で食べたって良いのだけれど、富麗華には結局敵わないし、僕が一番美味しいと感じる慣れ親しんだ味であり、満足いく供し方なのだ。

 店の前には会食が終わりそうなゲストを、お迎えに来た黒塗りの高級車が並ぶ事もある、外からは店の様子が伺えないから、敷居が高いと言えばそうかも知れない。しかし、一度訪れてみれば、コージーなおもてなしで、掛け替えのないひと時を提供してくれる。僕だって扉を開ける時、今でも少しだけ緊張をする。でも、良いレストランとの関係性とは、そういうものじゃないだろうか。

 店内は高級中華料理店にありがちな、華美なしつらえではない。落ち着いたトーンでまとめられ、調度品はモダンである。席に着いて壁にかかっている絵を眺めていると、前菜の盛り合わせが運ばれてきた。

ピータン豆腐、きゅうりのXO醬和え、ハチミツ漬けの叉焼、皮目をパリパリに焼いた豚肉。上品な盛り付けが美しく、気分が高揚する。ピータン豆腐は、黄身の部分をソースのように、豆腐と白身にあえていて、まろやかな仕上り。XO醬も雑味のない澄んだ味わいで、きゅうりとの調和と共に全体を引き締めている。カリカリに焼いた豚は、脂の処理に相当な手間暇をかけているのではないかと思う。口に含むと、脂っぽさや豚肉の特有な香りは無く、カリカリとした食感、豚肉の旨みだけを感じられる。もっと食べたいなあと思いながら、次の一皿を待つ。

 続いて、点心が供される。海老と豚肉の焼売はまさに旨みの塊、弾力のある食感が堪らない。蒸し餃子の緑色をしたもちもちした皮は、ほうれん草が練り込まれ、中には色々な野菜が包んであり、食感が良い。好物なので追加してもらった、大根餅も一緒に頂く。伊勢丹地下にある、富麗華の惣菜店の前を通るといつも素通り出来ずに購入して帰る程。

その次が、季節の上海蟹を使ったスープ。しっかりとした蟹の香り、濃厚な風味が広がり、いつまでも飲んでいたいと思ってしまう、幸せな味。

 いよいよ、待ちに待った北京ダックの登場。艶やかな美しい焼き姿を一目確認してから、皮に巻かれた姿で再会する。生唾を飲み込みながら手で掴み一口頬張ると、それはもう至福の味わい。生きていて良かった! 明日からまた頑張れる! そういった人生に対しての、前向きな言葉が次々に湧き上がってくる頃、呆気なく食べ終わる感じが良い。これをまた食べに来たいなという余韻が、生きる事への執着にも繋がるのではないかと、この北京ダックを頬張りながら、僕はいつも大袈裟な事を思っている。

 続いて、名作である黒酢の酢豚。カリッと口当たりよく揚げた豚肉に、絶妙な塩梅の黒酢餡が絡めてある。具は豚肉のみの直球勝負、非常にシンプルな一皿は、極めて美味。他所で黒酢の酢豚を食べると、どうしても富麗華が恋しくなる。上品な油の使い方、濃厚なのにすっきりとした味わいの餡による賜物だろうか。

コースの最後に登場したのは、牛肉と松の実入りたまり醤油の炒飯。初めて食べた時は、なんとシンプルで独特な色合いだろうと思ったもの。他のお店で食べる炒飯はもっと、何かがみなぎっている、それが油なのか、塩分なのかは分からない。しかし、この炒飯はコースの最後を締め括るに相応しい、上品な温度感とたまり醤油の芳醇な味わいがある。

 秋の富麗華と言えば、上海蟹を食べずには帰れない、今回は雄を姿蒸しにしてもらった。先ずは、蟹の姿で食卓にお出まし、後にお色直し、綺麗に身がほぐされて甲羅の中にぴたりと納まってのご対面。一口、一口と食べ進めると、何とも言えぬ上海蟹の風味、濃厚な味わいにうっとりとする。ある友人が、どれくらいの経済力があれば理想的かというような話をしていて、彼は自由も欲しいしチャレンジもしたい、でもフェラーリを乗り回したいわけじゃない「自分が好きな美味しい寿司を、我慢せず食べられるくらいの経済力」があれば、という話をしてくれた事があった。僕にとっては「富麗華で上海蟹が美味しく食べられるくらいの経済力」がそれに当てはまる。苦心の人生、それが叶わない時もあった。しかし、こうしてまた気軽ではないにしても、美味しく食べに来られる事は幸せである。日本に初めて上海蟹を紹介したのは、中国飯店だそう。提供するスタイルも、蟹のままで出すと、結局身が上手に取り出せず、味わい尽くせないからほぐして提供にしたのだとか。僕も、蟹を上手くほぐすのが苦手である、自分でやったらこの半分の量にもならないと思う、労力惜しまず、本当にありがたい事だと思う。

 食後のデザートに、桃とジャスミン茶のプリンが運ばれて、中国茶と共に頂いた。お口直しに丁度良い清涼な味わい。メニューを眺めると、昔はもっとオーセンティックな料理が目立ったけれど、斬新な料理が増えた。よく来ていた頃には、ムール貝を使った料理は無かったような気がする。

伝統を守るには、革新を続けていかなければならないのだ。中国飯店グループの代表が、自分の理想の店を作りたいと、現場を守る様々な職域のスタッフ達と苦心しながら始めたこの店はまさに、僕の理想の店でもある。2023年の北京ダック食べ納めに再び出かけたい、ぜひ年末年始の大切な方との穏やかな食事の機会に、「富麗華」へ訪れて欲しいと思います。

物腰も表情も柔らかく、さりげなく的確な気配りとサービスの支配人、下平太樹さんと。

富麗華

現在都内に8店を展開する中国飯店、その中でも“ラグジュアリー”の位置づけにある一つが東麻布の「富麗華」。「伝統と革新」を掲げ、完璧なサービスで供される料理の味はもちろん、すべてのことに志の高さは表れて、各界の名だたる著名人の愛顧を得ている。「自分の最後の理想の店を作りたい」そう決心したオーナーが家族からの反対を押し切って作り上げたのがここ、「富麗華」。上海キッチンと広東キッチンを分け、それぞれ現地の一級料理人と、気鋭の日本人料理人によって作られる料理は一口目でため息が漏れる。そしてゲストの要望を阿吽の呼吸で半歩先に叶えるサービスは格式を守りつつフレンドリーで、これも一級のクオリティ。自分に贅沢させたいときのカジュアルなランチや、ここぞ、というときの大切なディナーも、必ず訪れた人の心を満たしてくれる名店中の名店。

<ランチコース>
そばコース 2750円
素菜料理コース 3950円
北京ダックコース 6600円
ほか
*記事中、麻生さんが召し上がったコースはスペシャルな組み合わせで、通常にはありません

<ディナーコース>
Aコース14300円~
Bコース22000円
ほか

上海蟹 7500円~
*価格はすべて税込み。ディナーは、別途サービス料10%。

住所:東京都港区東麻布3-7-5
電話:03-5561-7788
営業時間:ランチ 11:30~15:00(LO14:00)
     ディナー17:30~22:00(LO21:30 最終入店21:00)


麻生要一郎(あそう よういちろう)
料理家、文筆家。家庭的な味わいのお弁当やケータリングが、他にはないおいしさと評判になり、日々の食事を記録したインスタグラムでも多くのフォロワーを獲得。料理家として活躍しながら自らの経験を綴ったエッセイとレシピの「僕の献立 本日もお疲れ様でした」、「僕のいたわり飯」(光文社)の2冊の著書を刊行。現在は雑誌やウェブサイトで連載も多数。2024年には3冊目の書籍も刊行予定。

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