「便利なことより不便が楽しいのはなぜでしょうか?」(ゲスト:川上浩司さん/京都先端科学大学工学部教授)

これまでになかった視点や気づきのヒントを学ぶ『ウェルビーイング100大学 公開インタビュー』。第21回目のゲストは京都先端科学大学の川上浩司教授です。川上教授のおっしゃる「不便益」とは、何でも便利になりすぎた現代において「不便だからこそ、よかったこと」というような意味をもつそうですが、これはいったいどういうことなのでしょう? 手軽にお惣菜が買える時代に、料理をすることは果たして「不便益」なのでしょうか? 興味の尽きないオンライン・インタビューとなりました。

聞き手/ウェルビーイング勉強家:酒井博基、ウェルビーイング100byオレンジページ編集長:前田洋子
撮影/原 幹和
文/中川和子


不便だからこそ得られる益が「不便益」、便利すぎて起こる害が「便利害」

酒井:まず、川上先生が研究されている「不便益」。この言葉を初めて聞いて「何、その言葉?」という方もいらっしゃると思うので、ちょっとご説明いただいてもよろしいでしょうか?

川上:「不便益」は、たまに「不の便益」とまちがわれることもあるんですけれど「不便の益」ということで、英語でいうとbenefit of inconvenience(ベネフィット・オブ・インコンビニエンス)で、不便でないと得られない「いいこと」を不便益と呼んでいます。

酒井:「不便でないと得られない益」というと、具体的にどういう例がありますか?

川上:逆に、便利にすると残念なものを考えるとわかりやすいと思います。たとえば『ねるねるねるね』*というお菓子をご存知ですか? これはユーザーが食べる直前に、自分で練って飴ちゃんにしないといけない。「それは手間がかかるから不便だ。便利にしてやろう」と思って『“ねるねるねるね”練っておきました』という製品を作ったら、これは残念ですよね。

*「ねるねるねるね」……1986年よりクラシエフーズより発売されている子供用知育菓子。3種の粉に水を加え、自分で練って食べる。ワインのアロマ成分が入った「大人のねるねるねるね」もある。

酒井:いちばん楽しいところを持っていかれたような感じですね。

川上:実は『ねるねるねるね』を作っているのは『甘栗むいちゃいました』を作っている会社なので、そのノリで『“ねるねるねるね”練っておきました』も作れるんじゃないかと思うのですが、学生と一緒に考えていて「これは残念だよね」と。『ねるねるねるね』は練るという手間のところに楽しさがあるわけです。

酒井:自分で手間をかけることを考えると、一見、不便みたいな感じがするけれど、練ることが楽しいんですもんね。それが不便益なんですね。

川上:デアゴスティーニはご存知ですか?

一同:はい。

川上:あそこのプラモデルは、部品が少しずつ届いて完成させるようになっています。複雑なモデルだと部品が50個以上あるものもあるんです。それが隔週で1個ずつ届くと、2年かかります。手間がかかることって不便ですよね。これが不便だというので、もし、「デアゴスティーニの一括お届けサービス」なんかがあったら、楽しさが激減ですよね。あれは少しずつだから楽しいし、待ち遠しい。一括お届けサービスは「便利害」です。

酒井:「便利害」って、ものすごく気になる言葉なんですけれど……。

川上:不便益の反対が「便利害」です。

酒井:「便利になりすぎて起こる害」ということですか?

川上:そうですね。以前、スプツニ子!さん*と対談したことがあるんですけれど、彼女は不便益とよく似たことを考えていたそうで、便利にすると残念なものを本当につくられたんですよ。今、ドローンがかなり重いビデオカメラをぶら下げられるようになりましたよね。

*スプツニ子!……1985年生まれ、本名尾崎マリサ優美。 アーチスト、東京大学生産技術研究所特任准教授、東京芸術大学デザイン科准教授。

酒井:そうですね。

川上: AIを使って撮影すると、画像の中から欲しいものの認識ができるようになるんです。スプツニ子!さんは、ドローンにビデオカメラを載せて、そのカメラで四つ葉のクローバーがすぐに見つかる装置をつくられたんです。便利といえば便利ですが、それで見つけた四つ葉のクローバーって、ハッピー・クローバーの感じがしませんね。

前田:しないですよね。

川上:これも「便利害」のひとつだと思います。探すのが大変だから、見つけたときに嬉しいわけです。それでハッピー・クローバーな感じがする。

酒井:それで言うと、お参りの代行みたいな感じが(笑)。

川上:旅行の代行とかね。ラクはラクですけどね。「代わりに行ってきた〜」みたいな(笑)。

「手間をかけられるようにしてくれる便利」は不便益

酒井:今日、ぜひ川上先生に伺ってみたかったのが、安くて美味しいお惣菜が買える時代になったのに、わざわざお料理をするという行為が不便益ではないかという話なんです。お料理をすることによって得られる達成感とか自己成長とか、「ありがとう」「おいしい」と言ってもらえることで感じる自己肯定感とか。自炊する若い人もどんどん減ってきているといわれる中で、料理をする人がもっと増えればいいなと思っているわれわれとしては、不便益という概念が衝撃的で。

川上:僕としては、「手をかけたり頭を使ったからこそ何かが得られた」としたら、それは何でも不便益なんですよ。なので、料理にひと手間かけることによって得られる何かがあれば、それでいいと思っていて。ただ、不便益の研究者の中にもいろいろな立場の人がいて、僕がいちばん右派かな? 

一同:右派?(笑)。

川上:実は不便益は、工学の分野でできた考え方なので、左派の人は「工学的に知見が得られるようなものじゃないと、不便益とは言わない」と厳密に定義される先生方もいらっしゃいます。僕は「不便なことによって何かいいことが得られたら、それを不便益と言っちゃえ!」という立場なんです。そういう意味ではお料理も、手間をかけることによって何かが得られているのだったら、それを僕は不便益に入れます。

酒井:それでは、工学的にはお料理というのは不便益とは定義しづらいのでしょうか?

川上:料理をすることによって得られる益みたいなものが、何か新しい工学的なモノやシステムをつくるときの知見になるんだったら、それはありかなと思うんです。

酒井:今、みんな忙しすぎるのか「時短、時短」みたいな内容を訴える情報が多いんですけれども。オレンジページの読者の方は、割と「ひと手間加えること」みたいな、時短とは違う価値観を持っている方が多いような傾向があるんですよね、前田さん。

前田:そうですね。手間というものに対する考え方が人それぞれだったりするんですね。ただ、読者組織の「オレンジページメンバーズ」だけ見ても、有職率が7割ぐらいなので、毎回毎回、料理に手間をかけているということはないと思うんです。人によってはインスタント食品などを使っても、自分で少し手を加えれば自炊、という人もいれば、時間と手間をかけてこそ、という人もいて。でも、「簡単ですぐできる、美味しい、便利」と言っていた時代から、私の肌感覚では、ちょっと手間をかけることをわざとやりたいという、「#ていねいな暮らし」というのがあるんですけれど、以前に比べたら、その人たちのパーセンテージが上がっている感じはします。大多数は忙しいから簡単にしたいんだけれど、梅干しを漬けたり、味噌を作ったりとか。

川上:味噌作りは不便益にはなかなか格好のネタで、よく使うんですけれど。味噌をスーパーで買ってくれば手間はいらないんだけど、家内が自分で作るというので「手前味噌キット」というのを買ってきて、自分で作り始めたんです。「これは味噌を店で買ってくるより手間がかかるから不便益かなあ?」という話をしていたら「いや、キットだから便利でしょ」とか言うんですよ。

前田:ああ、難しいですね(笑)。

川上:そういえばそうだなあと思って。僕が思うには、キットの便利さというのはすごくアクセプタブル(acceptable=容認できる)で。要するに「手間をかけさせてくれる便利」というのは、不便益的にはOKだと思ったんです。

前田:なるほど。

川上:とにかく究極の不便じゃないとダメだとか、そういうのではなくて「今までは自分の手間をかけなかったけれども、手間をかけられるようにしてくれる便利」。実は不便益というのは、そういうのを目指しているんじゃないかと思っています。

酒井:「手間をかけさせてくれる便利」。

川上:そうです。僕も手前味噌キット、やりましたよ(笑)。大豆を茹でてボール状にして、樽にぶつけるとか楽しいですけどね。子どもたちとやると、子どもがめっちゃ喜ぶんですよ
(笑)。

前田:手間をかけさせてくれる便利って、本当に一からやる人もいるんですけれど、あるところはキットみたいなものがあって、それで何かやるような。

川上:「料理の材料だけお届け」というのもありますよね。

前田:以前、インタビューさせていただいた水野仁輔さんの『AIR SPICE(エア・スパイス)』は、カレーのスパイスが毎月届くんです。そうするとスパイス各種をわざわざ買いに行かなくてもいいわけですよ。それでもそれなりに手間がかかって「やった感」はあるんだけれども、すごく便利で達成感もあるんです。

川上:「ちゃんと配合して、混ぜたスパイスをお届け」のレベルからいろいろあって。自分がどこに手間をかけたいのかというところのバリエーションによって、いろいろな製品があるんでしょうね。料理の材料も材料だけ届いて、あとは切るところから自分でやれというものから、あとは炒めるだけとか。最後の味付けだけは自分にさせてくれるとか。

酒井:そう考えると、不便の度合いとか便利な度合いって、すごく奥が深いですね。

川上:そうですね。「とにかく不便にさえしておけばいい」なんて言い出すと、それは「ともかく便利なほうがいい」と言っている人と同じですよね。「最も」とか「徹底的に」とか言い出すと、何か違う。

酒井:それは、自己決定権がどこまであるかという、カスタマイズみたいなところと関係しているんでしょうか? キットだと、自由がきかない部分もあるじゃないですか。手間をかけるプロセスは味わえるんですけれど。ゼロから自分で味噌を作るよりも、キットだと、たとえば大豆選びとか道具選びみたいなところは委ねるみたいな。自己決定みたいなところと、手間をかけさせてくれる便利、その幅。どれくらいの手間がかかるのかという、その選択肢を自分で決定できる、決定できる幅があるほうが喜びが大きいんでしょうか? わ、不便益の沼にはまってきました(笑)。

川上:沼なんです(笑)

不便益は「昔に戻れ」ということではなく、「前向きに不便にする」こと

前田:川上先生は不便益システム研究所の代表をなさっているんですけれども、研究所のホームページを見ると(http://fuben-eki.jp)、ただ昔がよかったというものでもなく、昔に帰れという運動でもないと書いてあるところで、きっとここを誤解なさる方が多いんだろうなと思いました。

川上:さっき言った「手前味噌キット」なんて、昔はなかったですからね。あれは新しい製品です。あと、不便益でうまいこといったと思うのが、京都大学の『素数ものさし』。ものさしの目盛りが素数だけなので(http://fuben-eki.jp/blog/dailyfuben-eki/2014/02/素数ものさし/)、計るときにちょっと頭を使わなくちゃいけない。目盛りが素数しか書いてないので、1センチを計るときは「2」と「3」のあいだで、2センチなら「5」と「7」のあいだで計る。普通のものさしより不便なんだけれど、あのものさしは昔からあったわけじゃなくて、新しく作ったんですよ。こういうふうに、不便益は昔に戻れということではなくて、前向きに不便にする。そこで益を得ようとしているんです。

酒井:『素数ものさし』は先生がお考えになったんですか?

川上:僕が、じゃなくて、僕と学生4、5人だったかな。デザインワークショップをやったんです。そのときにそのグループから出たアイデアが素数ものさしで。だいたいワークショップでアイデアが出ても「おもしろかったよね」で終わっちゃうんですけれど、これはすごくおもしろいなと思って、僕が生協さんに売り込んで作ってもらったんです。プロデュースは僕ですけど、考えついたのは僕ひとりではないです。

酒井:先ほどのお料理と不便益の関係性を考えると、食品メーカーさんと一緒に何か新しい商品とかできそうですね。ちなみに、新しいサービスとかモノを考えるときに、不便益という考え方と相性のいいものと悪いものってあるんでしょうか? 

川上:何でもありのような気がするんですよね(笑)。

酒井:それはもう、その人の主観みたいなものでかまわないということですか?

川上:そうですね。ユーザーの主観として「これ、益があるよね」と感じ取ってもらえるように、うまい具合の不便をどう埋め込むかというのは、これはもうデザイナーのセンスになりますね。

不便益にとって「主体性」は大きなキーワード

酒井:ウェルビーイングの研究で、料理をする人は生活満足度が高いという研究結果があるそうなんですけれど、それと同じように「不便益を楽しめる人は幸福度が高い」など、そういう印象などお持ちですか?

川上:う〜ん、まあ雰囲気的にはそうですね。「最も効率的なやり方しか許さん!」みたいな感じの人って、幸せそうに見えないですよね(笑)。とにかくがむしゃらに最も効率のいい方法だけで、何かガンガンこなしていくみたいな。それに幸福感があんまり感じられない。まあ、そういうのが好きな人は好きなんでしょうけど。

酒井:先生は“ウェルビーイング”という言葉にどういう印象をお持ちですか?

川上:昔、学生で瞑想の研究をやっていた人がいて、その人がすごく不便益に食いついて、不便益に関連するものを調べてくれたんです。はっきりとはいえませんが、自分を見つめる瞑想やマインドフルネスの関連で考えていくと、不便益とウェルビーイングはつながっているかなあという感じはします。

酒井:ウェルビーイングと不便益はどこかでつながっていそうな感じがしますよね。不便益を重ねて考えるとおもしろい結果が出てきそう。

前田:便利なものは「頭を使わなくてもいいよ」と言っているものが多いじゃないですか。つまりそれって「主体性を持たなくていい」って言われているのでは、と感じることも。それと比べて不便なコトやモノは「困ったな。あ、こうしよう」などと考えますから、それはすごく「自分がやっている感」があるんです。

川上:「主体性」はすごく大きなキーワードだと思いますね。これも実現していないんですけれど、不便益な「曲線電子レンジ」というのを考えたことがあって。電子レンジに「温め1分ボタン」があるじゃないですか。僕の父親はたぶん死ぬまで、熱燗にするとき温め1分ボタンしか使ったことがなかったんです。「それはちょっと便利すぎる。主体性がないじゃないか」と。それで、学生たちが考えてくれたインターフェイスが、横軸が時間で縦軸が出力で、曲線を描くんですよ。電子レンジでオモテに二次元タッチパネルをつけて。「始めチョロチョロ中パッパ」みたいなことができる。

前田:えー、カッコいい。

川上:いいでしょう。そうすると僕の父親でも、いつもの曲線を描こうと思って、ある日ちょっと間違えていつもと違う曲線になったけれど、「まあいいや」と思ってスタートボタンを押したら“マイベスト熱燗曲線”を見つけることができるかもしれない。主体的でしょ?
 ということで、不便益電子レンジ・インターフェイスみたいなことを考えたこともあります。

酒井:それ、おもしろいですね。本来は物事には自分で主体性、決定権を持って関われるはずで、人とモノの関係って、関わりしろがたくさんあるはずなのに、それがどんどん「考えなくていいよ」「こっちで最適化するよ」と、深く考えなくてもいいと言われているような感じで。今の曲線の話なんか、まさに選択と決定の権限、編集権限が人間側に戻ってきたみたいな。

川上:「温め1分ボタン」は、設計者が考えてくれて「それに従っておきなさい」と言われている感じで。それがほんとうに一番美味しい熱燗になっているかどうかはわからないんですけれど「それを信じろ」と言われているわけで。

酒井:でも「オレのベスト熱燗はこれ」みたいな曲線を持っていたら、たいしたことをやっていないのに、すごい得意料理を持っているみたいな(笑)。

前田:それ、すごく欲しいですね。

川上:どこかのメーカーにこの話をしたときに、やっぱりあれほど強力な電磁波が飛んでいるところで、そういう広い2次元タッチパネルを貼るのはちょっと怖いなあ、みたいな反応で。この不便益デザインを実装しようと思ったら、かなり最先端技術が必要になる。最先端技術を使って世の中を不便にしようって、なかなか楽しそうじゃないですか。

前田:最高ですね、それ。

今や「不便益」は中学校の教科書教材にもなり、試験などにも多数採用されている。

「旅くじ」や「左折オンリーツアー」……。不便益はサービスデザインでもおもしろいものを生む

酒井:不便益ってモノだけではなく、サービスデザインみたいな分野でも取り入れられそうな感じがしますね。

川上:そうですね。これ、後付けなんですけれど、去年だったかな。LCCのPeach Aviation(ピーチ・アビエーション)さんの『旅くじ』がすごく当たったことがありますよ。五千円入れてガチャを回すんですよ。そうしたら、どこに行くかわからない航空券がパッと出てくる。これ、行き先がわからない航空券って、情報が少ないから不便なのに、ペアチケットにして一万円で売り出したら、行列ができたらしいんですけど。

前田:おもしろいですね。

川上:サービスにも普通は不便と思われることを取り入れると、おもしろいことができるというのはあります。これも実現していないんですけれど、学生に「京都の不便益ツアーを考えなさい」というお題でワークショップをやったら、「左折オンリーツアー」っていうのを考えた学生がいました。

前田:京都ならできますよね。

川上:京都だから、道路が碁盤の目だから、右折のかわりに直進して左折3回すれば、右折と同じことができる。しかも京都は古い街なので、左折3回のときに入り込んだ小さな路地にもたいてい何かおもしろいものがあるんです。新しくできた人工的な街ではなくて、しかも、タテタテヨコヨコの街だからこその楽しいツアー。これもサービスデザインといえばサービスデザインです。

酒井:サービスデザインにも目を向けて、飲食店とか、お料理と不便益の相性の良さを考えると、もっともっといろいろなものが世の中に生まれてきそうですね。

川上:そういえば、友人の越前屋俵太さんが考えた別のアイデアで「自分で握る回転寿司」。ネタがまわってきて、自分でネタを取って握る。お父ちゃんが握って、子どもにホイって出す(笑)。

前田:楽しいですねえ(笑)。

酒井:料理というと、お買い物をして、材料を切って、火加減をみるとか。でも、野菜をただ切っただけでも、お料理といえると思うので。ネタが運ばれてきて、自分が握るだけっていうのは、充分、お料理して主体的に関わっているような感じがしますよね。

川上:子どもの誕生日にね、誕生日パーティーだといって連れていって、そこでお父ちゃんが握ってあげる、みたいな。そのうち子どもにも握らせると、グチャグチャにしてくれる(笑)。学生たちとワークショップとかやると、やわらか頭のアイデアがどんどん出てきて、それも楽しいですよ。

アナログなレコードやカセットテープは、デジタル時代の不便益?

酒井:わかりやすいところで言うと、レコードが売れるようになったとか。

川上:今のZ世代の人って「不便益」という言葉は使わないんだけれども「完全便利志向一辺倒って変だよね」という感覚の素地は持っているんじゃないかな。レコードとかカセットとか、彼らが生まれた頃にはたぶんなかった。便利が当たり前の世の中で生まれ育って、初めて見たものなんだから、たぶんノスタルジーじゃないんですよ。「手間をかけさせてくれる新しいもの」なんです。

酒井:さっきのPeachさんの「行き先を選べない」で言いますと、レコードとかカセットテープなんかは頭出しができない(笑)。

川上:早送りとか巻き戻しとか、すごくわかりやすいですよね。あのテープのどこかに音楽の情報が入っているというのがわかる。タンジブル(tangible=リアルに理解できる)なんですよね、それが。楽曲をダウンロードするなんて全然タンジブルじゃなくて。

酒井:カセットテープで新作を発表するアーティストも未だに多いみたいで。カセットテープ専門店の方に話を伺うと、頭出しができないので、アルバムをちゃんとアーティスト側の意図に沿って、順番通り聴いてくれるから、あえてカセットテープで出すとか。これも不便益なのかと思います。

川上:なるほどね。聴く方としてもゴールまで一足飛びで行けないから、途中に何かがあるから、回り道とかするわけですよね。楽曲も3曲目が好きで何回も聴きたいんだけれど、頭から1曲目、2曲目を聴いていたら「おっ!」と思えるチャンスがありますけど、ダウンロードだったら、それはあり得ないですからね。

酒井:3曲目だけをダウンロードして、そこだけを頭出しして、という感じになりますよね。

川上:だから、まわり道とか寄り道とかできるスキを与えてくれるのって、不便益なんです。

前田:テープが回っているのは、テープのどこかに自分の好きな音楽があるという感覚がちょっとあるんです。不便益って、言葉を変えたら「自分がやった」「自分の存在がある」みたいなところがありますね。

川上:おお、また哲学的な。「自分の存在を確認する不便益」。いいですね。

酒井:さっきおっしゃった手触り感があると言いますか、タンジブルという言葉も出てきましたけど、触れることができるっていうところはポイントなのかなと思います。それであれば、手を使って触れながら作りあげるお料理は、どんどん自分が関わっていける、ひと手間という言葉がまさにタンジブルとか、そういうことなのかなと思います。

自由とは「何をやってもいいこと」と思う人のほうが「不便益」とは相性がいい

酒井:不便益を楽しめる人と楽しめない人の差、何かありますか?

川上:やっぱり最短距離で徹底的に前のめりで倒れていく人たちは、不便益の楽しみは得られないでしょうね。

酒井:先ほど前田さんが言っていた「ていねいな暮らし」という言葉が注目されているように、「不便益」という言葉はひょっとすると60年代、70年代だとあまり注目されなかった言葉だけれども、今の時代にはすごくフィットするとか、何かそのような性質ってあるんでしょうか?

川上:便利、不便と似たような感じなんですけれど「自由」というのは「何をやってもいいこと」と思う人と、「何もやらなくてもいいこと」と思う人の二つに分かれるとしたら、たぶん、何をやってもいいんだというか、やらせてもらえることのほうを自由だと思っている人のほうが「不便益」と相性はいいと思いますね。「何もやらなくていいんだったら、それでいいや」と思っている人は、あんまり相性がよくないかな。

酒井:今、AIの出現で、人間の役割がどうなっていくんだろう、自分の仕事はどうなるんだろう? みたいな。いろいろな人が何もしなくてよくなるとか、自分が今までやっていた仕事をAIに奪われてしまうんじゃないかとか。ひょっとすると、「不便益」という言葉がすごくキーワードになってきそうですね。

川上:「仕事を奪われてしまうんじゃないか」と思う人たちは、合うと思うんですよ。でも、「やらなくていいからラッキー」と思っている人もいる。レポートなどをChatGPTに書かせたりすることもあるだろうし。「自分でやらなくていいからラッキー」と思う部分は、人間にはあるみたいですね。でも、100%そうでもないでしょう。やっぱり自分でやれるから楽しいと思う部分もあって。たぶん人によって、その割合が違うのではないかと思うんですけれど。

酒井:確かにそうですよね。美味しくて安い惣菜がたくさん出てくると、「ああ、もう自分でお料理しなくてもよくなった。ラッキー」と思う人もいれば、そうでない人もいる。

前田:今はwebで注文したら配達してくれますしね。

酒井:Uber Eats(ウーバー・イーツ)で調理したものを届けるところまでやってくれる。

酒井:ウェルビーイングをテーマにしているので、最後におたずねしたいのですが、川上先生ご自身が、気分よくすごすために日々取り入れていることや、習慣にしていることは何かありますか?

川上:自分ではあまり意識していないんですけれど、「この不便に何か益があるのかなあ?」とボーッと考えていると、飽きないんです。仕事柄なんですけれど、そういうことを考えるクセがついていて、「不便だなあ」と思っても、その瞬間にムッとなるというパターンがすごく減りましたね。もちろん、ムッとなることはありますよ。「この機械、動きが遅いなあ」みたいな。

酒井:お料理と不便益とウェルビーイングの組み合わせで、何かいろいろ考えられそうな気がします。

前田:本当に。とりあえず、私はその曲線が描ける電子レンジが欲しいな(笑)。

川上:またどこかに売り込まないとあかんなあ(笑)。

以下、川上さんがみなさんの質問にお答えします。

Q:京都で町家暮らしを楽しむのも不便益でしょうか? 京都の街と不便益は相性がいい気がしますが、東京とはあまり相性がよくない気がします。忙し過ぎる生活を反省したいなと思います。

川上:町家暮らし、今、楽しんでいらっしゃるなら、それは不便だからこその益だと思いますね。町家のどういう不便がどう「楽しい」につながっているかは、僕にはわからないですけれど、そこらへんがちゃんと説明できたら、ある種、工学的にも不便益事例として使えるかなあと思います。「家って、こんなふうに不便にすると楽しくなりますよ」っていうルールが見つかると嬉しいです。

Q:電車やタクシーで行けばいいのに、わざわざ歩いたり、ロープウェイに乗らないでわざわざ登山したり、不便益でしょうか? キャンプ料理もすごい不便益ですよね?

川上:便利で残念なもののネタで、“富士山エスカレーター”っていうのがあるんですけれど。聞いただけで残念な感じですよね。

前田:いらない(笑)。

川上:ということは、登山には不便だからこその益があるんですよ。

酒井:キャンプ料理もそうですよね。不便益というか。でも、最近のキャンプには、みなさん、いろいろな調理道具を持っていかれるので、ずいぶん便利になって「便利害」が進んでるなという感じがします(笑)。

川上:料理が食べたいだけだったら、わざわざキャンプに行かなくてもいいのに(笑)。ということは、わざわざ行って、手間をかけることに楽しさとかいいことがあると、みなさんが直感されているから行かれるのであって。手間をかけて得られるいいことは、僕は何でも不便益と言っちゃいます。キャンプといえば、コロナ禍のときに外に出られないからって、自分の家の庭にテントを張って(笑)。

前田:やってましたよね(笑)。

川上:みんな、そういう不便が好きなんだなあと思って(笑)。

Q:お話を伺って「不便を一緒に楽しめる相手と結婚したら、幸せになれるのか」と思いました。そんなことって言えますか?

川上:直感的にそんな気がしますね。不便益を一緒に楽しむほうがきっと楽しい。わざわざ道路の白い線の上だけを歩いて帰る小学生、ひとりでも楽しいんですけれど、友だちとやったほうがもっと楽しいと思うんです。ということで、一緒にいる人が同じくらいのフィーリングを持っているといいかもしれません。不便益フィーリングってあるのかな?

前田:あるんじゃないですか(笑)。さっきのPeachの旅なんかで、行き先がどこになっても「じゃあ行くか!」っていう人と「いやだ、オレ、絶対行かない」っていう人。「じゃあ、どうしてガチャに並んだのよ」ってケンカになる(笑)。

酒井:不便益ネタが100問あって、それにチェックをつけて(笑)。すごいマッチングとかありそうですよね。

川上:「不便益レベルが一緒でした!」とか(笑)。

酒井:ありそうですね。この質問を寄せてくれた方、すごいですね。

Q:人によって、何が不便かは異なると思うのですが、不便の定義を教えてください。お話を伺って、不便イコール実感なんだなと思い、いろいろな不便がウェルビーイングなんだと目からウロコでした。

川上:不便の定義って実は案外難しくて、何が難しいって、僕のまわりには工学系の人間しかいないんですよ。で、議論するときには、工学系の人間って、「物事を客観的に定義されていない概念を使ってなど議論できない!」みたいな感じなんですよね。それで客観的に定義しなさいと言われるので、しかたなく僕が「不便益」というときの不便は、手間がかかるとか、頭を使うという客観的現象が観測されたら、それは不便と言ってしまおうと思っていて。ほんとうはその手間がかかっていたり、頭を使うのはイヤだなと、最後の「イヤだな」という主観がつかないと、不便とは言いたくないという人が案外多いと思うんですけどね。だけど、主観を入れると工学系の人間は話をしてくれないので「その現象があったら」ということにしました。

酒井:手間を「イヤだ」と思わない人もいますからね。手間とすら実感していないというケースもありますよね。

川上:主観まで入れるか入れないかで、また研究者によって違うんです。僕はとにかく、主観とか入れると話が面倒くさくなるので(笑)、客観的な現象が見てとれたらOK(笑)。

前田:ちょっと頭を使う部分があればもう「不便」ですか?

川上:何かと比べてですけどね。「あれと比べてこっちのほうが頭を使う」とか。「こっちのほうが手間がかかる」となると、それを「不便と言っちゃえ!」という感じです。


川上浩司 (かわかみ・ひろし)さん
1964年島根県出身。1989年、京都大学大学院工学研究科修士課程修了。岡山大学工学部助手を経て、1998年より京都大学情報学研究科の助教授(後に准教授)に。不便益を指針とするシステムデザイン論の研究を開始し、京都大学デザイン学ユニット(後に情報学研究科)特定教授に。2019年から京都先端科学大学工学部の教授に就任。著書に『不便益という発想〜ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも行き詰まりを感じているなら、不便をとり入れてみてはどうですか?』(インプレス・2017年)、『不便益のススメ 新しいデザインを求めて』(岩波ジュニア新書・2019年)など。不便益システム研究所代表。