第九回 安心の居場所を思い出させる街の正統の天ぷら 花むら(東京・赤坂)

文/麻生要一郎
撮影/小島沙緒理


子供の頃から天ぷらが好きだ。

ごく身近な食材が、衣を纏い、油の中に潜ると、特別なご馳走になる。

亡くなった母は、高校を卒業して上京、赤坂にある短大へ通っていた。美人だった事もあり、化粧品のキャンペーンガールに選ばれると、モデルの仕事もはじめ、華やかな青春時代を過ごしていた。地元には戻らず、そのまま都会で楽しく暮らしたかったのだと想像するが、父と結婚して地元に戻った。人間関係の狭い地方都市での暮らしに息が詰まると、母は小さな僕の手をひいて、東京へ出かける事が多かった。ただ街を歩いているだけでも、きっと気分が変わるのだろう。その中でも、赤坂の街を一緒に歩いた記憶が、印象に残っていて、ニューオータニ、TBSのトップス、虎屋、白たえ、そしてこの「花むら」で、お昼によく天ぷらを食べた。移り変わりの激しい東京の街で、どのお店も健在なのは嬉しいこと。

玄関で靴を脱いで、階段を登り、掘りごたつ式のお座敷カウンターは、大人だけではなく、子供にとっても居心地が良かったのだと思う。家でおばあちゃんの揚げていた天ぷらとは、一味も二味も違う、美味しい天ぷら。カウンターにちょこんと座り、ご主人が揚げる様子を見ているのも楽しかった。そんな思い出を3代目のご主人に話していると、子供の頃から来ているお客様も多いと言う。このお店を創業した初代は、明治24年神田に生まれ、新聞記者を経て大正12年、上野広小路にお座敷天ぷら「花むら」を開業。当時の上野広小路は、今とはまた趣が異なり、色香のある街であったに違いない。赤坂に移って現在の場所も、にぎやかな通りから、ひと呼吸おいた路地裏というのは、舞台選びが良く、何とも風情がある。

カウンターに座り、突き出しの胡麻和えを頂いているうちに、才巻えび、紫蘇を巻いたイカ、きす、みょうが、なす、めごち、南瓜、穴子。王道のラインナップを楽しんだ。これが一番美味しかったと、お伝えしたいところだけれど、おいしいおいしいと食べ進めてしまって、どれか一つに決める事が叶わず。あの時に戻って、もう一つ揚げましょうかと言われたら、「穴子」と答えたい。

昨今のお店では奇をてらうようなものが揚がっていたりするけれど、そういうお店の天ぷらはどこかとがった味がするように思う。しかしこちらは、まるみのある天ぷら、するすると食べてしまう。たっぷり供される大根おろし、天つゆとの相性が良い。最後にかき揚げを天茶で頂いた。天丼の選択肢も、魅力的。一通り食べても胃が軽やかなのは、天ぷらの奥義と言えよう。

食後のデザート、四代目となる双子のご兄弟のお手製、黒砂糖の冷菓子が供される。後味がすっきりとしていて、食後のデザートとして、気が利いている。先日、訪れた際には、抹茶の味で、そちらも美味だった。お二人は子供の頃から、天ぷら屋になると決めていたそうだ。僕は兄弟がいない一人っ子、ないもの強請りで、どこか兄弟への憧れがある。そして双子の心理というのが実に興味深い。いつか、双子でイタリアンのお店をやっている友人達を、ここへ連れて来たいと思った。

母が亡くなったあとに、小さな頃の記憶に残るこのお店の情景を懐かしく思い返し、赤坂の街を歩いて久しぶりに再訪した時、変わらぬ佇まいでとても安心したのは8年ほど前の事。父が早くに亡くなってから、母一人、子一人の人生だったので、母が闘病の末に亡くなった時、ひどい喪失感があったけれど、子供の頃に母と過ごした時間や一緒に食べた天ぷらが、確かにこのお店にあった事で、僕は随分と救われた。きっと長年通うお客様の中にも、天ぷらの味、その変わらぬ佇まいに救われている方が、たくさんいらっしゃるのではないかと思う。そういうお店が身近にある事は、とても幸せだ。

しかし、これから初めて訪問する方にとっても、子供の頃に可愛がってもらった、親戚の家に遊びに来たような、どこか懐かしい安心感が、花むらにはある。店先に出ると看板猫の姿が見えた。いかにも、美味しいごはんを食べているという、艶の良い毛並み。さきほどまで、真剣な眼差しで天ぷらを揚げていた、ご主人の顔もゆるみ、猫の声も甘くなる。

養親の姉妹は、60年代から70年代にかけて東洋一のナイトクラブと呼ばれた「ニューラテンクォーター」へよく出かけたそうだ。フランク・シナトラ、ナット・キング・コールも、そこで観たと言っていた。名前は伏せるが、昭和の著名な文化人達とダンスを踊ったという話を懐かしそうにしていた。「彼が手を挙げると、バンドがお決まりの曲をやるのよ」と、うっとりとした表情を浮かべる。あちらのお客様からですと、著名な俳優さんから、フルーツ盛り合わせをテーブルに頂いたとか、まるで映画のワンシーンのようなドラマティックな時代。そんな華やかな、赤坂の思い出を語る時、花むらの話もしていた。僕が天ぷらを食べに出かけた話をすると「良いお店よね、懐かしいな」と目を細めていた。

昼の赤坂を歩いていると、似つかわしくないダンプカーが多く行き交い、工事現場の多い事。気がつくといつの間にか、大きなビルが建っている。どこも同じような景色になってしまう、東京の街を憂いつつも、「花むら」のようなお店がある事は、希望でもある。勝手な客のわがままを申せば、このまま変わらずあって欲しいと願うばかり。

これから夏にかけて穴子が美味しい季節。願ったからには、足繁く通わねばならない。皆様もぜひ、お出かけ下さい。


天ぷら 花むら

昔の赤坂の街の面影がしのばれる外観。
初代川部米男氏が書いた天ぷらの本『天ぷら 材料と揚げ方のコツ』。昭和36年(婦人画報社刊)

赤坂の人通りの多い場所から少し離れたところにある、創業大正15年の老舗天ぷら店。掘りごたつ式のカウンターで、旬の素材の揚げたてを味わえる。今回取材させていただいた昼のコース、三代目ご主人川部幸二さんが「このくらいがいちばんおいしい」と言う海老は才巻海老の1年物。小ぶりだが風味がよく、うまみが濃い。
初代川部米男氏は早稲田大学の理工学部出身、新聞記者を経て創業した天ぷら店でも、一番おいしく天ぷらが揚がる、砂鉄製の揚げ鍋を独自に設計して業者とともに作り上げたそう。その初代、腕を見込まれ、葉山の御用邸で昭和天皇のために天ぷらを揚げたことも。その時、昭和天皇が「天ぷらは熱いねえ」とおっしゃったことをよく話していたそう。
麻生さんのように、子どものころから通う客が多いのも特徴。ここでは今も変わらず「子どもは大事に」という初代からの教えを大事にしているそう。
天ぷらは小ぶりに、食べやすく仕立ててあり、大きな口を開けなくても食べられる大きさで、そこがいかにも、花街の栄えた赤坂らしい粋な天ぷら、と感じさせる。
https://hanamura.com/

お昼のコースA 3,800円 B 5,000円 
竹コース 7,000円~

・価格はすべて税抜き
・かき揚げのついているコースでは、かき揚げをミニ天丼か、天茶にすることができる

住所:東京都港区赤坂6-6-5
電話:03-3585-4570
営業時間:12:00~21:00
定休日:火曜日


麻生要一郎(あそう よういちろう)
料理家、文筆家。家庭的な味わいのお弁当やケータリングが、他にはないおいしさと評判になり、日々の食事を記録したインスタグラムでも多くのフォロワーを獲得。料理家として活躍しながら自らの経験を綴ったエッセイとレシピの「僕の献立 本日もお疲れ様でした」、「僕のいたわり飯」(光文社)の2冊の著書を刊行。現在は雑誌やウェブサイトで連載も多数。今年新たな書籍も刊行予定。

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