第八回 変わりゆく街の変わらない精神の名店 ロシア・ウクライナ・ジョージア料理「レストラン スンガリー」(東京・新宿)

文/麻生要一郎
撮影/小島沙緒理


ロシア料理に、あまり馴染みがなかった。養親となった姉妹の姉が得意とした料理の一つが「ボルシチ」だった事もあり、この数年で急に身近な料理となった。

ボルシチの作り方も、作る人の数だけあると思うけれど、姉のレシピは、牛スジと香味野菜をじっくりと煮込む。いつも大きな寸胴にたっぷりと作っているうちに、本人はすっかり満足してしまうらしく、食べるのは主に僕である。サワークリームをつけながら、何日も食べなければならなかったのも、彼女が病院で暮らすようになった今となっては、良い思い出だ。

もうすぐ90歳を迎えようという、彼女の若い頃の話を聞いていると、レストランの主流は今のようにフレンチ、イタリアンよりも、ロシアやドイツといった国々の食文化が、身近な存在としてあったのではないかと感じた。若き日の思い出話には、ロシアやドイツにルーツがあるようなお店の名前が何軒も上がっていた。

ある時、テレビを観ながら姉と話していると「加藤登紀子さんのご実家もロシア料理屋さんよ、私達も何度も食べに行ったの。近いし、今度食べに行ってみたら?」と勧められた。それが「スンガリー」との出会いである。

新宿東口、歌舞伎町の大勢が行き交う通りから、細い階段を降りた先には、まるで時空を旅して辿り着いたかのような、別世界が広がる。アーチ状になった天上、まるでオリエント急行の食堂車のような佇まい、ショーン・コネリー時代のジェームズ・ボンドか、デヴィッド・スーシェの演じる名探偵ポアロが出てきそうな雰囲気、僕が憧れる世界観だ。扉をあけると、いつもスンガリーはあたたかく迎えてくれる。

ロシア料理と言えば、ビーツの色が特徴的なボルシチ、ピロシキ、キエフ風カツレツ……と思い浮かぶだろうか。たくさんの料理名が並ぶメニューを眺めると、そのルーツはロシア、ウクライナ、ジョージア、ウズペキスタンと縦断している。複雑さを極める政治的な思惑とは裏腹、それぞれのルーツとなる食文化はこうして食卓で一つに結ばれているのだと感じて、遠い空の下の誰かの食卓を思う。

来る度に毎回頼んでいるのに、料理名を全く覚える事の出来ない「マリノーブナヤケタのブリヌイ包み」は、スンガリーに訪れたなら絶対に外せない一品。

この料理を簡単に説明すると、自家製のフレッシュサーモンマリネを、ピクルスやハーブ、野菜とともに、ブリヌイ(薄いパンケーキ)で包んだものに、スメタナクリーム(サワークリームに似ている)を添えながら頂く料理。供される際、先ずは具材がのせられたお皿がテーブルに運ばれる、サーモンと野菜の色合いのコントラストが美しい。「お取り分けしてからお持ちします」という、ひと手間のサービスがレストランで食事を楽しむ醍醐味と言える。一人分に取り分けてもらったお皿が登場すると、華やかな気持ちになり、食事がスタート、この自家製フレッシュサーモンマリネが、本当に美味しい。ハーブの風味と共に、いくつかの食材を組みわせて食べるのは、日本の食文化に近い感覚だと思う。

レモンバターソースで仕上げた、ベリメニはあっさりとして美味しい。具合が悪い時でも、いくつでも食べられそうな気がする。お馴染みのピロシキは、揚げピロシキと、珍しい焼きピロシキも選ぶ事が出来る。

どちらも人気メニューなので、遅い時間に行くと、売り切れである事も多いが、子供の頃に食べたピロシキとは、雲泥の差の味わい。2人で半分ずつ、なんて思っていると、ついつい独り占めしたくなる美味しさ。揚げたものよりも、軽い仕上がりとなる、焼きピロシキが僕の好み。

ゴルブッツィ(ロールキャベツ)も、久しぶりに食べた。ナイフを入れると、キャベツの繊維を微塵も感じる事のない驚きの柔らかさ。これは、じっくりじっくり低音で火を入れた結果。濃厚なトマトクリームのソースと、相性が良い。宿をやっている頃、キャベツの美味しい季節に、ロールキャベツをよく作った。キャベツを茹でる事に始まり、簡単なようで手間がかかるメニュー。自分で作っても、それはそれで美味しいけれど、キャベツの繊維感をしっかりと感じる仕上がりで、こんなに柔らかくはならない。そして、あゝもうロールキャベツを家で作るのはやめようと心に決めた。家ならば、余ったソースをパスタに絡めても、美味しそう。(スンガリーはお取り寄せも可能です)

飲み物のメニューも充実している。ジョージア(グルジア)のワイン、ロシアのウォッカやビールも豊富に揃っている。僕は残念ながらお酒を嗜まないので、毎回アイランをお願いしている。アゼルバイジャン式自家製ヨーグルトドリンク、甘さのないスッキリとした飲み口。ノンアルコールドリンクも、たくさん種類があり、十分に楽しませてくれる。

食後の楽しみは、ロシアンティー。紅茶に、薔薇ジャムや自家製のいちご、チェリーのジャムなどを合わせて楽しむ。紅茶に溶かすのではなく、ジャムをお菓子のようにして楽しむのが、スンガリースタイル。果実感のしっかりとしたジャムはとても美味しいので、溶かすのは勿体ない。もちろん、食後酒もしっかりと楽しめる。注文の際にはテーブルに備えられた、シガレットケースを開くとボタンがあって、スマートにオーダーが可能。こういうものをシガレットケースに隠したのは、何とも粋な演出だと思う。

今から66年前、旧満州ハルピンから終戦と共に引き上げてきた家族の思いと共に、スンガリーは開業。今の新宿東口本店は、約50年前に誕生。すぐ側のコマ劇場と共に、賑わいを見せた。変化し続ける歌舞伎町の景色を、この店は見守って来た。新たなランドマーク、東急歌舞伎町タワーも誕生し、この街はどう変化していくのだろうか。加藤登紀子さんが歌っている「さくらんぼの実る頃」が、入り口の階段を降りているうちに、僕の耳の中に流れてくる。恋の辛さや、儚さを歌ったシャンソンの名曲だが、本国フランスではパリの労働者革命における追悼の思いも含まれて、歌い継がれているのだとか。僕には、今の世界情勢を憂う歌にも聞こえている。

取材の際、代表の加藤暁子さんにもお会いし、お店が誕生した背景や、ロシアやウクライナにおける食文化についてもじっくりと伺う事が出来た。野菜を塩漬けやピクルスに加工、保存の技術が長けている事、お漬物文化のある日本と共通する食文化に親近感が湧く。僕らは、美味しい食事を毎日、平穏な環境で食べている。その事がどれだけありがたい事なのか、ボルシチを味わいながら改めて感じた。

このお店に入った時に感じる安心感は、創業者の思いが今も脈々と受け継がれているからに違いない。今日も、食卓から世界の隅々まで、平和を願わずにはいられない。皆さんも、ぜひスンガリーへお出かけ下さい。


レストラン スンガリー 新宿東口本店

天井の高い、暖かな古民家を感じさせる店内と、店の奥にあるバースペース。

歌手の加藤登紀子さんのご両親、加藤幸四郎,淑子両氏が創業者。「スンガリー」とは、旧満州ハルビンを流れる松花江という大河の名で、満州語で天の川という意味。創業者である加藤幸四郎氏の言葉「~~料理を通じて、平和的な交流ができれば結構なことで、そこに多少でも社会的な意義を感ずるものである」という、軽やかで、しかも幹の太い思想は、今もこの店のすべてに顕れている。
料理はロシア、ウクライナ、コーカサス、ウズベキスタン、シベリア、ジョージアと、さまざまな国や地方のものが提供され、その豊かな食文化とおいしさを堪能することができる。
現在の店主加藤暁子さんは加藤登紀子さんの姪にあたる。ニューヨーク大学大学院ホスピタリティ・マネジメント修士課程修了後、リーガロイヤルホテルNYなどの有名ホテルのセールスマネージャーなどを歴任、1995年に帰国され、現職に携わっている。気遣いを気遣いと感じさせない、出処進退が自然でエレガントな暁子さんからも、やはりロシア、ウクライナ、ジョージア、そして創業者である祖父母への尊敬と誇りが感じられ、その豊かな気持ちがサービスを受ける人を心地よくさせる。
http://www.sungari.jp/hour.php

マリノーブナヤケタのブリヌイ包み 1,054円、ボルシチ 1,080円、ペリメニ1,050円、ピロシキ300円、ゴルブッツィ(ロールキャベツ)1,880円
アイラン750円、ロシアンティー680円 など各種料理、飲み物など(価格は全て税抜き)

住所:東京都新宿区歌舞伎町2-45-6 千代田ビルB1
営業時間:月~木曜日、日曜日 17:00~22:00(L.O.21:00)
金・土・祝前日 17:00~22:30(L.O.21:30)
休業日:12月31日〜1月3日


麻生要一郎(あそう よういちろう)
料理家、文筆家。家庭的な味わいのお弁当やケータリングが、他にはないおいしさと評判になり、日々の食事を記録したインスタグラムでも多くのフォロワーを獲得。料理家として活躍しながら自らの経験を綴ったエッセイとレシピの「僕の献立 本日もお疲れ様でした」、「僕のいたわり飯」(光文社)の2冊の著書を刊行。現在は雑誌やウェブサイトで連載も多数。今年新たな書籍も刊行予定。

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