「愛とは何ですか?」(ゲスト:森岡督行さん/森岡書店代表)

これまでになかった視点や気づきを学ぶ『ウェルビーイング100大学 公開インタビュー』。第19回のゲストは東京・銀座にある森岡書店の代表・森岡督行さんです。森岡書店はおそらく世界に一店しかない「一冊の本を売る書店」。一冊の本と、そこから派生する作品などを展示して「創った人と買う人が、売る場所でより近い距離感で出会える」という本好きには夢のような場所です。その店主である森岡さんに「愛とは何か?」をうかがいました。

聞き手/ウェルビーイング勉強家:酒井博基、ウェルビーイング100 byオレンジページ編集長:前田洋子
撮影/原 幹和 JOHN LEE(本)
文/中川和子


「愛することは許すこと」という言葉をメモしていた

酒井:今日は森岡さんに「愛とは何ですか?」というテーマでお話をうかがいたいのですが、そもそもそんな壮大なテーマを思いついたのは、森岡さんが最近『ショートケーキを許す』という本を出されて、その中の一節がきっかけでした。『ショートケーキを許す』という不思議なタイトルに、「許すって何だろう?」という疑問から入ったのですが、これはどういう本なのか、お話しいただけますか?

森岡:『ショートケーキを許す』は今年の1月22日に出版させていただきました。日本にショートケーキが伝来して、不二屋が最初だったという説に基づきますと、昨年が100周年となります。ショートケーキを食べるときは、私たちが何かのお祝いをしてもらう場合が多いと思うので、100周年だし、たまにはショートケーキのほうをお祝いしてみてはどうかという、そういう気持ちで出版させていただきました。ただ、明治時代にレシピ本が入ってきているので、それを最初と捉えれば、もう少し長い歴史をもっていると思います。内容はエッセイ調で、東京を中心としたお店の25のショートケーキを紹介させていただいております。京都のショートケーキもひとつあるんですけれど。

『ショートケーキを許す』(雷鳥社刊)

酒井:タイトルの「許す」が気になります。

森岡:以前、フジテレビに小島奈津子さんというアナウンサーがいらっしゃいまして。ずいぶん前に「恋をして、恋が愛になって、愛が怒りになって、怒りが憎しみになって、憎しみが諦めになる。諦めが許しになるんです」ということをおっしゃっていました。これを聞いたときに「これはいい言葉だ!」という直感があってメモを取ったのです。今回の本で、ショートケーキがすごく好きなのをどんなタイトルにして表現しようかと思ったときに、そのことを思い出しまして。それで「ショートケーキを愛する」とか「ショートケーキが好きです」という代わりに「ショートケーキを許す」と言ってみましょうか、ということで決まったのです。

前田:なるほど、愛なんですね。

森岡:そうなんです。今回の「愛とは何か?」というテーマと密接に結びついているということになりますかね。

酒井:愛するとは許すということ。最初、テーマを「許す」にしようかと言っていたのですが、森岡さんから「許すは深すぎる」と(笑)。それで今日は「愛」になったのですが、愛も深いですよね。

森岡:愛ももちろん深いですね。古今東西、多くの人がテーマにしてきました。文学であれ、絵画であれ、主要なテーマであると思いますが、あえてそこにふれてみようかと。

酒井:前田さんが『ショートケーキを許す』にふせんをたくさんつけています。

森岡:そんなふうに読んでいただいて嬉しいです。

前田:この本は一章ずつ読んでいくと、ほんとうに気持ちのいい散歩感があって、ショートケーキというひとつの入口から入っているのに、奥が広くて「ショートケーキからそこまでいく?」という、建築の話から日本文化の話まで。森岡さんが今まで好きで蓄積してきたものが全部ここに紐付いている感じがするんですよね。愛を感じます。

森岡:ありがとうございます。

前田:この本は森岡さんの経験の積み重ねから書かれていると思います。小さい時から見てきたもの、憧れてきたものがこの銀座のお店にもなっているし、この本にもなっていると思うのですけれど、森岡さんの文化的な経験というんでしょうか、いつ頃からの蓄積なのでしょうか?

森岡:私は山形県で生まれたんですけれど、初めに“カルチャー”というものに触れたのは雑誌だったと思います。90年代、『ブルータス』とか『ポパイ』ですとか、そういう雑誌を購入しまして「こういう世界もあるんだなあ」と影響を受けたことは大きかったと思います。その前、小学生の頃は切手を集めていました。

前田:切手の収集ですか。

森岡:はい。大阪に切手の通販をしている切手のお店があって、そこにお年玉やお小遣いは全額投入してたこともありました。

前田:すごい(笑)。

「森岡書店」が入る権左一丁目の鈴木ビルディングは、昭和4年(1929年)竣工、現在は東京都選定歴史的建造物に指定されている。

森岡:そういったこともあったのですけれど、東京に来まして、「神保町という街があるんだなあ」と、文化の歴史のような街を実感したときから、さらに私の文化的体験が拡がっていったような気がします。

酒井:神保町という街が森岡さんをつくっていった?

森岡:それもあると思います。神保町の路地裏に冨山房って薬局がかつてあったんですけれど、その裏に評論家の森本哲郎さんの言葉が貼ってありまして。「新宿とか六本木のような街は世界中どこにでもあるかもしれないけれど、本屋が数百件、軒を連ねているところはそう多くはなくて、そういう意味でも神保町は大切な街だ。東京は文化都市と言ってもいいのではないか」と書いてあったのです。それを見たときに「そうなんだ」と思いまして。より神保町に足繁く通うようになりました。古本を買って、お気に入りの喫茶店に行って。

酒井:偏愛的にものを好きになっていく傾向はあったんですか?

森岡:変遷はするんですよ。小学生時代は切手で、中学生になったら雑誌文化にすごく惹かれて、古着とか、リーバイスが流行っていたので、そこから古着のテキスタイルの趣とか好きになりまして。その次に古本。神保町の街の雰囲気が性に合っているなと思って、そこにある書店に就職したという流れにはなるんですけれど。

酒井:割と健全にカルチャーに触れて。

森岡:そうですね。本もですが、写真集も、今でも好きですけれど、いっときは相当集めたりしていましたね。

酒井:森岡さんは物事を見るとき、どういうところに興味をそそられるのですか?

森岡:人との出会いから次の物事を考えるきっかけが生まれていたりするんです。たとえば、この本を出したときに、やっぱり「許すって何だ?」というお話になりまして、「愛することです」って答えていたんです。「じゃあ、愛するって何なんだ?」ということになりまして。改めて自分でも考えてみますと、愛していると気持ちが安定している。たとえば「きみといると安心するんだよね」という会話は容易に想像できるんじゃないかと思うんです。愛していると気持ちが安定する。あともうひとつは希望がある。将来が思い浮かぶというか。そういうことかなと思って。愛とは希望と安心ということなんですけれど。語弊があるのですが、愛を金額で表すといくらぐらいになるかと考えたことがあります。人によりますが、100万円なら、1〜2ヶ月は安心と希望が担保されるのではないかと。一千万円ぐらいだったら1年ぐらいですかね。

酒井:希望と安心ですか。

森岡:5億円ぐらいなら、この先、ずっと安心と希望があるんじゃないかなあと。そんなことを言ってたんですけれど「何でもお金にかえるのはよくない」と。「愛をお金に換えるなんて、森岡も変わったな」と言われましたので、反省しまして、初心に返ろうと。そこで「初心とは何か?」となりまして。私、ビートルズが好きだったんです。ビートルズの最後の曲といわれている『The End』の歌詞「あなたが得る愛はあなたがつくる愛に等しい」。これが初心だろうと思い至り、やっと初心に戻ったということが先日ありました。そうやって自分の考えを口にすることで、誰かが何か反応してくださって、それでまた考えが芽生えてくるのかなと思います。当たり前のことですけど。

酒井:考えていることを言語化して人に伝えてみたり。

森岡:それはあると思いますね。

酒井:たくさん知識を詰め込むんじゃなく、自分が出合った言葉とか、本や文化が入口になって、そこから次の扉が開いていくっていうのは、さっき前田さんが言っていた『ショートケーキを許す』の読後感、ショートケーキが入口になって、そこからいくつも扉が開いたみたいな読後感の話、森岡さんと同じ体験をしているみたいで。

前田:そうそう、一緒に旅するみたいな感じがありますよね。好きなもの、きっと森岡フィルターみたいなものがおありになると思います。

森岡:そうかもしれないです。何事かを言語化しようとするのは好きかもしれないです。

相反するふたつの認識、どちらかひとつなら、美しいほう、明るいほうを見る

酒井:ウェルビーイングの研究で世界的にリサーチしていくと、料理をする人はどうやらウェルビーイング実感が高いという結果があるそうなんですけれど、「教養があるとウェルビーイングが高まる」とも言えるのではと。ウェルビーイング研究の第一人者の石川善樹さんが「ウェルビーイングは高めるものじゃない。実感するものだ」と話されていて、ひょっとすると「実感」はウェルビーイングのキーワードかもしれません。お料理をする人がウェルビーイングの実感が高いのは、味覚やお料理という行為がもたらす、いろいろな意味を愛しているから、いろいろなことを実感できる感度が高まるからではないかと。それと同じように、本であったり、いろいろな興味を通じて教養を深めることも、ウェルビーイングを実感する大事な要素なのかと思いました。

森岡:ウェルビーイングって、存在がいいってことですか?

酒井:そうですね。ビーイング(being)がウェル(well)ということで、「良く在る」「いい状態であると実感している」のがウェルビーイングかと。

森岡:なるほど、ウェルビーイングは実感。実感は「現実に感じる」ということですよね。いい状態を実感することと関係してきますが、人間の認識は、相反するふたつでひとつになっているという特徴があって。たとえば善悪、美醜、上下とか。これはどうしようもないことで、そうであるならば、どちらかを選ぶ場合、いい方とか明るい方、豊かな方に立脚していたほうがいいんじゃないかと。

前田:なるほど。善悪だったら善、美醜だったら美のほう。

森岡:そうですね。同時にふたつ知覚するので、どちらかがないとどちらかが成り立たないという構造だから。世の中にはそういうものがいっぱいあって、戦争と平和とか。ふたつでひとつだから、いい方、明るい方を考えたり、豊かな方に目を向ける立ち位置でいたいと思っています。そして自分の好きなもの、たとえば本とか旅行とか、いろいろありますが、好きなものをさらに好きになる、その部分をより伸ばす気持ちが大切かもしれませんね。

前田:好きを伸ばす?

森岡:そうですね。で、嫌いなものにはふれない。苦手なものはそのままにしておく。克服とかあまり考えない。深く考えない。

酒井:それが存在していることは知覚はしていても、そこには触れないという。

森岡:いいものとか、得意なものに接続する。それがウェルビーイングかなあ(笑)。一方で、自分の中にはさまざまな自分がいると思っているんですよ。ここで書店を運営する私、プロデュースの仕事をする私。執筆もさせてもらいますので、書き手としての自分とか。ひとりの中に1個ではないなと。アバターとかいるかもしれませんけど、そういう個人のあり方というもウェルビーイングだなと思いますね。

前田:自分の中にいろいろな人格があるほうが。

森岡:個性を持とう、自分探しの旅をしようと言われたこともあったと思うんですけど。

酒井:ひとつの人格で集約されるのではなくて、自分のなかにいろいろな人格があっていい。

森岡:もともとみんなあると思うんですよ。お母さんでもあり、働く人でもあるとか。

前田:ありますよね。

酒井:作家の平野啓一郎さんが提唱する「分人主義」のような。本当の自分なんてなくて、これをしているときの自分も自分だし、あれをしているときの自分も自分だし、という考え方ですね。本当の自分というものを探そうとするとしんどい。「これも自分、あれも自分、それも自分」それでいいんだと。

森岡:ああ、それが私もいいなあ。で、それぞれの自分でいるときの気持ちのいいものとか、好きなものをさらに伸ばしていくのが、幸せなのかなぁと思います。

前田:森岡さんの場合、健全にいろいろな人格が並んでいて、それぞれの人格が感じた好きなものが伸びていって、全部がつながることもあるのでは。「あの喫茶店が好きだ」「あの喫茶店にはこの絵があった」「この絵にはパリの魅力を感じる」「だからパリに行こう」…みたいな。

森岡:そうですね。そういう化学変化とか、場当たり的な出会いというのはおもしろいものですよね。そういうのをひとことで言うと「野性のカン」なんではないかなあという気がしますね。

前田:野性のカンというのは本能的な?

森岡:直感的で、データとかマーケティングとかそういうのではなくて。説明できない野生のカンですよ(笑)

前田:最初「え、一冊しか本を売っていない書店って何なんだろう?」というところから森岡さんを知ったんですよね。それも野性のカンで、そういう発想があったのですか?

森岡:2007年に着想したんですけれど、当時は茅場町で書店とギャラリーをやっていました。おすすめの新刊を紹介していて、それ以外の本は置きたくないなあと思っていたところ、その店舗が10年目を迎えるにあたって、新しいことをしたいと思いまして。そういう流れで、このかたちになりました。

前田:でも、普通は怖くてできないですよね。一冊の本だけを売るというのは。

森岡:茅場町での9年というのが経験としてあったから、自然に移行できたというのはあると思います。

前田:一冊しか売らない書店を作る、しかも茅場町から銀座に移る。それも野性のカンなのかどうなのか。売る本もご自分で選んでいらっしゃるし、切手集めをしていたときからずっと培ってきた森岡的教養というんでしょうか。そういうのが育まれていった感じなんですか?

森岡:教養というか、本の知識みたいなものは、明らかに神保町の古本屋にいた頃に得たものが大きいと思いますね。お客さまに本のことを聞かれたらきちんと答えたいと。そこで本を覚えたということは、確かにあったかと思います。

酒井:教養とウェルビーイング。知識がたくさんあったほうが実感が高まるとか、人生が楽しくなったりするんですかね。

前田:教養があると遊べるんじゃないかと思うんです。たとえば、あの作家はこういう理由や背景があってこれを書いた、といった知識があるとより楽しめるみたいなことでは。

酒井:ひとつの事柄に対して、知識があるといろいろな方向からライトを当ててみることができるから、いろいろ楽しめる。

森岡:確かにそういうことはあると思います。あると思う一方で、知覚できることには限度があるので、さらにいろいろ深めたいときは、人に聞いた方がいい、という気持ちもあります。

酒井:本と向き合うだけではなく、聞いたほうがいい。

森岡:そうですね。「私は知らないことが多い」という立ち位置なので。

“本を買って帰って読むという体験”を、ひとつのパッケージとして愉しんでもらいたい

酒井:森岡さんにとって本って何ですか? 情報?

森岡:本は、自分で書いたもので言えば、この『ショートケーキを許す』は、名刺みたいなものだと思っています。いやあ、本を書く、編集する、売るって大変だと思うんですよ。

前田:ほんとに大変ですよ(笑)。

森岡:著者も編集者も一生懸命創るけれど、売れるかどうかわからないし。こう言うとなんですけど「数万部売れた」としましょう。嬉しい! 嬉しいし印税が入ってはくる。でも100万部とか200万部とか売れたら別ですけど。まあ、儲けなんて、そこそこですよ。

前田:ですよね(笑)。

森岡:まあ、私の頑張りが足りないんでしょうが、たぶん、そんなに儲からない人が多いんじゃないかと。

酒井:なのに、「でも本を書きたい」という人は多い。

森岡:けっこう大変ですよね。本を書くのも。そして10万部、20万部売るのはなかなか難しい。でも書きたい。本には他のメディアにはない力がある。創り手としては、この本から何かが発生すると信じてやっています。

前田:名刺なんですね。お渡しすることによって。

森岡:何かあるだろうと。本を読んで楽しんでもらいたい、というのは、それは書く側としての本で、書店で売る側としては、「本を買うという体験」をしてもらいたい。家から出て電車に乗ってここに来て、お目当ての本を買って、うれしくなって家に帰って読む、という体験を、ひとつのパッケージとして愉しんでもらいたい、ということかもしれないですけど。例えば、山登りに行く、という行為を愉しむように。

前田:Amazonとかでクリックして買うのとは全然違いますものね。

森岡:そうあって欲しいなとは思いますね。

前田:ここに来れば著者に会えることもあったり。

森岡:そうですね。明日から販売する絵本の著者が、明日から来てくださいますし。

酒井:そうなると、その本に対する思い入れって、また全然変わってきますね。

森岡:愛着が出てくるんじゃないかなと思いますよ。

酒井:それは相当贅沢な体験ですよね。売るほうの本と創るほうの本と。森岡さんが読むほうの本は?

森岡:読む本としては、やっぱり紙媒体で読む情報は、自分の中への残り方が違うなと。それは実感としてありますね。デジタルと比べると。そこに本の優位性があるだろうなと常々考えているところですけれど。

酒井:電子書籍が話題になったとき、本はもう無くなるんじゃないかと言われてたけど、いまだにたくさん本があって。

森岡:すごいですよね。日本の本、出版文化というのは。

酒井:そうですよね。物質として愛着のある本のほうが、より今、手に取りたいというか。

前田:そういう意味では、『ショートケーキを許す』はすごくかわいいですよね。たたずまいが上品だし、判型もかわいいし。誰かに差し上げたくなる本です。

森岡:それは嬉しいですね。ありがとうございます。

以下、森岡さんがみなさんのご質問にお答えします。

Q:野性のカンを磨くコツをもう少し教えてください。まずはもっと自分自身に興味を持ったほうがいいのでしょうか?

森岡:それは確かに知りたいですね……あ!わかったかもしれない! 人のいいところを見ようとすることとか? 私、本を買ってくださったお客様に即興で似顔絵を描くんですよ。あるとき電車に乗っていて、目の前に座っている人の顔を「人間の顔ってこういう線になっているのか」とか見るようになったんです。で、せっかくならその人のいいところを見つけようと思うようになりまして。そうすると似顔絵にも生かせるんですよね。野生のカンを磨くのかどうかわからないけれども。

前田:基本的に明るい方を見るとさっきおっしゃったことですよね。その人のいいところを見る。

森岡:それと、バランスボールは野性のカンを鍛えるのにいいです。なぜなら、バランスボールに乗るときに、尻尾が立つんですよ(笑)。尻尾って、尾てい骨のところです。尻尾は動物にとってバランスをとる器官ですから。なんとなく動物の感覚がわかる感じ。(実際に椅子の上で実践)こうして膝でボールに乗りながら、何もないところを抑えるような感じで、落ちないようにバランスをとるようにして野生のカンを磨きます。同時にインナーマッスルとか鍛えられていいんです。

Q:お話をうかがっていて、本好きの自分を肯定してもらったような気がして嬉しくなりました。確かに本って、そこから必ず何かが始まりますよね。ありがとうございます。

森岡:本っていいと思いますよ、私も。いろいろなメディアがありますけど。

酒井:必ず何かが始まりますよねという感想については?

森岡:本屋に行くということ自体もそうだと思いますし。偶然で運命的、時には場当たり的な出会いとかがきっかけで何かが始まることは大いにあります。

酒井:本の中のひとことで人生が変わったりとか。

森岡:ああ、人生を変えられたいですよね、本に。

酒井:読書の体験で森岡さんがすごく印象に残っていることはありますか?

森岡:谷川俊太郎さんの『生きる』*という詩があって。1971年に発表されていると思うんですけれど、2017年には福音館書店から絵本にもなっているんです。それは、生きることをテーマにしながら「身近なところに視点を向けよう」という内容で。僕はそれがすごく好きで、その死を読んで以来、それまでどちらかというと暗かった自分が、ずいぶん明るくなったと思います。

*『生きる』……詩人谷川俊太郎の詩。1956年に詩集「絵本」に収録された14行のものと1971年「うつむく青年」に収録された39行のものがある。生きることや命、というテーマが、わかりやすい言葉で語られていることから、小学校の教科書に採用されたり、合唱曲にもなっている。2017年には岡本よしろうの絵によって福音館書店から絵本化もされた。


森岡督行(もりおか・よしゆき)さん
森岡書店代表。著書に『荒野の古本屋』(小学館文庫)『800日間銀座一周』(文春文庫)、『ショートケーキを許す』(雷鳥社)などがある。共著の絵本『ライオンごうのたび』(あかね書房)が、全国学校図書館協議会が選ぶ「2022えほん50」に選ばれた。現在、資生堂「花椿」オンラインにて『銀座バラード』と、小学館「小説丸」にて『銀座で一番小さな書店』を連載中。

『花椿オンライン・銀座バラード』
https://hanatsubaki.shiseido.com/jp/gendai_ginza/21949/

『小説丸・銀座で一番小さな書店』
https://shosetsumaru.tameshiyo.me/M202305GINZANO11