幸せをもたらす自律的なキャリア

文/榎並重人
第一生命経済研究所チーフコンサルタント。
組織・人材開発のコンサルティング、研修ファシリテーター、キャリアコンサルティングを実施。第一生命保険にて、人事部部長・人材開発室長、株式会社化推進室長、同グループのシンクタンクにて常務取締役を歴任。
イラスト・図/ながお ひろすけ


働く環境の変化をポジティブに考える

私たちの働く環境は最近、急速に変化しています。コロナ禍が契機となり、在宅勤務やオンライン会議・研修が急速に普及しましたが、これ以外にも、社会環境や企業の経営戦略の変化に伴い、「リスキリング・学び直し」「70歳就労」「ジョブ型雇用・採用」「副業解禁」「早期退職勧奨」「新卒年収1,000万円」などがメディアの見出しに連日掲げられています。また最近では「人的資本経営」という言葉を多く耳にします。企業経営におけるヒトの位置付けも、大きく変わろうとしています。

こうした言葉を日々見聞きするにつれ、私たちの多くは漠然とした不安を感じつつも、足下に迫った仕事に日々没頭し、多忙を言い訳にして、こうした変化に向き合うどころか、むしろ自分の殻に閉じこもっているのかもしれません。

冒頭に記した様々な変化とは、働く個人の目から見れば、働く上での選択肢、つまりオプションが格段に増えたといえ、今後もこうしたオプションは増え続けるでしょう。つまりこれからの時代においては、自らの意思に基づいてこうしたオプションを選択し、実践していくことこそが「幸せな職業人生」につながります。言い換えれば、「他律」ではなく「自律」的に自らの職業人生つまりキャリアを考え、それを実践していくことが重要なのです。

「自律」とは、岩波書店の『広辞苑』によると「自分の行為を主体的に規制すること。外部からの支配や制御から脱して、自身の立てた規範に従って行動すること。外部からの支配や制御から脱して、自身の立てた規範に従って行動すること」とあり、キーワードは意思決定と行動といえます。

自らのキャリアを主体的に意思決定し、行動することは、本シリーズのテーマである幸せ・Well-beingをもたらします。仕事への自発的な動機付けには、「自分の能力とその証明に対する欲求(有能さ)」「周囲との関係に対する欲求(関係性)」「自己の行動を自分自身で決めることに対する欲求(自律性)」の3つが重要で、なかでも3つ目の自律性が最も重要だといわれています(注1)。そしてこれら3つの欲求が満たされることで自らの働く動機が高まり、仕事のパフォーマンスや働く喜びが向上していくとしています。また、幸福感の決定要因として、自己決定、健康、人間関係の3項目は、所得や学歴よりも大きいという研究結果もあります(注2)。

私たちは自律的に働く上でのオプションを行使し、それを実践することが幸せな職業人生につながるというマインドセットを有していく必要があります。

(注1) Deci, E. L., & Ryan, R. M. (1985). Intrinsic motivation and self-determination.
(注2) 西村和雄・八木匡「幸福感と自己決定―日本における実研究」(2018年)

自律的キャリアマインドセットに必要な3要素

先に述べた広辞苑の「自律」の定義の中に、「規範」という言葉がありました。この言葉は、やや堅苦しさや窮屈さを感じさせますので、キャリアを考える上では、「自らの信念・価値観・思い」と置換えて考えるとよいでしょう。信念・価値観・思いとは、自身にとって本質的に重要、もしくは望ましいと感じる原則、資質、あり方で、まさにキャリアを考える上で基軸となるものです。自律的なキャリアへの第一歩は、自らの信念・価値観・思いを認識することといえます。そして、この信念・価値観・思いを基軸にして、働く上での自らのリソース(自分の強み)、適応すべき働く環境を考えることにより、初めてオプションを選択できることになります。

では、私たちは自らの信念・価値観・思いをどのように見出せばよいのでしょうか。まずは記憶を呼び覚ましながら、できる限り詳細にこれまでの自分史を書いてみてください。そこには事実や現象のみでなく、その時々の自身の感情や思い、周囲の方々との関係など、あたかも自身を主人公にした映画の脚本を書くような感覚で描いてみましょう。

多くの人の自分史は「山あり谷あり」だったと思います。寝食忘れて没頭したこと、成功や失敗、挫折の経験、こうした所にフォーカスしていくと、より自身の信念・価値観・思いが明確になっていくことでしょう。

自律的なキャリアを形成する上で2つめの要素は「自らのリソース」、つまり働くうえでの自身の強みです。強みというと、経験や知識、資格といったスキルやコミュニケーション力、リーダーシップ力などの行動能力、そして人やコミュニティなどとのつながり、つまり社会関係資本などが挙げられます。先ほどの自分史を探索すれば、これまで蓄積してきた自身のリソースを容易に発見することができるでしょう。

そして最後の3つめが「働く環境」ですが、ここではマクロ環境とミクロ環境に二分して考えてみることにします。マクロの働く環境とは、例えば、就労人口の減少、AIによる仕事の代替など、社会全体に生じている働く環境で、日々変容していくものです。こうしたマクロの働く環境は自身でコントロールできないので、幸せな職業人生を送るためにはこれらに適応していくことが欠かせません。こうしたマクロの働く環境の変化に対して、自身をどのように適応させていくか、自己成長を図っていくかということも、自律的なキャリアを考え、実践するためにはとても重要です。

一方で、ミクロの働く環境とは、勤務先企業、職場、地域社会、家族など日頃私たちが接する組織やコミュニティ、人々です。マクロの働く環境と同様、こちらも変容を遂げていくものですが、ここでは、日頃接している組織やコミュニティ、人々から、自身が現在そして今後、どのような役割を期待されているかということを中心に考えてみるとよいでしょう。

「ありたい自分」を想像&創造する

これまでに整理した3つの要素、信念・価値観・思い、リソース、働く環境を並べてみましょう(図「キャリアデザインに必要な3要素の整理」の左側参照)。そして、これら3つの要素をベン図のように重ねることをイメージして(同図の右側参照)、その中心にある3つの要素の重なり合った部分、つまり共通項を見出していきましょう。共通項がなかなか見出せない場合は、3つの要素から緊密に関連する項目を抽出して1つにまとめてみましょう。こうしてできあがったものこそ「ありたい自分」です。

「ありたい自分」を具体的にイメージアップできるように、いつ(までに)、どこで(働く環境)、誰と(仲間等)、誰に(お客さま等)、どのように(リソースなど)、何を(行いたいこと)、というように箇条書きの文章にしてください。文章を読み返して、自分が幸せそうに働いている情景を頭の中に描くことができれば完璧です。

仮に、ベン図の3つの重なりの部分が小さく、3つの共通項がほとんど見出せなくても心配無用です。自身の信念・価値観は強固で変え難く、また働く環境を自ら自由にコントロールすることも困難です。しかしリソースは無限に拡大することが可能です。1点でも「ありたい自分」を見いだせたのであれば、それに向けて自身のリソースを拡大、強化していくことで3つの共通項を拡大することが可能となります。

行動計画を策定し、実践する

最後は具体的な行動計画を策定して、実践することです。キャリアの行動計画の策定は特段難しいことではありません。大学受験の計画、資格試験取得に向けた計画、事業計画、経営計画など、これまでにこうした計画を策定、実践された経験がある人も多いと思います。キャリアの行動計画や実践もこれらとまったく一緒であり、最終的なゴール、つまりありたい自分と現時点の自分との差異、ギャップを解消していく計画をたて、それを実践していくこととなります。

行動計画の策定にあたってのポイントは、5W1Hを明確にするということと、可能な限り詳細な行動レベルに落とし込むことです。「イメージできないことは実現できない」といわれます。実際に自分の頭の中で自分が行動している姿が映像として描ければ、実現できる可能性が高まります。

自律的キャリアは人的資本経営下では必須

昨今、人的資本経営が大きな課題となっています。企業経営におけるヒトの位置付けをこれまでの経緯を振返りつつ考えてみます。企業経営におけるヒトの位置付けは、以前は「重要な経営資源の一つ(=人材)」とされていましたが、それが「持続的な企業成長のための重要な資産(=人財)」と考えられるようになり、さらに人的資本経営においては「投資対象となる、投資し続ける価値のある資本」と位置付けられるようになりました。

「投資対象となる、投資し続ける価値のある資本」というのは経営側の目線ですが、これを個人(従業員)の目線で捉えれば「自らが投資の対象となる」ということです。投資の原理原則はいうまでもなく今後(将来)の成果への期待です。つまり今後の成果への期待がないものには投資はされません。人的資本経営は働く個人にとっては学びや成長が促進される好ましい機会と考えることがありますが、それは自らが「投資対象とみなされる」という前提があってこそです。

では投資対象となり、投資し続けられるために必要なことは何でしょうか。これまで述べてきたように「ありたい姿」に向けて、現在も未来も進行形状態で「学び続ける」「成長し続ける」「変化し続ける」「成果を出し続ける」ことでしょう。

このように考えると、人財の評価軸も「これまでどうだったか?」(これまで蓄積したスキルや能力、経験、成果)だけではなく、「今どのような状態か?」「これからどのような状態になるか?」という、現在・未来進行形の評価軸が新たに加わるのではないでしょうか。

つまり、「学び続ける」「成長し続ける」「変化し続ける」「成果を出し続ける」とは、まさに現在・未来進行形の新たな評価軸であり、自律的キャリアの産物そのものです。人的資本経営時代においては、自律的なキャリアを実践することこそが、投資と成長の好循環を生み、幸せな職業人生をもたらすことになるでしょう。