会社と社員の関係から考えるウェルビーイング

文/石附賢実
第一生命経済研究所 マクロ環境調査グループ長
専門分野はSDGs for Society5.0、経済外交、安全保障
イラスト・図/ながお ひろすけ


1日の多くを占める仕事の時間、だからこそ「幸せに働くこと」が大事!

人の一生の時間のなかで、労働時間はかなりの部分を占めます。皆さんも起きている時間のうち、仕事や家事に8時間以上充てる、という日も数多くあることと思います。ウェルビーイングを高めるためには、「いかに幸せに働くか」ということが大事であることはいうまでもないでしょう。幸せを感じながら働き、健康やお金、そしてつながりといった人生資産を得ることができれば、充実した一生を送ることができます。そして、多くの人が会社で働いていることを考えれば、会社で幸せに働くことは広く国民のウェルビーイングに資するといっても過言ではありません。さらに、幸せに働く社員が多いとその会社の業績にも好影響を与えるともいわれています。会社で幸せに働く、これが会社と社員それぞれにとって好ましい、win-winの関係にあることを見ていきたいと思います。

幸せに働くことは会社業績の向上、ひいては日本の経済成長にもつながる

意外に感じられるかも知れませんが、社員一人ひとりの幸せは会社の業績にも好影響を与えます。ここで、経済成長の要因を分析する「成長会計」の考え方をご紹介します。成長会計では経済成長を3つの要素、➀資本投入、②労働投入(質と量)、③全要素生産性(イノベーション)に分解します。

日本は少子高齢化に伴う人口減少の中で、②労働投入の「量」が今後減少していきます。日本が成長を保つためには、DX(デジタルトランスフォーメーション)への投資(➀に寄与)やイノベーション(③)などが極めて重要ですが、併せて、②の労働の「量」の減少を補う「質」も大事になってきます。

幸せと労働の質がどのように関係するのか疑問に思われるかもしれませんが、幸せに働くことは労働の「質」に良い影響を与えます。「働きやすさ」や「働きがい」は幸せに働くための重要な要素です。「働きやすさ」については、コロナ禍でも注目されたテレワークなどの柔軟な勤務体系があげられます。「働きがい」は会社のミッション、流行りの言葉でいえば「パーパス」に共感や誇りが持てるかどうか、自己成長や自己実現を感じられるか、あるいは成果に見合った賃金や達成感が得られることなどが影響します。

最近では働きやすさや働きがいを社員がどう感じているか、社員の「エンゲージメント・スコア」として測定・可視化する動きも出てきています。「エンゲージメント」とは英語で従事や没頭を表す言葉で、「エンゲージメント・スコア」が高いほど、会社の利益率や労働生産性が高いという研究も存在します。

つまり、幸せを感じながら働くこと自体は社員一人ひとりの話ですが、これが会社の業績向上に繋がり、ひいては日本経済の成長に繋がっていくのです。

「健康経営」に取組むと会社も社員もハッピーに

個人の幸せにとって、健康であることも重要な要素です。健康に働き続けることによって、仕事自体のやりがいが感じられるとともに、お金を稼ぎ、社会とも繋がりを持ち続けることができます。会社の立場からも社員に健康を維持してもらうことは極めて重要です。皆さんも「健康経営」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

日本では企業での健康づくりを後押しするため、経済産業省が「健康経営銘柄」を定めるなど、世界でも先進的な取組みが進められており、多くの会社で社員の健康を増進するためのプログラムが組まれています。職場の健康診断結果に基づく健康指導や、健康増進アプリを活用した食事や運動管理などの取組みを聞いたことがある人も多いと思います。

なぜ、このような「健康経営」が目指されているのでしょうか。そもそもひと昔前までは、特に上場会社のステークホルダー(利害関係者)といえば、お客さまと株主が中心でした。一方で、昨今の「SDGs(持続可能な開発目標)」や岸田政権が推し進める「新しい資本主義」では、働き手である社員も大事なステークホルダーとされています。しかしながら、会社は社会貢献として社員の健康に投資しているわけではありません。社員が健康でなければ、生産性は上がらず、良い商品やサービスを効率的に提供できないのです。

2022年11月にOECD(経済協力開発機構)から公表された職場と健康に関する報告書によれば、会社による社員の健康への投資は欠勤の減少や生産性の向上をもたらし、1ドルの投資に対して4倍の4ドルの効果があるとしています。「健康経営」は会社業績と、個人の健康それぞれに寄与する、まさにwin-winの取組みといえるのです。

日本の労働生産性は先進国最下位、賃金が上昇しない現状

ここまで「幸せに働くことが明るい未来に繋がる」、「日本の会社は社員の健康を大事にしている」という前向きな話をしてきましたが、その一方で、日本は「労働生産性」が低いという課題を抱えています。資料2はその状況を示したものですが、主要先進7か国で最下位、しかも先進国の集まりであるOECDの中で順位は下がり続けています。

「労働生産性」とは、おおまかに言い換えれば利益を分子に、労働の量を分母にしたもので、労働量に対してどの程度効率的に利益を上げているかを表す指標です。日本では、効率化等もあって既に分母に当たる労働量は相当に減少しているので、分子の利益を増やさないと生産性は上がらず、賃金も上がらないこととなります。社員個人の視点でいうと、まずは自己成長や自己実現を通じて個人の生産性を上げる必要があります。そして、それに伴って会社の利益が上がり、個人の賃金も上がっていく、そんな職場環境が理想でしょう。こうした個々人の自己成長や自己実現、会社や経済全体の労働生産性向上に関連したキーワードとして、「リスキリング」や「労働移動」に注目が集まっています。

ウェルビーイングにつながる「リスキリング」政策を

岸田政権が掲げる「新しい資本主義」では、リスキリングに5年間で1兆円を投じるとしています。リスキリング(reskilling)とは、ニュアンスとしては「(新しい知識や技能を社会人が学ぶことで)自らのスキルを磨き直す」ことを意味します。そもそもなぜリスキリングに注目が集まっているのでしょうか。

その背景として、先ほどみた、労働生産性の低下をもたらしている日本経済の構造的な問題があります。グローバル化した世界経済において、産業の新陳代謝のスピードは速く、成長産業は目まぐるしく変化していきます。衰退する産業もあれば、新しい産業もあり、成長著しい産業もあります。一方で、日本ではこれまで終身雇用を前提とした雇用慣行となっていたこともあり、会社間、産業間の労働移動は未だ限定的といってよいでしょう。

成長が難しくなっている産業から、成長が見込まれる産業に人が移っていけば、経済も活性化し、人々の賃金も上がっていくことになります。この労働移動には、転職もあれば、社内の新規事業等への配置転換、正社員への登用なども含まれます。転職や配置転換といっても、各々の産業や事業で必要とされるスキルは当然異なります。そこでリスキリングが重要になってくるのです。今後、DXやGX(グリーントランスフォーメーション・環境に資する技術の推進など)に関連した産業の成長が見込まれるなか、社内外を問わず、こうした産業への労働移動を促して経済全体を活性化できれば、賃金は上昇します。最近、リスキリングに力を入れている会社が増えている要因には、こうした外部環境の変化があるのです。

リスキリングは会社だけではなく、政府を含めた社会全体で進めていく必要があります。現状、日本における転職は容易ではなく、労働市場の厚みも十分ではないといわれています。社員個々人がリスキリングで能力を向上させ、社内でより一層輝く、あるいはセーフティネットが充実し、安心して転職やステップアップができる社会を実現し、「自己成長」「自己実現」「賃金上昇」を後押しすることで、個人のウェルビーイングと組織の成長の両立につなげるような、包括的なリスキリング政策に期待したいところです。