第三回 食べ続けたい伝統の味「コーヒーパーラー ヒルトップ・山の上ホテル」(東京・神田駿河台)

文/麻生要一郎
撮影/小島沙緒理


「このホテルで暮らす事ができたら、どんなに幸せだろうか」行くたびに、そんな夢のような事ばかり考えてしまう。

朝食をルームサービスで済ませ、神保町まで散歩をしながら本を選び、ヒルトップでお昼を食べて、部屋に戻って読書。夕方にまた散歩に出かけて、今夜はてんぷらにしようか、中華にしようか、それともフレンチ、鉄板焼きも良いけれど、またヒルトップかなあと悩む。そう考えるだけで、ちょっと楽しくなる。全部で35室の小さなホテルだけれど、美味しいレストランが充実しているのも、このホテルの魅力の一つ。

山の上ホテルの存在を知ったのは、このホテルを愛した池波正太郎先生のエッセイを読んでの事。てんぷらが食べたくなり、一人静かに訪れた。神田駿河台の小高い山上にあり、坂を登るのも情緒がある。見栄の装飾ばかりが目に付く他のホテルとは一線を画す、瀟洒な佇まい。ロビーに入ると、初めて訪れたはずが、懐かしい場所へ帰って来たような温もりがある。
ホテルの従業員の方に「山の上に、てんぷらを食べに来ました」と声をかけると、お店の場所を丁寧に説明して下さったが、言われた通りに進んでみたものの、立ち往生。すると背後から先程の従業員の方が「お客様、そちらを右手でございます」そう静かに声をかけてくれたのである。いかにも心配そうに着いて来たというのではなく、気配を消して静かに見守ってくれていたのだ。もし僕がすんなり辿り着けば、彼は声をかけず見送ってくれたのだろう。人の顔を立てるサービスというのは、なかなか難しいものである。その誠実な姿勢に、僕はとても感動した。

当時、僕は家業の建設会社に勤務、水戸でストレスを抱えて息苦しい日々を過ごしていた。山の上ホテルの隣には明治大学があり、社会人向け講座が充実、僕は経営に関する講座を受講する事にした。勿論、山の上ホテルに出かける口実を作りたかっただけの事。授業の時間より、だいぶ早めに到着、ヒルトップでお茶をしたり、グラタンを食べたりして過ごした。忙しい時には、天ぷらだけ食べてすっかり満足して、授業を受けずに帰る時もあった。ホテル全体に流れている優しい時間、見守られている安心感のようなものが、他では得難い、安らぎの時間だった。

そんな出会いから20年近く、僕は「コーヒーパーラー ヒルトップ」に通っている。オーダーは、食前にオレンジジュース(メロンを使った特製フレッシュジュースの時もある)、小海老のロングマカロニグラタン、食後にコーヒーと決まっている。

グラタンは想像よりも大きく、そしてロングマカロニも想像より長い。料理長に改めてお話を伺ったところ、グラタンをはじめた時から提供の仕方、お皿も変えていないそうである。やむなく変更したのは、当初より使用していた太めのロングマカロニが手に入らなくなり、以前より細くなってしまったとの事。確かに、前はうどんのようだった記憶がある。

こちらのグラタンはボリューム満点、食べるとお腹がいっぱい。時代に合わせてボリュームを減らす事も検討されたそうだが、伝統のスタイルを受け継ぐ姿勢を崩さなかった。伝統を受け継ぎ変わらない事は、実は変える事よりも、ずっと難しいと僕はいつも思う。これからも受け継がれて行きますようにとの願いを込め、僕はファンとして、その伝統の味を食べ続けたいと思っている。そして子供の頃に、母が作ってくれた大好きなグラタンに、どこか似ている。もう食べる事が叶わぬ味を、この一皿に重ねているのかも知れない。

今回は特別に、材料や調理風景まで惜しみなく全て見せて下さったのだが、吟味した良質な素材を極めてシンプルに活かした一皿である事がよく分かる。ベシャメルソースはあっさりと仕上げ、味の決め手はチーズとの事、惜しまずにたっぷりのチーズをのせて焼いていた。浅くて大きなお皿で作るグラタンは、マカロニとベシャメルソースに海老とチーズ、その魅惑の層が完璧なバランスを生み出し、飽きる事なく最後まで美味しく頂ける。

取材時、朝に近い時間帯だったので、果たして朝からボリュームのあるグラタンを食べられるかと心配をしていた。しかし、料理長から丁寧にご説明を頂いて、材料や調理の様子も見せて頂いているうち、空いていなかったはずのお腹が鳴り始める。客席に供されたグラタンは、チーズが焼けた美味しそうなにおいが食欲を誘い、スプーンを差し込めばふわっと湯気がたち、口に運ぶとチーズの芳醇な味わいが広がる。何回食べても幸せを感じるグラタン、今日は一層美味しく感じて、心配を他所に気がつけば完食していた。

オレンジジュースは、一つのグラスに対し約3個分の果汁が使われているとの事。氷がぎっしり詰まったクーラーを纏い、正装した様子でうやうやしく供される。この佇まいが、何とも非日常的で贅沢な感じがするのだ。味は言わずもがな、美味しい。撮影の時、オレンジジュースをお願いすると、丁寧に用意されている様子が分かり、一段と美味しく感じた。

そして今回、改めて気がついたのは、店内に飾られている絵は全て、池波正太郎先生によるものだということ。普段はお客様がいっぱいで、一枚一枚の絵をじっくり見る機会がなかったので気がつかずにいた。エッセイ、『剣客商売』や『鬼平犯科帳』、どの作品も読んでいる。しかしその文学的世界とは全く別の、池波正太郎の世界がその絵の中にあって、益々先生のファンになり、そしてこのホテルが益々好きになった。

このホテルのアールデコ調の階段を、最上階から見せて頂いた。その眺めの優雅で、美しいこと。暮らせなくても、このホテルにゆっくり滞在したい、それが今の願いである。数多の文人達がこの地でそうしたように、山の上ホテルに「カンヅメ」というのも経験してみたい。我が家の愛猫は甘えん坊なので要相談、なかなか実現出来そうに無いので、クリスマスのケーキを早速予約した。ヒルトップ伝統のババロアが使用された「シャルロットフレーズ」を聖夜に頂くのが楽しみである。

写真上は料理長の佐々木 耐さん、下はサービスの齋藤 舞さん

相当に多忙な中、取材の対応をして下さった方々が、それぞれが本当にこのホテルを愛し、よく連携して、お客様のために楽しく仕事をしているというのが伝わって来た。ホームページに「もし人が他人に与えられる最高のものが 誠意と真実であるなら ホテルがお客様にさしあげられるものも それ以外には無いはずだとおもひます」とあった。その精神はホテルに携わる人々に、脈々と受け継がれている。小さな希望や夢が見えるホテル、ずっと変わらずにあって欲しいと切に願う。

そして皆さんも是非、山の上ホテルへ足を運んで「コーヒーパーラーヒルトップ」で、小海老のロングマカロニグラタンとオレンジジュースをご賞味あれ!


コーヒーパーラー ヒルトップ

「小海老のロングマカロニグラタン」に使用される長いマカロニ。

アールデコ調のクラシックな建物は、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の設計。そもそもは昭和12年、生活改善と社会改良のために、西洋の生活様式などを啓蒙する運動を推進するための女子教育の拠点となる財団法人佐藤新興生活館の本部ビルとして建設された。現在35の客室のレイアウトがすべて異なるのはその由来による。第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収され、後に1954年の接収解除後に創業者吉田俊男がホテルとして営業を開始した。近年の改修で絨毯の下から現れた古いテラゾー床や階段のタイルを図面どおりに作り直し、ヴォーリズ氏設計の往時の姿を復元した。
「コーヒーパーラー ヒルトップ」はホテル地下一階にあるが、坂に面しているために窓がある。その坂道の風情ある窓外の風景も魅力の場所。多くの文化人に愛された名物「小海老のロングマカロニグラタン」のベシャメルソースは昔から「カルピスバター」をたっぷり使って作られる。
「発酵バターはおいしいのですがあっさりしていて、こうしたソースに使うには少し物足りない、ということもあるのですが、上にたっぷりと載せるチーズとのバランスを考えると、やはりこのバターになるし、これでないと伝統の味は守れないと思うのです」(料理長 佐々木耐氏談)
季節の果物を使ったパフェや、プリンアラモードもSNSによって話題となり大人気で、土日には行列もできるほど。

小海老のロングマカロニグラタン 2300円(ランチタイム11:00-14:00限定でプラス1000円でグリーンサラダ・コーヒーまたは紅茶のドリンクセットも)、特製フレッシュジュース オレンジ1800円、メロン 2500円

住所:〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台1-1
営業時間:全日(当面の間)11:30~21:00(20:00L.O. ※お飲み物ラストオーダーは、20:30)
電話:03-3293-2834(コーヒーパーラー ヒルトップ直通 ※お問い合わせ、予約もこちらでできます)

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