江戸料理・文化研究家、時代小説家 車 浮代(くるま うきよ)さん

食生活はこころとからだを満たして、気分よく歳を重ねるための重要なカギ。
「料理をつくること」は、日々の暮らしの豊かさと深くつながっています。
今回、ご登場願ったのは、江戸料理・文化研究家で時代小説家の車浮代さん。
江戸の食文化や、伝統的な発酵食品をもとにした食養生の本が好評で、
テレビやラジオへの出演も数多い江戸食文化のスペシャリストです。
そんな浮代さんにご自身と料理との関係や、江戸っ子の食生活、
保存食などの食の知恵について、お話をうかがいました。

お話をうかがった人/江戸料理・文化研究家、時代小説家:車 浮代さん
聞き手/ウェルビーイング100byオレンジページ編集長:前田洋子
文/岩原和子
撮影/原 幹和


長野県で覚えた郷土料理がつなげた江戸

前田 今日は江戸料理、江戸人の食のことなどもいろいろお聞きしたいと思っているんですが、まず浮代さんご自身のことについて。料理はいつ頃からなさっていたんですか?

「私は料理を始めたのが本当に遅くて。大学を出て大阪で就職したときは実家から通っていましたので、食事は母が作ってくれるか外食でした。それが20年ほど前、結婚を機に、長野県松本市に移住することになって。親戚の集まりが多くて、女性陣が広い台所に集まって、ワイワイガヤガヤお喋りしながら、手分けして十数人分の料理を作るんです。私も“郷に入っては郷に従え”で、叔母さんたちに混じって覚えたのが、地元の郷土料理だったんです」

前田 いきなり郷土料理から入ったんですね。

「はい。最初はたいへんなカルチャーショックでした。粉もん&ソース文化で育った大阪人が、みそ&しょうゆ文化の長野に行って、しかも海がないので、寿司や刺身の種類も少なくて……。でも馴染んでみれば、水と空気が美味しいから野菜や果物が美味しいし、春は山菜、秋はきのこといった自然の山の幸も豊富で、気づいたら冷蔵庫にソースやケチャップがないのが当たり前になっていました」

前田 すごい環境変化ですね。

「その後上京して、当初は節約のために自炊し、松本で覚えた郷土料理を色々作っていました。紫蘇の実の味噌漬けや、イカの塩辛といった保存食は多めに作って、旅行作家で世界中を回っておられる先輩の柘(つげ)いつかさんにおすそ分けしていたら、『あなた、江戸料理をやってみたら?』って薦めていただいて。『料理歴は浅いし、調理師免許を持っているわけじゃないので……』と尻込みしたのですが、『せっかく江戸文化を学んでいるのだし、江戸料理ってあんまり聞かないから、あなたが日本文化を世界に広めればいいんじゃないの?』とご提案いただいて。言われてみれば、江戸時代は砂糖、みりん、酢が高価だったこともあり、当時の料理本に掲載されているレシピのほとんどが、塩、みそ、しょうゆ、酒で味付けされている上、保存食が多くて。松本で覚えた郷土料理と非常に近かったんですね。東京に残っていない江戸料理が地方の山間部に残っていたというわけで、これならやれる、と。それで、いつかさんに編集者の方を何人か紹介していただいき、江戸料理のレシピ本を出せることになったんです」

前田 なるほど。江戸のことはいつごろからご研究されていたんですか?

「30年くらい前からですね。きっかけは浮世絵だったんですよ。大阪で印刷会社のアートディレクターをしていたのですが、クライアントだった美術館が、あるとき大規模な浮世絵展を開いたんです。東京から摺師のおじいさんを呼んできて実演もして、そこで初めて本物の下町の江戸弁っていうのを聞いて、粋だなぁと思ったのと、私はもともと超絶技巧に目がないのですが、浮世絵版画が職人技の結晶だとわかって。
それに江戸時代から、版元が企画して、絵師と彫師と摺師に依頼して、完成したものを自分の店で売るというシステムができていたのが、私がいた印刷会社の仕事とリンクしたのが非常におもしろくて。それで浮世絵師や版元のことを調べていくうちに、彼らがどういう生活をしていたのかという、江戸の庶民文化に興味を持ち、知識が広がっていったんです。あちらこちらの異業種交流会で講演を頼まれるようにもなって、猛勉強もしました」

前田 ご自身が興味のあることだから、勉強も苦じゃないし、身につきますよね。

「そうですね。それとは別に、私は小学校の頃から趣味で小説を書いていて、これだけ江戸のことを勉強したのだから、せっかくなら時代小説を書こうと思い立ちました。それが講談社の時代小説大賞の最終選考までいったこともあり、文筆業で身を立てたいと思うようになりました。最初は時代小説と浮世絵だけだったのですが、先ほどの先輩の勧めで、江戸の食文化も研究するようになって。ですから今は、時代小説と浮世絵と江戸料理の3つのジャンルで本を出しています。一番後から始めたのが江戸の食文化ですが、今では一番需要がありますね(笑)」

ミシュランの100年前から料理屋番付に熱狂していた江戸人

前田 ところで江戸の食生活と今の食生活とで、一番違うところは何なんでしょう。

「一番違うというより、違わざるを得ないのは、冷蔵庫がないことによる制限です。日本人は生もの好きなので、冷蔵庫がない世界で生ものを美味しく食べるために、さまざまな工夫をしてきました。
色々な保存方法がある中で、発酵の存在が大きくて。日本には多くの発酵調味料がありますし、時間をかけて発酵させる方法もあります。それが結果、毒消しや体にいいことにつながっています。よけいな添加物を使っていませんし、食あたりの経験から、毒を消すための薬味もとります。魚料理には大根おろしを欠かさずつけるとか。そういった食に対する知識が豊富です。庶民の食生活を比べると、江戸の食生活は同時期の欧米に比べて料理の種類が多いように思います」

前田 たしかに。現代の日本の食卓ほど各国の料理が並ぶ国はない、といいますよね。

「日本人は他国の文化を躊躇なく受け入れますが、自国流にアレンジもするのも得意です。それに日本では、昔から料理人の地位が高い。包丁技、“切る”技術が必要で、それはやはり生ものをおいしく食べるためにこだわった結果だと思うんです。『切れ味』っていうでしょう? この言葉はすごく日本的で、よく切れることを味にたとえるなんて、他の国の人からしたら不思議じゃないですか。日本人は皆、切れる包丁と切れない包丁で料理の味が変わることを知っている。だから切れ味という言葉はとても日本らしいなって思うんです」

前田 なるほど、切れ味。考えてみればおもしろい言い方ですよね。

「それと日本の料理、とくに江戸時代の料理というのは、素材の味をいかに引き出すかということが主になっているんですね。それは、さらにさかのぼると日本人の場合、もともと食というのは神様にお供えしたもののお下がり、という考えがあるから、食材を大切にしているわけですね。八百万神信仰にも関係があると思うんですけど、米の一粒にも神様が宿っていると思って、一つ一つの食材をありがたく、大事に扱ったんじゃないでしょうか。だから端々まで使い切っていた。江戸時代に外国人が来て驚いたことの一つに、ゴミが本当に少ないということがあります。何でもリサイクルしますし、徹底的に使い切りますから。だからSDGsという意味では、江戸はとても見習うべき町ではありますね」

江戸は水上交通の街。省エネで早く、大量に物や人を運べた。

前田 冷蔵庫がないって今では考えられないことですけど、江戸の人はその日使うものだけを買ってきて作っていたということですよね。

「毎日、魚介でも野菜でも豆腐でも納豆でも、もう長屋の隅々まで来て、必要な量だけ売ってくれる。ある意味、今より便利は便利です。種類は限られますけれど」

前田 深川の江戸資料館なんかに行くと、実際の長屋が再現してあるのですが、すごく小さな台所、しかも板の間で、あれ、座って料理してたんですね。

「そうです。桶の上にまな板を渡して、座って切っています。だからまな板は大きくて、ややかまぼこ型に真ん中が盛り上がっています。座って切るときに力が均等にかかるようになっているんです。屋台の寿司屋も、浮世絵だと上半身しか描かれてないから立っているように見えますが、じつは寿司職人は座って握っているんです。で、客は立って食べている」

前田 そうなんですか。いろいろなものを読むと、江戸時代って、旬のおいしいものを食べるっていうことの意味がすごく大きかったのかなと思うんですけど。

「そうですね。今より楽しみが少なかったこともありますが、江戸時代になってやっと食を楽しめるようになったんです。戦がなくなり、畑を荒らされることも、男手を取られることもなくなった。それまでは生きるために食べていた糧(かて)だったのが、食事を楽しめるようになり、屋台や一膳めし屋、料亭などもできて、食べるものをチョイスできるようになった。江戸では、ミシュランガイドが発刊される100年以上前に料理茶屋番付が発行されていたのですが、人々は熱中して番付が出るのを待ち望み、料理人は競い合って腕を上げ、和食の発展に繋がりました。
とにかく食に対する興味が強くて、『食通』という言葉が生まれたのもこの頃ですし、江戸の人たちは食べることに幸福を見出していたようです。基本的に、四季折々の旬の食材を、あまり手をかけずに食べるのが江戸料理だと考えていますが、大切な食材を保存するのには、干したり漬けたりしながら発酵力をうまく生かして。日本人は旬への意識が非常に強いですね」

前田 初鰹なんて、よく女房を質に入れてもって言いますけど、それくらい高かったのですよね。

「高い時には1本3両の値がついた年もありました。初物の中でも、初鰹を食べると寿命が750日延びるというので、縁起物好きの江戸っ子が買い求めました。けれど、1本3両もの高値がついて大騒ぎされたのは10年間くらいなんです。買った人もわかっていて、歌舞伎役者と八百善*と大工の棟梁。ぱーっと振るまえる人たちですね」

*八百善……江戸時代、享保年間に浅草山谷で創業、会席料理を確立し、江戸時代で最も成功した料亭のひとつ。現在も『割烹家 八百善株式会社』としてその味を継承している。

前田 そうやって、季節を楽しむって、今でもやると幸せですけど、きっと江戸の人は今よりももっとうれしかったんでしょうね。

「そうですね。花見や月見はわかりますが、雪見なんてやせがまん以外の何ものでもないと思います(笑)。寒い中をわざわざ雪を見に出かけるわけですよ。一応、炭を詰めた携帯こたつとこたつ布団を抱えて行って、境内なんかに置いて、熱燗を飲みながら、庭に降り積もる雪で一献。すぐに凍えてしまいますよね」

前田 ちょっとやってみたいですが(笑)。

江戸の人たちは現代人よりも健康でエシカル

前田 おもしろいなぁって思うんですよ。そういう江戸の人の洒落や風流が。それで、江戸時代って大体平均寿命がどのくらいでしたっけね。

「50代って言われてますけど、それは新生児とか乳幼児の死亡率が高かったからで、実際、70歳、80歳まで生きた人もたくさんいます。だからもし江戸にワクチンがあったら、今の人たちよりも長生きしていたと思いますよ」

前田 今よりもですか? それはどうしてでしょう。

「食生活がいいのと、たくさん歩くからですね。よく時代劇には出てきますが、駕籠はかなり高級なので基本徒歩。成人男性で平均1日8キロくらい歩いているんですね。で、食べるものは魚も野菜もすべての食材が、添加物も化学肥料も使っていないからクリーンですし。成人男性は平均1日5合っていうすごい量のご飯を食べていたのですが、日本人には炭水化物をエネルギーに変える力があるし、体を動かしていたのでそれをちゃんと消費して、脂肪に変えずにすんでいた。江戸の人がご飯を炊くのは朝だけで、昼と夜は冷や飯を食べていたんですが、冷や飯には腸内環境をよくするレジスタントスターチ*が豊富です。江戸時代に来た外国人が、日本人はギリシア彫刻のような体をしている、足は短くて背は低いけど筋肉はすばらしいと言っていて、いわゆる細マッチョだったんですよ」

*レジスタントスターチ……健常な人の消化において小腸までに消化されず、大腸に届くでんぷん、およびでんぷん分解物の総称。血糖値の上昇抑制などの健康効果が報告されている。

江戸食文化研究から生まれた車さんの著書の一部。右:『発酵食品で作るシンプル養生レシピ』https://www.tokyo-shoseki.co.jp/books/81622/(東京書籍)、左:『江戸っ子の食養生』https://www.wani.co.jp/event.php?id=7358(ワニブックス「PLUS」新書)

前田 食養生って考え方は昔からあったのかもしれないですけど、やっぱり江戸時代に確立したんでしょうかね。

「江戸の初期に、中国の食物事典を参考に、日本独自の事典『本朝食鑑』*などが作られて、こういうときに何を食べればいいっていうのが、わりと知られていました。とくにいいとされたのがみそ汁ですね。朝のみそ汁は医者いらずとか医者殺しとかいうのは皆知っていて、毎日みそ汁を飲んでいました。みそは発酵食品ですし、体に必要な必須アミノ酸9種類が全部入ってますから。おまけに江戸っ子はみそ汁に納豆を入れた納豆汁が大好きで、納豆も大豆でできた発酵食品。それで免疫力は高まるし、血管は丈夫になるし、血液もきれいになって、いいことづくめ。何しろ免疫力が高まるというのは、すべてにおいていいことですから」

*『本朝食鑑』(ほんちょうしょっかん)……江戸時代の医師、人見必大(ひとみひつだい)によって1695年(元禄8年)に著された食物書。庶民が日常食べている食材を医師の立場から解説。

前田 江戸の人が食事で気をつけていたのはなんだったのでしょうか?

「食あたりにはすごく気をつけていましたね。冷蔵庫がないということは、夜食べる魚は傷んでいるかもしれない。それで魚を食べるときは必ず毒消しの大根おろしをつけたり、薬味も3つ4つつけたり。わさびもしょうゆも毒消し効果があることが知られていました。毒消しというのは、腐敗菌を退治する菌を体内に入れるということです」

前田 その毒消しが今、風味の大事な要素になっている、ということですね。ところで、浮代さんご自身は江戸料理を始めて、何か変化はありました?

「私、ひどいアトピーだったんですよ。何回か入院したくらいひどくて。今も完全に治っているわけではなく、ちょっとしたことで湿疹が出たりはします。けれど和食中心の食生活になって、とくに発酵食、浅漬けやぬか漬けを食べてみそ汁を飲んでいると、とても楽になりました。あと、お通じもよくなって、それは腸がちゃんと動いているということだと思います」

前田 へぇーっ、すごく興味深いです。発酵食の効果を自ら体現なさった、ということですね。あと、やっぱり料理しながら、江戸の人はこれをどういうふうに食べたのかなとか、なぜこうしたのかなとか考えたりされるんでしょうね。

「私は一人暮らしなので、生魚をひとさく買ってきたら、その日刺身で食べるぶん、昆布じめにするぶん、ヅケにするぶんっていうふうに、大体3、4日にわけて食べられるように仕込みます。江戸の人たちも、こうやって生魚を長く食べられるように工夫したんだろうな、なんて思います。野菜もその日食べきれないものはぬか漬けにしたり、米のとぎ汁漬けにしたりして。
米のとぎ汁漬けはぬか漬けと原理は同じで、その簡易バージョンみたいなものなんです。とぎ汁に自然塩を入れて、切った野菜を漬けるだけですが、キャベツなんて1か月も漬けていたらザワークラウトになっているし、玉ねぎもくし形とかあらみじんに切って漬けておけば料理にいろいろ使える汎用性があって、すごく便利。それでちょっと漬かりすぎたらポトフにしたり。火を入れると乳酸菌がうまみに変わっておいしくなるんですよ。そういうことをして、つねに発酵食と一緒に暮らしている感じがしますね。で、我が家は本当にフードロスがないんです」

車さんが実践していた米のとぎ汁漬けが書籍に。『免疫力を高める 最強の浅漬け』https://www.makino-g.jp/book/b528975.html(マキノ出版)藤田紘一郎先生との共著。

料理は実験。仮説を立て検証、の繰り返し

前田 それにしても若い頃は料理をしなかった浮代さんが、長野で郷土料理に出会って、それがかねて興味を持った江戸文化につながって、と何か引き寄せの力みたいな……。

「そうですね。東京には残っていない江戸料理が、地方の郷土料理として残っていたって感じですね。東京にはいろんなものが入ってき過ぎたから、江戸料理という言葉はあんまり残っていません。でも本来は、濃口しょうゆによって作られた料理は、全て江戸の郷土料理なんです。『江戸前の四天王』と言われる、蕎麦、鰻、寿司、天ぷらも、濃口しょうゆなしに発展しなかった。きんぴらごぼうや煮魚も、日本のおかずとして定着している。だから和食のルーツは京都にあるけれど、おかずのルーツは江戸にあるというふうに、私はお話ししています」

前田 本当に料理と出会ってよかったですね。

「やはり何を食べるかは大事だと思いますし、自炊すると経済的にも助かります。いろいろ気づきもありました。買わないと食べられないと思っていたもの、例えばなめ茸や海苔の佃煮も、自分で作ったら安くできておいしい。料理は五感を使いますし、脳のいろいろなところが働くから、アルツハイマー防止になるとも言われていますよね」

前田 料理をしていて一番いいことって、浮代さんにとって何ですか。

「料理って実験だと思っているんです。発酵食品もそうですけど、ああしたらこうなるとか、微生物の働きってすごいなと思ったり。先ほど申し上げた、漬かりすぎて食べにくくなった漬物が火を入れたらおいしくなるというのも、やってみたらおいしかったっていう実験の結果です。酢にとろろを入れたら固まる、とか。料理は科学だと思いながら、日々いろいろな実験をしていて、興味が尽きません」


車 浮代さん
時代小説家/江戸料理・文化研究家。
江戸時代の料理の研究、再現(1200種類以上)と、江戸文化に関する講演、NHK『チコちゃんに叱られる!』『美の壷』『知恵泉』等のTV出演や、TBSラジオのレギュラーも。著書に『江戸っ子の食養生』(ワニブックスPLUS新書)、『免疫力を高める最強の浅漬け』(マキノ出版)など多数。小説『蔦重の教え』はベストセラーに。西武鉄道「52席の至福 江戸料理トレイン」料理監修。最新刊は『発酵食品でつくるシンプル養生レシピ』(東京書籍)。
http://kurumaukiyo.com

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