社会と家族、食のあり方から、ウェルビーイングを考えましょう(第4回ゲスト 品田知美さん/早稲田大学総合人文科学研究センター招聘研究員 社会学者)

ウェルビーイングの第一人者・石川善樹さんの各界の俊英とのリレー形式の対談、それをスタッフと話す「振り返り座談会」、またリアル旅もあるかもしれない、新しいかたちの「ウェルビーイングを旅する」連載です。対談のゲストは立教大学教授の舌津智之さんからバトンを受け取った社会学者の品田知美さんです。10代から社会の常識を疑い、人による常識の違いを感じていたという品田さん。社会の常識や家族のあり方を再考させられる対談となりました。

進行/ウェルビーイング100byオレンジページ編集長/前田洋子
文/中川和子
撮影/JOHN LEE(本)


石川善樹(いしかわよしき)
予防医学研究者、博士(医学)
1981年、広島県生まれ。東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。公益財団法人Wellbeing for Planet Earth代表理事。「人がよく生きる(Good Life)とは何か」をテーマとして、企業や大学と学際的研究を行う。専門分野は、予防医学、行動科学、計算創造学、概念進化論など。近著は、『フルライフ』(NewsPicks Publishing)、『考え続ける力』(ちくま新書)など。
https://twitter.com/ishikun3
https://yoshikiishikawa.com/

品田知美(しなだ ともみ)
1964年、三重県生まれ。東京工業大学大学院 社会理工研究科博士課程修了。博士(学術)。
専門は社会学で、現在は早稲田大学総合人文科学研究センター招聘研究員。著書に『「母と息子」の日本論』(亜紀書房)、『平成の家族と食』(晶文社)などがある。


品田「中学のときに学校の規則、人が作っている決まりがすごく不思議に見えたんですよ」

石川:本日はよろしくお願いします。まず、品田先生の長めの自己紹介をお願いしたいのですが、どういう影響を受けながら、今の興味ご関心に行き着いたのか教えていただけますか?

品田:たぶん、生まれながらの社会学者だったのではないかと思います。私は三重県生まれで2歳ぐらいまで尾鷲というところにいて、父が釣ってくる魚を食べていたような、割と自然派なんです。その後名古屋に引っ越して、高校までずっと公立でしたが、習い事もせず、毎日、外で遊びまわっているような子でした。でも、本は好きだから、図書館にある児童コーナーの本は全部読むとか、身近な郷土史博物館にいくとか。昔から環境問題に関心があって、エネルギーや環境のことをちゃんと学びたいと思って、大学は一度、理工学部の資源工学というところに行ったんですよ。

石川:「生まれながらの社会学者」というところがすごく気になります(笑)。

品田:中学のときに学校の規則、人が作っている決まりがすごく不思議に見えたんですよ。人間の作る社会や、その現象を研究する社会学は、常識を知った上でさらに、それをちょっとおかしいな、と思わねばならない学問だから、研究者はちょっと変わってないといけないんです(笑)。本当は最初から社会学をやりたかったんですけど、当時はまだ雇用機会均等法がなかったから、女性で文系に行くと食べられない心配があって、とりあえず理工系に行っておこうと。そのあと、やっぱり夢が捨てきれず社会学者になりました。みんなそれぞれの常識は違うでしょう? それをちゃんと扱う学問は社会学しかないんですよ。だから、割と自分には合っていましたね。

石川:社会学者は実際に社会の常識を変えるところまでいくんですか? 活動家みたいな方もいらっしゃるんですか?

品田:ああ、私はそういうグループじゃないですね。「最終的に実践しないとね」というところはありますが、学者はそれを分析するほうですね。石川さんはウェルビーイングとの関わりはお父様の影響が大きいそうですね。

石川:完全にそうですね。正確に言うと祖父母の代からそうだったかもしれないです。僕は広島生まれで、祖父母とも原爆を生き抜いているということがあって、ほんとうに生きているだけでラッキーというか、生かされたというのがあったというか。だから「世の中のために何か貢献せよ」みたいな家系なんです。

品田:私の先祖は新潟、富山、石川あたりと長野県の海側に集中していて、明治になって東京に流れ着いた人たちなんです。「食べていければ幸せ」という祖父母で、物に執着しないんです。祖父の代は大陸にも行っていて、実は母が植民地時代の北朝鮮生まれで、戦争ですべてを失って帰ってきた。そういうこともあって、日本の社会の構造がよくわかっていない(笑)。私は長期留学したこともないし、日本の西と東がミックスされた名古屋独特のカルチャーで育ってきて、それはよかったなと思います。東京で育った子どもたちは西の方に行ったり、世界に行ったりしていろいろな文化や人に触れて、さまざまな情報を吸収して、よかったなあ、と思います。

石川:そういうルーツもあって、小さい頃から「どうして学校のルールはこうなっているんだろう?」という違和感があったんでしょうか。

品田:それもあると思います。「こうしなさい」という窮屈なのがダメなんです。今の時代、みんなマスクをつけてるじゃないですか。私、100%不登校ですよ。

一同:

『「母と息子」の日本論』品田知美(亜紀書房)母と息子の濃密な関係が作る日本の社会の骨組み、そこに顕れる現象、問題などについて独自の視点で描かれた、興味深く、考えさせられる一冊。

石川「ウェルビーイングの感覚にいちばん強く影響するといわれているのが、人生を生きる上で選択肢があって、自己決定している感覚があるかどうかなんです」

品田:今、千葉に住んでいて、パートナーの仕事の関係で、普段はひとり暮らしなんです。よくみなさんに「一人暮らしうらやましい」とか言われますが、「やりたいことをやろうと思ったら、やれないこともいっぱいあるよ」と思うんです。先日も知人が「やりたいことのために、ほんとうは踏み出したいと思うことがあっても、自分は不安すぎてできない」と。そういう風に、多くの人が「やりたいことがあってもなかなかできない」とおっしゃいますが、「ウェルビーイング」を考えたら、やりたいことがやれずにずっとひっかかっている状態はいかがなものか? でも、それが幸せなのか? みなさん「やりたいことはあるが、不安でできない」って言いながら、なんだかんだ幸せなのか? 私、そのあたりがわからないので、ぜひ石川先生に教えていただきたいですね。

石川:ウェルビーイングの感覚にいちばん強く影響するといわれているのが、人生を生きる上で選択肢があって、自己決定している感覚があるかどうかなんです。

品田:選択肢って無限にありそうでそんなにないかも。私なんか目の前のことで生きてきたから。選択肢はなかったと思いますよ。大学だっていっぱい落ちて1校だけ合格したみたいな(笑)。

石川:大学に行かないという選択肢も本来的にはある中で、行くという自己決定をしているんだと思うんです。

品田:そうですよね。行かせてもらえない人が大勢いるし。

石川:そうです、そうです。

品田:社会学者的にはそっちのほうが気になります。でも私、特に恵まれた育ちとかでもないし、当時は親も裕福じゃないから、基本、お金もないんですよ。しかも、子どもがいながら博士課程に行くとか、「正気の沙汰じゃない」って言われましたけど。奨学金を借りて、子育ての生活資金にして、アルバイトもして(笑)。そんな私から見ると、みなさん安定した生活をしていて、旅行へ行ったり、いいものを食べたりするお金もいっぱいあって、すごく幸せそうに見えるんだけど。うちの家族はやりたいことはすぐやってしまう人ばかりで、そうすると、「いいね」とか「すごいね」とか「よくやるね」とか「不安はないの」とか言われる。不安はあっても、いざとなったらなんとでも暮らせるじゃないと思うんですけど。私よりも恵まれていると思われる状況にあっても、何かにしがみついている人は多いですよ。

石川:そうですよね。自己決定している感覚がないのかもしれないですね。もしかしたら、知らないうちにそういう生活を選ばされている感覚になっているんじゃないですか。

石川「自炊している人はウェルビーイング実感が高い」

品田:私は今、非正規雇用なんです。一時常勤になったんだけど、やめちゃったんですよね。それも周囲に驚かれたんだけど、社会学でも、組織に属して働くときの正規・非正規、という問題を「正規雇用であることが大事」という観点でしか研究されていないのが問題だと思います。絶対正規雇用で毎日週に5日間、しっかり働き続けないといけないものなんでしょうか? 

石川:正規と非正規を比べるのではなく、それぞれの中でウェルビーイング(幸福度)の違いを比べたほうがいいと、僕は思うんです。たとえば年収でいうと、一般的に高いほうがウェルビーイング実感はあるのですけど、世帯年収200万円の人と1000万円の人を比べても意味がなくて。同じ年収で、家族構成とか客観的条件も似ている人たちで、主観的なウェルビーイング実感の違いを比較することに意味があると思うんです。

品田:やっぱり違いますか?

石川:違いますね。僕はそういう観点で研究していて。すごく印象的な調査があって、製造業で働いている日本の派遣労働者の研究をしたことがあるんですね。みなさん年収も低いし、仕事もすごく単調でつらくて。平均でみると確かにウェルビーイング実感は低いんですよ。でも、データをよく見ると、高い人もいるんです。同じ仕事をしているのに「ありがたい」と思って仕事をしている人と「なんだ、こんな仕事」と思ってやっている人がいる。「どうしてこんなに分かれるんだろう?」と思って、インタビューしていったんですね。そうしたら面白いことがわかって。仕事そのものに感謝していたり、学びの機会と捉えている人たちの特徴は、前職のどこかでとんでもないブラック企業を経験しているというのがあったんです。

品田:ああ、そうなんですか。

石川:それに比べるとマシって。だからどん底経験、その後の人生を考えるとけっこう大事なのかもしれません。「あれに比べたらマシ」と思えるというか。

品田:そうですよね。私も含め家族全員、どん底を経験してますからね。あんまり怖いものがないですね。どん底は大事ですよね。ほんとに理不尽な経験をいろいろしているので。それはウェルビーイングにきいてくるかもしれませんね。

石川:どこが基準なのか。それは他人と比べるんじゃなくて、自分の過去のどの経験と今の状況を比べるのかということなんです。もう一つ、不思議だったのは自炊してたんですよ。自炊している人はウェルビーイングが高い。

品田:ああそれ、私の今のテーマにピッタリです。私、もともと家族社会学者で、環境もやっていて。ちょうど今、食と環境と家族について、私の研究の関連性みたいなお題で、書き終わったところなんです。書くためにデータを調べていても、食事をないがしろにして、仕事だけを完璧にしてる人というのは、何か足りていないな、というのを感じる瞬間があるので。でも、自炊している人が男性なのか女性なのかにもよると思うんだけど、それは男女問わずですか?

石川:僕が調べたのは製造業の派遣なので、男性が多かったですね。

品田:やっぱり男性で自炊している人って少ないと思うので、そこにキャラクターが出ると思う。

品田「たぶん今、料理ができる男性から結婚してるんじゃないかな」

石川:料理頻度の男女格差の研究をしたことがあって。世界120カ国ぐらいのデータがあるんですよ。それはクックパッドさんが採ったデータで、それをお借りしてわかったのが、まず、一つの例外もなくすべての国で女性のほうが料理しているということですね。

品田:それはそうだ。

石川:ただ、料理頻度の男女格差は相当なバラツキがあって。男女格差が小さいほどその社会のウェルビーイングが高いんですね。

品田:そうですよね。私の社会学の中での研究のスタンスとしては、「ウェルビーイングがもうちょっと高まるといいよね」というものに近いんです。私がパートナーを選ぶときに唯一思ったのは、料理を作ってくれる男性がいいということ。毎日のことだし、二人とも料理ができれば、家族で美味しいものが食べられるでしょ。そういう関係でないと、子どもを持とうとか、一緒に住もうという気にはならない。自分だけが毎日毎日、料理係をやらなきゃいけないと思うと、それだけで負担になってしまう。日本の女性にインタビューしてみると、料理を作る夫がほとんどいないんですよ。みんな私に、「いいね、だんなさんが料理作ってくれて」と言うんですけど、だったらなぜそういう人を選ばないんだろうと。料理できる男性が本当に少ないから? でも、料理なんてやればそんなに難しくない。今からでもやればいいと思う。仕事で難しいことをやっているんだし。今どきレシピやコツだってネットでも調べられるし、見てそのままやれば、誰でもできると思う。

石川:調べてビックリしたのが、中国とか韓国と比べても、日本は男女格差が異常に高いんです。

品田:それはそうですよ。中国人って、今、男性で料理ができない人は結婚できないってみんな言ってますよ。

石川:え、そうなんですか?

品田:私、大学院で留学生も教えているので。中国の方は料理に特にこだわるでしょう。ほんとうに男女とも結婚条件に入っていますよ。だから中国の男性は大変。料理もしなきゃいけないし、仕事もしなきゃいけないって。韓国の方はどうですか?

石川:韓国の男性はすごくしてますね。

品田:日本だけ取り残されたんですね。たぶん今、料理ができる男性から結婚してるんじゃないかな。

石川:なるほど。

品田:若い女性、特に共働きしたい人は、料理ができる男性を選ぶようになってきているんじゃないでしょうか。今、アメリカ人は男性の料理時間が増えているらしいし、世界中で「男性は料理をしよう」というのが進んでいて、変わってきたみたいですよ。

石川:そうですね。アメリカのGoogleでは、今、いちばん人気の社内研修が料理なんですよ。セントラルキッチンみたいな厨房があって、そこでみんな料理を習っているって。

品田:習うんですか? あそこは美食を提供するレストランとかあって、すごく食べ物に凝っていますよね。

石川:従業員に健康であって欲しいと思っていろいろやってもうまくいかなくて、結論として、料理を教えた方が健康になるということに行き着いた。

品田:あ、そこまでわかっているんですね。

石川:料理をする人のほうが健康なんですよ。スタンフォード大学の医学部は料理が必修授業になっているんです。お医者さんも料理ができたほうがいいということで。

品田:そのあたりは私も耳に入ってきています。日本の場合、健康と料理をあまり結びつけないけど、アメリカの場合は、健康と料理が必須。みんな常識化していて、高学歴の人はそういうのが頭に入っているから、病院に行く前に、まず慢性病だったらちゃんと食べようみたいな。それこそ、がんの治療でも、世界中で食事療法とかあるわけでしょう。でも、日本だとお医者さんに行って、たとえばがんの治療をしてくれる先生が食事の指導をすることはないですよね。

石川:そうです。それはどうしてかと言えば、お医者さんが料理をしないからだと思うんです。料理をしているお医者さんのほうが、生活に根ざしたアドバイスとか支援がうまいという傾向があるんです。

品田:そうでしょうね。料理や掃除などして、ちゃんと生活していない人が、どうやって人の健康を指導するお医者さんをやれるのだろうって、私いつも思います。

一同:

品田:私、母が保健学科なんですよ。たぶん石川さんと一緒かな? それで、食と健康の知識があることがわかってるいから逆に「お医者さんには行かなくていいよ」という人で。子どもの頃、お医者さんに行ったことがないんですよ。お医者さんより「生活習慣をちゃんとしておけば大丈夫」みたいな感じの。急性病とか外科的なことは研究していても、「生活」からの観点が欠落しているお医者さんは多いと思います。石川さん、日本でも、お医者さんに料理を教えるような仕組みを作ってください。

石川「無人島にひとりみたいなのが「孤立」で、「孤独」はもっと主観的なもの」

石川:たとえば富山県とかは、県をあげて男性の料理を推奨してるんですね。ウェルビーイング政策の柱として。

品田:どうして富山で? 富山の男性は料理しない印象ですけど。

石川:だからです。富山は極端な男尊女卑というか、男性は料理をしない。なのでシンボリックにそれをやろうと。品田先生は食に関することも研究されているんですね。

品田:7年くらい前に『平成の家族と食』という本を書いたこともあって、「食」の社会学者みたいな立ち位置にいますね。自分も食べるのも好きですし、それぞれでかなり異なる地域性は面白いですよね。私は今、千葉で海の見える家に住んでいるんですが、そこでオイルサーディンを作って、ワインとか飲んだら、他に人生で欲しいものはない(笑)。美味しいものを食べる、いい景色を見る、ワインを飲む。あとは人がいればいいのかもしれないけど。そう、石川さんにうかがいたかったのが、人間関係がウェルビーイングを左右するとよく言うじゃないですか。でも、私なんかは「人がいなければいけない」という感じではないんです。そういうウェルビーイングはありですか?

『平成の家族と食』品田知美編 (晶文社)2015年刊。日本の家族はどのように食べ、食卓に何を求めているのか……。長期にわたる全国調査の膨大なデータをもとに刊行時の平成の家族と食のリアルを解明。著者に野田潤、畠山洋輔。

石川:僕らの世界だと「孤立」と「孤独」を区別するんです。孤立は物理的にまわりに人がいない、無人島にひとりみたいなのが「孤立」で、「孤独」はもっと主観的なもの。無人島にひとりでいても「孤立」はするけれども「孤独」は感じないという状況もあります。結局、「孤独」を感じなければいいことですよね。

品田:でも不思議なんだけれど、人といないと安心できないっていう人もいます。私も人といることは好きなんだけれど、普段はひとりで家にこもって執筆するから、ときどき外に出て人と会えばいいか、みたいな。コロナ禍でオンラインの仕事が増えると、それがすごく嫌という人と、別にオンラインでもいいという人に分かれませんか?

石川:分かれますよね。

品田:日本ではオンラインが好まれないといった研究はあるんですか? 事実として、日本はオンラインが進みにくい環境なんですが。

石川:これは限られた経験で見聞きした範囲ですけれど、若い人のほうがリアルで会いたがるって言いますよね。リアルで会わないと関係性が築かれにくいのか。仕事の話ばかりになるから、かえって仕事がやりづらいっていう。逆に社内の人間関係がしっかりできていて、仕事もよくわかっている世代はオンラインのほうがいい、とか。

品田:そうですよね。「雑談ってすごく大事だったんだな」と、私も思いました。最近、オンラインもなくなって、大学へ行くようになり、仲間と「会って喋りたいよね」「仕事と関係ない雑談がしやすいね」と話します。人とばったり会うというのも、オンラインではありえないですし。あと、やっぱり家族以外の人と会わないと、幸せ感が得られないんだなあと。家族の関係がいいとか悪いとかじゃなくて、家族以外の人と会わないとダメなんだとすごく実感したんです。

石川:それはあります。日本は特に、データ上の国際比較で見てもそうなんですけれど、家族以外のつながりが少ないんです。

品田:私もよくデータで見ます。極端に低いですよね。ちなみにいちばんつながりが多いのはオランダ人でしょ?

石川:そうです。

品田:息子がオランダに1年間留学していたことがあって。オランダ人の家庭にホームステイしていたので、生活の様子をいろいろ聞いていたんですけれど、ほんとうに日本と違うみたいです。4時ぐらいになったら仕事を終えて、そのままサッカーをしに行くとか、そんな感じだから、それは毎日、人と会うでしょう(笑)。週に3日とか4日のパートタイム、正社員とパートタイムで区別がないから、奥さんが4日で旦那さんは3日労働とか、そういう感じでやっているので、すごくゆとりがあって、その分、すごく社交的な時間が多くて。私としてはそういうほうが性に合っているから、いいなあと思いますけどね。

品田「働くことが好きなのか、しょうがなくやっているのか。私から見ると、どっちもあるなあというふうにしか思えないんですけれど」

石川:日本人はやっぱり働くのが好きだから。

品田:ほんとうにみなさん、長い時間働いてますよね。

石川:憲法に勤労が義務として記載されている国は珍しいという話を聞いたことがあって。

品田:ああ、そうなんですか。

石川:納税、教育、勤労という3大義務。キリスト教の文化圏ではそもそも勤労って罰*じゃないですか。

*勤労は罰……古代、中世キリスト教の労働観。労働は神に背いて木の実を食べたアダム(人間)に課された罰というところから。その後時代が下り、修道制度に組み入れられ、労働の定義は変容していく。

品田:そうそう。私のいちばん中心的な研究は無償労働で、生活時間の研究を30年間ぐらいやっているんですが、みなさん働くことが好きなのか、しょうがなくやっているのか。私から見ると、どっちもあるなあとしか思えないんです。生存のためにというよりは、しがみついているというか。それに若い人の労働時間がさらに増えてるんですよ。

石川:そうなんですか。

品田:たとえば、小学生の子どもがいるような家族だけに限って見ると、増えているんですね。たとえば高齢者の方ってリタイアするから、日本のトータルの労働時間は減るんですよ。おじいちゃんおばあちゃんたちはすごくゆとりのある人生を送っているかもしれないけど、昔、自分たちが働いていたときよりは、30代、40代の人たちはずっと働いている。しかも女性も仕事に出るようになったから、世帯、家族全員の労働時間が異常に長くなってしまうんです。ふたり合わせて週に78時間だったかな。それぐらい働いて、年収は500万円程度にとどまる。そんな国はないです。ちょっとこれは変えないと。

前田:こうしてうかがうと本当に驚きです。

品田:ジェンダー、フェミニズムの研究者たちは、家事や育児を忌み嫌う方が多いんですが、私自身はそんなに嫌なものではないと思っていて、大事なものとして扱いたいと、ずっと研究してきました。でも、家事や育児ばかりではお金を稼げないから、女性はもうちょっと減ったほうがいいと思う。私も、普段は料理を楽しんでいますが、忙しくなると誰かにやってほしい。

石川:なるほどね。

品田:そのバランスですよね。実は家事にかける時間って、欧米諸国も含めたグローバルな比較で日本がいちばん短いんですよ。短いのは日本と韓国、次は中国。50年も前からわかっていることです。

石川:そうなんですか。

品田:だから、これ以上短くすることはできないっていうのが私の主張なんだけど。ちょっとマイナー過ぎて、みなさんわかってくれない。最近、ようやく若い人が気づいてくれている気がします。「そこまでやめなくてもいいんじゃないか」と。先進国はけっこう長いんですよね、家事とか育児に使っている時間が。日本の家事時間が短いことはデータではっきりわかっているのに、あまり認めようとはしないで、なぜかまだ減らせると思っている人がけっこういると思う。たぶん女性雑誌なんかもやっていると思うんだけど、時間節約特集とか。今、共働きで忙しくなった分、家事時間をいかに節約しようかという特集が大人気でしょう。

前田:たしかにそうですね。世界的に見て日本の家事時間が短いとは初めて知りました。

品田:そう。平日の家事を減らすために、休日に作り置きするとしても、時間を使うし、平日の分をすべて作るなんて不可能ですよね。それよりも仕事の時間が短くなって、早く帰宅できるようになるほうがよほどいい。イギリス人は5~6時には全員が帰宅して、一緒にご飯を食べる。フルタイムの忙しいビジネスマンでもそうです。日本はバリバリ仕事をしていると、帰宅が遅くて家族でご飯を食べることもできない。

前田:あ、そうですね。

品田:私、長時間働きたい人はいてもいいと思います。そういう働き方をしたいなと思うこともたまにあるし。でも、これだけみんなが平均的に長時間働いている社会はレア(まれ)ですよ。

石川:ほんとは時間とかお金の使い方を学校教育でひととおり習うのが家庭科なんですよね。

品田:ああ、ダメダメ。私は家庭科には期待しません。たとえば海外だと中等教育に家庭科がないところが多い。家で教えればいいわけでしょ。だって不思議じゃないですか、家のことなんだから、家で勉強すればいい。日本の子は家でお手伝いとかしないで、学校で料理を勉強するってすごく不思議。日本は小学生でも塾に行ってるでしょう。学校で勉強して塾も行って、家庭科は学校でやる。中国人に話をすると「家庭科はない。お父さんが料理をするから教えてくれる」で終わり。

前田:

品田:子どもの家事時間はものすごく少ないです。数分とか。子どもに家事をさせるとどうかという論文も書いたことがあるんですが、家事を手伝う時間が多い男の子は特に創造性が高まるのに対して、女の子はあまり変わらない。なぜかというと、女の子はしたくないのに家事をさせられていて、させられる時間が男の子よりもいつも多い。だから「男の子には家事をさせたらいいと思うよ」とみんなに言ってるんですけど。

品田「日本の家族は戦後、閉じちゃったから。もうちょっとオープンにしないと、いろいろな生き方のヒントが見つからないのでは」

石川:大人がどういうことに時間を使っているのか、お金を使っているかのバリエーションを見る機会があまりないから、子どもも選択肢が少なくなっているのかもしれない。子どもってやっぱり大人の影響を受けるじゃないですか。社会の鏡みたいなところがあるから。大人の様子を見て自分も真似する。

品田:ヨーロッパの家族は自分と違う人を呼んでホームパーティーをよく開くでしょう。もともと社会にいろいろな人種、民族、生活をしている人がいる中で、さらにそういう多種多様な人を家に呼ぶ。だから、子どもたちもいろいろな人と直接会う機会も多い。それが日本だとほとんどないんですよ。家族以外は親戚やおじいちゃんおばあちゃんくらいまでが多い。でも親戚って似通っていることが多いから、あんまり刺激にはならない。昔のほうがもう少し、いろいろな出会いがあったと思う。日本は戦後、ほんとうに生活を家族の中に閉じちゃったから。もうちょっとオープンにしないと、いろいろな生き方のヒントを得る機会がほとんどないのではないかと思います。

石川:そうなんですよね。どういう選択肢があり得るのか。収入を基準にするのではなく、生き方を基準にするというか「ウェルビーイングな生き方ってこんなにいろいろあるんだよ」というのが示せたらいいなと。このインタビューでは、いろいろな先生がおっしゃるのがパートナーシップの多様性の話。それは男と女ということだけではなく、これだけ単身世帯が増えてくると、たとえばシニアになったときに、友だち同士で住むとか。日本人には家や家族が呪縛のようにあって、そこに入りきれない人たちが取り残されているんじゃないかと思います。

品田:パートナーシップへのこだわりと親子関係の膠着状態も同じような気がします。娘の友だちが世界中にいるんですけれど、レズビアンカップルで子どもがいる家族もいっぱいある。それはなかなか日本の社会にはないですからね。現在のところ養子縁組の親子関係とか、ポリアモリー(複数愛)とか、そういうのは日本では敬遠されるイメージがありますね。

石川:明治とか大正の日本のパートナーシップを見ていると、今よりかなりゆるい気がしますが。

品田:ただ、どうでしょう。女性の目線から見ると、今のほうがマシになったと思う人は多いと思いますね。一人の人に縛られない「ゆるさ」を持つ自由が女性にも出てきたから。ただ、そうなると、離婚やシングルマザーが増えるかと思いますが、子どもを抱えてひとりでやっていくのは日本、特に女性の場合、ものすごく大変です。養育費がきちんと払われないことも多いですし。旧来のパートナーシップに縛られなくなって、一人で子育てをする親が増えて、しかも福祉が壊れない社会は、どうすれば可能なんでしょう?

石川:いちばんは政治でしょうね。中央の政治か、地方政治どちらが動くかというと、たぶん、地方のほうが先に動くんだと思うんです。なぜかというと、地方自治体ってもっとも重要な指標が人口の数なんですよ。で、将来的な人口の数を担保してくれるのが若年女性なんですね。そんな若年女性は国からは「子供を産み、働き、活躍せよ」という三重苦ともいえる要求をされているけれど、地方では人口の増加、安定に直結する若年女性のウェルビーイングってメチャクチャ重要で切実なんです。若年女性がウェルビーイングになること。これを大事にしようと、たとえば富山県は動き始めたんですね。

品田:期待できると思いますか?

石川:期待するしかないですね。そして支えるしかない。放置しておくと何も起こらないと思うので。

品田「私がいつも他人にすすめているのは“いつだってできる”ということです」

品田:私、この夏に車で日本海側の旅行をしたんですけれど、地元のラジオ番組を聞きながら運転していたんですよ。でも、それを聞いて絶望しましたね。古いものがたくさん残っていて、観光地としてはすばらしいのですが、ラジオを聞いていると、旧弊な日本の家族観に根付いた考えが色濃く残っている。そういう地域はだいたい女性の減少率が著しい。

前田:番組のどういうところに絶望されたんですか?

品田:家族みんなで、おじいちゃんおばあちゃんと同居して、孫がいて幸せ、っていう家族像が当たり前のように披露されることとか、女性と男性という区別をしながら語られていることとか、都会ではそういうふうには語らないと思うような、実にちょっとしたことなんです。女性はこうあるべき……例えば、仕事して子ども産んで、お母さんとして嫁として、おじいちゃんおばあちゃんを支えてケアしてという像があるし。男性もそう、ちゃんと跡継ぎとしてやってくださいというのを求められるし。やっぱり“家制度”の中でちゃんとやってください、という古くからある常識に支えられた表現が多くみられました。みなさん、悪気はないんですよ。純粋にそれが幸せだと思っていらっしゃるから。それはいいんだけれど、他の可能性を知らないというか、視野には入っていない。不思議なのは、自分はそれでいいとして、なぜ他の人にもそれを“やって欲しい”とすすめるんですかね。

石川:確かに、どうしてなんですかね? 違う生き方をしている人がいると困るんでしょうか。

品田:イヤみたい。みんな一緒にしたい人が多い。

石川:多様性がないから幸せなのか、ちょっとわからないところですね。格差がないというか。

品田:ずっと家を守ってきた方、代々そこの町にいて、自分はそこから出なかったわけだから、今残っている方って、親族が出ていって、最後に残っている方だから、自分が一生懸命残っているのに、それを出ていった人に何か言われたくないっていうのがあるのかな。自分には出ていく選択肢が与えられなかったとか。

石川:確かに。若い頃に、ほんとうは選択したかったのに、いろいろな理由でできなかったというのは生涯の後悔として残りそうな気がしますね。

品田:私がいつも他人にすすめているのは「いつだってできる」ということです。若い頃にしかできないと思っている人が多いけど、そんなことはないと思う。アメリカ人とか、リタイアした後に博士号を取りにいく人もいるぐらいでしょう。年齢と関係なく自由なところがアメリカのいいところですよね。日本の人は年齢に縛られがちじゃないですか。

石川:伊能忠敬とか、リタイアしてから全国を歩いた人ですもんね。

品田:葛飾北斎も名前まで変えたり。

石川:“健全な多重人格”みたいな、全部捨てなくてもいいんだけど、自分に違う人格をつけ加えるというのはおもしろいですね。実際、健全な多重人格の人のほうがウェルビーイングは良い傾向にあるんです。

品田:そうなんですか。

石川:首尾一貫した自己だと、ひとつうまくいかないと全部ダメになるけど、それだけじゃない顔をいくつか持っていると、たとえば仕事がうまくいかなくてもそれほどダメージは受けない。仕事以外のいろんな人格もあるから。

品田:社会学者では、ジンメル*が言っている人格と似ているかも。その編み目のネットワークの中にいる自分みたいなのがあって、多重人格というよりは、いろんな要素からつながっている自分。それを形成していくと、個性になるという考え方なんですよ。それが結果的に誰でもない“自分”になっていくという。

※ゲオルク・ジンメル/1858~1918年。ドイツ出身の哲学者・社会学者。

石川:そうですね。関係性の中でこそ自分があらわれるという。

品田:分裂しすぎているのもどうかと思うけど。上手に破綻しない程度に。

前田:知らないことがたくさん出てきて、もっといろいろお話をうかがいたいのですが、お時間がきてしまいました。食と家族と料理のお話とか、また別でおうがいしたいと思います。

品田:また機会がありましたら。楽しかったです。

石川:どうもありがとうございました。