漫画家 新久千映さん

食生活はこころとからだを満たして、気分よく歳を重ねるための重要なカギ。
「料理をつくること」は、日々の暮らしの豊かさと深くつながっています。
今回、お話をうかがったのは、漫画家の新久千映さん。
2011年に連載が始まった「ワカコ酒」は、酒飲みの舌を持つ飲んべえ女子のOLワカコが、
さまざまな酒場で一人、料理と酒を堪能するショートコミック。
その独特のおもしろさが評判となり、テレビドラマ化もされた人気作品です。
主人公のワカコ同様、食べること飲むことをこよなく愛する新久さんに、
料理とお酒とわたしのいい関係について、語っていただきました。

お話をうかがった人/漫画家『ワカコ酒』作者:新久千絵さん(画像は『今夜はアレで飲みたい!』(『レタスクラブ』連載中)より自画像)
聞き手/ウェルビーイング100byオレンジページ編集長:前田洋子
文/岩原和子


©︎新久千映/コアミックス
『ワカコ酒』19巻(コアミックス)2011年の連載開始以来、女子の一人呑みとい
うシチュエーション、新鮮な題材が嗜好を同じくする女性たちの絶大な支持を得テレビドラマにもなった。サイト「WEBゼノン編集部」(https://comic-zenon.com)にて連載中

母と姉の料理の手伝いで「段取り」の重要さを体得

前田 「ワカコ酒」は本当に、私みたいな飲み食い大好きにはたまらない漫画ですけど、おなかが空いているときには読まないようにしています。漫画に嫉妬してしまうから(笑)。

「すごくわかります。私もグルメ番組とかダメなんですよ。食べたくなるし、飲みたくなっちゃって仕事にならなくなるから(笑)」

前田 そんな食いしん坊の新久さんは、昔から料理をされていたんですか?

「うちは母も姉も料理好きで。とくに姉はもう中学生くらいから凝ったものをつくっていて、私は主にふたりの助手として下ごしらえをしていたんです」

前田 それって、結構いい立場ですよね。

「私は食べるだけのほうが好きなんですけど(笑)。でも、母や姉に“これやって、あれやって”って言われるとハイハイ、と。まぁ、合間を見てお皿を洗ったり、次はこの器具がいるのかなって準備したりとか、段どりを考えるのは上手になりました」

前田 料理の手伝いで先を見越せるようになった、と。

「自分で味つけしたり焼き加減をみたりするのはあんまり得意じゃなかったんですけど、下ごしらえから完成までの、料理の段どりをこうしてああしてって考えるのは、そのころから嫌いじゃなかったです。スケジュールをきっちり立ててその通りやるのがうれしかった」

前田 へえ~~、それって仕事でも、今もそうですか?

「そうです。段どりをつけないともう、無理ですね。今もスケジュールを立ててその通りに行動するのがすごく好きなんです。よく作家とか漫画家などの創作系のお仕事だと、追いつめられたほうがいいものができるとかっていう方もいらっしゃるじゃないですか。私はそういう方とは真逆で、仕事も余裕を持ってやるっていうのが好きですね。“あー私、今スケジュール通りに行動している!”っていう自分が好きなんです。だから、何かのアクシデントでスケジュールが乱されたときに弱いっていう欠点があります(笑)」

前田 漫画家という職業は常にスケジュールに追われていているでしょうし、予定通りに進まないと、新久さんにとって一番大事なネタ仕入れの晩酌時間もおびやかされますね。

「とにかく毎日の食事とお酒の時間は、それこそ追いつめられて食べたり飲んだりするのではなく、半分仕事とはいえ、ゆっくり楽しみたいですから」

前田 そのために、“今日は何ページ終わらせよう”とか?

「そんな感じです。そのために生きていると言っても過言ではない(笑)」

新久千映さんの手料理 おうち居酒屋①マッシュルームオムレツ、桃モッツァレラ

“ダメダメ”な感じで始まった料理人生

前田 で、戻りますが、子どもの頃にお母さんやお姉さんのお手伝いをして段どり好きになって、そこから自分で料理を作るようになったきっかけは?。

「今は地方に住んでいますが、25歳くらいのときに漫画の修行で東京に出て、一人暮らしを始めたそのときですかね。とにかく自分で作らないと食べられないですから(笑)。自分でごはんをつくるようになったらこうしよう! というイメージはあったんです。私の亡くなったお祖父ちゃんが、魚を釣ってきて自分でさばく人だったんですけど、それを見ているのが大好きで。私も一人暮らしをしたら、お祖父ちゃんみたいに自分で魚をさばいて好きなだけ飲もうって思っていたんです。だけど、いざそういう状況になったら、意外と全然やらない、っていうかできなかった(笑)。もっとちゃんと魚のおろし方を習っとけばよかったんですけど」

前田 そのころ自分でつくった料理はどうでした?

「いやー、全然ダメだなぁと。実家にいた頃も簡単なものならつくってましたけど、ダメでした。レシピも見ず、料理本を買ったりもせず、で、パソコンもまだ持ってなかったし、今みたいにスマホもなくて、ネットでレシピ検索、なんていう文化も習慣もなかったから、もう、なんとなくの味の記憶だけで行きあたりばったりでつくって、思っていたものと全然違うものができたりとか。ダメダメな料理人生の開始でした」

前田 でも、そこから経験を重ねて上手になっていくんですよね。

「そうですね。東京には7年くらいいて、広島に戻ってきて、そのあとはなんていうか、ズサンな暮らしに憧れちゃって(笑)、料理も全然しなくなったんですよ。でも、ここ6、7年ですかね、また料理をがんばろうって思って。あと、ここ数年のことですが、最初は『ダヴィンチ』ウェブ、今は雑誌の『レタスクラブ』で『今夜はアレで飲みたい』っていう料理のコミックエッセイを連載していて。そのコンセプトが、ちょっと変わった食材だとか、魚一尾丸ごとさばくのに挑戦する、というものなんです。それで半ば強制的に、がっつり料理をするはめになりまして」

新久千映さんの手料理 おうち居酒屋②鯛の骨蒸し、鯛刺し

前田 でも、もともと魚をお祖父さんみたいに自分でさばいて飲みたいって思っていたわけだから。

「やっぱり、料理が好きっていうよりも食べたいから。食べたい欲が一番にあって、だったら料理するしかないって感じですかね。そうですね、これからだんだん寒い季節になってくると、煮込み料理とかつくることが多くなります。私、焼くとか揚げるとかの、なんて言うかその場で見張っていて、加減を見るような、時間が限られているものは、そんなに得意じゃないんですけど、時間をかけて調理できる“煮物”が大好きなんです。下ごしらえして、ゆっくり加熱する。ほっとけばいいから、朝仕込んで、昼間仕事をしながらときどき様子を見に行って、あ、煮えてる煮えてるって。その日はもう一日中楽しいですね」

前田 やっぱり段どりして、時間通りにできていくプロセスが好き……。

「あと今夜食べるメニューを考えたり、計画したりするのもすごく好きです。やっぱり段どり(笑)。今、野菜がこれとこれがあるから、じゃあ買い足すのはこれとこれで、ということは明日このメニューができるなって、スマホにメモをするんですよ。で、何曜日の昼はこれ夜はこれ、ってやってる時間がすごく長い。で、お昼が和食だったら夜は洋食とか、かぶらないように考えるのもすごく楽しいですし」

一人呑みの醍醐味はぼうっと食べ物の断面を見つめられること

前田 メニューを決めるときはお酒が先にあるんですか、それとも料理が先?

「料理ですかね。料理が決まれば、必然的にお酒も決まってくるんで」

前田 今日の重要なテーマとして料理ともう一つ、お酒についておうかがいしたいのですが、自分のことを先に言っちゃうと、私は20歳くらいまでかなりな偏食だったんですよ。それがお酒を飲むようになってから、何でも食べられるようになったんです。

「それ、すごくよくわかります! 私も偏食ってほどじゃないですけど、前は苦手なものが今よりずいぶん多くって。たとえば、香りがいいとされている薬味、みょうがとか木の芽とか、ああいうものは、お酒を飲むようになってからいいものだなあ、と思うようになりましたね。あとちょっと苦味のあるものだとか。それで考えると、お酒を飲む飲まないで、たべものの好き嫌いが変わってくると思います」

前田 新久さんは東京にいらっしゃるときから、「ワカコ酒」の主人公みたいによく一人で呑みに行っていらしたんですか。

「初めての一人呑みは東京でしたけど、まだそんなに頻繁には行ってはいなかったですね。やっぱり広島に帰ってきてから、仕事の関係というのもありましたけど、ぐっと増えました。一人呑みは最初はためらいや恥ずかしさもあったんですけど、それよりももう飲みたくて食べたくて仕方ないから、やっぱり欲のほうが羞恥に勝っちゃって。じつは、一番最初のときは、すでにちょっと酔っ払ってて、その勢いであるお店に一人で入ったんです、なので、一人呑みデビューしたいけどどうしたらいいですかっていう若い人には、ちょっと酔っ払って勢いつけるといいよってアドバイスしたい(笑)」

前田 一人だと、呑みながらいろんなこと考えたりしませんか。

「ほかにやることもないし、食べ物の断面をぼーっと見たりして」

前田 えっ、断面?!

「そう、『ワカコ酒』でよく食べ物のアップを描いているんですが、お箸で持って、ちょっとかじったところを見て。子どものときから自分が食べた食べ物の断面を見るのが好きなんです。肉まんを食べながら、ああ、なんか肉がぎゅ~~っといっぱい詰まってるなぁとか。
他の人はみんなそういうことをしないのかって、大人になって気づきました」

『ワカコ酒』(コアミックス)より

「ぷしゅ~」と切り替えるONとOFF

前田 やっぱり新久さん、すべてにおいて無理がないって感じがします。

「それがとっても大事です。無理するとうまくいかないので。『ワカコ酒』がちょっと売れ始めたときにすごくいろんなお仕事をいただいて、断ったらいけないんだと思って全部引き受けていたら、だんだん睡眠時間が1時間になっちゃって。で、はっとして、こりゃいかん、こりゃ早めに死んじゃうと思って、「全部やらなくては!」と自分に課すのはやめて、今は余分な仕事はできる限り受けないことにしました。たまに軽めな仕事であれば受けたりはしますけど。つねにスケジュールと時間に余裕を持っていられるくらい、もう少しできるかなってくらいでやめとくのがいいですね」

前田 おいしいお酒を愉しむ時間も確保できますし。お酒を知ってよかったなって思うことはなんですか?

「やっぱり、さっき言った、それまでおいしさがわからなかったものを、食べておいしいなって思えることが増えたこともそうですし、仕事を終えた後の、夜の時間の楽しみ度が上がりますよね。お酒を飲まないでごはんを食べるとすぐ食べ終わっちゃうけど、そこにお酒が加わったら、目の前にある料理を食べておしまい、じゃなく、その“夕食という時間”まるごとを楽しむ感じを味わえるというか。仕事が終わってONからOFFに切り替わるきっかけは、やっぱり1杯目のビールで、これでもって本日はOFFになりましたって、ビールをプシュッと」

前田 漫画でワカコがお酒を飲んで「ぷしゅー」って吐息をつくじゃないですか。あれはどこから出てきたんですか。

『ワカコ酒』(コアミックス)より

「『ワカコ酒』がまだ連載も内容の詳細も決まっていない企画段階のときの打合せで、担当さんが、酒を飲んだあとにちょっとひと息つく、なんか“決めゼリフ”みたいなのを入れましょうか、みたいなことを言ったので考えたんです。で、普段、私が仕事中疲れると、うわーって伸びをして、ふっと力が抜けたときに『しゅー』って言ってたんですね。そこから考えて、お酒飲んだ時の決めゼリフも、『プハーッ』だとちょっと何だなと思って、『ぷしゅー』って入れてみたら、担当さんが、あ、これ、いいじゃないですか、毎回入れましょうって言われて。この人、正気かしら、毎回ぷしゅーって、と思ったんですけど(笑)、なんかウケちゃったみたいで」

前田 あれはもうウケますよ。あの感じ、すごくよくわかります。あの「ぷしゅー」はウェルビーイングだなって。その人がその人自身でいられる瞬間みたいな。「ワカコ酒」って、すごく“満ちている”感じがします。

「あ、満たされているんじゃなくて“満ちている”。自発的な感じですかね。そうですね、ありていに言えば、そのままでいいんだよって。本当に平たく言えば。そのまんまでいいんだよって、すごい言い古されてきた言葉ですけど、それにとって代わる言葉がウェルビーイング。私も日常会話に取り入れます(笑)」

変わらないように、飽きないように

前田 ところで、『ワカコ酒』の中で、これまで一番評判になった料理って何ですか。

「えーと、まぁ、いろんな評判があるんですけど。ブリンゴってメニュー、知り合いの知り合いのカナダ人が教えてくれたもので、クラッカーにりんごとブリーチーズをのっけてメープルシロップをかけるだけなんです。やっぱり皆さん、漫画を読んで、あ、自分でもやれるわって思うのが楽しいみたいで。これだったら手軽につくれるし、味も想像しやすいので、おいしそうだからつくってみましたという声が多かった気がします。それと、今は漫画がウェブで公開されていて、コメントがそのまま投稿できるんですけど、コメントが盛り上がるのはやっぱりがっつり系のメニューですね。豚のトマホークステーキとか」

前田 そういう反応があるのって、やっぱり嬉しいものでしょうね。

「そうですね。なかには私が思っていたのと全然違う反応があったりして、意外なこともありますけど、へぇー、皆さん、こういうふうに考えるのねっていうのがおもしろいです」

新久千映さんの手料理 おうち居酒屋③鶏大根、さつまいものレモン煮、だし巻き卵、かにかまのせ豆腐

前田 料理って、いろんなことを考えさせてくれると思うんですけど、新久さんにとって料理が考えさせてくれることって何ですか。

「なんていうか、自分でつくったものって、しょせん素人の味なんで限界があるじゃないですか。それでも一応は自分でつくる手間とか工程とかを素人なりに経験した上で、外でプロのお料理を食べると、よけいおいしいし、いろいろ感動することができる。ああ、プロは自分よりここがすぐれているんだろうなって。推測でしかないですけど、新鮮な食材を仕入れる努力だとか技術とか人脈、レパートリーの多さとか。飲食店のプロのすごさが、自分で料理をするともっとわかります。料理をしない人はしない人でまた別の意味でプロの料理をすごいと思うんでしょうけど、自分はちょっと料理をするからこそ、その凄さがよくわかるというか、ありがたみを感じることができる……そういうことを考えますね」

前田 一皿の料理が自分の前に出てくる、その前に仕入れ、下ごしらえ、いろいろあるんですものね。新久さんはそこのところがわかるんですね。感じるっていうか。

「まぁ、仕事柄っていうのもあるかもしれないですけど。自分はうちの食事作りでさえ、ちょっとの食材を使い切るのでもすごく考えるのに、お店の人って、常に新鮮な食材を毎日、どれだけの人が食べてくれるかわからないのに揃えて、何十種類もメニューの仕込みをしておかなきゃいけない。それってどんなに過酷な仕事だろうって。しかも客の体に入るものをつくるのって、すごいプレッシャーじゃないかなって思うんです。だから飲食店の人のこと、すごく尊敬しています」

前田 本当に考えてみたらすごいですね。新久さんも、作品のテーマに料理を選んでいらっしゃいますけど、続けるにはいいテーマですよね。

「そうですね……変わらないように、飽きないように、と」

前田 深い! 変わらないように、飽きないようにって、たぶん家庭料理の極意ですよ。

「あー、そんな感じですかね。あと、さっき言い忘れたんですけど、また料理をがんばるようになった理由がもう一つあって。私、今年42歳になるんですけど、30代後半くらいから健康意識が変わってきて、心身の健康のためにはちゃんと食べなきゃなっていうのもありましたし。どこかを悪くしたわけではないのですが、ずっと低空飛行な感じで(笑)。ちゃんと食べなくちゃ、と思ってから、“今日はちゃんと食べたな”って自分でも思える日はすごい自己肯定感があるんです。たとえば、朝煮込み料理など、つくれるものはつくっといて、夜はもう食べるだけにしておく。それも段どりなんですけど。“あ~、自分、めっちゃちゃんとしてるじゃん!”っていう幸福感があります。料理することって、そういう点でもすごくいいことだと思います」

前田 じゃ、今夜も「ぷしゅ~」ですね。

「“ぷしゅ~~”です(笑)」

新久千映さんの手料理 おうち居酒屋④牛すじ入りおでん

新久千映さん
漫画家。1980年生まれ。広島市出身、在住。
趣味は酒と猫で主にそれをテーマにした作品を執筆。
著書に『ワカコ酒』①~⑲、『ミカコ72歳』①~、『タカコさん』(全6巻)(コアミックス刊)、『新久千映のねこびたし』(全5巻)(集英社刊)、『新久千映のお酒バンザイ!』『新久千映のお酒のお時間です』(KADOKAWA刊)など。
他にも『今夜はアレで飲みたい!』(レタスクラブ)、『ひっつきもっつきねこもぐれ』(コミックオギャー!!)を連載中。