ウェルビーイングの鍵はD&I推進にあった

根性で会社に尽くす働き方はもう過去のこと。
女性も男性と同じように社会に出て働き、男性だって育児休暇をとる時代だと、
なんとなく耳に心地いい言葉がメディアに踊る。
一方で、男女平等に働くと言っても、
生理痛がつらいのは女性だけ。妊娠するのも女性だけ。出産だってもちろん女性だけ。
キャリアのさまざまな場面で、
多くの女性がいくつもの壁を乗り越えなくてはいけないことに、
形にならないモヤモヤを抱えているのが現状だ。
これって甘えじゃないよね?
もっとサポートしてって主張してもいいよね?
そんな女性たちの声にならない声に応えて立ち上がったのが、
女性アーティストのスプツニ子!さんが興したスタートアップ、『クレードル』。
今、何がこの世に必要なのか。私たちはどう考えていけばいいのか。
働く女性のウェルビーイングに直結する、企業のD&I(ダイバーシティ&インクルージョン)と女性のヘルスケアについて話をうかがいました。

お話しをうかがった人/(株)クレードル 代表取締役社長 マリ尾崎(スプツニ子!)さん
聞き手/ウェルビーイング勉強家:酒井博基、ウェルビーイング100 byオレンジページ編集長:前田洋子
撮影/原 幹和
文/小林みどり


━━━『クレードル』はD&Iを手がけるスタートアップですが、具体的にはどういった事業を扱う会社なのでしょうか。

スプツニ子!さん(以下、スプツニ子!)「ダイバーシティ&インクルージョン(編集部注※1。以下、D&I)の動きが日本でも盛り上がっていますが、そのD&I推進を支援する企業向けのサービスを提供しています。
D&I支援の中でも特に女性の健康を軸に据えているのが、私たち『クレードル』の特徴ですね。女性のヘルスケア、生理や更年期、妊娠出産や不妊治療、そういった体のことで悩む女性はかなり多いので、そのサポートを手厚くしています。

クレードルを通して診療サポートが受けられる提携クリニックは全国で60件以上あり、さらに増やしているところです。また、クレードルは専門家によるリアルタイムのオンラインセミナーを毎月提供しています。D&Iに関するキャリア系のセミナーと、生理や更年期、卵子凍結や男性不妊といったヘルスケアのセミナーです。
リアルタイムで参加できない人はアーカイブで視聴できますし、『10分で分かる生理』とか、『10分で分かる更年期』など短編の動画も公開していて、Eラーニング(情報技術を用いて行う学習形態)のように使ってもらっています。

ありがたいことに資生堂やNEC、ヤフーなど名だたる企業に採用していただき、今日のような取材もよくお声がけいただいています」

━━━女性が抱えるさまざまな問題に寄り添っていくサービスなんですね。『クレードル』を立ち上げた背景を教えてください。

スプツニ子!「これまでアーティストとして活動しながら、テクノロジーとジェンダーをテーマに作品を作ったりダイバーシティ&インクルージョンについてメディアで発信したりしてきました。

たとえば代表作のひとつに、男性も生理を体験できる『生理マシーン』というものがあります。
その作品を発表した2010年当時、生理はまだタブー扱いで、人類の半分である女性たちがこれほど生理の影響を受けているのに、女性同士でもなかなか話せず、メディアでもあまり扱われていない状況に違和感を感じていました。特に私は10代から生理痛がひどかったので生活に支障をきたしていて、こういった女性の健康課題はタブーにせずに広く対処法をディスカッションしたほうがいいと思っていたんですね。たとえばピルは避妊だけでなくPMS(月経前症候群)や生理痛(月経困難症)の緩和にも役立つのに、日本ではまだその知識が広まっていなかったりするんです。日本はピルの服用率も3%程度でヨーロッパよりだいぶ低いし、そもそもピルの承認時期が世界で一番最後。ただ、この話が有名になったのも、つい最近のことですよね。

『生理マシーン』を制作した2010年当時はそういった事が全く知られていなくて、人類の半分である女性の多くが毎月これほど苦しんでいるのに、そしてそれを改善する方法もちゃんと存在しているのに、タブーだから語れない、議論できない、だから知識も広まらない、という状況を変えたいと思っていました。

そういった違和感をテーマに『生理マシーン』を作ると、ありがたいことに反響があって世界中の美術館で展示することになって。そこから作家としてのキャリアを積んでいくうち、だんだん「アートの枠を超えてできる事があるんじゃないか」という気持ちが出てきたんです。アートの従来の様式のその先に、私が未来のためにできることがあるんじゃないかと。

いま世界中のスタートアップが生み出している新しいプロダクトやサービスは多くの人の働き方や生き方を変えるポテンシャルを持っていると思うんです。そして、最近のスタートアップ起業家の一部は、まるでアーティストのように考えて動いているなと感じていました。たとえばイーロン・マスク(米国の実業家)は「人類は火星に行くんだ」という大きいビジョンを持って新事業を起こしていますし、『テスラ』(電気自動車企業)も彼が立ち上げた当初、かなりワイルドなアイデアだったと思うんですよね。

アーティストもスタートアップ起業家も、ビジョンやアイデアを元に資金、アーティストならコミッション、を集めて具現化していくところがある。アート制作とスタートアップってなんだか似ているなぁと考えていて。タイミング的にも、ちょうどフェムテック(女性の健康の課題をテクノロジーで解決する製品やサービス)が盛り上がりを見せていて、領域として関心を抱いていました。

共同創業者の小島由香は、シリコンバレーで起業した経験がある女性で、VR(バーチャル・リアリティー/仮想現実)のヘッドセット(マイク付きイヤホン・ヘッドホン)のスタートアップを興したカッコいい友人です。そんな彼女が私の話を聞いて、「スプさん、それ起業したら面白いですよ!」と背中を押してくれて、『クレードル』が生まれました」

━━━なるほど。アーティスト活動と起業が地続きなんですね。当初から女性のヘルスケアを事業内容の中心に据えていたのですか?

スプツニ子!「私は妊娠出産のタイミングに迷って卵子凍結も経験していたので、はじめは卵子凍結サービスなどを検討しました。ただ、さまざまな女性や企業にヒアリングしていくうちに、卵子凍結を希望する人もいますがそれは現状まだ限られた人で、もっと広く全般的に従業員の健康をケアするニーズがあり、そのニーズに向き合うことで、企業のダイバーシティ&インクルージョンという課題を推進できると考えるようになりました。

更年期で悩む人、生理で悩む人、男性不妊で悩む人、妊娠出産のつわりで悩む人、婦人科系の病気で悩む人など・・・悩みやトラブルを抱えている従業員はいっぱいいますし、企業側もそれを支援したいと思っているところが多い。

女性従業員の中には生理や更年期で仕事に影響を受ける人も多いですし、不妊治療は男女ともに大変です。それをなんの知識もなく、闇の中でがまんして乗り越えようとしている従業員が多いと感じたし、これらを個人の問題にするのではなく、企業がセミナーなどを通してリテラシー(知識・理解能力)をつけてあげたり、サポートをするべきなんじゃないかと考えました。

例えばアメリカだと、社員2万人以上の大企業の87%が福利厚生で不妊治療の支援をしています。AppleやGoogle、Facebookといったシリコンバレー系の企業では、2014年頃から不妊治療や卵子凍結を福利厚生で支援し、従業員たちの体のケアに力を入れています。
日本でも、私たちのサービスを多くの企業が導入してくださっていますし、フェムテックも話題になっています。これから日本も始まっていくんだなという感覚がありますね。

また、日本企業では健康経営(※2)がポピュラーになってきているのですが、その評価項目に女性の健康支援に関する項目が追加されました。生理による労働損失が年間約5000億円、女性のふたりにひとりが生理によって生産性が半減しているというデータも出てきています。更年期障害でキャリアに影響を受けている女性が多く、3人にひとりが仕事をやめようと思ったことがある、3人にふたりが昇進辞退を検討したことがあるというデータもあります。

一般的な更年期障害の治療というとHRTというホルモン補充療法がありますが、オーストラリアやカナダでは閉経後女性の半分ほどが受けている治療法なのに、日本では1.7%だけ。日本では保険適用で受けられる治療なのに、もったいないですよね。これだけの女性が更年期で仕事に影響を受けているのに、そもそもHRTの知識があまり広まっていないみたいなんです。

企業内のD&Iを推進するにあたって、アンコンシャスバイアス(無意識の、偏った物の見方・偏見)とか、働き方改革など、複雑にからみあった課題がいっぱいあると思うんです。ただ、従業員それぞれの体のケアは今すぐ出来て単純明快ですよね。生理、妊娠・出産、更年期障害などについて、まずは正しい知識をもつこと。そして、何か違和感があれば婦人科を受診してみること。体が整うことで、仕事もプライベートもQOL(生活の質)が格段に上がるので、企業のサポートとしてぜひやってほしいと思っています。

どんな性別でも、自分のチャンスを最大限に活かせる社会をつくること。それが『クレードル』のビジョンです。そのためにはD&Iの考え方を広げたいし、そのベースとなる体のケアをちゃんと一般化させたいと思っています」

━━━日本で女性のヘルスケアがなかなか浸透しなかった背景は何だとお考えですか。日本のD&Iの現状はどうでしょう。

スプツニ子!「日本のD&Iを推進するためのステップは2つあると思います。ひとつは、アンコンシャス・バイアスに関する理解が広まること。
アンコンシャス・バイアスは、配慮とか心配りみたいなものと絡み合っていて、自覚するのが難しい時もあるのですが、いくつか例をあげると「言ったことがあるかも」と思う人は多いです。例えば「君は男より優秀だね」というセリフがありますが、それは「女性は一般的に優秀ではない」という考えの裏返しですよね。よく使われる「女性ならではの細かい心配り」という言葉も、「女性は周囲に対し細やかに心配りをするもの」という固定観念の押し付けでもあります。そういったアンコンシャス・バイアスが日常の中に根強くあるので、ひとりひとりがそれを自覚して、解消していかないといけない。

私も昨年の9月に出産しましたが、身近な人に出産を告げたとき「おめでとう、これから仕事はほどほどにね」と言われて少しビックリした気持ちになりました。夫も私も同じように忙しい人だけど、夫は周りからそんなこと言われないんですよね。むしろ「これからますます仕事がんばって」という感じ。育児は夫も私も公平に分担しているのに「勝手に私だけ引退させないでよ」という気持ちになりました。これも「育児=女性がするもの」というアンコンシャス・バイアスによるものです。」

━━━だれもが経験しそうな身近な問題ですね。もうひとつは何でしょう。

スプツニ子!「もうひとつは、平等と公平の違いについて理解が広まることです。例えば「女性活躍なんて逆差別だよ」と言う人っていますよね。「女性だからと言って下駄を履かせるな、ジェンダーレスの時代だから男や女は関係ない」とか、一見耳障りの良さそうな言葉です。

社会に存在する全ての格差や偏りがなくなった世界で言えたら、素晴らしいと思います。ただ残念ながら今の現状、日本に限らずアメリカもヨーロッパもそうなのですが、社会構造の偏りや格差のデータを見ると「男も女も関係ない」と言える状況にはありません。

例えば、たった4年前まで医大受験で女性受験者が組織的に減点されていたような日本で「男も女も関係ない」と言い切れますか? いまだに「家事育児は女性がするもの」というアンコンシャス・バイアスは社会に根強くありますし、日本は先進国の中でもトップレベルで男女の賃金格差が大きく、昇進や評価においてもバイアスがあると言われます。そして政治やビジネスの上層部は、まだほとんど男性が中心なので、人脈を作りたいとなると男性人脈の中に女性がひとりで乗り込まなくてはいけない事も多く、セクハラされてしまうケースもあります。こうしたハードルがある中で「男も女も関係ない」と言い切ってしまうのは酷ですよね。

“Illustrating Equality VS Equity” by Angus Maguire is licensed under CC BY 4.0

日本でも最近になって、平等(Equality)と公平(Equity)は違う、という考え方が広まってきました。社会構造そのものが偏っている状態での「平等」は「公平」ではない、という考えです。公平な社会を目指すには現社会の構造の偏りの問題に目を向けないといけないんです。そしてこの構造の偏りは、被差別者の方に見えやすく、そうでない場合は自覚しづらかったりします。

英語圏ではジェンダーだとストラクチャル・セクシズム(構造的性差別)、人種だとシステミック・レイシズム(制度的人種差別)という言葉が一般的に広まっています。ブラック・ライブズ・マター(※3)運動が起きた時も、それに反発して「オール・ライブズ・マター(すべての命は大切だ)」と言う人が出てきましたが、それと似ているんですよね「女性差別や女性活躍は逆差別だ」という主張は。

そもそもブラック・ライブズ・マター運動は、黒人の命のほうが白人より重要だと言っているわけではありません。アメリカの社会構造の中で、どうしても黒人が警官に射殺される確率が大きいなど格差の被害を受けているから、黒人の命「も」大切なんだよ、社会の構造の偏りをなんとかしよう、と言っているわけです。それに対して「すべての命は大切だ」と対抗するオール・ライブズ・マターはアメリカの偏りの問題を軽視した言葉として批判されています。

日本で女性の問題を考えるとき、女性自身もこの社会構造の偏りをあまり理解しておらず、「女性活躍というと女性を優遇しているみたいで肩身が狭い」と言っている人も多いです。まずは、社会の構造、企業の構造自体にバイアスが潜んでいるかもしれないことを自覚するといいと思います。

今の時代、意識的に「おまえを差別してやる」なんていう人はいないでしょう。でも、社会の構造によって特定の性別や人種に不利な状況が生まれることに気づかないといけない、そんなフェーズに入っていると思います。」

━━━よく理解できました。女性自身が構造的差別に気づいていないというのは、根が深そうな気がします。

スプツニ子!「見えづらいんですよね。構造的差別って、当たり前すぎて気づかないんです。人種による偏りも、貧困格差も、同じようなことが言えると思います」

━━━『クレードル』の支援を導入している企業の反応はいかがですか。

スプツニ子!「セミナーやe-Learningはすごく好評を頂いて、たくさんの方に見てくださっていますね。実は今、『クレードル』のサービスを導入してくださっている企業同士で横のコミュニティを作れないかと考えています。せっかくD&Iの知識がある先進的な取り組みをしている企業も多く入ってくださっているので、お互いに学び合えるなと思って。」

━━━D&Iが社会に浸透することとウェルビーイングは、どういう関係にあると思いますか。

スプツニ子!「ウェルビーイングにおいては、仕事とプライベートを健やかに両立させることが重要だと思うのですが、女性が働きやすい環境は、結局男性にとっても働きやすいと思うんです。男性が長時間働き、女性は家で子どもを見守る・・・という昭和の生き方は、今の時代、男性も全然ハッピーではないと思うんです。

コロナ禍でリモートワークが浸透すると、時間よりも効率性を見るようになってきたので、長時間労働は崩れてきたし、子供と向き合いたい、育休を取りたいという若い男性も増えてきています。女性たちだって、もっといろんな働き方をしたいし、人生の選択肢を増やしたい。それらは、ウェルビーイングにおいて男性にも女性にもいいことですよね。

もうひとつの軸で言えば、生理や更年期、妊娠出産などは、適切な医療を受けることで人生が変わる人もいる。体をケアすることで、仕事もプライベートもQOLを上げるというのは、とても大事だと思います。」

━━━『クレードル』の今後の展望はありますか。

スプツニ子!「企業による女性の健康支援を当たり前のカルチャーにして、日本社会のダイバーシティ&インクルージョンに貢献できたらと思っています。ありがたい事に導入企業もすごく増えていて、今すごく手応えを感じています!」

※1 ダイバーシティ&インクルージョン  組織や集団に多様な人材を受け入れ、個々の能力を活かしていくこと。
※2 健康経営  従業員の健康増進を経営課題に位置付ける経営手法。
※3 ブラック・ライブズ・マター  アフリカ系アメリカ人に対する警察の不当な行為に端を発した、人種差別抗議運動。

【インフォメーション】

『クレードル』はアーティストのスプツニ子!氏が2022年にローンチし、企業のD&I推進を支援する法人向けサービスを展開。資生堂やヤフー、NEC、双日、デロイトトーマツ、POLAなど、先進的な取り組みをする大手企業も多数導入。社員へのオンラインセミナーやイーラニング、提携する婦人科系クリニックでの診療サポートなどを通して、女性が働きやすい企業環境を整える。