1999年のベストセラー『もてない男』を旅の発端とし、男女の恋愛、結婚、性について話しましょう(第2回ゲスト 小谷野敦さん/作家・比較文学者)

ウェルビーイング研究の第一人者・石川善樹さんの各界の俊英とのリレー形式の対談、そしてそれをスタッフとともに話す「振り返り座談会」、またある時はリアル旅! もあるかもしれない、今までにない「ウェルビーイングを旅する」連載です。対談ゲストのお二人目は古典エッセイストの大塚ひかりさんからバトンを受け取った作家・比較文学者の小谷野敦さんです。ベストセラーになった『もてない男』を読んで「これは自分のことだ」と感じたという石川さん。ともに東大卒でちょっと変わった(?)ご両人が、学生時代の恋愛話から結婚、セックスに至るまで本音をぶつけ合ったこの顔合わせ。笑いとシリアスな話題が交錯する興味の尽きない対談となりました。

進行/ウェルビーイング100byオレンジページ編集長/前田洋子
文/中川和子
撮影/原 幹和(本)


石川善樹(いしかわよしき)
予防医学研究者、博士(医学)
1981年、広島県生まれ。東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。公益財団法人Wellbeing for Planet Earth代表理事。「人がよく生きる(Good Life)とは何か」をテーマとして、企業や大学と学際的研究を行う。専門分野は、予防医学、行動科学、計算創造学、概念進化論など。近著は、『フルライフ』(NewsPicks Publishing)、『考え続ける力』(ちくま新書)など。
https://twitter.com/ishikun3
https://yoshikiishikawa.com/

小谷野敦(こやのあつし)
作家・比較文学者
1962年、茨城県生まれ。東京大学大学院比較文学比較文化専攻博士課程修了。学術博士。2002年『聖母のいない国』でサントリー学芸賞受賞。2011年『母子寮前』、2014年『ヌエのいた家』で芥川賞候補に。近著に『川端康成と女たち(幻冬舎新書)』など。
http://akoyano.la.coocan.jp/


小谷野「大学生になったら、彼女ってものができると思ってたから。それなのにできないからちょっとショックを受けていましたね」

小谷野敦「もてない男」―恋愛論を超えて(筑摩書房)

石川:小谷野先生の『もてない男』は、僕がちょうど大学に入学した1999年に書かれた本ですね。当時すごく話題になったことを思い出して改めて拝読したら「これは自分のことだな」と。

小谷野:石川さん、もてなかったんですか?

石川:人生でもてた記憶はないですね。中高は男子校で、大学も東大に行ったんですけど、部活をやっちゃったので、もう周囲には男しかいなかったので。

小谷野:大学のクラスに女の子ってほとんどいなかった?

石川:いましたけど、男子ばっかりの環境の部にいたんで。

小谷野:部活とクラスは両立不可能?(笑)。部活ってそんなに激しくしてたんですか?

石川:激しくやってましたね。しかも、朝、早かったんです。グラウンドが空いてる時間が7時ぐらいからで。

小谷野:陸上?

石川:いや、ラクロスという比較的新しいスポーツだったので。だから他の運動部の隙間を縫ってグラウンドを使わせてもらおうと思ったら、空き時間が早朝しかないんです。7時から10時ぐらいまで。

小谷野:私、30歳の頃にカナダから帰ってきて、ある短大で非常勤で英語を教えてたんですよ。ラクロスをやってる女の子がいて、色が真っ黒なんですね。野球帽をかぶってて、下品なことを言う。でも、その子はすごくかわいかった。たぶん、そういう色黒な女の子が私の好きな女性の中のひとつのパターンに入っている。だから、ラクロスと聞いて、あの子を思い出した。

石川:そういうふうに、どんな人が好きだったのかが全然出てこないんです。

小谷野:女の人に興味なかったんじゃない?

石川:そういうことなんですかね。興味がないわけじゃないと思うんですけど。あんまり正直に向き合ってこなかったんだと思うんですね。

小谷野:ラクロスも男だけだったんですね。

石川:そうなんです。男と女はルールも違うし。当然、練習場所も違うので。だから朝早いから夜も早いんですよね。9時には寝ちゃうので。

小谷野:でも、勉強はちゃんとできたんですね。

石川:勉強は全然しなかったです。

小谷野:でも、東大は進振り(進学選択)があるでしょ?

※進振り……東京大学は学部ごとではなく、類ごとに募集が行われ、2年次に行われる「進学選択」で学部・学科を決定する。基本的に定員枠内で成績が上位の学生から順に内定するため、人気のある学部・学科では優れた成績が求められる。

石川:そうですね。だから大変でしたね。勉強は大学を卒業してから頑張ったって感じですね(笑)

小谷野:大学の成績はあんまり良くなかった?

石川:ひどかったですね。

小谷野:私もそうですね。私は英文科に行ったんだけれども、ものすごくつまらなかった。あれ、暗黒の時代でしたね。ものすごく大学の授業がつまらなくて。ただ、今から考えれば自分で勉強すればよかったんですけどね。それともうひとつ、当時はもう、女に飢えて生きてたのね。俺、そのころはもう、石川さんと違って女の人のことばかり考えて生きていたわけですよ。で、夏休みになると、知り合いの女の人に片っ端から手紙を書いたりして。頭おかしいですよね。なにしろ「大学生になったら、彼女ってものができる」と、それが当然だと思ってたから。それなのにまったく彼女なんてできないから2年生のときにちょっとショックを受けてましたね。「こんなに大学生活ってさびしいものなのか」って。当時はやった”トレンディードラマ“なんかとは全然違うじゃないか! と。ドラマの大学生っていうとだいたい彼女がいて、あれこれあって。ああいうことが普通にあると思っていたから。

小谷野「『東大生だからといって、もてるわけではない』ということが言いたいのもあって『もてない男』を書いた」

石川:前田さん(オレンジページで本企画を担当)、小谷野先生のご著書を読まれて、どういうところが印象に残りました?

前田:『もてない男』は電車の中で読んでいて、笑っちゃって恥ずかしかったんですけど。読んで「へえ~~」と思ったのは、童貞を失うことについての海外の文学者のエピソードとか、橋本治の「だれでも最初はセックスは怖いんだ」という記述の紹介とか。「ああ、男の人ってそう思うんだ」など、そのことについて初めて考えたわけで。自分が女だから、処女を失うってことについての文章などは自然に入ってきていたんだとも思いますが「男の人が童貞を失うってことはこんなに怖いんだ」って、全く想像したことがなかったわけじゃないんだけど、言葉にして読むとびっくりしました。すごくおもしろかったです。

小谷野:それはまあ、個人差があると思いますね。あのね、私はね、強姦をする人にはなれないと思う。あれは一種の持って生まれた性質ですね。アダルトビデオとか映画で観るのもイヤです。

石川:夜這いって強姦ではないんですか?

小谷野:夜這いはまあ、強姦が多いですね。

石川:5年ぐらい前にブータンに行ったときに「いまだに夜這いはあるよ」って現地の人が言っていて。「イヤじゃないの?」って聞いたら、「イヤな人いるの?」って聞かれて。それはまあ、その人の意見なんですけど。

小谷野:それは男ですか、女ですか?

石川:女性です。もちろん、多くの人がそうであるかは不明ですが、そういう価値観が違う人もいるんだなと。

小谷野:私、中学は普通の公立だったんですね。そのときの友達は「東大生はものすごく女にもてる」と思ってるんですよ。そんなことはない。私は「東大生だからといって、もてるわけではない」ということが言いたいのもあって『もてない男』を書いたところがある。実際、あの当時『ふぞろいの林檎たち』ってドラマがあって。あれは三流大学だからもてないって話なんですよ。出演者は中井貴一とか時任三郎のわけですよ。「中井貴一や時任三郎なら、どこの大学に行っていようともてるだろう!」と私は思った。そういう三流大学だからもてないみたいな話が広まったために「東大生はもてる」と逆に思われて。だから『ふぞろい〜』の脚本家・山田太一さんに『もてない男』を送ったんですよ。山田太一さんから一応、「ありがとうございます」ってお礼のハガキは来ましたけど。「山田太一さん、反省してください」って感じでしたね。そのあと、山田太一さんが東大生でももてないってドラマを書いてくれるかと思ったけど、書いてくれない。しょうがないから、自分で『童貞放浪記』って書いたのが映画になったんです。

石川:そこで出合ったテーマが、ずっと先生の中で重要だったというか、心にひっかかっていたんですね。

小谷野:いやもう、テーマなんてものじゃない。前半生はほとんどそれだけで費やされてた。まず、女の人にフラれる。フラれるっていうのはつきあってフラれるんじゃないんですよ。最初から相手にしてもらえない。その体験を書いたのが『悲望』という小説で、これが最初の小説なんですけどね。まあ、あの体験あたりから『もてない男』ができたということですね。

石川:先生のまわりにはすごくもてる人もいたってことなんですか?

小谷野:いましたよ。だってね、必ずクラスにひとりぐらいいるじゃないですか。すごくもてる男が。まず顔がいいっていうならまだわかるんですけど、顔というよりも話がおもしろいっていうんで、もてる男って必ずいるんです。そういうのに私はすごく憧れるわけですよ。「話がおもしろい」なら、自分だってなれると思ったからなんだけど、1年ぐらい経つと、やっぱり全然「もてる男」になってない。

前田:でも、話をおもしろくしようという努力はなさったんですか?

小谷野:それはしました。すごかったです。まず『女心のつかみ方』とかいう本を買ってくるんです。あの当時(1982年頃)はね、恋愛における女心のつかみ方、なんていう本はなかったんですよ。だから買ってきて読んでみたら「会社で部下の女子をどう扱うか」っていうビジネス書だった。恋愛の本というのは当時はなかった。ただし『BIG tomorrow』とか読むと書いてあるんです。

※BIG tomorrow(ビッグ・トゥモロー)……青春出版社が発行していた男性誌。人間関係や仕事、恋愛など、若い男性が直面する悩みの解決法をていねいに伝え人気があった。1980年に創刊され、2017年に休刊。

前田:『BIG tomorrow』って懐かしい(笑)

小谷野:男どうしでも片想いっていうのはありますよね。恋愛感情というのではなく、たとえば「この男と友達になりたいな」と思っても、むこうは相手にしてくれない。だからね、私はだいたい片想いが多いですね、男でも女でも。「この人が好きだなあ」と思っても、むこうは相手にしてくれないで行っちゃうっていう。今でも友達はいないですね。酒を飲まないっていうのもあるし。男って必ず「今度、飲もうぜ」って言うんですね。「いや、俺、飲まないから」って。スポーツもやらないです。ものすごく苦手だってことが最近、わかったんです。というのは小学校時代の通信簿が出てきて、それを見たら「はなはだしく運動神経が鈍く」って書いてある。先生もひどいこと書くなと思うよね(笑)

前田:ひどいですね(笑)

石川:私は夜は寝たいので、夜の集まりにほとんど行けないんです。そういう意味ではすごくつきあいが悪いというか。

小谷野:それ、お嬢さんみたいですね。私、大学院生のときに好きだった女の人が、練馬区に実家があるんですけどね。実家に9時頃帰っちゃうんです。それで、人間って、早く帰ると価値が高いように見えるんですよ。今回この対談につないでくださった大塚ひかりさんなんて藤沢が実家なんです。で、あの人、大学が早稲田で遠いから、割合早く帰っちゃうんです。あの人は美人だから、すごくもてたんですよね。

石川:とにかく早く帰ると価値が上がるんですね。

小谷野:いやいや、ダメですよ。誰でも早く帰ればいい、というわけではないです(笑)。

石川「つきあっている人もいなかったんですけど『今年、結婚しよう』と。そう決めないと結婚できないと思った」

前田:前に石川さんが「タバコはもちろん体に悪いんだけれども、タバコよりもっと悪いものがある。それは孤独だ」という研究結果を話していらっしゃいました。

石川:予防医学の分野の最近の知見ですね。

小谷野:ちょうど5年前に苦労してタバコをやめたんだけど、それから数年、口に入れるタバコの代わりになるスヌースだとか、ニコレットだとか、体に貼るニコチンパッチとか、大変な想いをして……。そうか、タバコよりも孤独が悪い……。そういう意味で言えば、人間は結婚したほうがいい。石川さんは結婚されてますか?

石川:しています。じつは僕は「結婚しよう!」と決めたときがあって。31歳のときかな。ただ、そのとき結婚する相手はいなかったんですけど。

小谷野:それは単に自分で思っただけなんですか?(笑)

石川:そうなんです。つきあってる人もいなかったんですけど「今年、結婚しよう!」と。そう決めないと結婚できないと思ったんですよ。僕は留学もしていて、留学から帰ってきたのが28歳なんです。で、帰国すると、まわりが次々と結婚し始めて。だから、流されたわけではない気もしますが、とにかく結婚してみようと固い決意をしまして。それが1月1日のことなんですけど、その年の4月に、僕、生まれて初めてお花見に行ったんです。そういうのは自分とは縁がないものだと思って生きてきたんですけど、たまたま誘われて、こっちも結婚すると決めてるから「ここでもしかしたら出会いがあるかもしれない」と思って。

小谷野:お花見に誘ったのは男なんですか?

石川:そうです。男の友達です。で、行ってみたら何人か女性がいたんですけど、たまたま目の前に座っていた人に運命を感じて、「結婚しよう」と決めました。「こっちは決めたから、あとは相手が決めてくれるかどうかだな」と思って。結局、半年間ぐらいあまり連絡ももらえなかったんですが、相手の方が「いいよ」と結局言ってくれて。で、結婚して9年目ですかね。

小谷野:ああ、結婚できたんですね。どうなることかと思った(笑)

前田:でも、お花見に行かれたときに、目の前にいらした女性を「この人」って決めた感覚は、一目惚れとは違うんですか?

石川:どうなんですかね。ちょっとわからないです。

小谷野:たとえば芸能人とか見ていて、好きな人とか、そういうのはいないんですか?

石川:芸能人ではあんまりいないですね。

小谷野:やっぱり、あんまり女の人に興味ないんじゃないですか?

石川:どうなんですかねえ。ちょっとそれは良くないなあと気づきはじめたくらいです(笑)。

小谷野:私は「女の人を好きになるんだけど、むこうが相手にしてくれない」というのはわかるんですよ。ただ、もともと興味がないとなると……、男と遊ぶほうが楽しいんですか?

石川:まあ、気楽ですよね。やっぱり気をつかわずに喋れるというか。

小谷野:でも、男にもほんとは気をつかったほうがいいんですけど(笑)

石川:女性だと、たとえば、水回りがあんまり整ってないところに一緒に行くと、嫌だろうなあとか、いろいろ考えなくてはいけないことが多いですよね。

小谷野:男と何をして遊ぶんですか?

石川:山に登ったり、あと旅行がけっこう多いですかね。行き先だけ決めて、そのあとの行程を決めずに行くので。それもたぶん、女性としては嫌がるだろうな。

小谷野:山って、どれくらいの山に登るんですか?

石川:6〜7時間ぐらいで、登って、帰って来られるような山です。

小谷野:運動が好きなんですね。

石川:はい、好きですね。

小谷野「今の妻は会って1週間で結婚を決めて、10日目に区役所に行きましたね」

石川:先生のご著書を拝読して「恋愛至上主義」っていうのが、時代として一時期あって。今の2020年代って、若い人も含めて、そんなに恋愛に興味がない人がむしろ、マジョリティー(多数派)になってきているんじゃないかという気がしないでもないんです。

小谷野:でも、今の人も結婚はするわけでしょ?

石川:生涯未婚率は異常に上がってますけどね。

小谷野:まあね、上がってはいるんでしょうけどね。で、今の人は「未婚だけれども、セックスはしている」っていう人は多いんじゃないですか?

石川:そうかもしれないですね。

小谷野:石川さんは結婚まで童貞でした? こんなこと聞いていいのかどうかわからないけど。

石川:いえいえ。童貞ではなかったんですけど。僕の友人には童貞っていう人はいますよ。女性とつきあったことがないっていう人も。

小谷野:え、それはお金を介してではなく、童貞ではなかったってことですか?

石川:そうです。僕、まわりに流されやすいんでしょうね。大学生のときに、「女の人とつきあう」っていうのを一回やってみようと思ったことがあるんです。

小谷野:いつも「〜みよう」とか「〜しよう」とか、先に思うんですね(笑)

石川:だから自然に気持ちがわき上がってくるってことがあんまりなくて。

小谷野:普通はね、まず相手がいるんです(笑)。相手がいて、好きになって、そこから始まるんですよ。

石川:そういうもんですか(笑)

前田:つきあおうと決めたときも、またどなたかと?

石川:誰かとつきあおう、と決めて、数時間後に入ったお店の店員さんにビビっと来て、「この人とつきあおう」って(笑)

小谷野:ちょっと待って。それはコンビニの店員に「つきあってください」って言うんですか?

石川:僕の場合は、そういうのが多いかもしれないですね。

小谷野:かなり変わった人ですね(笑)

石川:すぐ言っちゃいますね。仕事でもそうかもしれない。「一緒にやりましょう」ってすぐ言っちゃう。

小谷野:私もどっちかと言うと「結婚してください」とかすぐに言っちゃうほうなんですけどね。

前田:そうなんですか?

小谷野:ええ。妻と結婚するときは、彼女がちょっと出かけているあいだに区役所に行って、婚姻届をもらってきて、自分の欄だけ書いて「はい、こっち書いて」って渡してましたね。

石川:私もそれに近いです。

前田:すごいおふたり(笑)

石川:僕だって「結婚する」という決意を決めた時、相手はいなかったですが、すぐに区役所に行きましたから。「婚姻届」ってどういうものなんだろうって。

小谷野:私ね、今の妻は会って1週間で結婚を決めて、会って10日目で区役所に行きましたね。

石川:ああ、僕もそれにすごく近いですね。

小谷野:変人ふたりが会話してる、みたいになってきちゃった(笑)

石川「父に『好きに生きていいけど、免許に頼って生きるのだけはやめろ』と言われてたんですね」

石川:最近、渡辺淳一先生の『告白的恋愛論』という本を読んで、渡辺淳一先生が、人生の中ですごく記憶に残っているというか、奥さん以外の10人ぐらいの女性の話を書いてるんですけど。「10人もそんな人がいるのか」とびっくりしたんですよ。

小谷野:渡辺淳一先生なら10人ぐらいちょろいでしょ。無理矢理だったら100人ぐらいいるんじゃないですか。

前田:無理矢理?

小谷野:無理矢理っていうのは、1回だけみたいなのも入れて。あの人は医者だし、背は高いしハンサムだしね。そりゃモテますよ。石川さんはお医者さん?

石川:お医者さんにはならなかったです。

小谷野:医師免許はある?

石川:医師免許は取ってなくて、研究者になりました。

小谷野:研究者っていうのは医師免許のない人もいるんですか? 

石川:そっちのほうが多いです。僕の父が医者なんですけど、父に「好きに生きていいけど、免許に頼って生きるのだけはやめろ」と言われてたんですね。「人は弱いから、免許を手にすると、その免許に頼って生きるから、ほんとうにやりたいことができたときに、その免許は人生の邪魔をする。だから免許だけは取るな」って。

小谷野:私は運転免許も持ってないですけどね。持ってたんだけど、視力の矯正が追いつかなくなって、なくしちゃったんです。ところで石川さん、小説を書く気はないの?

石川:頼まれて短い小説みたいなのは書いたことがあります。

小谷野:私は、人はある程度年を取ったら、自伝を書くべきだと思ってるんです。だって自伝なら誰でも書けるでしょ。書けない人、いるらしいけど。うちの父にも自伝を書け書けって言ってたんだけど、結局、書かずに死んじゃった。母はちょっと早すぎたからしょうがない。

前田:これから自伝をお書きになる?

小谷野:私は今、書いてる最中。小学生のところまで書いたところです。大人になってからはたくさん私小説を書いたので、ほとんど書き尽くしたみたいな感じになって。

石川:『私小説のすすめ』って書いていらっしゃいますよね。

小谷野:はい。でも、新人作家っていうのは、なんだかんだ言って、たいてい私小説を書きます。安部公房みたいな人は特殊ですけど。鈴木涼美っていう、AV女優をやってて、東大の大学院を出た人も、このあいだ書いたのが私小説でしたね。

石川:私小説って、考えたこともなかったですね。

石川「ハーバード大学でナンバーワン人気授業が『ポジティブ・セックス』って授業だったんですよ」

石川:熟達って言っていいのかどうかわからないんですけど、女性にもてようとして取り組むと、うまくなっていくものなんですか?

小谷野:人によりますね。まったく人によるとしか言いようがないですね。私の場合は『悲望』という小説に書いた事件で、嫌がってる女をいくら追っかけても無駄だってことがよくわかりましたから。嫌がってる人は追っかけないっていうことだけはよくわかりました。

前田:もてるもてない、もですが、異性との関係がうまくいくってことは、人として「よく在る」という観点で、かなりな影響がありそうですが?

石川:男性のほうが寿命が短いので、年を重ねるほどまわりに女性が増えていくんですよ。老人ホームとか行ったら、女性ばかりですもんね。いかに女性とうまくやるのかっていうのが、すごく大事なんだなと思います。20代の頃は、健康教室で全国をまわっていたので、痛感しましたね。それで言うと、20代の頃は、60代、70代の女性にかわいがっていただいた気がします。健康教室で「石川先生です」って紹介されると、たぶん、普通はだいたい自分たちと同じぐらいの60代か70代の男の人が来たと思うんですね、みんな。それがのこのこ僕みたいなのが出て行くと「あれ?」みたいな。

前田:アイドル(笑)

石川:「あの先生なら遠慮はいらんだろう」みたいにたぶん、思ってくれた。だから忌憚なくいろんなことを教えてもらったり。当時、綾小路きみまろさんをすごく参考にしてましたね。「どうやったら、きみまろさんみたいになれるんだろう」と試行錯誤してました。

小谷野:テレビとか見るの好きですか? テレビを見て、お笑いとかも好きなんですか?

石川:テレビは見てなかったです。どちらかというときみまろさんばっかりでしたね。

小谷野:どこで見るんですか? 

石川:きみまろさんは、たぶんYouTubeですかね。

小谷野:じゃあ、だいぶ後になってからじゃないですか。

石川:そうですかね。

小谷野:確か韓流が今世紀に入ってからだから。だから、「ヨンさま」とか言ってすごい人気だったんですよね。

石川:そうそう。ぺ・ヨンジュンですね。
それで話を元に戻すと、そうやって全国を回っていたんですが、ある時、そういえばシニアの性って、意外に研究がされてないのではと疑問に思うことがあったんです。

小谷野:そうですか?

石川:社会学的には研究されているのかもしれないですけれど、医学的にちゃんとした研究というのはほとんどなくて。

小谷野:『ハイトリポート』とかではまだ足りん?

※ハイトリポート……1976年、米国のシェア・ハイト博士(女性)が全米10万人の女性に対して行った性に関するアンケートの回答分析報告。リアルで赤裸々な内容は世界に衝撃を与え、女性解放運動進展の推進力ともなり、今でも女性の「性」を語るうえで伝説的なリポートだが、現在日本語版は絶版。

石川:やっぱりどうしても病気のほうに研究費とかも出るので。なかなかそういう、あってもなくてもいいと思われているような領域は後回しになるというか。僕は2006年から2008年のあいだハーバード大学に留学してたんですけど、大学でナンバーワン人気授業が「ポジティブ・セックス」って授業だったんですよ。当時、性教育というと、病気とか妊娠の話ばっかりだったんです。この授業はそうじゃなくて、性教育とは人と人の関係性のことでもあるし、どうやって歓びを得るか、快楽を得るかって話でもあるから、それをちゃんと教えようという授業で。第1回目が「いかにしてオーガズムを得るのか」という授業だったんですね。僕、これに行ったら、いちばん大きい教室が満員で。びっくりしたのが男が僕だけだったんです。あとは全員女性。

小谷野:それはセックスでのオーガズムですね。

石川:セックスとか、あとセルフ・プレジャーというか、オナニーを含めてですね。

小谷野:確かに女の人では、オナニーではいかないとか、セックスではいかないという悩みは大きいですね。

石川:だから、悩みは深いんだなとすごく思ったんですよ。で、当時アメリカで『セックス・アンド・ザ・シティ』っていうドラマがあって、解放的っていうんですかね。この流れはたぶん15年か20年したら日本にくるだろうなと思って、そろそろ来るんじゃないかと思ってるんですけど(笑)。テクノロジーでオーガズムとかセルフ・プレジャーを得るっていうのがすごく流行ってきてるっていうか。

小谷野:ありましたね。そういう女の人のための、快楽を得るための本が。『サティスファクション』っていうのがベストセラーになりましたね。いかにして快楽を得るかっていう、翻訳本は横長の大型で。『私たちのサティスファクション』なんていう便乗本も出たんです。

※『サティスファクション』……『セックス・アンド・ザ・シティ』にサマンサ役で出演していたキム・キャトラルとその夫であるマーク・レヴィンソンの著書『Satisfaction The Art of the Female Orgasm』の邦訳本。

石川:ああ、そうなんですね。

小谷野:性に関することだと、私は『ワイルドライフ』っていうBSプレミアムで放送してる番組が好きでよく見るのですが、動物の性行動って人間の原型ですね。つまりメスをめぐってオスどうしが争ったり、コアラなんて次から次に強姦するんですよ。だから「ああ、人間っていうのは動物なんだな」ということが、あの番組を見ているとよくわかる。ワイルドライフは『ワイルドライフ・セレクション』というのを作って、高校生全員に義務的に見せたほうがいいと思う。

石川:見てみたいですね。

小谷野:動物って美化されてきた歴史があるんです。「同じ種どうしで争うのは人間だけだ」みたいなことを言う人が昔いたけど、そんなことないんですよ。アリなんか戦争しますからね。それからチンパンジーってものすごい猛獣で、アカコロブスっていう下等なサルを集団で襲って食べちゃうんです。

石川:そうなんですか。

小谷野:ヘビが食べるものでいちばん多いのがヘビ。だからね、ネアンデルタール人っているでしょ。たぶんホモ・サピエンスはネアンデルタール人を食べてたと思う。で、今でもネアンデルタール人の遺伝子がわれわれの中に残ってるんだけども、これはたぶん、ホモ・サピエンスがネアンデルタール人の少女を強姦してできたんだと思う。いずれこれは小説にしようと思う。ウィリアム・ゴールディングという英国のノーベル賞作家が『後継者たち』っていうネアンデルタール人を描いた小説を書いてるんです。それをちょっと真似して。無人島に少年たちが漂着しても、『十五少年漂流記』みたいにはならないで、いじめが起こるだけだと書いたのが『蝿の王』っていうゴールディングの小説なんですね。

小谷野「問題は夫婦になって10年ぐらい経つとセックスしなくなるということですね」

小谷野:石川さんは高校生の頃、読書とかしました?

石川:はい、しましたね。

小谷野:どんな本を読んでました?

石川:人生でいちばん本を読んだ時期だと思うんですけど、結局、いちばんはまったのはヘルマン・ヘッセでしたね。僕、すごい田舎の出身なんです。広島県の瀬戸内海の生口島(いくちしま)の出身で、ヘルマン・ヘッセって、自然の中のド田舎で育った人が都会で夢破れて、また故郷に戻るみたいな話がすごく多くて。自分もそうなるんだろうなって思ってました。すごく共感してます。東京にかなり長いあいだいるんですけど、まったく慣れないというか。

小谷野:ヘッセは男どうしの友情の話とかけっこうありますね。

石川:ああ、そうですね。

小谷野:それ、すごくわかります。だって『デミアン』なんて、友達のお母さんにかわいがられる話ですよね。

石川:そうですね。

小谷野:それはさっき、石川さんが60代、70代にかわいがられた話とつながってくる(笑)

石川:ヘッセの小説では、恋なんか全くうまくいってないですから。だいたい恋に破れて、友達のお母さんとか、ハンディキャップを持った友達と仲良くなって。その友達はすごく狭い世界に生きてると思えたけど、そこですごい豊かな世界を発見してるんだということに心打たれたみたいな話。小谷野先生にいわれて、気づきました。僕はヘッセに影響を受けすぎてるのかもしれないですね。

小谷野:

石川:恋なんてうまくいくはずがないと思って、人生、うまくいくはずがないと。小谷野先生はそこまでこだわった、前半の人生を、今はどう思っていらっしゃるんですか?

小谷野:前半の人生はもがきにもがいてましたね。

石川:もてようと思ったのが、「もてなくていいんだ」っていうふうになったんですか?

小谷野:いや、なってないです。単に結婚できたからです。今の妻と結婚したのが15年前なので、それまでに3年ぐらい婚活してたんです。最初の妻とは3年ぐらいで別れて。そのあと、また結婚したくなって、3年ぐらい婚活してたんだけど、このときは悲惨でしたね。まあまあでも、そのほうが人生はおもしろい。でも、問題は夫婦になって10年ぐらい経つとセックスしなくなるということですね。

石川:奥さんとですか?

小谷野:普通、そうじゃないですか? そうすると、まあ浮気する人もいるし、男の本能として、ひとりの相手とだけセックスし続けるというのは間違っている、既に。まず哺乳類としてね。なので、浮気しちゃうか、セックスをしなくなっちゃうかどっちかになるんですね。逆に女の人が「もうこの人とはやってもしょうがない」と思ったらよろめく。あ、よろめくって古いか。

前田:三島由紀夫ですね。

小谷野:そうそう。結婚して10年も経つとできなくなるということについて、石川さんはどう考えてるの?

石川:非常にコメントしずらいですね(笑) 極論かもしれませんが、「男も女も自由にすればいいのでは」という意見は現代では非常識とされて、それ故苦しい思いをしている人たちがいますよね。たとえば、結婚している女性が「旦那に不満はないんだけど、満足もしてない」っていうので「誰か男の人を紹介してほしい」っていうのは、最近よく聞くようになりました。男に限らず、女性もそういう欲求というか、欲望はあるよなというのは、60、70代の女性の話をよく聞いてたから、そりゃあそうだよなと。それに関しても肉体だけじゃないんです。もっと心のこともあるし。だから、分類するとドキドキしたいという人と、肉体的にムラムラしたいという人と、あとモヤモヤしたいっていう人もいて「私たちの関係性はいったい何なのかしら!?」みたいなことに悶々としたい(笑)大別するとその3パターンの欲望があるなあと思っています。

小谷野:でも、紹介された男に奥さんがいたりすると、ぐちゃぐちゃになって大変ですね。

前田:ウェルビーイングが阻害される要素が多くなりますね。

小谷野:性行為がなくても嫉妬する男とかいますからね。

前田:欲望の果てにどろどろが(笑)。ただ、そんな関係でなくても、人生100年時代、石川さんがさっきおっしゃった「これからは女の人といかにうまくやれるか」が大事、ということが印象的です。高齢になればなるほど平均寿命の長い女性の比率が多くなっちゃうし。

小谷野:医学部の入試で男に下駄をはかせたっていう話がありましたけど、でも、出版社とかで試験をやると、上位がみんな女になっちゃうという話を聞いた。だから、10人採ろうと思って試験をしたら、10人全部が女だったって。社会の上層がこれから女ばかりになってしまう。そういう可能性はあると思う。もちろん、女5人、男5人を採ろうと決めてたら、それは問題ないですけどね。

石川:そうですよね。女性が増えるというのと、ある程度年齢を重ねると仕事を離れるじゃないですか。地域活動とか行くと、今までの価値観と全然違う価値観の人と一緒にやらないといけないんですよ。30代、40代、50代って、どちらかというと価値観の近い人が集まるんですけど、突然、そこから全然違う人たちとつきあうようになるから、そこで受け入れられる人間の器があるかどうか。ほんとにいろんな人がいるんで。

小谷野:今回、芥川賞の候補が5人全員女性だった。昔から日本は紫式部とか、文学は女性上位。徳川時代は抑圧されてたけどね。今、解放されてどんどん女性上位に。瀬戸内寂聴とか曽野綾子とかね。女の人が文学的才能があるということになる。

石川:確かにそうですね。

小谷野:体力の必要な仕事、外科医とか、まだ男のほうが上位ですけどね。

前田:「私、失敗しないので」という外科医が出てきそうですよね。ともあれ、男も女も、40歳くらいになったら「将来どんな人ともやっていけるようにしよう」と気持ちの準備をすることが大事なのかもしれませんね。いやあ、今日、すごく面白い対談でした! 残念ですが時間が無くなってしまいました。本当にありがとうございます。

小谷野・石川:ありがとうございました。