幸せな「トキ」をデザインする

コロナ禍において「3密(密閉・密集・密接)を避ける」ことを意識した行動は、日常における多くの楽しい「コト」を阻害しました。「人と会うコト」「おしゃべりするコト」「一緒にご飯を食べるコト」「コンサートに行くコト」「美術館に行くコト」「スポーツをするコト」。
当たり前だったことが、これまで通りにできない生活。それが数年も続くなど、誰が想像していたでしょうか。今回は、私たちの豊さやwell-beingの体感について考えます。

文/宮木由貴子
第一生命経済研究所 取締役ライフデザイン研究部長兼主席研究員
専門分野はウェルビーイング、消費者意識、コミュニケーション、モビリティ
イラスト/ながお ひろすけ


家電の歴史から見る「モノ消費」

その昔、豊かさは「モノを持つこと」でした。1950 年代の日本では「白黒テレビ」「洗濯機」「冷蔵庫」が三種の神器とされ、当時非常に高価だったそれらを手に入れることは、正に豊かさの象徴であり、それを目指して人々が頑張った時代です。

1960 年代になると、「カラーテレビ」「クーラー」「自動車(car)」が新たな三種の神器となり、人々の暮らしは一段と便利になりました。この3つは頭文字(英語)をとって「3C」とも言われました。家にいながらにして動画が見られることに歓喜した「白黒テレビ」の時代から、それらをカラーでよりリアルに見られるようになったことに加え、洗濯機や冷蔵庫といった暮らしの課題を解決するものから、クーラーや自動車といった快適性や利便性を上げるモノの入手に「豊かさ」がシフトしていったことがわかります。

その後、家電は多様な変化をします。多くのメディア機器が「個電」となり、それまで一家に一台だったモノが、だんだんと1人1台というライフスタイルに変化していきました。例えば、家族でリビングで聞いていた音楽は、ミニタイプの一体型コンポで自室で個別に聞くようなります。テレビもリビングには大きめのテレビを置きながら、個室にも小さいテレビを設置するなど、段々とパーソナルなニーズが高まっていきました。電話も、元々は地域に1台で「コミュニティメディア」として共有されていましたが、一家に一台となり、やがて子機の普及で一部屋に一台となっていきました。

そしてそれらの機器が家を出る時代が訪れます。つまり、身につけて外出先でも使えるような、いわゆる「モバイル」での個電に変化していったのです。音楽メディアや映像メディア、電話も携帯されるようになり、正に「いつでもどこでも」が実現されました。現在はそれらをスマートフォン1つで行える時代です。

家電の多様化も進みました。空気清浄機や生ごみ処理機といった、人々がそれまで自宅への設置を想定していなかったものまで家電として登場し、「省エネ」「環境配慮」というコンセプトが浸透しました。加えて、女性の就労率の高まりや男性の家事関与の度合いが高まったこともあってか、食洗機やロボット掃除機などの、家事の省力化に向けた家電にも支持が高まりました。

モノ消費はずっと前からコト消費でもあった

これらの過程で見えるのは、「持つ」ことが豊かさを示していた時代から、だんだんと「自分のライフスタイルに合わせて何をどんな風にしたいか」が豊かさの基準となってきた点です。いわゆる、沢山持つことが豊かさとされた「モノ消費」から、必ずしもモノを持たず、体験や体感を価値とする「コト消費」への変化と言ってもよいでしょう。

そもそも、私たちはモノを買うことで「持つことによる豊かさの体現」の他に、何を得てきたのでしょうか。耐久消費財の多くは生活を便利にするものですから、私たちは「時間」を買ってきたといえます。しかしそれだけでなく、「持つこと」は、周囲の人より早く購入した「優越感」や、所有できるようになった自分に胸を張れる「達成感」なども得られます。自家用車で考えるとわかりやすいでしょう。例えばクルマは移動の手段ですが、「こういうクルマに乗る自分」を表現することも1つの価値となります。

つまり、モノはそれが実現する利便性や機能に価値があるだけでなく、使う人々にハピネスや自信など、気持ちにポジティブな変化をももたらしてきたといえます。初めて家にテレビが来た時のようなトキメキ。電子レンジで調理の利便性が飛躍的に向上した高揚感。初めて携帯電話を手に入れた時のワクワク感。ご記憶の方も多いのではないでしょうか。

このように、私たちは「モノ」を手に入れることを通じて、実はこれまでも多くの「コト」を得てきていたことがわかります。そうした中、「持つこと=所有すること」による満足感の比重は下がってきたといえます。その究極の形は、「所有せずに持つ」というライフスタイル、つまりレンタルやシェアリング(共有)という形での消費といって良いでしょう。

コト消費はずっとトキをデザインする消費でもあった

このようにモノ消費はずっとコト消費でもあったと考えると、コト消費が私たちにもたらしているものとは何なのでしょうか。それは「トキ」ではないでしょうか。楽しいトキ、充実したトキ、幸せを感じられるトキ。好きなモノを買うのも、したいコトを体験するのも、「幸せなトキ」の体感の手段なのです。実は、コロナ禍で起きたイノベーションの数々には、そんな気づきから生まれたものがあるように思います。「幸せなトキをどうデザインするか」。それを最終目的に据え、どうしたらその「トキ」を創出できるかを考え、今までにない組み合わせで行われた価値創造がいくつもありました。

トキ消費はコト消費の一種とも考えられますが、今回のコロナ禍で外出が制限される中、特に「ライブ感」「一緒にいる感覚」を作り出すものとして注目されたといえます。会いたい人にリアルに会えない人は、パソコンやスマートフォンを使って家族や友人とテレビ電話をしました。オンライン観光というサービスを活用して、現地に行けなくても観光地を楽しんだ人もいました。コンサートのライブ配信で、「家にいながらにして、“皆で”“今”演奏されている音楽を楽しむ」体験をした人もいました。当社の調査によると、「テレビ・動画・ウェブサイトなどで今見ているものについて、SNSで誰かとやりとりする・誰かの書き込みを見ることがある」とする人は若い世代では8割前後に達するなど、デジタルデバイスを活用して離れている人(場合によっては見ず知らずの他人)とトキを共有しながらコンテンツを楽しむというのは、既に定着している部分もあったようです(図表)。実際、コロナ前も、既に何度もDVDやオンデマンドで見たことがある映画を、SNSのチャット機能で意見交換をしながらテレビの再放送で「皆で一緒に」見るのを楽しむ人がいました。スポーツ観戦も、SNSで「文字でしゃべりながら」誰かと一緒に見るのが楽しいという人がいます。このように、出かけたりイベントに参加したりしなくても、楽しい「トキ」を創出するようなコト消費を、私たちは着実に育ててきたといえます。

トキデザイン消費がもたらすユニバーサル化とイノベーション

コロナ禍では、移動できないという状況下において、テクノロジーが私たちの暮らしにどのような「楽しいトキ」を提供できるかを具体的に体感し、社会のDXが「自分にとって」何をもたらすのかを、初めて、もしくは改めて考えた人も多かったといえます。ちょっと難しいと思っていたスマホにチャレンジすることで、孫とテレビ電話ができるようになったと喜ぶ高齢者。うまく機能するか懐疑的で重い腰を上げられなかった在宅勤務の快適さ。インターネットを介して人と出会ったり集ったりということに抵抗があった人も、その可能性の大きさに気づきました。

コト消費がトキ消費であるならば、今ある技術でコト消費が実現してきた「トキ」を再現できないか。それによってハピネスを創出できないか。そういう創意工夫が、コロナ禍で様々なイノベーションを生み出したのではないでしょうか。

私たちは、昭和の時代のように「皆が持っているモノを持つことが豊かさ」であるとは考えていません。しかし、コト消費が自分に何をもたらしているのかについて考えることも、これまで多くありませんでした。コロナ禍は、私たちに様々な制約と試練をもたらしましたが、同時に限られた環境下でいかにして楽しい「トキ」を創出するかについて考える時間・機会・ヒントも与えてくれたように思います。

そしてそれは、コロナに関わらず、外出することが難しい人や思うように動けない人たちにも、「幸せの体感」をもたらす新たなトキデザインの方法をもたらしたという点で、社会全体のユニバーサル化に向けた大きな可能性を示したように思うのです。同時に、これまで考えてもいなかったような組み合わせ、—例えばインターネットを使って飲み会をしたり、旅行に行ったり……が、単なる代替手段ではなく新しい可能性を秘めており、イノベーションのタネであることも示されたように思います。テクノロジーやDXは普及が目的なのではなく、幸せなトキを創出する手段であること。多様な価値を自由な発想で組み合わせることが有意義なソリューションを生み出すということ。だから社会において「多様性」を「受容」することが大切であること。

これらの、これまで社会で言われ続けながら、その意味を皆が深く考えてこなかったことにコロナ禍からの学びと気づきがあるとすれば、制約の多かったこの期間を少しでも価値のあるものに変えることができるのではないでしょうか。

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