キャリアを重ねてからのチャレンジは怖くありませんか?(ゲスト:文筆家/松浦弥太郎さん)

これまでになかった視点や気づきを学ぶ『ウェルビーイング100大学 公開インタビュー』。第7回は、文筆家・エッセイスト、『くらしのきほん』編集長の松浦弥太郎さんです。『暮しの手帖』編集長から『クックパッド』に移籍したり、大胆にシフトを変える勇気はどこからくるのか? そんな疑問に正直に答えてくださった、心打たれるインタビューになりました。 

聞き手/ウェルビーイング勉強家:酒井博基、ウェルビーイング100 byオレンジページ編集長:前田洋子
撮影/原幹和 JOHN LEE(本)
文/中川和子


「人の役に立つ」ことで自分の場所を与えられる

酒井:本日は「キャリアを重ねてからのチャレンジは怖くありませんか?」というテーマでお話を伺ってみたいんですけれど、松浦さんは長年編集長を務められた『暮らしの手帖』からクックパッドに移籍されたり、現在は株式会社おいしい健康のCEOにして、人気サイト『くらしのきほん』の編集長として、日々発信を続けられていたり、大胆なキャリアチェンジをされているなあという印象があるんですが、積み上げてきたキャリアをゼロからまたつくり上げていくことって、ちょっと怖くないでしょうか? 

松浦:もともと僕は高校を中退していて、普通のごく一般的な方たちよりもすごくハンディキャップがあって。今日、たまたまここのスタジオは新大久保ですけど、通ってた学校が近くにあったんです。新大久保と高田馬場のちょうど中間あたり、線路ぎわに公園があるんですよ。そこは朝5時半に行くと、いわゆる建築現場の人たちが人を集めに来る。それを僕、知ってたので、学校をやめたときに毎日そこに行くんですよ。で、土木作業員として自分を拾ってもらうわけです。荷物運びだったり、ゴミ整理とか、そういう仕事をやってました。そのときに、名前なんて憶えてもらえないんですよ。

前田:“人の数に入らない”存在、ということですか?

松浦:そうです。そこに集まる人たちも、自分と同じような感じの人ばかり。若い人もいたし、年配の人もいたけど。まあ、みんな名前を自分で言うは言うんですけど、どこに行って仕事しても「おい」とか「おまえ」とか言われる。自分の名前を憶えてもらえることがないところから僕の仕事ってスタートしてるんですよ。そうすると、自分の名前を知ってもらうためには一生懸命働かないといけない。人の何倍も働かないといけないわけですよ。で、2倍も3倍も一生懸命働くと、やっと2〜3日後に「おい、松浦」って言われるんです。

酒井:存在を認められるわけですね。

松浦:そういうところから働き始めたので、やっぱり仕事は人の役に立たないと。要するにがっかりされてしまったら、いつまでも名前を憶えてもらえないし、呼んでももらえない。でも、そこで人一倍走り回って汗をいっぱいかいてね、素直に返事をして一生懸命仕事をすることで、自分の価値がそこで認められる。だから、とにかく、とにかく役に立たないと、自分の価値というか、自分の居場所というのがすぐになくなるんだよっていうことが身にしみているところがありますね。

酒井:本来なら、高校生としていちばん楽しい時期だったはずなのに。

松浦:そうですね。いろんな事情があって学校をやめてしまったけれど、でもそれは自分が決めたことで、誰かにされたことではない。自分で決めたことだから「この状態からどうする?」っていうことに対して、自分ができる限りの、努力っていうんじゃないんですけど、思いつくことをすべてやってみる、みたいな気持ち。だから、社会性みたいなことも、そういうところから僕は学んできたところがある。で、その頃の気持ちというのは、今も変わらない。今も、どこの新しい立場、環境に行っても、新しい何かをやっても、どうやって自分の名前を憶えてもらおうかとか、「あいつがいて助かるなあ」と思ってもらえるか。56歳になって、会社の役員をやらせていただいたり、自分の発信をさせていただく中でも、今でも僕は、ほんとうにそう思ってますよ。別にその謙遜とかじゃなくて。それは自分が選んだ道っていうか、道の歩み方なんで、おそらくこれはずっとこれから先、50歳を超えて60、70になって、どこまで仕事できるかわからないけれども。でも、役に立てる、役に立つことで自分のいる場所を与えられる、与えてもらえるんだなあと思います。

『暮しの手帖』からウェブの世界へ飛び込む

松浦:僕は『暮しの手帖』の仕事を一生懸命やりました。一生懸命やって一生懸命やって、そうやって続けていくと、いつしか自分の中の成功例をなぞるようになっていく自分がいましてね。すなわち自分の能力の限界を知りました。そう感じたから、新しい自分の、全く別の自分の居場所を探しました。ちょうどその時代は、紙とデジタルとか、どっちの価値があるみたいなことが議論されていた時代だったんです。『暮しの手帖』をやりながら、インターネットというものに対して、ものすごく羨望があった。自分たちが一生懸命4ヶ月かけて、4ヶ月ぐらいかけて1冊つくるんですけど、インターネットだと、今日、自分が書いたもの、今日、写真を撮ったもの、今日、発言したものが、今すぐ、お客さまとか世の中に発信できる。そこに対する衝撃、悔しさがありました。

前田:私も悔しかったですねえ(笑)。

松浦:もちろん、アナログ的なものも大事なんだけど、やっぱり自分が次に学びたいのはテクノロジーだと。ということで当時、インターネットテクノロジーのいちばんクオリティが高いというか、技術的にも非常に優れているところっていうのが僕にとってはクックパッドだったんです。偶然なんですけど、僕がまだ『暮しの手帖』に籍を置いてるときに、クックパッドの創業者と会う機会があって。「僕、実はもう『暮しの手帖』を辞めるんですよ。これからインターネットを学ぼうと思って、一から出直そうかなと思ってるんですよ」って言ったら「だったら、うちに来て勉強すれば」と言われて。それでクックパッドに入ったんです。そのかわり、こっちから条件というのも変ですけど、特別扱いしないでくれと。なぜかと言うと、僕は新卒の人よりもおそらく何も知らない。

前田:新しいテクノロジーに関しては。

松浦:そうです。その頃はまだ僕ね、いわゆるガラケーしか使ってなかったんです。もちろんE-Mailとか使ってましたけど、ほとんど検索をしたりとか、そういうこともやったことがない。まったくコンピューターのリテラシーがなかった。ただ、興味があって勉強する。だから、特別扱いしないでくれってことで。で、2015年の3月31日に『暮しの手帖』を辞めて、4月1日に入社。

酒井:そこで新卒の方との朝礼で横並びになったり、席も入り口近くになったそうですね。

松浦:そうです。いちばんドアの近くに(笑)。『暮しの手帖』のときは個室が与えられていましたけど、クックパッドに行ったら、いちばんドアに近いところ、タイムカードのすぐ横みたいなところで。袖机もなくて、電話もなかったです。でもそこからですよ。そこから始めて、20代の子たちとランチに行って、必死にコミュニケーション取って。会社の中で、自分のアイデアとかプロジェクトを、毎週プレゼンテーションやって、協力者を集めて。それで5月の連休に優秀なエンジニアの人たちの力を借りて。それぞれ自分の仕事があるので、いくら僕のプロジェクト、『くらしのきほん』というプロジェクトに共感を持ってくれても、仕事中はできないんですよ、許されていないんで。だけど、休みの日にやるって考えると、ゴールデンウィーク中だって。ゴールデンウィーク中に一気につくろうって。

酒井:4月1日入社からゴールデンウィーク。

松浦:そうです。

前田:それはなかなかできることじゃないですね。

松浦:それで、ゴールデンウィーク中にある程度プログラミングして、かたちをつくって、ある程度見えるようなかたち、最低限のかたちをつくって。7月1日からです、ローンチしたのは。

前田:すごい!

松浦:ものすごく勉強しましたよ、そのときは。ほんとうに自転車の乗り方から始める、みたいな感じで集中して。僕、そのとき50歳です。

酒井:編集長まで務めた人が、できないことじゃないですか。20代とふれあう期間が1週間ぐらいなら「たまには刺激をもらおうか」みたいな感じでわかるんですけど。

前田:しかもスピードが速い!

松浦:まあ、自分でつくりたかったんですね。これは『暮しの手帖』には申し訳ないけど、要するにインターネット上で『暮しの手帖』みたいに役に立つメディアを作りたい、っていうのはありましてね。自分ができることを一生懸命やって「ここで役に立ちたい」と。会社の中で、僕は社長より年上なんですよ。だから、一番の年長者なんだけど、いちばん下っぱ。でも、会社の中を走り回って、いろんな人のところに行って教えてもらって、新しいことをどんどんどんどん吸収して、本も読んで。それからワークショップとか、勉強会も参加して、ある程度自分がわかるというところまでは一生懸命やりました。

酒井:わかるとか、知りたいっていうのは、好奇心からなのか、自分がわからない分野に対する不安のようなものから来ているのか、どちらなんでしょう?

松浦:不安ですね。先ほど「怖くありませんか?」と聞いていただきましたけど、毎日ずっと怖いです。今でも怖いです。会社に行くのが怖いんです。なぜかと言うと、不安がいつもあるし。でも、怖い理由って何かなっていうと、やっぱりわからないことがある、知らないことがある、わからないってことは不安をつくるし。だから、常にすべての不安をなくすことはできないけれど、自分が学んでいろいろ知らないことを知ることによって、少しずつわかってくる。で、その勉強っていうのがいろいろあって、知識的なナレッジだけじゃなくて、会社の中にはどういう人たちがいて、誰がどういうことをやっているとか、どういう人間関係なのかな、とか。価値観とか、どういうことをみんなが考えているのかなとか。そういうことを勉強して。わからないからね。じゃあ、なんでそういうふうに頑張れるのかっていうと、頑張る、努力っていうよりも、やっぱり必死。学校をやめたあと、自分を拾い上げてもらうために、日々無我夢中で必死にやったのと一緒ですね。

酒井:でも、そのときは建築現場にいたときの、若者である松浦弥太郎さんではなく、『暮しの手帖』の編集長を務め上げてCOW BOOKSの代表でもある松浦弥太郎という名前があるわけじゃないですか。

松浦:そこはね、すごくやりにくかった。だけど、それは僕次第なんですよ。僕が「僕は松浦弥太郎なんで」っていうような態度であったら、みんなそう接するかもしれない。でも、一緒に働くのが20代、30代の方たちで、僕よりも優れていて、僕よりもいろんなことを知っている人たち。僕は教えてもらう側だから、毎日、朝早く行って、自分から挨拶をして、話しかけていくと、彼らから少しずつ「こいつ松浦弥太郎だよな」がはずれてくるんですよ。忘れてくれるんです。それは自分次第。だからどこに行っても、やっぱり自分から心を開いて、自分が教えてくださいって頭を下げ続けることによって、「あの松浦弥太郎がね」っていうのを少しずつ、そういうことをはずして一人の人間としてつきあってくれるようになります。同僚として仲間として。

編集の大先輩の言葉をポケットの中の宝物に

松浦さんの著書は多数。時に厳しく、やさしく、かみしめたい言葉が並びます。

松浦:話はちょっと飛びますけど、僕がすごく尊敬している、淀川美代子さんという編集者の大先輩。残念ながら2021年11月に亡くなられましたけど、とても親しくさせていただいてました。その淀川美代子さんに僕は、編集者としてというか、仕事ですごく大切なことは何ですか? って聞いたときに、僕なんかよりも立場が上で、キャリアも実績も重ねている淀川さんが「プライドを捨てること」って言ったんですよ。「プライドは役に立たない。プライドは表に出しちゃダメ、胸の中にしまっておきなさい」って言ってくれたんです。それと「我慢」。それを僕は正しいなと思って。だから自分も、プライドがあったら学べないし、プライドがあったら人と関われないし、人の輪の中に入っていけないし。やっぱり我慢をしなきゃいけないっていうことですよね。じゃあ我慢ってどうしたらいいのか。プライドを捨てるってどういうことなのかを僕なりに解釈して、それを哲学というか、今でもそれはずっと考えますけど、そういう奢りのない気持ちでいるっていうことが、僕は正しいと思っていて。自分が何になろうと、これから先どうなろうとも、自分がどこに行っても生きていける、生きていくための、ある種、自分のスキルというか、方法ですよね。それはプライドを捨てるということと我慢ということで。僕が成長したり、何か新しいところに行っても大丈夫だっていう、僕なりの、いつもポケットの中に入れている宝物みたいなものですね。

前田:淀川さん、ほんとにすごいですね。自分は変わらないつもりでいても、年を重ねて役職が上がると、周りの対応が変わってきて無意識に自分が変っていた、ということも多いように思います。

松浦:僕はちょっと特別かも。やっぱりコンプレックスがあるから。高校も行っていないし、大学も行ってない。そういうふうな自分に対して、認めてもらったりとか、何かを任せてくれるっていうのはとても嬉しいし、ありがたいし、それに対してほんとに命かけて頑張るけど。やっぱりどこかに「僕ごときが」っていうのがあるんですよ。『暮しの手帖』をやってたときだって、やっぱりフタをあけてみたら「この人は学校も行ってない人じゃないか。学校も行ってない人が、この日本のライフスタイルを築いてきたような暮しの手帖の編集長?」っていう声があるわけですよ。

前田:そうだったんですか。

松浦:それは当然だと僕は思っているし、それに対して何もあらがわない。だけど、僕はそういうのをずっと背負ってるわけ。だから、どこ行っても、どんな立場になっても、名刺にいろいろ肩書きつけてもらっても、僕は松浦弥太郎なんです。17、18歳のときに名前を憶えてもらおうと必死だった松浦弥太郎と何も変わらないです。

前田:その説得力はすごいですね。

松浦:でもそのおかげで、僕は今日まで、いろんなところで機会をつくってもらえた。そう思ってます。そうじゃなかったら、たぶん、僕みたいな人間は、誰も相手にしてくれなかったと思う。

「自分の居場所」がなくなる怖さ

酒井:松浦さん、普通の平凡な人生を送っていたかもしれないとか、普通の人生、平凡な人生を送ってみたいなとか思われたことはあるんですか?

松浦:うーん。自分のハンディみたいなこととか、自分が歩んできたことって、このくらいの歳になってやってきたことを話すと、まあステキな話にはなるじゃないですか。

前田:物語みたいに。

松浦:でも、実際はそんなわけはなくて、もっとドロドロしてるっていうか、きれいごとなんか何ひとつない歩み方をしてきているんですけど。ただ、他人と自分を比較するということが、僕にとってはものすごくつらいことなんですよ。すごくつらいですね。なぜかって言うと、どうやっても、そういう人たちに立ち向かえないなあって、自分で思う。だから、今日、これからもそうだろうけど、みんなはどうしてるんだろうとか、みんなの普通って何だろうってことを考えると、僕自身、立ち上がれなくなると思ってます。だからあえて自分自身で、そういうふうに意識を持っていかないようにしてます。

酒井:人と比べない。

松浦:まあ、こんな人間がひとりいるっていうぐらい。ごめんなさいっていう感じかなあ。こんな人間も世の中にひとりいて、みんなと違う感じで、こんなふうにやってるんだけど、それを許してください。でも、僕なりに頑張るよっていうか、迷惑かけないようにしますよって、そんなふうな気持ちだから、いつもハラハラドキドキしてます。いつ自分の居場所がなくなるとか、自分の存在みたいなものとか、自分っていうものが社会の中で居場所がなくなるかもしれないという怖さ。会社にいても、自分に与えられる取り組みや約束みたいなもの、たくさんありますよ。たくさんありますけど、ほぼほぼうまくいかないですよ。そう簡単にいい成果なんか出せないんですよ。一生懸命やってますよ。でも、いい成果が出せない。いい成果が出せなかったから、じゃあどこかへ行ってくださいっていうほど、世の中厳しくない部分もあるじゃないですか。許される部分もある。でもすごく苦しいですよね、結果が出せないのは。だから、毎日毎日、ハラハラドキドキしてね。いつ自分にその日が来るか。その日っていうのは「もういいです。もういらないですよ松浦さん。どっか行ってください」って言われる日が来るんじゃないかなあって思いながら生きてる。これは嘘でもなんでもないです。

酒井:これは『ウェルビーイング100』というメディアで、心の健康、体の健康、そしてもうひとつが「つながり」っていう、人との関係性とか、コミュニティとか、居場所であったり、そういうウェルビーイングの構成要素についていろんな視点からアプローチしているんです。まさに今日「居場所」について、松浦さんがずっと「役に立つ」っていう言葉で話してくださって。

松浦:ただね、自分のことばっかり、自分をどうするかみたいなことのように話してますけど、でもね、自分の優先順位はけっこう僕は低いですよ。いつも思うのは、どんな時代にあっても、幸せみたいなものってひとことで言い表せないし、答えってないじゃないですか。だけど、そんな世の中で、何かやっぱり取り残されてしまうかもしれない人たちはいて、僕もそのうちのひとりかもと実はずっと思ってるんですよ。その取り残されていくかもしれない人、ふと力を抜くと取り残されていくような人たちが実は世界にはすごくたくさんいて、そういう人たちと僕は、つながっていきたいと思っているんですよ。それは許してもらいたい。大企業で世の中を大きく変えていくようなプロジェクトに自分が関わるとかっていうのは、正直あまり興味がなくて。それよりも、うまくいかない、僕なんかうまくいかない人代表でいいと思っていて、うまくいかないこととか人とか、そういうところで、自分が学んできたこととか、経験してきたこととか、もし自分に何かひとつ能力があるとするんであれば、そこに少し自分がね、歯車のひとつになれたらいいなあってくらいですよね。だから、あまり成功とか、何かになりたいとかっていうことはないんです。

「何かになる」より「どんな人になりたいか」

松浦:何かになりたい、ってみんな思うわけですよ。たとえば中学生とか高校生とか。お医者さんになりたいとか、サラリーマンになりたいとか、会社の社長になりたいとか、お金持ちになりたいとか。それはそれで正しい。間違いじゃないですけど、僕はたまたま歩んだ道がそうじゃなくて、どんな人間になりたいのか、っていう考え方なんですよ。僕は、自分自身で自分を勝手にコンプレックスにして、それをもしかしたらエネルギーにしてるところもあるんだけど。だけど、みんなが苦しんでることって、何かにならなきゃいけないと思ってるからですよ。部長にならなきゃいけないとかさ。何とかっていう肩書きとか職業ですよね。なんとか屋さんにならなきゃいけないとか。でも、それは既存の世の中にある、たくさんの職業があって、その中から自分が選ばなきゃいけないわけですよ。選んで、それは確かに幸せのきっかけになるかもしれないけど、それが人生のゴールじゃないんだってことを僕は、身をもって伝えたいところもあるんです。で、何が伝えたいかっていうと、それよりも自分がどんな人間になりたいのか、ってことを考えることのほうが僕は、僕自身は幸せな気がするんです。たとえば中学生に「あなたは将来、何になりたいの?」って聞くことが、僕は間違いだと思っています。

前田:ほんと、そうですよね、かわいそうですよ。

松浦:あれはすごく酷ですよ。それよりもどんな人間になりたいか。たとえば、ひとことで「やさしい人間になりたいわ」とか「人を助ける人になりたい」「人の気持ちがわかる人間になりたいわ」とか。そういうことを考えることのほうが、これからの時代って、必要な気がすごくするんですよ。だから、何かになるっていうのは、そのために勉強する。そのために試験を受ける。そのために嫌なことも頑張らなきゃいけないっていうのじゃなくて、自分がどんな人間になりたいのかっていう視線で自分を見つめて、よく考えて、そのために何を学ぶべきか、どういう経験をしたらいいのかということを、自分なりに、模索して、歩みながら模索していくっていうことに、もしかしたら、幸せがあるのかもしれない、と僕は思う。

酒井:このメディア、人生100年時代のウェルビーイングの、今まさに「ビーイング」についてのお話だったなと。何になりたいかを肩書きや役職にしてしまうと、定年と同時にそのビーイングがはずれて、ビーイングじゃなくなると思うんですね。その肩書きがはずれてしまった瞬間に「あれ、人生の後半戦、どうしようか」っていう。

松浦:ならなかったときですよ。なれなかったときに「やっぱり自分自身の人生は失敗だ」と思っちゃうか、自分を責めてしまうのか。みんながみんな、スターにはなれない。でも、スターになれない人間はダメな人なんですよ、負け組なんですよっていうことになってしまっている部分が多少ありますよね。

前田:ありますね。

松浦:「何をなさっているんですか?」って聞かれたときに、自分がこうですって言えないと「じゃああなたはダメですね」っていう社会っておかしいわけですよ。

酒井:今のお話、なれなかったときもそうですし、逆になれたときも、ご年配の特に男性の方が地域社会に入っていけないのが、その肩書き、自分は役員をやっていたんだ、などというのが邪魔して地域に入っていけない。

松浦:結局それで思考停止ですよ。

前田:なんか偉そうに散歩してるっていう(笑)

松浦:まあ、そういう人でもその人なりのつらさとか悩みとか苦しみとかあるから、すべてを否定はしないけれども、でも僕はこれからの自分自身を、自分自身がなぜこう頑張れてきたかっていうのを考えると、僕はどんな人間になりたいのかなっていうことを、自分で思い悩んで、何度も転びながらも、そこでつらさとか苦しみを乗り越えてきたっていうのがあります。で、それはもしかして、ゴールはないかもしれない。けれども、たぶん、自分がこうして生きている以上は、ずっとその先に景色としてあるわけですよ。「こういう人間になりたいんだ」っていうのが。
それを思い続けながら、年をとって老いて、もしかしたらどこかで自分の人生を終えても、それはそれで幸せだと僕は思う。ずっとそれを思い続けてたんだって。こうなりたい、こういう人間になりたい、だから僕は生まれたときから今日までずっといろんなことを、回り道したりとか、ときには立ち止まって座り込んだりしながらでも、でも、そこに向かって生きてるんだっていうことはね。結果としては「ああ、幸せだったな」って思えるんじゃないかなと思います。

前田:ほんとに「私なんかたいした仕事もしなかったし、出世もしなかったし」でいわゆる現役を終わって、でもまあまあこれでいいかなって、たいていの人は言葉に出さなくても満足はしてきたと思うんですよ。ただやっぱり、そこに大きながっかりを感じちゃう人っていうのが、たまにいらして。そういうときに「自分がどういう人間でいたいか」って考えたことがなくて、ちょっと偉くなったっていうことだけの誇りで生きちゃうと、あとがつらい、そういうモデルケースはいっぱいありそうですものね。

松浦:はい。で、なりたい自分の人間像っていうものは、年齢とともに変わっていってもいいと思うんですよ。どんどん変えていくべきですよ。これまではこういう人間になりたいと思ってやってきた。でも、ある時「あっ」と気づいて、違ったと。こういう人間に僕はなりたいんだって言って、どんどん変えていけばいいし、どんどん変えて、自分に対する矛盾みたいなものと向き合っていくっていうのも、自分の学びになりますよね。あともうひとつ言えるのは、これも暗い話ばかりで申し訳ない。

前田:いえいえ。

松浦:絶望。絶望することっていっぱいありますよね。生きていくと。だけど僕は、絶望というのは、角度を変えて見れば、ものすごく豊かな価値のあることだなあと思うんですよ。なぜかっていうと、今僕らが生きていく中で、ないと困るものとか、便利なものとか、嬉しいこととか素敵なことっていうのは、おそらくですけど、そのもとをたどったら、絶望から生まれてるんだろうなあと思っているんですよ。だから、自分自身、いろんな経験をして、人間関係とか仕事とか、でも絶望的に思うことがあるけれど、そのときになって初めて気がつくとか、そのときに絶望したからわかることとか、そこからこうしようとスタートすることってたくさんあるはず。だから、何かが生まれるときっていうのは、僕は絶望から生まれるんじゃないかなと思うんですね。

これは、自分を救うために言うのかもしれないけど、やっぱり僕、17歳のときに絶望したんですよ。高校をやめて、友達がいなくなったし、これから自分がどうやって生きていこうかなと絶望的になった。でもそこで初めて自分のプライドにこだわりながらも、でも、生きてくために一生懸命にならないといけないと思って。名前も憶えてもらえないような職場で働いてきたでしょう。そこから始まってるんですよ、僕は。だから今の自分っていうのは絶望から、そう、絶望からスタートした自分が今ここにいるわけですよ。だから、人生というのは、言葉で言えば簡単ですけど、絶望と矛盾みたいなことは、やっぱり原理原則として常にあって、そこはやっぱり自分はポジティブなものとして受け止めていくということがね、先ほど言ったような「自分がどういう人間になりたいのか」ということのね、幅、領域を広げていくことになるんじゃないかなあ、と思いますよね。

前田:絶望の淵にいると、どう這い上がっていいのか、どうにもこうにもわからない。で、ただ流されてしまうということが多いですけどね。

松浦:でもね。絶望するという、その心持ちというか感情はものすごい学びと経験になると思う。人間としての。人の弱さや気持ちもわかるし、自分という人間、自分を見つめることにもなるし。そこから自分が、要するに1歩2歩、すごくうまくは歩くことができなくてもね、よちよちでも歩いてきたっていうことが、唯一、自分の成功体験になるはずなんですよ。自分でもここまで、今日も頑張ってる。今日もなんとかやってるってことがすごい力になるはずなんです。だから、その僕らが普段、すごくネガティブに思っているようなこと、こういうことは避けたいっていうようなことを、逆にポジティブに受け止めていく。それをやっぱり学びとか、そういうことを力にして、自分というものの中で消化して、違う言葉で発信するとか、解釈を自分でつくっていくっていうことが、もしかして幸せな生き方のヒントかもしれない。僕はこれ、友達に言うと偽善者ってよく言われるんですけど(笑)。親友が言うんですよ、僕のことを「出た、偽善者」って。

前田:

これから人生で起きることはすべて受け入れて自分の力に

松浦:でも、ほんとそうなんです。僕は起きることは、全肯定です。もちろん、悲しいこと、怒りたいこと、傷つくことありますけど、でも、肯定します。すべて受け止められると思っている。それはなぜかと言うと、すべて自分にとって必要なことだと思うから。

前田:そう思うと少しずつラクになってくる部分があるのはなぜだろう(笑)

松浦:だから起きることすべて自分の力にしていくってことですよ。全部プラスの力に変えていけばいいんですよ、吸収して。いやなこともつらいことも。

前田:つらいこと、いっぱいありますからね。

松浦:あります、あります。だけどやっぱり「ありがとう」ですよ。

酒井:松浦さんの書かれる文章のやさしさの意味が、この本、この文章、この言葉を求めている人がたくさんいるんだなというの、わかります。

松浦:人それぞれ、物書きというのは、いろんなスタンスがありますけど、僕の場合は、やっぱり自己救済です。自分を助けるため、自分を救いたいから、自分に対して励ますように書いてるところがすごくありますよ。だけど、世の中には、きっとどこかに僕みたいな人がいるはずだから。きっとこれは誰かに届くだろうなと思って手紙のように書いていますよね。だから、少なからず自分に対しては嘘をつきたくないし、素直でいたいし。ひとことですましちゃえばきれいごとなこともあるんだけど、でもやっぱりきれいごとで自分を励ましていく。

前田:いや、すごく勇気をいただきました。私なんかもコロナとかいろんなことで、この数ヶ月、鬱々としてるんですけど、今日、お話を聞いて、じゃあ今、このつらいのはいいんだこれでって。この先、自分が世の中に対して何ができるかをちゃんと考えないとな、とほんとに思えて嬉しかったです。

酒井:人生100年時代って言われて、実際「100年もあるんだ」って喜んでる人より、「長いなあ」とか「困ったなあ」「不安だな」という人のほうが、オレンジページでアンケートを取っても64%ぐらいの人は不安。人生100年時代といわれても困るみたいな。そういう中で、やっぱりどう時間を過ごしていこうかとか、どこで自分と向き合っていこうかとか、それに対するヒントが今日はたくさんありました。

「100の基本」「はたらくきほん100」最新刊の「新100のきほん」(いずれもマガジンハウス刊)。ウェルビーイングに過ごすヒントが散りばめられています。

前田:誰からも求められず、存在として誰からもリスペクトされず、そういうことがずっと続くのだなと思うときに、自分が年取っていく怖さっていうのがありますね。

松浦:そうね。怖いですね。ただ、まあ、あんまり悲観してもしょうがないから。なので、できるだけ楽しく、毎日、楽しく物事を解釈して、楽しむ。あとは力を抜く。力を抜くことはすごく大事ですね。みんな、ガチガチに力入れて、頑張り過ぎちゃうと、やっぱり人間っていうのはね、完璧じゃないから、いろんなところが心も身体も故障してきますからね。だからやっぱり力抜いて、ゆるゆるにして。力を抜いていないと、能力も出ないしね。発想も小さくなりますから。

前田:ああ、確かに。

松浦:そのために深呼吸して。僕なんか1日何回も深呼吸して、「ああ、力を抜かなきゃ、力を抜かなきゃ」って、深呼吸してやってます。やっぱり呼吸が浅くなりますから。

前田:なります、なります(笑)

酒井:今日はウェルビーイング100が、いちばん届けたかったお話を聴けた気がします。

松浦:今日、僕ね、自分の過去の話をしたけど、これは自分の過去の話をみんなに知ってもらいたくて話してるわけじゃなくて、あくまでも未来を考えていくためのヒントとして、自分のこれまでのことを話したけど、基本、もう自分の過去のことなんて全く興味ないです、僕。もう昨日とかまったく興味なくて、いくら自分がこうしてきましたよね、ああしてきましたよねって、『暮しの手帖』でやってきたといっても、全くもう、そんなことなかったことにして、前を向いていく。未来を、それに対して自分がこれからどういう人間になりたいのか、何を役に立てたらいいのかな、何を学べばいいんだろう。どうしたら楽しく生きていけるんだろう。どうやって力を抜いていくかっていうことを考えていくってほうが、僕はいいと思う。

前田:いや、私なんか、ほんと役に立つっていう言葉がこんなに自分をホッとさせるとはちょっと思わなくて。そう思ってやっていいんだなっていう。

松浦:そうです、そうです。だって、仕事って、これは僕、本に書いてますけど、仕事って何かっていうと、困っている人を助けるっていうだけですよ。

前田:ああ、そうかもしれませんね。

松浦:お金もうけじゃないです。仕事とは何か。困っている人を助ける。これだけですよ。自分は何のために仕事をしているんだろうと思ったときに、困っている人を助ける。今日1日の自分の仕事をすることで、どこかで「ああ、よかった」「助かった」「あ、うれしいな」と思う人が必ずいるってことです。そうじゃなかったら、仕事ってことが生まれないですから。別に接客業じゃなくてもね。1日、誰とも会わないような仕事であっても、それは自分が仕事をしたことによって、まわりまわって誰かが「ありがとう」って言ってくれる人がいるわけですから。

酒井:仕事をすることとウェルビーイングってすごく遠いことのように思ってたんですけど、その役に立つという気持ちがつないでくれるのかもしれませんね。

松浦:僕なんか毎日、怖いですよね。なんかハラハラドキドキしながら、自分がうまくできるかなあとか、今日1日、こういう取材もね、うまく答えられるかなあと思って、ドキドキして寝られなかったりするけど、でも、このことで、誰かの困りごとがちょっとでも解決できたりとか、困っている人を助けることができるんであればと思って、よし、今日も頑張ろうと思って、家を出るわけですよ。

前田:ありがとうございます。

酒井:時間が足りないぐらいです。今日はほんとうにありがとうございました。

以下、松浦さんが皆さんのご質問にお答えします。

Q:毎日必ず行うルーティーンがあれば、教えてください。

松浦:ルーティーン、あります。寝る前のルーティーン。今日あったいいことを3つ考える。無理やりにでも、3つ探すんですね。ベッドに入って目をつぶったときに、朝からのことを自分で思い返して「あそこですごくキレイな桜が見られたなあ」でひとつ。「あの人があいさつしてくれたなあ」で2つ。「これは仕事がちょっとうまくできたなあ」で3つ。3ついいことを思い出すことが僕のルーティーンです。そうすると1日がハッピーエンドで終わるんですよ。たとえば、人に怒られたことも「自分は悲しかったけれど、すごい学びになったな」と思うし、自分の失敗もいいことになるときもあるんです。「仕事仲間に意地悪なことを言っちゃったなあ」っていうときもあるじゃないですか。でも、それに対して反省する自分もいいことのひとつにします。「僕も感情的になってちょっと強く言い過ぎたな」と。でも、これは僕にとっての学びだし「明日、ごめんなさいって言おう」とか思うこともいいことのひとつにする。3つ探すのって意外に大変なんです。3つ探して「これでいいことが3つ揃ったな」という頃に、ふっとよく眠れますよ(笑)。

Q:仕事に対して、困っている人を助けたいと思えるようになったタイミングはいつだったのか伺いたいです。私もそのような気持ちを持ち続けていたいと思いますし、今ある仕事や居場所に感謝したいと思っていますが、とっさに聞かれたときに、そのように前向きなことを言葉にできなかった経験があり、心ではそう思えていなかったのかと落ち込みました。

松浦:大事なのは悩むっていうことですよ。「仕事っていうのは、困っている人を助けるものなんだ」っていうのは、自分なりに何十年も悶々と考え続けてきて「もしかしてこうかもしれない」という今段階の答えなので、これが正しいわけでもないんです。でも「仕事って何だろう?」「どうして僕は仕事をしなきゃいけないのかなあ?」ということをずっと考えて悩むってことはすごく大事ですよ。たとえば、僕は20歳ぐらいの若い頃だったらお金のためとか、自分のためとか、自分だけのためとかいうふうに思ってた。だけど、どこかで仕事なんかやりたくないっていう時期もあるわけですよ。「なんで仕事なんかやらなきゃいけないの?」と悩む。悩んで、人の話を聴いたり、本を読んだり、自分自身に問いかけたりして、悶々としていく中でハッと気づいて。僕なんか、40歳ぐらいじゃないですか? そういうことに気がついたの。

前田:やっぱりそれぐらいはかかりますよね。

松浦:40歳ぐらいになって、でもそれ以前も確かにいろいろありましたよ。仕事はお金のため、生きていくためだよ、みたいな。いい服を着るためだよとか、そういう自分でもいたけど、そういうのを経て、あるとき、その理由を自分で必死になって探さないと、そのとき仕事を続けられなくなったと思うんですよね。で、自分なりに哲学して、何なんだろう、何なんだろうと考えて、ふっと気がついたことが「仕事って困っている人を助けるものなんだ」。だからといって、これが答えとは僕は言いたくないし、正しくないかもしれない。今現在、僕が思ってるのはこういうことであるだけで。もっといい、もうちょっといい答えが見つかるかもしれないし。今でも「仕事って何だろう?」って悩んでます。

酒井:悩んでる状態って、視界がクリアになっていないのかなって思ったんですけど。

松浦:いやいや、ずっと悩んでますよ。いろんなこと悩んでますよ。いろんなこと悩んでるから、いろんな出来事が起きていく中で、自分が気づくんですよ。「あ、自分の悩んでたことはこれなんだ」ってことがわかるわけです。悩むことはすごく大事だし、これも言い過ぎかもしれないけど、悩むことが人生そのものですよ。人生って悩み続けることじゃないですか。だからおもしろいし、だから自分がどんどん変わっていくし。

松浦弥太郎(まつうら・やたろう)さん
1965年、東京生まれ。エッセイスト。クリエイティブディレクター。2005年より『暮しの手帖』編集長を務めた後、2015年にクックパッドに移籍し、出版業界を驚かせた。人気サイト『くらしのきほん』を立ち上げ、編集長として発信を行う。暮らしや仕事における楽しさ、豊かさ、学びについての著書多数。「正直、親切、笑顔、今日もていねいに」を信条とした内容は、多くの読者の支持を集めている。2017年、株式会社おいしい健康・共同CEOに就任。DEAN & DELUCAマガジン編集長。目黒のセレクトブックストア『COW BOOKS』の代表も務める