コロナとつながりの分断

感染拡大と収束を繰り返すコロナの脅威、日常の問題となった気候変動に伴い、企業と個人の行動の変容を余儀なくされる環境問題、デジタル化が進む中で拡大する経済格差、非接触が求められる中、変化する人間関係……。今、なぜ「ウェルビーイング」なのか。
コロナ以前から四半世紀以上にわたり大規模な生活者定点調査を実施してきた第一生命経済研究所の膨大なデータと分析は、私たちの「越し方、今、行く末」のとらえ方のヒントになり、行動の指針となるはずです。

文/稲垣 円(いながき みつ)
第一生命経済研究所ライフデザイン研究部 主任研究員
専門分野は、コミュニティ・住民自治・住民組織など
イラスト/ながおひろすけ


2年の自粛で、地域社会はどう変わった?

新型コロナウイルス感染症拡大から、2度目の春を迎えようとしています。
この原稿は、第6波が猛威を振るう最中に執筆していますが、これまでにない勢いで感染者数は増大し、連日各地で「過去最大を更新」と報道されています。

しかし、私たちはどうでしょう。こうした状況に対する気持ちや暮らしに向き合う姿勢は、2年前とは大きく異なるのではないでしょうか。
マスクや手指消毒、距離を保つといった感染対策は、すっかり生活上のマナーとして定着しました。半ば強制的に始まったリモートでの会議や授業、遠方の家族や友人・知人との会話も当たり前になり、日常の買い物、旅行やコンサート、演劇などリアルが当然と思われていた物事もオンライン上で楽しめるようになりました。窮屈で、不自由な毎日が「当たり前」になったのです。「何をいまさら・・」と思われるなら、それこそが大きな変化であるといえるでしょう。

一方、新型コロナウイルス感染拡大は、「分断」を引き起こしたとも言われます。
インターネットを介せば、いつでもどこにでも自由自在にアクセスでき、好きなものを観たり、手に入れたり、自ら発信者になることもできます。にもかかわらず、どこかで私たちは「つながり」が断たれてしまっている、と感じているのです。なぜこうした感覚が生まれるのでしょうか。

「つながり」とは何か

「つながり」とは何なのでしょうか。日本国語大辞典(小学館)を引いてみると「つながること。長く続くこと。また、そのもの。続き。つらなり」「関係があること。かかわりあいがあること。関連。きずな」と出てきます。次に「関係」についてみると、「二つ以上の物事が互いにかかわりあうこと。また、そのかかわりあい」「ある物事が、他の物事に影響すること。また、その影響」とあります。さらに「きずな」を引いてみると、「人と人とを離れがたくしているもの。断つことのできない結びつき。ほだし」と出てきました。

こうして「つながり」を構成する要素をみると、相互のやり取りがあること、互いに影響を与え合うこと、そして、そうした状況がある程度続いていること、といったことが浮かび上がってきます。また、こうしたつながりややりとりを情報の交換に置き換えると「ネットワーク」とも読み替えることができます。ここからわかることは、「つながり」とは、相手とのやり取りがあり、一方的な関係ではないこと。自分だけが「つながっている」と思っていても、双方向のやり取りがなければ、つながりがあるとは言えないのではないか、ということです。

筆者は、地域社会(コミュニティ)における、人びとの暮らしや住民による地域の自治といったことに関心を寄せています。ですので、このつながりの「分断」について、コロナ禍における地域社会の実態や生活者(つまりこれをお読みくださっているみなさん)の意識の変化を見ることで、考えていこうと思います。

「地域活動」の現状

図1は、地域活動の実施状況についてたずねた結果です(2021年9月調査)。地域活動とは、住民が住む地域で行われる活動です。代表的なものだと、町内会・自治会、お祭りや体育祭・文化祭などの地域イベント、公民館やコミュニティセンターなどで行われるサークルや研修といったものから、交通安全、防犯・防災に関する活動、地域の環境を守るための活動(ごみ拾いや清掃)も含みます。

こうした地域活動に直接関わっているか否かはさておき、本調査ではお住まいの地域でこれらが実施されているかどうかをたずねました。その結果、「お祭り、体育祭、文化祭などの地域イベント」、「地域住民と一緒に身体を動かしたり、スポーツをする講習会」、「地域住民と交流できる場所(サロン等)」といった、地域住民が交流、体験等を通じて親睦を深める「集合型」の活動に関して、4~5割の人が「中止または延期」していると回答しました。集合型の活動は、趣味や娯楽といったいわゆる「不要不急の活動」とみなされるため、感染拡大が長期化するほど、再開の判断が難しくなっていることが考えられます。ただ、2020年9月の結果と比べると「中止または延期」の割合は減ってきており、1年前よりは状況が好転しています。
しかし、こうした実施状況とは裏腹に、人びとの気持ちは地域活動から離れつつあるようなのです。

注1:活動への参加の有無は問わず、居住する地域での実態についてたずねた
注2:全回答者の内、「地域にそのような活動や事業はない」「その他」と回答した人は除く
注3:未就学児や親を対象とした子育てに関するサークルは、未就学児を持つ人169人対象
資料:第一生命経済研究所「第4回新型コロナウイルスにおる生活と意識の変化に関する調査」

地域活動はもう必要ない?

図2は、地域活動に対する「今後の意向」をたずねた結果を示しています。今後の地域活動の実施に対して、消極的(「感染のリスクがなくなるまで、実施するべきではない」)もしくは否定的(「実施しなくてもよい」)な回答について、2020年9月と1年後の2021年9月に実施した調査結果を比較しました。その結果、全ての項目において2020年9月よりも2021年9月の方で割合が高くなっていたのです。

つまり、各種の地域活動について今後は「実施しなくてもよい」(活動をする必要はないのではないか)と考える人が、1年間で増加した可能性が示唆されるのです。

注1:赤字は2020年9月と2021年9月における、否定的(「実施しなくてもよい」)回答の差を示している。

何が分断されたのか

「地域におけるつながりの希薄化」という話は、コロナ以前にも議論されてきました。個人の生活様式や価値観の多様化、職住分離などがその理由に挙げられます。
もちろん、地域活動の減少だけが原因ではありませんが、人が集う機会が失われたコロナ禍の2年間で、地域のつながりの希薄化はさらに進んだ可能性があります。加えて、調査結果からは生活者自らが、地域や地域住民と物理的に関わる機会から遠ざかっている可能性も見えてきました。
リアルに人と会う、語らう、関わり合うことが無いということは「つながり」の喪失を感じさせるものの、自分たちだけで変えようのない状況への慣れやあきらめが、地域社会の分断を加速させているのかもしれません。

再び「つながる」ことはできるのか

新型コロナウイルスの感染拡大で、日常の何気ない会話やおしゃべり、人と人とがリアルに集い、互いに気配を感じながら時間や場を共にする、それがきっかけに気にかけ、関心を持つという機会が急激に喪失しました。
その代わりに私たちが身に付けたのが感染回避を基本とした「新しい生活習慣」です。未だ感染拡大の波が繰り返される中では欠かせない習慣ですが、厳重に行うほど、「感染しない」(または「感染することで他者に迷惑をかけない」)ための行動が優先され、地域社会での関わり合い、地域社会を形づくる基盤が知らず知らずのうちに揺らいでいく状況を生みます。

都市部に住み、そもそも帰属意識も隣近所との関わりもないから自分は関係ないと言う人もいるでしょう。しかし、地域にごみ一つ落ちておらず、景観が守られ、子どもが安全に登校し遊ぶことができ、そして地域の人が集い・活動する場(図書館、公民館やコミュニティセンター、地域で設置されている交流の場など)があるならば、地域の誰かがその役割を担っていることに他なりません。そして、そこに住む限り近隣住民と空間や時間を共有していることには変わりなく、例えば災害などが起きた時には運命共同体の一員として共同で活動することが求められます。テレワークで平日日中を自宅で過ごす人が増えた今、自分の暮らす地域や地域の人びととどのように関わるかを考えることは、社会的側面、経済的側面のいずれにおいても重要性を増してきています。

テクノロジーで補えることは多いですが、一方で、テクノロジーでは超えられないものもあります。私たちは、リアルなつながりの価値を改めて認識し、人と人との関わりを絶やさない方途を考えていかなければなりません。