第四回 瑞々しく、男前の寿司を次々に食べる歓び「都寿司」(東京・日本橋蛎殻町)

文/麻生要一郎
撮影/小島沙緒理


「カズオスタンドのすぐ側の、蛎殻町のお寿司屋さんよ」そう言ったのは、養親の姉である。

6年ほど前、食事に出かけたホテルで心筋梗塞になって入院をした際に、退院したらお寿司が食べたいと言っていた。倒れたのはホテルに着いた時で食事をする前であった、姉は弱々しい声でうわ言のように「ごはんを食べてからで大丈夫よ」と、何度も言いながら救急車に乗った。
勿論、そんな訳にはいかないので、同乗して病院へ向かった。時間が勝負の、緊迫した状況が続き、全ての処置が終わった後、意識が戻った彼女が医師に向けて発した言葉が「皆、ちゃんとごはん食べたの?」であった。命が助かって安堵する場面で、先の発言ではどうも様子がおかしいと思ったに違いない。看護師さんが深刻そうな表情だったので、事情を話しながら、安堵した事もあってお互いに笑ってしまった。

退院の日、養親の妹と一緒に病院へ迎えに行き、どこの寿司屋に行こうか相談した時、いつもの張りのある声で冒頭の発言。カズオスタンド、蛎殻町、そう言われてもピンと来ない。僕が姉妹と出会ったのは、その少し前で一緒にお寿司屋さんに出かけた事はない。お稲荷さんの向かい側よ、○○さんとよく行ったわねと、断片的な事を言うだけで、姉妹の口からは店名が全く出て来ない。

情報を精査して調べてみると、どうやらここに間違いないと確信をもったのが“都寿司”。口を揃えて「よく思い出した!」と褒められたが、思い出したのではない、情報をもとに調べたのである。

お店に着いて、僕と妹は握り、姉はちらしを頼んだ。あんなに騒いだのに、握りじゃなくて、ちらしを頼むのかと思いながら、三人で黙々完食した。どこかのお店へ行くと、必ず隅からケチを付け出す姉妹が大人しく食べるのは珍しかった。その帰り道、すぐ側の人形町に寄り道して、日山でお肉、双葉で豆腐を買ったりした。「うちのパパは、日山のお肉しか食べなかったのよ、昔のいい男ってね、ご贔屓を重んじたものよ」そう言いながら、彼女達は大好きだった父親の面影を、僕に重ねたかったのだと思う。
その日から、都寿司でお昼を食べて、買い物をすると言うのが、我が家のお決まりとなった。馴染みだった彼女達の縁を引き継いで、僕もすっかり馴染みになった。三人で腕を組んで、買い物してお寿司を食べに行った事は、にわか家族の良い思い出。

包丁捌きがきれいなこと、清潔なこと、気取りのないこと、それが彼女達の飲食店への評価基準だったように思う。東も西も、良き時代の良い店は行き尽くしていて、彼女達が太鼓判を押す店と言うのは、何かしらのケチがつくので極めて少ない。もともとは、姉の昔馴染みのボーイフレンドが兜町で証券会社を経営していて、よくお昼を食べに連れてきてもらったそうだ。きっと、その彼が握りではなく、ちらしを好んで食べていたに違いないと思った。目の前の寿司を通して味わっているのは、誰かとの思い出でもある。

明治の創業、代々続くこのお店は、美味しい寿司を通じての様々なエピソードに溢れているのだと思う。関東大震災の時に炊き出しをした、おじいちゃんから孫へと何代も続くご贔屓、新入社員の時に上司に連れてきてもらったのが今度は部下を連れてと、色々な物語を伺った。そういう事は、目には見えないとしても、お店の空気に蓄積されていくものだと思う。

現在5代目となる山縣秀彰さんは、僕が介護に忙しくなかなか訪れられなかった間、4代目からのれんを引き継がれていた。その包丁捌きの美しさは、店内に飾られた見事な笹の切り絵からも見て取れる。なまじ料理家を名乗る僕は、カウンター越しに、彼と差し向かうと緊張してしまう。職人としての技と心意気、暖簾を引き継いだ責任感、その凛とした佇まいは、日々の研鑽の賜物、僕の憧れの人である。

しかし、緊張するのは僕が料理家などと言っているからの話であって、街の寿司屋を自認する都寿司は、実に気軽である。近所にあったらならば、週に三度は出かけたい。週に三度も通えば、緊張も解れるであろうか。

取材の折、自分は寿司のネタで何が好きかと、見極めるべく食べ進めた。最初に出てきた、真鯛が美味、出てくる度に美味しくて、あれもこれも好きだと思っているうちに食べ終わってしまった。
気が多いことに呆れながら、人生で初めて「さより」を美味しいと感じた。見た目の美しさにも目を奪われるが、歯切れの良い食感、淡白な味わいの魚を唸らせ、印象深くするのは、やはり職人の受け継がれる技であると僕は思う。そして、頃合いを見計らい出して下さる、お椀も好きだ。あしらいに海老や魚の身が入り、蒲鉾、三つ葉が澄んだお出汁と供される。あしらいの加減もちょうど良く、味噌汁でないのが良い、これがキリッと男前な味わいだといつも感じる。

口の中に残る、瑞々しい寿司の余韻。店先に掲げられた「鮨は活き 料理は夢」、寿司を味わいながらいつも良い言葉だなあと思う。モチーフに使われている、都鳥のマークも良い。目の行く先々に、それぞれ代々の主人が残したものがあり、姿はなくとも、手を携えこの店をしっかり守っている。

原稿を書きながら、また都寿司に行きたくなってきた。持ち帰りのばら寿司も、海老のおぼろがとてもおいしかった。年末にお願いした、生おせちも美味であった。食べたいものを、食べたい時に主義な僕にとって、予約の煩わしさもなく暖簾を潜れば、5代目と清廉な若き職人達がいつも気持ちよく迎えてくれるのが何より嬉しい都寿司。いつか皆で貸切というのも念願で、心ゆくまでお寿司を味わい尽くしたい。

ぜひ皆さんも「カズオスタンドのすぐ側の、蛎殻町の都寿司」へお出かけ下さい。


都寿司

右は当代の山縣さんが先代から受け継いだ出刃包丁。研ぎに研いでこんなに小さくなった。
店に飾る切り絵は、包丁の冴えを磨くために、この出刃で切るという。

創業は明治20年(1887)、初代は京都出身。「だから店の意匠が都鳥なんですよ」と5代目の山縣秀彰さん。京の都から東京に来た初代が、やはり東に下った在原業平の有名な和歌「名にしおわば いざ言問わん都鳥 わが想う人はありやなしやと」に自らの心情もなぞらえたという。江戸から明治への大変革期、「都寿司」と名付けた創業、往時を想うと初代の決意が感じられる。
下ごしらえの確かさを物語るすしは味も姿も正統の一流。優秀な弟子たちとの養子縁組も重ねながら受け継がれた心と技は、その味や営業姿勢に顕れて、「うちはこの街のすし屋」という基盤は揺るがせにせず、出前もし、宴会も受け、土地の人にも、初めて訪れた人にも心込めてすしを握る。今時珍しい休憩時間のない通し営業もありがたい。
「うちは震災も戦争も乗り越えてきた、時代時代で残すものと変えるべきものがあって、代々がそれをやってきた。だから無くなることはないし、ずっとこの商いができるんです」という言葉には生半可では得られない説得力がある。
麻生さんの文中にある「カズオスタンド」とは銀幕の大スター長谷川一夫(1908~1984)がかつて経営していたガソリンスタンドで、この界隈の目印ともなっているそう。

花にぎり1650円、上にぎり2750円、おまかせにぎり4950円、上二重ちらし2750円ほかお持ち帰りメニューも充実

住所:〒103-0014 東京都中央区日本橋蛎殻町1-6-5
営業時間:ランチ11:00~16:00(L.O.16:00)
     ディナー16:00~20:00(L.O.19:15)
定休日:日、月曜日
電話:03-3666-3851